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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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08 シルヴェリアの魔獣

 針葉樹の森から溢れるように飛び出して来たその群れは、まるで視界を覆うほどの白い霧の塊のようにも見えた。凍てつく冷気を放ちながら一行をぐるりと取り囲む。

「きゃああっ!」

「うわぁっ!」

「なんっだこりゃ!」

 無数とも思える半透明の魔獣の巨大な群れに、伯爵家の三人は堪らず悲鳴を上げた。

「……すっごい……」

 シオリも思わず呟く。ブロヴィートで見た雪狼(スノ・ヴァーイ)の群れとは比べ物にならない巨大さだ。あの群れは地面に平面的に展開していたのに対して、この群れは目線の位置から何メテルも上まで広がっている。厚みがある分、この群れの巨大さがより際立って見えた。

 薄っすらと向こう側が透けて見える半透明な白い傘を不規則に蠢かして極寒の大気中を漂う雪海月(スネ・マニエテル)。触手を含めれば体長三十センチメテル程のその魔獣は零度を遥かに下回る低温下でしか生きられず、春先の雪解けの頃の気温ですら生命を維持出来ないという。曇天の僅かな光を受けて淡い水色に色付くその姿は、春の訪れとともに溶けて消える儚い雪の精に例えられる事もある。

 しかしその実態は、縄張りに近付く者には強い敵対心を示し、群れでの全力攻撃を仕掛ける極めて闘争本能の高い魔獣だ。単体では初心者パーティでも十分に太刀打ちできる魔獣ではあるが、彼らの恐ろしさは直径二十数メテルにも及ぶ巨大な群れを構成するところにある。触手に麻痺毒を持ち、団体で氷の魔力を帯びた冷気を放つ恐るべき雪の魔物だ。

(――大蜘蛛といい雪狼といい、群れで襲ってくる魔獣って結構多いんだよね)

 人里近くに現れるような、群れから逸れた個体にしか遭遇した事の無い冒険者は不幸だ。弱い魔獣と侮って単独または少数で群れに相対し、敢え無く命を落とす者は意外に多いらしい。

(何さん、って言ったかなぁ。彼女もたった二人で大蜘蛛の巣に突っ込んで亡くなったんだっけ)

 十月だったか、気に入らないと絡んできた三人組の娘達。規約違反で罰せられて一人は組合(ギルド)を脱退したらしいけれど、あとの二人は謹慎明けに無理な個人依頼を受けて呆気なく返り討ちにあったという。片方はどうにか逃げ出したが、もう片方は無残に食い殺されてしまったらしい。

『――馬鹿な娘だ、まったく』

 生還した娘を伴って遺体確認に向かったルドガーが吐き捨てるように言っていた。厳しい言葉とは裏腹に、どこか悲しそうだった彼。亡くなった娘は彼の教え子で、それなりに期待を掛けていたらしかった。

「――アンネリエ殿。奴らは肌が剥き出しになっている場所を狙う。なるべく顔を隠して、守りやすいようにこの場から動かないようにしていてくれ。シオリ、お前もだ。ルリィは俺と一緒に背後を頼む」

「了解」

 アレクの言葉に伯爵家の三人はぎこちなく頷いた。ルリィは心得たとばかりにぷるんと震えると、シオリ達の背後に回り込む。

「何しろ数が多いからな。取りこぼしが出るかもしれんから気を付けろ」

「うん」

「来るよ!」

 前を守るナディアの声が飛んだ。周囲に膨大な魔力が満ち、雪海月が一斉に鮮やかな蛍光色に明滅する。攻撃開始の合図だ。

 シオリは三人を後ろ手に庇った。何度か話に聞いたことはあるが、相対するのはこれが初めてだ。確かにこのとんでもない数の魔獣から護衛対象を守りながら戦うには高火力のA級で固めたくなるのもわかる。到底一人で太刀打ちできるような数ではない。けれども、取りこぼし程度なら自分でも相手が出来るかもしれない。魔獣図鑑で予習して来た内容を思い起こしながら、油断なく周囲に視線を巡らせる。

