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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第2章 使い魔の里帰り

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44 幕間・弟と兄「苛烈なる王」(オリヴィエル、アレクセイ)

「――少し休憩にいたしましょう。お茶の手配をして参ります」

 父より幾らか年上の教育係は指先で眼鏡を押し上げると、苦笑いする瞳の奥にどこか痛ましさを滲ませて部屋を出て行った。扉が閉まり切るのを待って、机の上に行儀悪く突っ伏す。

 四ヶ月前から始められた王太子教育は、遅々として進まない。決して不出来な訳ではなかったけれども、どうしても気持ちが追い付かない。

「兄上。母上……」

 二人の兄は優秀だった。賢王として名高い祖父と父の血を綺麗に受け継いだ、次期国王として期待されていた聡明な長兄と、いずれは長兄の側近となるはずだった文武両道な次兄。次代の王国も盤石であろうと誰もが思っていたというのに。

 ――最初は王太子である長兄だった。隣国への視察に出掛けたその帰路、搭乗していた船がストリィディア領海で急な嵐に遭って、座礁した末に大破した。懸命な救助活動と捜索が行われたらしいけど、生存者の姿は無く――長兄の遺体は、同行していた側近候補と共に発見された。長兄の葬儀と共に犠牲者の合同葬が執り行われた。だけど犠牲者のほとんどは遺体すら見つからずに空弔いだったらしい。

 それから二ヶ月も経たないうちに、次兄もまた不慮の事故で帰らぬ人となった。長兄の墓参に向かう途中、落馬して呆気なく。打ち所が悪く――そのまま意識を取り戻すことなくその日のうちに息を引き取った。

 王太子逝去の衝撃も冷めやらぬうちの第二王子の死は、当初暗殺も疑われた。けれども厳密な調査の結果は白。乗馬の腕前は確かな人だった。だけど、仲が良く尊敬していた兄の突然の死は、豪胆だった次兄でもさすがに堪えていたらしい。道中は長兄に想いを馳せていて、注意力が散漫になっていた。不意に目前を横切った鳥型魔獣に対処し切れず態勢を崩して落馬したということだった。

 不幸は続いた。期待を掛けていた第一王子の死を気丈に受け止めていた母も、その後直ぐに訪れた第二王子の死には耐えきれなかった。たった一人残った末の王子に万が一の事があればと神経質な様子でオリヴィエルの傍を離れなかった母は、やがて酷い気鬱を患って離宮での静養を余儀なくされた。

 父は二人の王子の死によって生じた問題への対処や母の療養の手配、そして公務に追われて執務室に泊まり込む日が続いた。時折無理に暇を作って様子を見に来てくれてはいたけれど、あまり長い時間は取れず、顔を合わせない日も少なくなかった。

 ほんの数ヶ月前までは自慢の父や兄弟と優しい母に囲まれて幸せだったはずなのに。

 大好きだった兄二人の死、そして母の心の病。それらを受け止めきれずにいるうちに始まった王太子教育は、幼いオリヴィエルの心を磨り減らすには十分だった。それに、決して無能ではないつもりだけれども、兄二人ほどには優秀ではなく自己主張もしない自分を、次期国王としては心許ないと揶揄する声も出ているらしい。

 いくら王族として厳しく躾けられた王子だとしても、まだ十にも満たない子供。大人達の値踏みするような視線に晒されて平静でいられるわけもなかった。

 重い。辛い。悲しい。寂しい。

「兄上、母上……」

 もう一度、誰も居ない空間に呼びかけてみるけれど、答えが返ってくるわけもなく。

 ただただ、静寂だけが室内に満ちていた。



 ――空虚な日々を送るオリヴィエルに「朗報」が齎されたのは、それから間もなくのことだった。



「――兄弟?」

「ああ、そうだ」

 ようやく半日ほどの余暇を作れるようになった父からの唐突な言葉に、目を瞬かせた。

「お前より少し早くに生まれた子だが、同い年の兄弟だ。訳有って離れて暮らしていたが、向こうも母親を亡くして今一人でいてな。この機会に呼び寄せようと思う」

 兄弟が自分にはもう一人居たらしい。母親が違う、自分と同い年の兄弟。その意味を考えなかった訳ではないけれど、嬉しいような楽しみなような、そんな気持ちの方が勝った。城に子供が増えるというのはなんだか嬉しい。そのまま城に残っている兄の友人や側近候補だった人達は、他の大人達よりは年もずっと近いけれど、もうほとんど成人してしまっていてなんとなく疎外感があったから。

