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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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09 先行者の痕跡

「お怪我はありませんか?」

 一つ大きく息を吐いてから振り返ると、三人と目が合った。蒼い顔で目を丸くしたまま、寄り添うようにして固まっている。返事は無い。

「……大丈夫ですか?」

 やはり危険な魔獣との至近距離での遭遇は刺激が強過ぎたかもしれない。魔獣には慣れている自分でも、あの巨大な群れ、殺気立つ肉食獣の巨体は恐ろしい。

「あの、」

 もしかして衝撃の余りに立ったまま腰を抜かしていたりしないだろうかなどと思いながら、躊躇いがちに声を掛ける。

「――ああ、ごめんなさい。色々と驚いたものだから」

 最初に我に返ったアンネリエが二人の従者の腕の中で身動ぎしながら、どうにか言葉を絞り出した。とんとんと彼らの腕を叩いて腕の力を緩めさせると、二人はゆるゆると緊張を解く。

「……出ると聞いていたものがまさか同時に出るとは……」

「……常に最悪の事態を想定しろということか」

 デニスとバルトはしみじみと呟きながら顔を見合わせた。出発から僅か数時間にして、危険地帯に踏み込むという事の意味を理解したらしい。

 雪海月(スネ・マニエテル)はともかく、雪熊の遭遇率は三割程度だ。数値だけ見れば遭遇しないかもしれないと思う者もいるだろう。しかし、棲息しているという事実がある以上は遭遇するものと見て備えておいた方が良い。希望的観測だけで踏み込んで良い世界ではない。

「大丈夫かい? なんなら引き返してもいいんだよ。前金で受け取ってある分は払い戻しも出来るからね」

「――いいえ。大丈夫、行くわ」

 ナディアが受け入れやすいように柔らかめに提案するが、彼女は軽く首を振った。

「せっかくここまで来たのだもの。このまま行きたいの。でも、そうね、」

 周囲に降り積もった雪海月の遺骸と、向こうで絶命して倒れている雪熊に視線を向けて、彼女は言う。

「貴方達がもしこれ以上進むのは危険だと判断した場合は、それに従う事にするわ」

 二人の従者も神妙な顔で頷いたところで、アレクとクレメンスが戻って来た。二人とも雪熊との戦いによる負傷は無いようだ。

「お疲れ様」

「ああ」

 返り血が撥ねた顔を拭いながら歩み寄って来たアレクの眉が、微かに寄せられた。

「シオリ。頬に傷がある」

「うん?」

 言われて指差された方の頬に触れると、ぴりりとした痛みが走った。薄っすらと筋を引いて腫れている気がする。

「あ、ほんとだ」

 恐らく先程の雪海月の冷気で切ったのだろう。痛みはあるけれども、触れた手先にも血の跡が付かないあたり、ごく小さな傷だとわかる。軽く消毒して薬を塗っておけばそれで十分なはずだ。

「ちょうど休憩の時間だしねぇ、そこで手当すればいいよ」

「うん、そうする」

「なら――そうだな、少し行ったところで大休止にしよう。多少視界を遮るように壁を作ればアンネリエ殿も後ろの死骸は気にならんだろうしな」

「ありがとう。お気遣い感謝するわ。でも、大丈夫なの? 近くだとまた魔獣が来たりしないかしら」

 死臭を嗅ぎつけて他の魔獣が寄って来たりはしないだろうかと、アンネリエ達は少しばかり不安げな表情になった。確かにそういう種類の魔獣も多いのだが。

「雪熊は縄張りを作ったりはせんから何処にいても遭遇する可能性はあるが、雪海月は縄張りを持つのでな。今倒した群れがこの辺りを勢力圏としていたのなら、もうしばらくは他の群れに襲われることは無いだろう」

 クレメンスの言葉で三人は多少なりとも安心したらしい。

 一行は足早に戦場から遠ざかると、二十メテルほど歩いたところで昼休憩を取ることにした。

「じゃあ、休憩所を作りますね」

 後半の行程を乗り切れるように、この長めの休憩では少しでも体力の温存と回復を図りたい。氷魔法を起動して、ナディアが除雪した道の端、雪の降り積もったままの場所を利用して七人が入れるだけの小さな広場を作ると、壁が背凭れ代わりになるように長椅子二つを配置し、それから中央に小ぶりの卓を成形する。多少行儀は悪いが、壁に凭れ掛かって食事をすれば、ただ座っているだけよりは身体も休まるだろう。卓は食事し易いように、薬草茶の入ったカップや食料袋を置くためのスペースだ。

 アンネリエ達は小さな歓声を上げると、荷物をその場に下ろして長椅子に身体を投げ出すようにして座り込む。疲労ゆえか、それとも危険な魔獣との戦闘で精神的に疲れでもしたか、多少の行儀悪さには目を瞑ることにしたようだ。

