05 孤児院の慰問承ります(2)
「――昔、昔のとある国。ある山の麓に、働き者の若い夫婦が住んでいました。二人には子供が居ませんでした。二人は毎日女神様にお祈りをします。『どうか、可愛い子が出来ますように』」
ふわりと空間が滲み、緑の萌える風光明媚な山脈の麓の小さな村が投影される。長閑な音楽が流れる中、花々が咲き乱れる美しい村、その片隅の小さな小屋に、一人の青年と娘の姿。その二人は毎夜星に向かって祈りを捧げる。
「二人の一生懸命のお祈りを、女神様は聞き届けてくれました。ある日の夜、二人の前に綺麗な女神様が現れます。『山の頂にあるペルシッカの実をお食べなさい。わたくしの祝福を授けましょう』」
荘厳な音楽と美しい月夜を背景に、神々しい女神の幻影が現れる。白磁のような肌、月光に透けるような淡い金髪、不思議な虹色に輝く薄桃色の薄絹を纏った女神が子供達に向かって手を差し伸べる。
少女達から溜息交じりの歓声が上がった。美しい女神や麗しい姫君は、少女達の憧れだ。
「二人は女神様のお告げ通り、山の頂に登ります。すると、月の光に照らされたペルシッカの木がありました。その木にはひとつだけ、大きなペルシッカの実が生っています。それをもぎ取ると、二人で仲良く食べました。それからしばらくして、二人の間には可愛らしい玉のような男の子が生まれました」
場面は切り替わり、村の質素な小屋の中。若い夫婦に抱かれた、ふわふわの桃色がかった金髪に紫紺の瞳の赤ん坊。
「可愛い!」
少女達から再び歓声が上がる。シオリはほっと安堵の息を吐いた。イェンスがあまり深く考えなくても良いと言い添えてくれていたとは言え、親に愛される子供の話を孤児院でするのはどうなのだろうと心配していたのだけれど。思うところはあるのかもしれないが、子供達は物語に夢中な様子だ。
「女神の祝福を受けて生まれたその男の子は、ペルエーリクと名付けられました。ペルエーリクはすくすく育ち、やがて強く凛々しい騎士様になりました」
幻影が、涼し気な目元にきりりと引き締めた唇の、若くて美しい青年騎士を映し出す。金糸の縁取りの施された白い騎士服を纏い、柄頭の意匠が凝った剣を携え、玉座の前に跪く騎士。
今度は少年達から興奮気味の声が上がる。凛々しい騎士様は少年達の憧れの的。トビーも目を輝かせ、食い入るように幻影を見つめた。
「ところがある日、国の姫が怖ろしい魔王に攫われてしまいます。ペルエーリクは決意します。『私が姫を助けに参りましょう』」
切り替わった場面が禍々しい黒衣の男と、その腕に囚われて助けを求めるかのように手を伸ばす、薄桃色のドレスを纏った銀髪の少女を映し出した。
少女達は互いに抱き締め合って悲鳴を上げ、少年達は自らが騎士にでもなったかのように、ぎりりと唇を噛み締めて魔王を睨み付ける。すっかり物語の中の一員だ。微笑ましく思い、シオリは笑った。
「旅立つペルエーリクに、父親は切り出したペルシッカの枝から作った護りの首飾りを、母親はペルシッカの実を漬け込んだ果実酒を差し出します。『女神様の祝福を受けたペルシッカはきっと貴方を護るでしょう。ペルエーリク、必ず無事に帰っておいで』」
国王や両親に見送られて旅立つ青年騎士。悲愴感がありながらもどこか勇壮な音楽が流れる。やがて、青年騎士の元に三人の青年が現れる。砂色の髪の剣士、玉虫色の髪の魔導士、そして栗毛の武闘家。
「旅路の途中、ペルエーリクは三人の勇者と出逢います。剣士のフント、魔法使いのフォーゲル、武闘家のアーパ。四人はペルシッカの果実酒を酌み交わし、共に魔王を倒そうと誓いを立てました」
三人の仲間を得た青年騎士は、魔物を倒しながら旅を続け、やがて暗雲立ち込める空の下、魔王の城へと辿り着く。おどろおどろしい音楽の中、魔王と対峙する四人。瞬間、重厚で勇壮なアップテンポの曲に切り替わる。