 ――そうして、城に呼ばれて来た少年。

 アレクセイ。

 兄弟なのに見た目は全然似てなかった。だけど、目の色だけは同じ子供。父の影に隠れてなんだかおどおどしてたけれど、何故だか同じくらいに父も気まずそうだった。アレクセイとの「はじめまして」を失敗してしまったらしい。いつも初めが肝心だと言っていたのは父なのに、どうしたんだろう。

「はじめまして。僕はオリヴィエル。オリヴィエって呼んで。よろしくね」

 自分は失敗しない。最初は宮廷式の挨拶にしようかと思った。でも、市井育ちと聞いていたから、もっと普通の方がいいかもしれない。握手の為の手を差し出しながら名乗ってみたのが正解だった。

「……はじめまして。俺はアレクセイ。皆、アレクって呼んでる」

 アレクセイは少しだけほっとしたような顔をして、おずおずと遠慮がちに手を伸ばして来た。その手をぎゅっと握り返す。自分と同じくらいの大きさの手は、緊張して少し汗ばんでいた。

「――それじゃあ、何して遊ぼうか?」

 にっこりアレクセイに笑い掛けながら言う。

「えっ」

 父は驚いたような声を出したけど、子供同士の初めましてならまず遊びから入るのがいいと、次兄の親友だったブレイザックから聞いていた。これも正解のようだった。アレクセイの硬かった表情が、初めて笑顔になった。



 兄達が居なくなってから色褪せて見えていた世界に、鮮やかな色が戻った瞬間だった。



 病状が芳しくない母に会えないのはとても寂しかった。でもアレクセイが我慢しているから自分も我慢出来た。……結局母と再会出来たのは、臨終の間際だったのだけれど。

 身が入らなかった勉強も、アレクセイと一緒なら頑張れた。アレクセイが苦手な宮廷儀礼は自分が教えるのを手伝った。授業の合間に二人でこっそり抜け出して、城内の探検をしてみたりもした。

 少し歳の離れた兄とは一緒に出来なかったことも全部一緒に出来る。寝室だけは残念ながら別だったけど、少し我儘を言って、食事も湯浴みも勉強も一緒に出来るようにしてもらった。楽しかった。同じ年の兄弟が居るのがこんなに楽しいなんて思わなかった。

 一年過ぎる頃には、アレクセイもすっかり王族の一員らしくなっていた。努力家の彼は、同い年の兄弟と釣り合うようになるために、物凄く頑張ったのだと言っていた。その事がとても嬉しかった。

 次期国王と補佐官候補。何年か経つ頃には、そんな風に言われるようにもなっていた。




 ――それなのに、まさかあんなことになるなんて思いもしなかった。




「――おやおや殿下。陛下がお倒れになって大変なこの時期に、このような日の高いうちから女遊びとは良い御身分ですな」

「まったく。お里が知れるとはこのことだ」

 死病に倒れ、余命幾許もない父の政務を引き継いで忙しく立ち回る日々。未だ働き盛りの年齢である父の側近達の手を借りながらも、どうにか政務をこなせるようになっていた。

 第三補佐官になっていたアレクセイには先に休憩を取らせていたのだが――。

 短い休憩と気晴らしの為に出た中庭。

 言葉遣いこそ丁寧だったが、嫌味と蔑みを含んだその台詞が聞こえて思わず足を止めた。

 美しく整えられた生垣の向こう側に複数の気配。ちら、と隣に視線を走らせる。気心の知れた近衛騎士も自分と同様苦々しい表情を作っている。

「――王太子派の子息ですね」

「アレクセイに張り付いているのは第三王子派の子女、か」

 王が倒れ、最早長くは無いと知った時、宮廷内の貴族は二つに割れた。主に代々側近や高級官僚を輩出する貴族家から成る王太子派と、高級役人では無いがやはり代々文官を輩出する名門貴族や新興貴族から成る第三王子派。一見すれば保守派と改革派の争いに見えるが、実態は実に生々しく複雑な様相を呈していた。