 依頼人の許可を得て、傷の手当を先に済ますことにする。薬品を漁っていると、食料袋を物色していたバルトがふと何かに気付いて顔を上げた。

「あ、そういえば。雪熊の毛皮って高く売れるんですよね。いいんですか、あのままで」

「我々だけなら有難く剥ぎ取らせて貰うんだが、今回の目的は毛皮ではないからな。剥ぎ取るには時間も労力もかかるから、今回はあのまま放置することにするさ」

「なるほど……」

 それなりに高価な素材を放置すると聞いて、こちらよりもむしろバルトの方が勿体無いような顔をした。座っている長椅子の上に敷かれた雪熊の毛皮を撫でながら、納得したようなしていないような微妙な表情を作っている。

「――アレクって魔獣の解体も出来るんだ?」

 頬の傷を消毒して軟膏を塗り込み、次は消毒せずに済ますつもりでいるらしいクレメンスの手当てをしようと伸ばした手を何故かアレクに押し留められながらも訊いた。

 アレクは軟膏の缶をシオリの手から取り上げ、こちらも何故か若干恨めしげな顔をして彼を見たクレメンスの傷に、些か乱暴に塗り込みながら答える。

「一応はな。昔はとてもじゃないが無理だと思っていたが、覚えた方が何かと便利だと悟ったんだ」

「以前、偶々手に入れた獲物を台無しにしたことがあってな。ああいう悔しい思いをするのは二度と御免だから、覚えることにしたというわけだ」

「あの水鳥な」

「そう、あの水鳥。あれは最悪だった」

 アレクとクレメンスは苦笑いしながら顔を見合わせている。遠征先で運良く美味しそうな水鳥を入手しておきながら、捌き損ねて恐ろしく鳥臭い丸焼きが出来上がってしまったらしい。御馳走にありつける可能性を自ら潰してしまったというわけだ。

「それは……残念」

 シオリも温かい飲み物の用意をしながら苦笑した。瓶詰にして持ち込んでいた生姜の砂糖漬けをカップに入れて湯を注ぐと、即席生姜湯が完成する。

「でもそういうことなら解体してきても構わないわよ。その、時間に問題が無ければだけれど」

 手渡されたカップから立ち上る香りに目を細めつつ、アンネリエは言った。

「気遣いは有難いが……数時間はかかるからな」

 皆が話す横で、使い魔用の菓子を大事そうにちびちびとつまんでいたルリィがちょいちょいと足元をつついた。

「ん、なぁに?」

 ルリィは道の方まで出ると、触手を伸ばして町の方向を指し示した。

「あっちがどうかしたの?」

 もう一度尋ねると、食べかけの菓子を丸飲みにしてからぷるんと震えた。それから町の方向にほんの少しだけ移動して見せる。

「んー……と、ああ、さっきの場所? って、もしかして、倒した魔獣を食べたいの?」

 訊けばそれは正解だったらしい。ルリィは肯定するようにぷるんと震えた。どうしたものかと後ろを振り返ってみると、仲間達は頷いてくれた。どうやら許可が下りたらしい。

「時間までに戻って来れるなら構わんぞ。三十分程度だが、大丈夫か?」

 アレクが訊けば、問題無いとでも言うようにルリィは触手を振り、それから水溜まり型に戻って素早くもと来た道を引き返して行った。それを見送ってから、自分も長椅子に腰を下ろす。

「スライムの使い魔って最初はどうなのかしらと思ったけれど……本当に意思疎通が出来るのね。スライムがあんなに人の言葉を理解するなんて思わなかったわ。表現豊かというのかしら。私でもなんとなく彼――でいいのかしら? が言っている事が分かるもの」

「さっきの戦闘中なんて、指示通り動いてましたしね。状況に応じて自分で判断して動いているようでもありましたし、思っていたより随分賢いんだなと思いましたよ。人懐っこいし、何というか可愛いですね、彼」

 アンネリエとバルトが口々に言い、友人を褒められてシオリは嬉しくなった。ルリィの理解者が増えてくれるのは良いことだ。東方風の容姿の自分もそうだけれど、スライムであるルリィも最初はどうしても色眼鏡で見られがちなのだから。

 生姜湯の温かさだけではない理由でじんわりした温もりを感じてそれを噛み締めていると、デニスがぼそりと言った。

「スライムと言えば――最近陛下がスライムと使い魔契約されたという噂を聞きましたよ」

「ぶっふぉっ!」

「うわぁっ!?」

 デニスの言葉が終わらぬうちに、隣で生姜湯を啜っていたアレクが突然噴き出してシオリは飛び上がった。咄嗟に口元を抑えて周囲への被害は防いだものの、手袋や膝の上を濡らしてしまったようだ。デニスの些か冷たい視線を浴びながら、気管に入りでもしたのか激しく咳き込んでいる。

「だ、大丈夫?」

「げほっ、ああ、すまない、っぐ、変な所に入ったようだ」

 手布を手渡すと、咳で真っ赤になりながらも彼はそれを受け取って口元を拭った。けれどもまだ咳は止まらないらしい。アレクの背をさすってやるうちに、どうにか落ち着いたようだ。

