07 あるべき姿
「炎の矢!」
艶のある声で呪文が唱えられ、ナディアのしなやかな指先から火の魔法が迸る。炎の矢というには生温いほどの爆炎が道に降り積もった雪を溶かし、一行が並んで歩いても十分な道幅の通路が出来上がった。
「うおぉ……」
「凄いな……」
二人の従者は揃って唸り、アンネリエは目を丸くしている。
「……初級の火球十発で丸三日寝込んだ私は一体……」
「シオリ……」
自分の低魔力を受け入れているとは言え、魔導士としての実力の差を見せつけられて、つい遠い目をしてしまったシオリの肩を宥めるようにアレクが叩く。
見習い魔導士としてナディアに師事していた頃、あまりの魔力の無さに練習で放った火魔法十発で体力まで削り取るほどの激しい魔力切れを起こして失神し、そのまま三日寝込んだ事はとても切ない想い出だ。普通は見習いでも二十発は軽く打てるらしい。
『そこまで魔力が低かったとはねぇ……もう少し使い方を考えなきゃならないね』
そう言われたあの時に、純粋な魔導士として活動することをきっぱりと諦めた。ただ、せっかく持っている力を使わないのは惜しい。魔導士の訓練を続ける傍らで組合の雑務を手伝ううちに思い付いたのが今の形だ。この魔力の低さは攻撃には向かないけれど、旅先での雑務で使うには十分なのではないか、と。
結果としてB級冒険者として活動出来るまでになったのだから、魔力があっただけでも良しとしておかなければとも思うのだけれども。
「お前……今は何発撃てる?」
「……三十発くらいかな。多分これ以上はあんまり伸びないんじゃないかって言われてる。アレクは?」
「数えたことは無いが……多分百くらいは行けるんじゃないか」
「……」
魔法剣士にも劣る魔力の魔導士とは一体。低級魔導士たる所以である。
(わかってても切ないものがあるね!)
すっかり虚ろな目になってしまったシオリの肩をアレクが再び叩き、足元をルリィがぺたぺたとつつく。
「さて、じゃあ行くよ」
ナディアの声が掛かり、一行は気を引き締めた。シオリも気を取り直して、やや俯きかけていた視線を前に向けた。
「あ、そうだ」
数歩歩いたところでふと思い付いて立ち止まる。
「どうした?」
「道の入り口、塞いだ方がいいかなって。変な人が入っても困るし」
ナディアの魔法で、小型の雪馬車でも通れそうな具合の良い道になっている。見るからに歩き易そうな道だ。それこそ安易に踏み込もうとするような「不届き者」が出るのではないか。
「ああ……そうだな。十メテルほど塞いでおくか」
「うん――旋毛風」
魔法で起こした風の渦で、両脇の雪を崩して道を塞ぐ。それからさっと表面を撫でるような微風を起こして崩した雪を均し、新雪が降り積もったように偽装した。この位の作業ならほとんど魔力も使わずに済むし、歩いているうちに回復する程度の消費量だ。
「……細かい作業はお前には敵わんよ」
「ありがと」
向こう側の監視小屋から、先程の騎士が覗いているのが見えた。良い笑顔を浮かべて頷いているあたり、この対応は間違っていなかったのだろう。軽く会釈してから、待っていてくれるアレクとルリィの横に並んで歩き出した。
一歩進むたびに足元の雪が、ぎゅっぎゅっと音を立てる。ナディアの作ってくれた道で歩き易い上に、アンネリエ達に合わせてかなりゆったりした歩調だ。いつもよりは随分と楽な道程だったけれど、それでも彼女達には少し厳しいらしい。
普通の貴族よりはかなり体力はありそうな様子ではあるけれども、アンネリエは軽く息切れしているし、気難しいデニスはともかくバルトまでもが言葉らしい言葉をほとんど発せずに歩いている。
「――そろそろ時間だな。ここらで小休止しよう」
懐中時計で時刻を確認したアレクが声を掛けると、依頼者の三人はどこかほっとしたように顔を見合わせた。
「小休止では荷物は下ろさない方がいい。背負い直すだけでもそれなりの体力を使うからな」
「わかったわ。このままここに座れば良いのかしら? それともお話で聞いた通り、立ったまま?」
「まぁ、我々だけならそういう事もあるが――シオリ、頼む」
「了解」
クレメンスに促されて頷いた。
アンネリエ達はこれから何をするのか興味深げにこちらを見ている。クレメンスやナディアとは違い、一緒に出る冬の遠征は今回が初めてのアレクも同様だ。
「この辺でいいかな」
適当な場所を見繕って氷魔法を展開した。思い描いたイメージを具象化し、雪を成形して人が腰掛けられるような大きさの長方体を二つ作る。崩れないように圧縮してそこそこの硬さに押し固めた後、背嚢の上に括り付けていた革袋から裏地に防水布を縫い付けてある毛皮を取り出して雪の長椅子の上に敷いた。ついでに風除けも作っておく。冷え対策も万端の休憩用簡易ベンチの完成だ。
