1269 俺と言う偽物
もしかしたら、俺が森で蟻に遭遇したのも、その後に遭難したと言えるのも、ヤギに会った事すらも、この場に俺を誘導するためだったのかと俺の心に疑惑が灯る。
「お前はどうしてそんな力を持っているのに自由を得ようとしない?何故、この世界で自由を謳歌しようとしない?お前に敵う存在など何処にも居ないじゃ無いか。さあ、その力で地位も名誉も権力も、金も宝も女も、何もかもを独り占めしてしまえよ。さあ、何でも手に入るぞ?力を振るえ。全てをその力で得る事ができる。蹂躙しろ。暴君と化せ。この世界では向こうで得られなかったモノを、その力でいくらでも手に入れる事ができる。簡単だ、簡単なんだ。欲しいモノは何でも手に入れろ。」
そいつは俺に向かってそう言ってくる。そしてそんな勝手な言い分が俺を白けさせてくれた。ありがたい事だ。
「はぁ~。冷静になれた。つか、誰だ、こんなマネしやがる奴は。こいつが霧を出してやがんのか?それとも別か?・・・あーあ、殴りにくい。」
俺の目の前に現れたその人物はスーツ姿、靴もピシッと革靴で、ネクタイをキッチリ締めていて、俺の記憶の中にある、良く見知った顔をしている。
「俺じゃん。向こうの俺じゃん。いきなり現れて下らねーこと言ってくれちゃって。一体何がしてーんだ?」
言うなればドッペルゲンガー。だけども、この世界の「俺」はそもそもこの姿じゃ無いのだからおかしな話だ。
今俺の目の前に現れたのは地球の、日本に住む、「俺」だ。俺の記憶にあるその姿のまんま。こちらに転生して今を、この世界を生きる俺の姿じゃ無いのだ。
そしてまだその以前の俺がまた戯言を言い始める。
「この世界の天辺は見晴らしがいいぞ?さあ、その力で上り詰めて全てを見下せ。下等な者たちを嘲笑って美味い酒を飲めばいい。どんな苦しみもソレで全て忘れられる。」
「・・・もうちょっと気の利いたセリフが言えねーの?なんかその姿で糞を垂れ流されるのはスッゲーむかつくんだけど?」
耳を貸してやれる部分が一切無い。凄くくだらない事ばかりを口にするこいつに段々と腹が立ってきた。
「お前がやらないなら、俺が代わりにしてやろう。さあ、その身体を明け渡せ。その気が無いなら・・・ここでお前を殺して俺が代わりになってやろう。」
そう言っていきなり俺じゃ無い「俺」は殴りかかって来た。狙われたのは顔面。だけどもその一撃の速度は遅く、余裕で躱す事ができた。
「おっと。お前の目的は何だ?何処のドイツで、どう言った了見でこんな悪趣味な冗談を仕掛けてきた?・・・とは言え、お前が俺を殺すって言うなら、無力化するけど。正当防衛ってな。」
距離を離した俺は続けざまに「偽物の俺」から放たれた鳩尾への前蹴りを身体を半歩下げて躱す。
すかされて浮いている「偽物の俺」のその足の踵を俺は掴み、両手で勢いよく持ち上げる。
するとまるで軽業師の様に後方一回転して綺麗に着地した「偽物の俺」は今度は軽いステップを踏んでボクシングのピーカーブースタイルでジャブを放ってくる。
「ちょっと楽しくなってきた。マトモに組手ができそう。あ、この場合はスパーリング?それにしても・・・」
放たれる拳を「パリング」と言う技術で叩き落しつつ観察を続ける。そうするとこの「偽物の俺」の動きがどうにも引っ掛かった。




