02 面倒な依頼人?
面倒な人がいますが、悪い人ではないんです。
ただひたすら面倒なだけです。
馬車から降りた途端に冷気が肌を突き刺し、シオリは思わず首を竦めた。
(こんな寒さの中、外で寝泊まりしようなんて人の気が知れない……)
まさに今これからそういう仕事に取り掛かろうというのに、そんな事を考えてしまうくらいには寒い。それでも魔獣討伐の他にも、研究や採集、そして少数派ではあるが趣味の為の護衛依頼は冬でも途切れる事は無く、それらは普通に受理されてしまうのだから怖ろしい。
アレクにしたって多少渋って見せただけだったのだから、この世界の雪国ではさして珍しい事でも無い。それでも冒険者として活動し始めた頃は随分と驚かされたものだ。雪国の民は逞しい。冬の冒険用の装備品や道具類も豊富だ。
「ここか? 指定の場所は」
馬車を見送り、待ち合わせ場所に指定されている宿を見上げて誰に言うでもなくアレクが言った。シルヴェリアの町では恐らく一番上等な宿なのだろう。華美ではないが、白い壁に三角屋根の深い赤色が映える、小奇麗で上品な佇まいだ。
ロビーに入ると、柔和な顔立ちの老紳士が柔らかな笑みを浮かべて会釈した。宿の支配人らしい。
「冒険者組合トリス支部の者だ。アンネリエ・ロヴネル殿の依頼で来たのだが、宿泊先はこちらで間違いないか?」
代表でアレクが名と用件を伝えると、直ぐに依頼人の待つ部屋へと案内された。支配人が扉越しに声を掛ける。
「ロヴネル様。お客様がお見えです」
ややあってから、微かな物音と人の声が聞こえた。それから慎重に扉が開けられ、中から若い男の顔が覗く。橙がかった赤毛に勿忘草色の瞳はザックを思わせるが、神経質そうな表情と警戒心に細められた瞳が彼とは真逆の印象を与えていた。男はさっとこちらに視線を走らせ、それから最後にシオリに目を止めると、不快そうにその表情を歪めた。
(うわぁ。久々に見るなぁこういう反応)
移民嫌いか、それとも明らかに彼らとは異なる風貌の東方系の女を警戒でもしたか。ストリィディアは移民を多く受け入れているせいか、国民も異国人に対してはかなり寛容だ。とはいえ、さすがに王都でも数人居るか居ないかの東方人となると話は別らしい。トリスで職探しを始めた当初は、似たような反応で門前払いを食らった事も何度かあった。もっともここまで露骨な反応は滅多には無く、大抵は物珍しそうに観察される程度で終わるのだが。
男はアレクから示された依頼票と契約書を確かめると、中に入るように促した。だが、シオリが入室しようとしたところで制止される。
「得体の知れない異人をアンネリエ様に会わせるわけにはいかない。貴女はお引き取り頂きたい」
(いっそ清々しいほど露骨!!)
それにしても、異人ということを知らずに自分を指名してきたのだろうか。
「私をご指名ということでしたので伺ったのですが、よろしいのでしょうか?」
「……それでは噂の家政魔導士というのは貴女のことか? スライムを連れているというのは聞いていたが、異人と知らなかった。知っていれば指名なぞしなかったものを」
本当に知らずに指名したらしい。
(リサーチ不足かぁ……確かに準備に不備があるかもなぁ)
不快感を隠しもしない態度は慣れていてもやはり気持ちの良いものではないが、全力で調査不足をアピールしてしまっていることに気付いていない彼の態度は些か滑稽にも見える。『準備にも不備があるかもしれねぇ』というザックの言葉を思い出し、シオリはひっそりと苦笑いしてしまった。
しかし、アレク達は笑えなかったらしい。
「――わざわざ指名して呼び付けておいて帰れというのはあまりにも礼を失しているのではないか」
「悪いが、冒険者は訳有りの人間の集まりだ。素性が定かな者で尚且つそちらの希望条件を満たす者を複数名となると、どこの支部でも人員確保は難しかろうな」
「異人が駄目ならあたしもここで失礼するしかないねぇ。どうせ異人ってのは建前で、東方系が気に入らないだけなんじゃないのかい」
仲間達は不快感を露わにし、ルリィも足元でうねうねと不穏な動きを始める。庇ってくれるのは嬉しいが、依頼人との相性の問題もある。可能な限り努力はするけれども、顧客満足度が下がるのも困る。場合によっては本当に男の言う通り、このまま帰った方が良いのかもしれない。そう思案し始めた時、部屋の奥から凛とした声が掛かった。