 王太子派と言っても側近を含む主だった貴族は便宜上そう呼ばれているだけで、ただ粛々と日々の政務をこなすのみ。庶子の王子を疎んで声高に王位簒奪の可能性を叫び、積極的に彼を排除せんと活動しているのは、混じりもの(・・・・・)を嫌う古い考えの持ち主や、近いうちに即位するであろう若き新王に誤った方法で忠誠心を示そうとする若者達である。これを機に王太子に取り入ろうという野心が見え透いている。

 対して第三王子派は、先代に引き続き側近や高級官僚の座のほとんどを特定の貴族家に占有されている事に不快感を示す貴族や、どうにかして良い役職を得て家格に箔を付けたい新興貴族だ。口先では権力の偏りを危惧するような口ぶりではあるが、その権力に目が眩んでいるのは彼らの方だ。由緒正しい家柄ながらも要職にはない貴族家が中心となり、余命僅かな王亡き後は後ろ盾の無くなる立場の弱い庶子の王子を即位させて傀儡とし、宮中を掌握せんと画策しているのである。

 先代当代と安定した治世が続いて入り込む余地は無かったが、ここへきて優秀な王子二人の夭逝と王妃の崩御が相次ぎ、更に四十を過ぎたばかりの国王が倒れて余命幾許も無い状況になった。そして成人前の王太子と庶子の王子が残されることになったのだ。付け入るには絶好の好機だろう。

 だが、対立する派閥の旗頭に祭り上げられている当の王子二人の絆が周囲が思う以上に固いものであったこと、そして何よりも第三王子派の旗頭であるはずの第三王子自身が、言わば王太子派であることが、血生臭い事態に発展することをどうにか防いでいた。

 しかし、それも最早時間の問題であった。切っても切れぬ二人の絆に業を煮やしたか、どうにかして二人の仲を引き裂こうと目に余る行動に出る者が出始めたのだ。

 王が長く床に臥せる日が続くようになってからはアレクセイに露骨に擦り寄り、遠回しにオリヴィエルの中傷を吹き込む者が増えた。王太子は無理でも庶子の王子ならば自分にも手が届くのではないかと、宮中でもあまり目立たぬ家や家格の低い貴族の娘も群がるようになった。そして、アレクセイの一挙手一投足に目を光らせ、隙あらば諫言と称した雑言を浴びせる王太子派も目に付くようになった。

 市井上がりで肩身の狭さ故かやや硬い表情が目立ち、どこか近寄りがたい雰囲気ではあるが、本来のアレクセイは心根が優しく繊細だ。この意に副わぬ王位継承権争いに、見る間に憔悴していった。

 本人は隠しているつもりらしいが、このところ精神的な疲労からか体調の思わしくない日が続いているようだった。先に休憩を取らせたのもその為だ。『少し外の風に当たって来る』と出て行ったのがほんの十数分前だったのだが――。

「――何をしている」

 生垣から姿を見せれば、彼らははっとしたようにこちらに視線を向けた。次いで、彼らに取り囲まれていたアレクセイが安堵の表情で振り返る。その動きは彼らしくもなく酷く緩慢だ。

「王太子殿下……」

 王太子派の青年二人は取り繕うように笑った。

「このような時期に女遊びに勤しむアレクセイ殿下に諫言申し上げていたところです」

「女遊びなどとは誤解ですわ!」

 青年の言葉に、今度は第三王子派の娘の一人が抗議の声を上げた。

「お加減が悪そうでしたから、介抱して差し上げていただけですの」

「まったくだ。言いがかりは止めてもらいたい」

「……女遊びが誤解というのは本当だ。こいつらが勝手に纏わりついて来ただけだ。介抱など無用だと言った」

 睨み合う彼らには目もくれず、アレクセイは疲れたように吐き捨てた。顔色はやはり良くは無い。早く静かな場所で休ませてやらなければ。

「――と、言うことだが? アレクがどのような人間かは君達以上に兄弟である僕が一番良く知っている。こんな時に女遊びに耽るような痴れ者でもなければ、度を越した香水の香りを振り撒きながら加減の悪い者に近付くような配慮の無い御婦人に篭絡されるほど女好きでもない」