渦巻く火炎(スピロール・フランマ)!」

 ナディアの範囲魔法が群れを焼いた。じゅ、という蒸発音が響き、一瞬で周囲の雪と共に群れの一角が消し炭と化す。

「ナディア! 私を焼き殺す気か!」

 特徴のある形に湾曲した漆黒の双剣を交互に素早く振るって周辺の雪海月を巻き込みながら、クレメンスが怒声を上げた。

「あんたならそんくらい躱せるだろうと思ってね!」

「躱せても熱気を吸い込んだらただではすまんだろうが!」

 何やら言い争いながらも互いに攻撃の手は緩めない。放たれた冷気を掻い潜り、一方は数十体を蒸発させ、もう一方は次々と切り裂いていく。足元には炭化して粉状に飛び散り、あるいはなますのように短冊状に切り裂かれた雪海月の山が積み上がっていく。

 アレクもまた炎を纏った魔法剣を大振りにして敵を焼き切り、ルリィは粘液状の身体を極限まで伸ばし、群れの一部を齧り取るようにして敵の数を減らしていた。

 とはいえ、直径二十メテルにも及ぶ巨大な群れはまだ大半が生き残っている。手練れの冒険者達の猛攻を掻い潜った何匹かがシオリと護衛対象に襲い掛かった。デニスとバルトが咄嗟にアンネリエを抱え込んで目を瞑るのを尻目に、シオリもまた合成魔法を解き放った。

「熱風!」

 火と風の合成魔法。洗髪後のドライヤー代わりにしている温風の魔法の上位版だ。

 魔獣図鑑で予習して覚えていた「雪解けの時期の気温ですら生命維持出来ない」という一文と、先程のナディアの魔法攻撃から逃れた群れの一部が強力な爆炎の余波を食らって干乾びていくのを見て思い付いたそれ。

 魔力消費を考えればあまり無茶は出来ないけれど、自分と背後の三人を守る程度の範囲なら何発か撃てそうだ。

 果たして、熱風に巻き込まれた雪海月が見る間に身体の水分を失い、ぼとぼとと地面に落ちていく。

「シオリ! 無理はするなよ!」

 合間に背後を確かめたらしいアレクから声が飛んだ。

「うん!」

 序盤で魔力切れを起こしては目も当てられない。

(……温風程度まで威力を落としてみようか)

 出力する魔力を調節し、普段野営地で使う空調魔法を周囲に展開した。

 数匹の雪海月が魔法の適用範囲内に侵入してくるが、温度に耐え切れずにそのまま落下し、雪の上で徐々に水分を蒸発させていく。それでもまだ果敢に迫って来た何匹かは、絶命した同胞の様子でこちらへの攻撃を諦めたのか、標的を変えたようだった。

「……良かった。これでも効果あるみたい」

 野営地で作るような狭い結界内のようにこの魔法の効果を一定時間維持できるわけではないから魔力は放出したままになってしまうけれども、少なくとも彼らに対する障壁代わりにはなるようだ。

「……くっ」

 前衛のクレメンスが小さく呻き声を上げた。雪海月の触手が頬を掠めたらしい。戦闘の激しい動きで血の巡りが良くなった身体に毒が回るのは早く、痺れ始めた左手が剣を取り落とす前に鞘に収めて後退して来る。