ここは、敢えて語りは入れない。幻術の映像と音楽だけで見せる山場だ。魔導士が大魔法を放ち、武闘家が大技を繰り出し、剣士と騎士が魔王と切り結ぶ。
子供達は勇者らに熱烈な声援を送り、何故かイェンスまで拳を握り締めて前のめり気味に幻術の映像を見つめていて、うっかりシオリは吹き出しそうになった。
女神の加護を受けた勇者達の猛攻に、徐々に力を削がれ、後退していく魔王。やがて、愛剣を正眼に構えた騎士は、最後の一太刀を魔王に浴びせた。断末魔の咆哮を上げて消滅する魔王。勝鬨を上げる勇者達、そして抱き合う騎士と姫。
紙吹雪と花弁の舞う大通りを凱旋する英雄達と姫。三人の勇者は国を護る騎士となり、そして騎士だった青年は王の座を譲られ、姫を娶る。美しく若き王と寄り添う王妃。
「――こうしてペルエーリクは仲間達と共に魔王を倒し、無事姫を助け出したのです。国に帰ったペルエーリクは姫と結婚し、末永く幸せに暮らしました……お終い」
幸福な結末で締めくくられる物語。語り終え、幻視の術を静かに解除する。後に残されたのは余韻に浸る空気。少女達はうっとりと目を潤ませ、少年達は勇ましい英雄譚に頬を紅潮させていた。――やがて、割れるような拍手が講堂に響き渡った。
「すっげえええええ! かっこいい!」
「すてき! おひめさまきれい!」
感極まった子供達にもみくちゃにされる。ルリィは幼子達と一緒にぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいた。幻影魔法を使った活弁映画は今回も大成功だ。幻影魔法と幻聴魔法を同時発動したままの昔語りは、低い魔力の身では消耗が激しい。けれども、子供達のきらきら輝く笑顔を見れば、疲れは全て消し飛んだ。
「ありがとうございます、シオリさん。今回も素晴らしいものでした。つい私も熱くなってしまいましたよ」
「喜んで頂けて良かったです。頑張った甲斐がありました」
にこやかなイェンスの表情が少しだけ曇った。その声が潜められる。
「……門を出たら、直ぐにこれをお飲みなさい。少し無理をしたでしょう。顔色が良くありません」
手のひらに乗る大きさの遮光瓶が手渡される。魔力回復の薬瓶。
「イェンスさん」
「寄付品の中に入っていたものですが、ここでは必要ありませんからね。どうぞ気にせずにお使いなさい」
「……はい」
素直に受け取ると、イェンスの曇った顔が緩められる。休んで行くようにと勧めたいところなのだろうけれど、子供達の手前、断られることも彼は知っているのだ。だからこそ、せめて、と。回復薬をくれたのだろう。
「さあ、シオリさんがお帰りですよ。皆さんもご挨拶なさい」
「えーっ、もう?」
「もっとお話聞きたい!」
子供達の非難の声が上がったが、イェンスに窘められて、素直に従う。
「シオリおねえちゃん、ありがとうございました」
「またお話聞かせてね」
「勇者様の話なら聞いてやってもいいぜ」
素直ではない台詞はトビーのものだ。成人して孤児院を出たら、冒険者で生計を立てたいのだそうだ。きっと、選ぶのは剣士の道なのだろう。
「次は剣士様に来てもらえるように、頼んでみるね」
言うと、嬉しそうに顔が綻んだ。
――無理をした。
ごく数十分という僅かな時間。それでもその数十分間、幻影と幻聴の術の同時発動は流石に厳しい。つい、子供達の喜ぶ顔が嬉しくて、魔力の限度を超えてしまった。
門番の聖堂騎士には心配されて守衛室で休んでいくことを勧められたけれど、丁重に辞退する。門を出て、木立に隠れて子供達の姿が見えなくなったところで、頂き物の薬瓶に手を付けた。一息に煽ると、失われた魔力が戻って来る。
「……あれ?」
大気中の魔素を濃縮して薬草水に溶け込ませたそれは、回復薬の中でも一番安価な物だった。それでも低魔力のシオリには十分な量のはずだったのだけれども。