 つい先日も第三王子派の令嬢が既成事実を作って王子妃に収まろうと画策し、処分されたところである。計略でもってこの令嬢と密室に閉じ込められ、見たくも無い裸体を晒されて迫られたアレクセイは、体調の悪さも相俟ってかその場で嘔吐したほどである。この事件が元でアレクセイはすっかり女性不信に陥ってしまった。

 そもそも、アレクセイには心を寄せた娘が居る。二つほど年嵩の子爵家令嬢にだけは随分と入れ込んでいる様子ではあったが、それは些か心配の種でもあった。子爵自身はどちらにも属さぬ堅実な中立派であるが、あの娘にはやや夢見がちなところが目に付いた。地に足がついていないような、どこか自身に酔っているような――。

(取り越し苦労であれば良いが)

 王太子による手厳しい糾弾に、アレクセイを取り囲んでいた彼らは口を噤んだ。押し黙った彼らを畳みかけるように言葉を継ぐ。

「アレクは血の滲むような努力でもって今の座に着いている。職務を放棄して権力闘争に勤しむような輩がその彼に諫言や介抱などとは烏滸がましい。何より、この区画は王族やその側近などのごく限られた者しか入る事を許されてはいない。にも関わらず君達はどういう了見でこの場所に立ち入った。言え。誰の許可を得て此処に居る」

 中級役人の制服を纏った青年達と、女官や侍女のお仕着せの娘達。定められた休憩時間までにはまだ時間がある。持ち場を離れていることは明らかだ。

 そして、城内に幾つかある中庭の中でも極めて私的な空間に当たるこの場所。王族の為の中庭だった。彼らのうちの誰一人として立ち入ることは出来ない場所。

「し、失礼いたしました」

 じわりと滲ませた怒気は、彼らを怯ませるには十分だったようだ。王太子派の青年達は形ばかりの礼を取ってそそくさと立ち去り、第三王子派の子女達も些か名残惜しそうではあったが、大人しく引き下がっていった。

(――城内の規律が乱れ始めている。良くない傾向だ)

 高級官僚や上級貴族の者ならばまだしも、中流以下の貴族や新参者までが平気な顔をして王族の私的空間に入り込むとは。近衛騎士団や城仕えの者達にも緩みが生じている。厳しく戒める必要があった。それに城内の警備を今一度強化せねばなるまい。万が一にも王族の居住区画にまで出入りするようになっては事だ。

「アレク。休むなら部屋に戻った方がいい。時間になったら人を呼びにやるから」

「……ああ、そうする」

 ぼんやりと厄介者が立ち去った方角を見つめていたアレクセイは、力無く笑うと私室に戻る為に一歩前に踏み出し――

「アレク!」

「殿下!」

 ふらりと揺らいだ身体を近衛騎士と二人で咄嗟に支えた。

「……すまない、立ち眩みだ」

 取り繕うように彼は言ったが、それに構わずその首筋に手を当てた。あまり高くは無いが熱がある。脈が速く弱々しい。顔面は蒼白で指先まで白く色が抜け、吐息は浅い。思った以上に体調は良くなかったらしい。

「部屋に戻るぞ。今日はもういいから休め」

「だが、」

「いいから。父上に続いてお前まで倒れたら、僕は、」

 ぞっとする。万が一のことがあれば。もう、家族の誰も失いたくはない。そろそろ潮時か。アレクセイが身体に変調をきたし始めた。決断――せねば。

「……分かった。そうさせてもらう」

 オリヴィエルの心中を察してか、アレクセイは大人しく従った。侍医を待機させておくよう近衛騎士に指示して先に走らせ、自分は足元の覚束ないアレクセイに手を貸しながら彼の私室へと向かった。