「大丈夫ですか」

 素早く腰の薬品ポーチから解毒薬を取り出して手渡す。

「すまない」

 彼は受け取った薬を一気に呷り、解毒作用が効くのを待ちながら周囲に視線を巡らせた。

「何度やってもこういう大量湧きする魔獣は厄介だな。特に雪海月は群れが大き過ぎる」

「そうですね……」

 単体では弱い故に、こうして数の暴力とも呼べる膨大な量で一斉に攻撃を仕掛けてくるのだ。単体攻撃でどうにか出来るものではない。範囲攻撃の手段が無ければ難しい相手だ。

「しかし空調魔法で結界代わりか。雪海月には有効な手段だな。あと少しだ。もうしばらく耐えてくれ」

「はい!」

 群れは四分の三が既に消失している。痺れが消えたクレメンスは再び温風の結界から飛び出して行った。

「もう少しの辛抱です」

 手練れの冒険者の戦いぶりと温かな結界に多少なりとも安心したのか、顔を強張らせたままながらも膨大な数の魔獣と相対するアレク達を食い入るように見つめていた三人は、声も無いままこくりと頷いた。

 時折吹き付ける氷の破片交じりの冷気は、温風の威力を上げてどうにかやり過ごす。それでも殺ぎ切れなかった冷たい風がシオリの顔を掠め、ピリリとした痛みが頬に走った。

 しかし、あと僅か。

 そう思った瞬間だった。

「え、なに!?」

 突然雪海月の一部が群れを離れ、温風の結界の脇をすり抜けるようにして飛んでいった。その飛び去る方角から凄まじい速度で何かが接近する気配。

「新手だ! でかいぞ!」

 アレクが叫んだ。

 雪の中を高速で移動出来る大きな気配など限られているのではないだろうか。あまり考えたくはないけれど――

 不安げな表情で同じ方向を見るアンネリエ達を庇いつつ、迫る気配に備えて身構えた。

 やがて積もりたての新雪を掻き分けて森の中から姿を現したのは、巨大な白い魔獣。ずんぐりとした四足歩行のその獣は、その巨体に見合わない小さな、しかし獰猛な色を浮かべた目でこちらを見据えた。その片目は潰れ、乾いた血の塊が周囲にこびり付いている。数日以内に付いたと思しき真新しそうな傷痕。

 こちらを敵と認識したらしいそれは、群がる雪海月を鬱陶しげに前足で振り払いながら後ろ足で立ち上がると、野太く猛々しい咆哮を上げた。一度食らい付いたら二度と離れないだろう太く鋭利な牙が剥き出しになる。

「……っ」

 背後でアンネリエ達が息を飲むのが分かった。恐らく人里近くに現れるような小型の魔獣程度しか目にしたことがないのだろう彼らは、巨大な魔獣に剥き出しの敵意をぶつけられて恐怖したに違いなかった。

「でけぇ……」

 バルトが呻くように呟いたのが聞こえた。身の丈四メテルになろうかという獣型の魔獣。けれどもいつか見た醜悪な姿のマンティコアに比べれば、まだ可愛い方だとシオリは思う事にした。そうする事で湧き上がる恐怖心をどうにか押さえつけた。

「荒ぶった手負いの雪熊か。雪海月も片付かんうちから面倒な奴に当たったものだな」

「――まぁ、マンティコアに比べればまだ可愛いものだな。腕力と体力は侮れんが、当たりさえしなければ問題無い」

 アレクやクレメンスは険しい視線ながらも落ち着いたものだ。己の腕に自信があるからということもあるだろうが、どんな時でも平常心を失わないのは上級冒険者として大事な心構えだ。焦りと恐れは容易に隙を生む。

「そっちは頼んだよ!」

「ああ、任せておけ!」

 頑強な身体を持つ巨大な獣型の魔獣は、物理攻撃が得意なアレクやクレメンスが適任らしい。残りの雪海月はナディアが全て引き受ける。

「怖いかもしれませんが、絶対に走って逃げたりしないでくださいね。ああいう魔獣は逃げる動物を追い掛ける習性があるんです。ひとかたまりになって、少しずつ後退しながら雪熊から距離を取ってください」

「あ、ああ、わかった」

 雪熊と護衛対象の間に入って庇いつつ、自身も徐々に後退する。シオリに押し出されるようにして、アンネリエ達もまた新手の敵から距離を取った。ルリィは四人を守るようにして、更に身体を大きく広げた。