「凄いわ! 魔法ってこんな風にも使えるのね」
「どうぞ。お座りください」
感嘆の声を上げながら、アンネリエ達は即席のベンチに腰を下ろす。足腰の負担を軽減する為には、地面に直接座るよりはなるべく椅子のような物に腰掛けた方が良い。これは足湯同様、去年の遠征時に好評だった。
「椅子に座れるのは有難いわ。地面に座るよりはずっと楽ね、やっぱり」
「下手に地面に座り込むと、疲れで立つのだけでも相当に労力が必要になるからねぇ」
言いながらベンチに座ったナディアを横目に、毛皮と同様取り出しやすい場所に括り付けていた木製カップを取り出し、手早く魔法で湯を作って野営用の茶器で薬草茶を淹れる。疲労回復効果があるらしい、薬師のニルス特製の薬草茶だ。
「トリス支部のA級薬師が煎じた薬草茶です。身体が温まりますよ」
全員にカップを配ると、アンネリエとバルトは珍しい物でも見るように手の中のそれを眺めている。デニスは女主人に飲ませても良いものかどうか悩む素振りを見せたが、冒険者組が揃って薬草茶に口を付けた事で多少は安心したらしい。何度か注意深く匂いを嗅いだあと、そっと一口啜って見せた。しばらく口の中で味を確かめ、それからこくりと飲み下す。
「お飲みくださって問題ありません。彼女の言う通り、薬草茶です」
「……あのねぇ。毒なんか入ってやしないよ」
「念の為確かめただけだ。妙な物を飲まされては困るからな」
「デーニースー」
言い争いが始まりそうになり、アンネリエがじっとりとした声を出す。
「そういう事も含めてザック殿にあれだけしつこく確認してたじゃないの。S級冒険者として名高い彼が太鼓判を押したのよ。問題なんてあるわけないわ」
「しかしですね」
今度は主従の押し問答が始まり、バルトは笑い声を上げた。
「素直じゃないなぁ。お前昨日、シオリ殿は信頼出来そうだって言ってたじゃないか」
「お前っ! そこまでは言ってない! 俺はただ、彼女の仕事は丁寧そうだと言っただけだ!」
「あー、はいはい」
まるきり子供同士がするような言い争いに、今度はこちらが苦笑する番だ。ともかく一応認めてくれてはいるらしい。クレメンスとナディアは苦笑いしながら首を竦めて見せ、アレクは何とも言い難い表情になった。
ちなみにルリィは先程からずっと、足元の雪を掬っては体内に取り込んでいる。魔法で水を作ろうかと言ってみたけれど、これはこれで美味しいらしい。森に棲んでいた頃は、こうして水分補給していたのかもしれない。
「うーん……俺、なんか小腹が空いた気がするな。朝食からそれほど経ってないはずなんだけど」
一通りデニスとやり合ったところで、バルトがぽつりと呟いた。
「それなら行動食を一つ食べておくといいですよ。お二人はどうですか?」
「私はまだ大丈夫な気がするわ。デニス、貴方は?」
「俺は念の為食べておきます。確かに小腹が空いたような気がしなくもありませんね」
デニスとバルトは腰元のポーチを漁り、行動食の包みの中からそれぞれ一種類を選んで取り出した。シオリ達も適当に一つ取り出して口に含む。
「お、これ結構美味いな。俺好みの味だ」
バルトはチーズ味を選んだらしい。程良い塩気で、干し肉味と共に男性冒険者に人気の味だ。
「……ん」
デニスは感想らしい感想は無かったけれど、こちらもお気に召したようだ。もそもそと咀嚼しながら、どことなく目を細めているように見えなくもない。
「長距離を歩いているうちに、身体の力が抜けるような脱力感に襲われる事がある。栄養切れの症状なんだが、これを放っておくと立ち眩みがしたり足が攣ったりして、そのうち身体の自由が利かなくなるんだ。そうなる前に、とにかく休憩して行動食を食べるようにしてくれ。余程重症でなければそれで回復するはずだ」
「水分不足でも似たような症状が出ますから、こまめに行動食と水分の補給をすると良いですよ。一度に沢山ではなく、歩きながらでも一口二口摂取するようにするのがコツです。時々ナッツやドライフルーツを一つずつ齧ると良いですよ」
三人はこちらの助言を真剣に聞き入り、デニスなどは熱心に手帳に書き付けている。それだけ絵の題材を探しての野外活動が多いということもあるのだろうけど、それでも皆良い「生徒」だ。貴族家の面倒な依頼人という印象は、当初に比べればすっかり薄まってしまった。
「――単独行動なら自分の体調に合わせて調節も出来るだろうが、こうして団体で行動しているとどうしても互いに遠慮が出る。体調に異変があっても言い出しにくい場合もあるからな。遠征に出るような場合はなるべく互いの様子に注意し合うべきだろう」
『いちいち情けない面見せるな! 顔に出さないのが一人前の冒険者だろうが』