「――デニス。私に恥をかかせる気なの? その方々の言う通り、呼び付けておいて門前払いというのはあまりにも失礼だわ。私が必要無いと言ったのに無理を言って契約したのは貴方なのよ。早く入って頂いて」
「しかしアンネリエ様、」
デニスと呼ばれた男は何やら言い募るが、彼の主人らしいプラチナブロンドの女は鳶色の瞳を細めて彼を睨め付けた。二十代半ば程のその女は美女と表現するのも少し違う容姿だが、すらりと背筋の伸びた綺麗な立ち姿やきりりとした凛々しい表情は、どこか美しく感じさせる。雰囲気美人とでも言うのだろうか。人の上に立つ者特有の威圧感を滲ませた彼女に睨み付けられて、デニスは首を竦めた。
「トリスヴァル領は国内でも特に異国人の多い地域よ。そのほとんどが止むにやまれぬ事情があって我が国に移り住んで来た移民だわ。王家が率先して行っている移民政策に貴方は異を唱えるというのね?」
これにはデニスも黙るしかないらしい。渋々ながらもシオリを促し、室内に入れてくれた。その彼に目礼すると、やや気まずそうに視線を反らした。礼を失した彼に礼を以って返すちょっとした意趣返しだが、このくらいはしても責められはしないだろう。
「ごめんなさいね、魔導士さん。随分と礼儀を欠いた事をしてしまったわ」
「いいえ。当主様の身の安全を思ってのことでしょうから、どうかお気になさいませんよう」
……過去には当主の身の安全を思う余りに自分を拉致同然に連れ去った従者も居たのだが。そんなことを思い出しながら、自身の不愉快な気分は忘れるように努めた。
女伯爵自らの案内で応接間へと招き入れると、もう一人の従者らしい男が陽気な笑みを浮かべて会釈した。デニスとは随分と対照的だ。アンネリエに促されるままに座り心地の良い長椅子に腰を下ろすと、陽気な方の従者に香りの良い紅茶と茶菓子を勧められた。ちなみにデニスはアンネリエのやや斜め後ろを陣取り、仏頂面のままそっぽを向いている。
(……わかりやすい人だなぁ)
面と向かって不快感を示されたばかりではあるが、どことなく憎めないものを感じてしまった。気持ちの良い人柄の女伯爵が傍に置いているあたり、それほど悪い人ではないのかもしれない。
「では早速依頼のお話をさせて頂こうと思うのだけれど、よろしいかしら」
互いに簡単な自己紹介を終えると、向かいに腰掛けたアンネリエはすらりと伸びた足を優雅に組んで微笑んで見せた。貴族のご婦人というと華美な印象を抱きがちだが、彼女は良い仕立てながらも簡素な服装だ。肌触りの良さそうな木綿のシャツと汚れの目立ちにくいオリーブ色のゆったりしたパンツ、そして踵の低いブーツを履いている。旅慣れているというのは本当らしい。
「もう聞いていらっしゃるかと思うけれど、新しい絵の題材にどうしても見ておきたい景色があるの。危険があるということは十分に承知しているわ」
その景色はシルヴェリアの塔の最上階から雪の降る季節にしか見られない。それでも日が進んで雪深くなれば、いくら金で雇うとは言えあまりに迷惑だろうという判断から、ぎりぎり徒歩でも往復出来る今の時期を狙って依頼したということだった。
「本当はね、もう何年も前から来たいと思っていたのよ。でも、どこかの石頭が危険だからってどうしても許してくれなくって」
どこかの石頭。誰からともなくデニスに視線を向けた。勿論アンネリエやもう一人の従者もだ。
「当然です。幾ら絵の為とはいえ危険と分かっている場所に行かせるわけにはまいりません。その上雪の中で野宿させるなどもっての外です」
デニスは側向いたままそう言ったが、はっきり言って正論だ。露骨な態度には問題あるが、先程の異人発言も正しく主を思っての事だということだろう。
……気分は悪いけれど。
「……というわけなの。でも、最近は冬の野営地でもとても快適にしてくれると評判の魔導士さんがいらっしゃると聞いて、それでようやく石頭も承諾してくれたのよ」
「だというのに、まさか移――」
どすんという音と共に、移民と言い掛けたデニスは飛び上がって顔を歪めた。見ればアンネリエが思い切り彼の足を踏みつけている。踵で遠慮なくぐりぐりと足を踏みつける様にアレクとクレメンスは顔を引き攣らせ、ナディアともう一人の従者――バルトというらしい――は声を立てて笑った。