「精神衰弱の傾向にあります。精神的な疲労から身体症状が出始めている。あまり良い状態ではありません。出来ればゆっくり静養した方が良いでしょう。難しい時期ではありますが」

 言外に母と同じ症状であると匂わせた侍医の診断結果に、オリヴィエルは顔を顰めた。

 侍医を下がらせ人払いをする。少し、込み入った話がしたかった。

 だが、こちらが切り出す前に、寝台に横たわったままのアレクセイが口を開いた。

「――城を、出ようと思っている」

 まさに今、自分が提案しようと思っていた事だった。だが、いざ彼自身の口からそれを告げられると、胸が酷く痛んだ。

 本音では行かせたくない。傍に居て、支えて欲しかった。これから先も、ずっと。血を分けた、たった二人の兄弟ではないか。これからも支え合って生きていく。それを願って何が悪い。

「……このところ、ずっと考えていた。出来ればお前の傍に居て、少しでも役に立ちたかった。だがこのままでは役に立つどころかお前の足を引っ張ることになる」

 淡々と告げられる言葉は、だが、酷く重い。

 自分が居るからこそ起きた王位継承権争い。その事で国や城内が荒れ、間もなく訪れる新しい治世に暗い影を落としたくはないのだと彼は言った。

「城を出た後の身の振り方は決めてあるんだ。ブレイザック殿にも相談していた。彼と同じように市井に戻って、冒険者になろうと思っている。騎士隊が取りこぼした仕事を請け負えば、国や民の役にも少しは立つだろう」

 次兄の存命中、少年ながらも既に剣の名手として名を上げつつあったブレイザック・フォーシェル。次兄と共に武官として長兄に仕える予定であった彼は、次兄しんゆう亡き後しばらくして、公爵家次期当主の座を父の正妻の子であった異母弟に譲り、市井に下っていた。主な理由は私生児であることを分家に疎まれての事らしいが――直接の切っ掛けは、仕えるべき主人と親友を同時に失った事ではないかとも思う。

 アレクセイや自分とは幾分年が離れてはいたが、彼と似たような境遇のアレクセイは、ブレイザックと随分気が合う様子だった。彼が市井に下った後も密かに手紙を遣り取りしていたのは知っていたが、まさかそこまで話を付けてあったとは。

 ――行かせたくない。たった一人の兄弟。親友のような異母兄。最も信頼出来る忠臣。

 だが、このままでは――いずれ、血を見ることになる。自分でも他の誰でもない、アレクセイの血を、だ。

 比較的穏健派揃いの王太子派には、かなり過激な一派がある。先程の青年達がそうだった。誤った方法で忠義心を示そうとしている若者の一派。自分達のやり方が王太子の為と信じて疑わず、声高に「王位簒奪を狙う卑しい庶子の王子」の排除を叫ぶ。中にはオリヴィエルに直接アレクセイの追放を直訴する者もいるほどだ。良識派が強く諫めても、オリヴィエルの優しさ故にアレクセイを庇っているのだと思い込み、まったく聞き入れようとはしなかった。

 彼らは酔っているのだ。王族相手でも臆することなく諫言出来る自分達に。若き新王の為に悪役を引き受けているつもりの自分達に。若さゆえの潔癖さと肥大化した正義心が、彼らを誤った方向に導いている。さすがに暗殺という言葉までは口にはしていないが、そのうち実行に移しかねない状況になりつつあった。

 アレクセイには傍に居て欲しかった。だが、兄二人が夭逝し母も亡く、近い将来神の御許に召されるであろう父を失えば、血の繋がった家族は彼だけになる。たった一人の兄弟を失いたくはなかった。彼を失うくらいならば、傍に居なくてもいい、どこか遠くででもいいから無事に生きていてほしかった。

 本来ならばこんな血生臭い争いに関わることもなく、もっと自由に暮らしていたはずなのだ。己が不甲斐無いばかりに、彼をこんな場所に引き入れてしまった。巻き込んだのは、自分だ。