「大丈夫だとは思いますが、万が一にも雪熊がこちらに突進してくるような場合は、首の後ろを両手で守りながらその場にうつ伏せになってください。背嚢が盾代わりになりますから、ある程度の防御にはなります」

 図鑑から得ただけの知識ではあったが、それでも多少なりとも助言にはなるだろう。何も無いよりは対処法を少しでも知っておいた方が良い。

「う……わかったわ」

「――あまり考えたくはありませんがね」

 バルトがこくこくと頷く横で、アンネリエとデニスが呟きながらどうにか平常心を保とうと無理に引き攣った笑顔を作っている。

(――でも、きっと大丈夫)

 アレクもクレメンスも動揺した様子は一切無い。

 適材適所の戦い方や仲間同士の連携を碌に覚えもせず、自分やラケルの制止を無視してただ闇雲に敵に突っ込んでいくだけだったかつての仲間達には、ただただ不安感しかなかったけれど。

 落ち着き払った今の仲間達の姿は、安心感を与える。だからだろうか、混乱を来すような事態に直面した依頼者の三人もまた、恐怖心は抱きながらもどこか落ち着いた印象だ。

 す、と二人が腰を低く落とした。

 瞬間、素早さで優るクレメンスが一気に間合いを詰め、振り回される丸太のような腕を掻い潜り、その顔目掛けて跳躍した。振り被った右の剣は強靭な顎で受け止められるが、左の剣が柔らかい鼻先を抉った。雪に飛び散る鮮血。

 腹の底に響く重低音の咆哮が大気を揺るがした。

 だがそれにも構わず、背後に回り込んだアレクが仁王立ちになった雪熊の足元を切りつける。大型魔獣とやり合う際は、動き回って周囲に被害が及ぶ前にその動きを封じる事が先決らしい。大きく薙ぎ払った魔法剣が両足の腱を傷つける。巨体を支えきれなくなった雪熊がぐらりと傾いだ。どん、と大きな音と共に雪を巻き上げて倒れ込む。

 雪熊は上半身を激しく捩り、自分の身体を傷付けた相手に怒りの咆哮を放つ。明らかな殺意。確実に仕留めなければ、傷付いた足を使い潰してでもこちらを殺そうと向かってくるだろう。

「よし。やはりマンティコアよりは遥かにやりやすい」

「そうだな。あれと違ってこいつは飛んだりなどせんからな」

「あとは――」

「仕留めるのみ!」

 新人の頃から長年一緒に組んでいた二人に多くの会話は要らないらしい。互いに相棒の次の行動を予測しつつ、阿吽の呼吸で敵に向かっていく。

「……ああ、あっちももう終わるようだね」

 残りの雪海月を片付けたナディアが、ストロベリーブロンドの前髪の乱れを直しつつ歩み寄って来る。その背後に見えるのは、うず高く積み上がった黒い炭の山。周囲に焦げた臭いが漂っている。

 野太い咆哮が上がった。

 一瞬ナディアに視線を向けた隙に、アレク達も片が付いたらしい。振り返ると、残った目玉と急所に全力で剣を突き刺された雪熊が倒れ込むところだった。

「やっぱり力技でないと倒せない相手は、あいつらに任せとくに限るねぇ」

「うん」

 雪熊の身体からそれぞれ愛剣を引き抜き、絶命したことを確かめた二人がこちらに戻って来る。

 護衛対象の三人を含めて、誰も怪我は無いようだ。雪海月の攻撃を受けたクレメンスの頬には赤い蚯蚓腫れが出来ていたけれども、痺れが抜けた今は消毒しておくだけで良いだろう。

(良かった。大事無くて)

 緊張が解け、弛緩した空気が漂う。

 アンネリエ達もまた、深々と溜息を吐いた。

 戦闘は無事に終了したようだ。

ルリィ「ひたすら雪海月を食べていただけという」

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