何食わぬ顔してアンネリエが足を退けると、デニスはそろりと足を動かしてこちらもまた何事も無かったかのように直立の姿勢をとった。けれどもその踏まれていた足がふるふると小刻みに震えているあたり、相当に痛かったらしい。
「……なにこれ主従コント?」
「――なんだって?」
一連のコミカルな遣り取りに思わず呟き、それを耳にしたアレクが聞き返したが、アンネリエが話を続ける素振りを見せて、姿勢を正す。
「雪の中でも温かい食事が出来て暖かい場所で眠れて、お風呂にまで入れると聞いたのだけれど、本当なの?」
「はい。流石に何メテルも積雪があるような場所では難しいですが、一~二メテル程度の積雪でしたら十分に可能です。湯冷めしないように髪の乾燥もいたしますから、洗髪も出来ますよ。ご希望でしたら衣類の洗濯もいたします」
「素晴らしいわ。夢のようね」
「……恐縮です」
デニスは相変わらず不満げだが、アンネリエとバルトは期待と好奇心でいっぱいといった様子だ。期待を裏切らないよう精一杯お勤めせねばと密かに気合を入れた。
その後はアレクから冒険中の注意事項などが手短に伝えられる。仕事の指名はシオリだが、彼と二人で仕事をするのなら、こういった説明や交渉といった作業はベテランであるアレクに任せておいた方がスムーズだ。
「……ギルドの規定どおり、冒険中に入手したものは基本的にはこちらで引き取らせてもらう。だが、高額なものについては依頼人と相談の上で扱いを考えたい。ほかにもほしい物がある場合には遠慮なく申し出てくれ」
「ええ、分かったわ」
「――それで、出発はいつになる?」
アレクの質問にアンネリエは二人の従者に視線を向け、彼らが頷くのを見て話を続けた。
「今すぐにでもと言いたいところだけど、さすがにやめておくわ。明日の朝に出発ということで良いかしら。多分行程はそちらの方がお詳しいでしょうから、出発時間や休憩の設定などはそちらに全てお任せするわ」
「そうさせて貰えると有難い。なら具体的な日程は夕食までには立てておこう。今までの旅についても参考にしたいから少し話を聞かせて貰えるか?」
「ええ、わかったわ」
「ああそれから――」
アレクがちらりとこちらを見てから再び依頼人に視線を戻す。
「悪いが念の為、そちらの装備品を確かめさせてもらいたい。シオリ、ナディア。見てやってもらえるか」
ザックに話を聞いた時から気にかかっていた事だったが、それは彼も同じだったらしい。けれども、アレクの言葉に早速デニスが噛みついてきた。
「それならザック殿にも伝えたはずだ。野外活動には慣れている。支度に不備はない」
「申し訳無いが組合の規定でな。冬季の野外活動の護衛依頼ではどのような依頼人でも、出発前に全て装備品を確認するよう義務付けられている。特に野営が必要な野外活動はほんの些細な不備でも命に関わる事がある。契約書にも盛り込んである項目だが……契約時に目を通してなかったか? ザックからも説明はあったはずだが」
最後の一言はデニスにとって止めになる事を予想してのものだろう。案の定彼は喉の奥から妙な呻き声を漏らして押し黙った。
「――野外活動における遭難は、初心者よりもある程度旅慣れた者の方が多い。しかも遭難エリアのほとんどは、高山地帯や森の深部のような険しい場所ではなく、低地や人里近い場所なんだ。何故だかわかるか?」
「……いや……」
「油断だよ。最大の要因は油断なんだ。慣れから来る油断や人里に近いからといった理由で舐めてかかり、準備が十分ではないままに出掛けて遭難する経験者は多い。特に冬季は死亡率がぐんと跳ね上がる。だから理解してもらいたい。いくら目的を果たしたとしても、生きて帰らねば何の意味もないのだからな。装備を確かめて何の不備も無ければそれで良し、もし不備があるようなら出発までに買い足せば良い。ほんの少しの手間で生還率が上がるのならそれに越したことはないだろう?」
一連の遣り取りを黙って見守っていたアンネリエは軽やかに笑った。
「アレク殿の言う通りよ。荷を確かめてもらってちょうだいな」
「……わかりました」
プライドが高く、冒険者や異国人を下に見る傾向にあるらしい彼でも、さすがにこれを聞き流すほど愚かではないようだった。デニスは大人しく聞き入れると、ほんの少しだけ肩を落として見せた。
ルリィ「主従コントPart2」
Part1は勿論陛下と副団長です。