「また少し魔力量が増えたかな?」
ごく僅かな違和感ではあったが、物足りなさに首を傾げた。伸びしろは恐らく相当少ないとは言われていたけれど、それでも多少なりとも増えるのは嬉しかった。魔法で試したいことは色々ある。
足元をルリィがぺたぺたと突く。
「……大丈夫。そんなに無理はしないから。今日はついやりすぎちゃっただけだよ。皆あんなに夢中になってくれるんだもの」
そう言ってやると、その場でぺったりと平たくなった。乗れ、ということらしい。
「いや……有難いけどさすがに街中でそれはちょっと……」
以前乗せられた時はほとんど意識が無い時だったし、一度は街中で誘われるままにやってみたら、面白がった子供達がルリィの上にてんこ盛りになってしまったので、それ以来申し訳なくて乗せてもらってはいない。
「大丈夫。ありがとうね」
魔力を回復しても、無理をした分の疲労感はどうしても残る。それでも歩けないほどではない。問題無い事を証明する為に水魔法で水を生み出してやると、美味しそうに飲み干した。ルリィはぷるんと一回震えてから、少しだけ頷くような形で前に傾いだ。認めてくれるらしい。
感情表現の豊かなスライムに思わず破顔してから、魔力の戻った手のひらを見つめた。
(――少しだけ)
幻影魔法を使うたびに沸き起こる欲求。
もう、どうにもならない事だけれど、少しだけ、見るだけだから。
手のひらサイズの幻影を生み出した。
――空と大地を隠すようにして立ち並ぶ建物、その間を縫って走る舗装道路、行き交う人々や車の喧噪、此処とは違う少し汚れた空気と空――。
想い出の中でしか、幻の中でしか見る事の叶わない故郷。良い事ばかりではなかった。でも、確かに育った想い出があり、一緒に笑い合う人達が居た、あれは、紛うことなき故郷だ。
たった四年。けれども生き抜こうと必死だったこの四年で、この場所に馴染んでしまった。上書きされていく新しい記憶が、徐々に想い出を薄れさせていく。回を重ねるごとに、映し出す景色の輪郭が曖昧になっていく。
でも、それでも。
思い出すことを止められないのは、あの場所が、確かに故郷であるからなのだ。
夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。
――今なお夢に思い心を巡りゆく、忘れられない、ふるさと。
キィ。扉が開き、蝶番の軋む音が室内に響く。いい加減に油を差さねばなるまいと思いながら、ザックは帳簿を書き付ける手を休めて顔を上げた。シオリとルリィが一仕事を終えて戻って来たようだった。魔導士の帽子を目深に被ったまま、シオリが依頼票を差し出した。
「お疲れさん」
依頼完了欄の見慣れた筆跡のサインを確認し、報酬の入った袋を手渡してやる。
「今日はもういいから帰って休め。魔力探査は次回に纏めてやってやる」
「え、でもまだ昼過ぎたばっかり、」
言いかけるシオリの目元に手を伸ばし、指先でそっと雫を拭い落とす。
「ばぁか。んな顔で依頼人の前に出せるかっての。お前がいつも頑張ってんのは知ってる。たまには早上がりしたって文句は無ぇよ。な?」
幼子にするように頬を撫でてやり、それからそっと促してやる。
「ちゃんと休んだら、また明日元気に出て来いよ」
「……うん。ありがとう、ザックさん」
シオリは大人しく帰って行った。
――口元に笑みを引いたまま、だが目深に被った帽子の下を涙に濡らして。
(あいつの涙を見るのは、まだ俺だけでいい)
これは兄としての特権だ。おいそれと他の男に見せてやるつもりはない。けれども、いつか本当に妹を預けてもいいと信用できる男が出来たなら。
(やれるならやってみろ、アレクセイ)
ザックの脳裏に、弟分の紫紺の強い眼差しが過った。
ペルシッカ:桃
フント:犬
フォーゲル:鳥
アーパ:猿
元ネタは察してください(´∀`;)