 騒ぎが収まったところで会話が続けられる。

「――それにしても随分と突拍子も無い噂ね。いったいどこから出た話なの」

「先日商談で来られたエンクヴィスト伯の従者殿から聞きました。なんでもお忍びで視察された先で契約されたとかどうとか」

「クラース様のところの? 無責任な噂話をなさるような方々では無いけれど」

「そうですね。桃色のスライムだとか、随分と気に入られて王妃様と一緒に寝所にお入りになるだとか、かなり具体的な話でしたから信憑性は高いかと」

「ぐっ、ごふっ、」

 収まったと思った咳が再発したのか口に含んだ生姜湯を噴き出しかけて無理に飲み下し、アレクはとうとう涙目になってしまった。クレメンスやナディアが若干憐れみを含んだ目で彼を見ている。

「ねぇ、本当に大丈夫?」

「うぅ……大丈夫だ」

 咳き込んで疲れたのか、どことなく憔悴した様子で彼は呻くように言った。そうこうしているうちに他の者達は軽い昼食を済ませて身支度を整え始める。

 アレクは食欲が失せたらしく、食べ掛けの行動食を食料袋にしまい込んでしまった。

「――そういえば、ルリィはまだかい? そろそろ時間だよ」

「そうだね……っと、あ、帰って来た」

 ナディアが気付いて声を掛けて来たところで、瑠璃色の身体がひょっこりと雪の中から現れた。ただいま、と言うように触手をしゅっと伸ばす。

「お帰り。沢山食べた?」

 問いかければ、満足そうにぷるんと震えた。それからもう一度触手を伸ばして、今来た道を指し示す。

「え、なぁに? ……って、わあぁっ」

 示された方向に何気なく視線を向け――とんでもない物を見つけて思わず悲鳴を上げてしまった。

「なんだ、どうした?」

 何事かと仲間達が集まって来るが、興味深そうに一緒に歩み寄って来たアンネリエ達を慌てて押し留める。

「あの、あんまりご覧にならない方がよろしいかと」

「え?」

「そう言われると余計気になるというか」

「あまり見て気持ちの良いものではないので……その、さっきの雪熊の、」

「まさか食べ掛けを持って来たんじゃないだろうな」

 デニスの厳しめな指摘が入る。女主人に妙な物を見せでもしたら容赦しないといった様子だ。

「いえ、食べ掛けというよりはむしろ……」

「我々の会話を聞いて、毛皮を土産にしてくれたようだ」

「なるほどねぇ。ルリィなりに気を遣ってくれたってことかい」

 ルリィの持ち帰った戦利品(・・・)を見たクレメンスとナディアが愉快そうに笑った。アレクは既に検品を始めているようだ。

 ――雪熊の毛皮。

 ルリィはご丁寧にも先程仕留めた雪熊の中身だけ綺麗に平らげて、残りの毛皮を持って来たようだった。爪や牙もそのまま残されている。

「うおー、すっげぇ!」

「このまま敷物に出来そうね!」

 シオリとデニスの制止を振り切ってそれを見たアンネリエとバルトが興奮気味に歓声を上げた。初回の戦闘で恐怖心が振り切れてしまったのか、妙にテンションが高めだ。

 デニスは眉間に指先を当てて深々と溜息を吐く。シオリとしては苦笑するしかなかった。

「見事なもんだねぇ。でも、さすがにお腹いっぱいなんじゃないのかい? 結構な大きさだよ」

 ルリィは頷くような動作でぷるんと震えた。雪狼(スノ・ヴァーイ)の時のように、しばらく食事の必要はないかもしれない。

「それにしても、改めて見るとこの傷痕は……」

 毛皮の頭部を見下ろしてクレメンスが眉間に皺を寄せた。

 潰れていた片目の傷痕。毛皮にこびりついて固まった血液の周辺には、焼け焦げたような跡と、切り裂かれた跡が残されている。まだ、新しい。

「二、三日以内に付けられた傷のようだな」

「ああ。恐らくこれは――」

 監視の騎士を振り切って塔に向かったというパーティ。確か、魔導士と剣士がいたはずだ。

「深い傷を負わせて逃げおおせたか、それとも……」

 ――食われて全滅したか。

 今のところ、この雪熊の傷痕以外に彼らの痕跡は見つかっていない。どのみちこの数日も雪が降り、彼らが歩いただろう足跡もすっかり消え失せている。

「なんにしても、気を引き締めて行こう。どういった連中かもまだよくわからんしな」

 検品を終えてルリィの身体をつるりと撫でると、アレクは毛皮をくるりと丸めて保存用の皮袋に丁寧に入れ、背嚢に括り付けた。そこそこの重量にはなるけれど、彼の体格ではさして問題にもならないようだ。

「ルリィ、ありがとね」

 友人を労うと、ルリィは誇らしげに震えて見せた。

ルリィ「げぷ」

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