『足手纏いの癖に怪我までしやがって。薬代もタダじゃねぇんだ。てめぇで何とかしろ』
「――……」
話を締め括るようにクレメンスが落とした言葉に、かつての仲間に投げ付けられた台詞が脳裏を掠めた。体格の良い彼らに比べて、女である自分やラケルはどうしても彼らの足を引っ張りがちになっていた。『頑張らなきゃね』そんな風に言って励まし合っていたラケルも、そのうちに苛立ちを自分にぶつけるようになった。
あの時彼らに言われた言葉はあまりにもきつく厳しいものだったけれども、一理あるとも思った。だからこそ、足手纏いにならないように強くなろうと、皆の役に立とうと努力を重ねて来て今の自分が在る。あの時の経験は、今の自分を形作る要素の一つになっているのは事実だ。
だとしても――
「……どうした? 体調が思わしくないか?」
隣に座ったアレクが、皆に気付かれないようにそっと声を掛けてくる。ルリィがちょんちょんと気遣うように足元をつついた。
「んん、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」
「……そうか」
温かい手が静かに背中に触れ、何度か軽く撫でてから離れて行った。
アレクはこうして気遣ってくれる。仲間達もまた互いの様子に気を配り、体力の劣る者には手を貸そうとする。自分だってそうだ。食事の進み具合や、眠る様子を見て皆の体調に変わりが無いかを確かめる。
それが本来仲間としてあるべき姿――人の姿だ。
あの時の仲間は皆、病んでいたのだ。自分も含めて。
そうなるように当時のマスターに仕組まれていたと知ったのは、全てが終わった後だった。自分は心身共に消えない傷を負い、仲間達は……ザックはあまり多くを教えてはくれなかったけれども、移籍先で仕事を失敗して比較的早くに命を落としたらしい事を聞いた。互いを気遣う事すら出来なくなってしまった彼らに、厳しい冒険者の世界で生き抜く事は難しかっただろうと、ザックはそう言っていた。
足りないところ、弱いところ、そういう部分を互いに補い合って初めて「仲間」という形が成立するのだろう。
「よし。じゃあそろそろ行くぞ」
アレクの声が掛かる。回収したカップを魔法で手早く洗って乾かし、皮袋に戻す。即席ベンチに敷いていた毛皮はナディアが畳んで皮袋に入れ、手渡してくれた。
「ありがとう、姐さん」
ナディアは口の端を引いて見惚れるような微笑を見せると、隊列の先頭に付く。荷物を括り直して背嚢を背負う時にはアレクが後ろから支えて手伝ってくれた。
「ありがと、アレク」
「ああ」
どれも仲間としてはごく当たり前の行動なのだけれども、それでも心がほんのりと温かくなる。その気持ちを噛み締めながら再び歩き出した。
その後の道程は問題らしい問題も無く順調に進んだ。まだ比較的人里に近い地域とあって、然程危険な魔獣はいないようだった。時折小さな動物が姿を見せる事もあったけれど、こちらの様子を窺ってから、さっと森の奥に逃げていく程度だ。
歩きながら三人の様子を見て歩調を調節していくうちに、彼らも歩きやすいペースを見つけたらしい。多少の疲れは見せてはいるものの、歩き始めの頃よりは表情も柔らかいようだ。他の二人よりも体格の良いバルトは、助言通りに時折ナッツや水を口に入れている。アンネリエやデニスはさすがに歩きながら物を食べる事に抵抗があるようだったが、それでも多少の空腹を覚えたのか、意を決して何度かこっそりと口に含む様子が見受けられた。
二度ほど小休止を取り、そろそろ昼休憩の場所を考える時刻に差し掛かった頃――
(――何かいる)
空気に混じった微かな違和感。自分などより遥かに経験豊かな仲間達はもっと早くに気付いたようだった。先頭のクレメンスが双剣に手を掛けるのが見えた。隣のアレクに目配せすると、彼も頷いて見せる。
「――アンネリエ殿。何かいるかもしれん。三人で固まっていてくれ。もし襲ってくるようならこちらから指示を出す」
アレクが後ろから声を掛ければ、三人の顔が強張った。デニスとバルトがアンネリエを左右から囲いこむようにする。
「怖いかもしれんが、混乱して散り散りになるような事だけは避けてくれ。全力で守る」
「わ、わかったわ。デニス、バルトもお願いね」
「はい」
恐怖感で僅かに蒼褪めながらも、平常心でいてくれるようだ。
「……細かいのが複数だな」
「うん」
注意して探ればわかる、幾つもの小さな気配。薄く広範囲に引き伸ばしたような気配がこちらに迫って来る。
ざわりと大気が揺れた。魔力の気配。ルリィが真っ赤に染まる。
「敵襲! 雪海月だ!」
ルリィ「シオリの故郷の雪はあまり美味しくないらしい」
なんというか、変な味しますよね。
大気汚染とか無かった時代は美味しかったんでしょうか。