 だから、決断しなければならない。国の為にも――他ならぬアレクセイの為にも、彼を解放しなければ。

「……分かった。父上にも話してみよう」

 絞り出すように落とした言葉は、微かに震えを帯びた。



 ――二人の王子が下した決断は、王に受け入れられた。側近の中でも特に信頼出来る者を選び、アレクセイを安全に逃がす手筈を整えた。

 主な役目はフレードリク・フォーシェルが引き受けてくれた。彼は息子であるブレイザックとの連絡役を務め、具体的な日程を詰めていく。

 アレクセイには表面的には政務に参加させつつも、出立に向けて出来うる限り体調を整えさせた。




 そして。




 ある初夏の夜半。人々が寝静まって久しい時刻。

「元気でやれよ。偶には手紙を寄越せ。もし気が向いたら――会いに来てくれればもっと嬉しいが」

「手紙は構わないが、会いに来るのは難しいかもな。だが、もしどうしても何か困った事があれば声を掛けてくれ。その時は必ず駆けつけるよ」

「ありがとう。でも、僕も頑張るよ。頑張って、いつかお前にも居心地の良い場所にして見せる。だから、その時には帰って来てくれ。お前も立派な冒険者になれよ」

 二人の視線が絡み合う。血を分けた兄弟の証、紫紺色の瞳が揺らめいた。

「ああ。約束する」

「約束だ」

 拳を打ち合わせて誓いと別れの儀式を済ませ――そして、アレクセイは旅立って行った。

 たった一人の兄弟。大切な親友。共に過ごした数年は、短くはあったが濃密でかけがえのないものだった。自分が今こうして王太子として在れるのは、彼と共に在ったからこそだ。

 置いて行くなという言葉はすんでの所で飲み込んだ。暗闇に消えていくその背中に心の内で贐の言葉を贈る。

 ありがとう。すまない。どうか、無事で。

 ――その道行きに、幸多からん事を願う。




「――行かれましたな」

「ああ」

 別れの邪魔にならぬよう距離を取って控えていたフレードリク・フォーシェルは、若き主君に静かに歩み寄った。その頬に一筋の流れるものを見つけ――見なかった振りをして、そっとアレクセイが立ち去った方角に視線を向ける。城壁の向こう側では、出奔の手引きをする為にブレイザックが待ち構えているはずだった。

「フレードリク殿」

「は」

「間違ってもあいつが旅先で『不慮の事故』や『急な病』で死ぬことが無いよう、よろしく頼む」

「御意。万事、恙無く」

 アレクセイの向かう先は、生まれ故郷のトリス。彼の出自については現王ロヴェルトによって、出生地はおろか母親やその生家に至るまで、全ての情報が巧妙に隠蔽されていた。事実を知るのはオリヴィエルを含めてごく僅か。間違っても漏れる事は無い。

 それに、我が子ながらブレイザックは、腕前もその内面も信用に足る男だ。そして彼の地を治める若きトリスヴァル辺境伯はブレイザックの知己、親友の一人でもある。あの二人が万が一にも間違いの起こらぬよう、よく取り計らってくれるだろう。

(――殿下を頼んだぞ、ブレイザック)

 手紙の遣り取りはあれど、久しく顔を合わせていない息子に心の内で呼び掛けた。

「さあ、もう戻ってお休みください。明日からは今まで以上に忙しくなりますぞ」

 第三王子の出奔が明るみになれば、城内は必ず大騒ぎになるだろう。それによって生じる様々な問題の対処に当たらなければならない。やらねばならない事は山積みだ。

「……ああ、そうだな」

 振り返ったオリヴィエルはもう一度だけ城壁に視線をやり――それも束の間踵を返して歩き出した。

 その顔には既に、涙の跡は無かった。




 翌朝、第三王子アレクセイ・フレンヴァリ・ストリィディアが姿を消したと知れ渡るや、城内には激震が走った。

 王太子に詰め寄り直接第三王子の行方を問い質す者も少なくは無かったが、オリヴィエルを含めた側近達は皆一様に口を閉ざした。王太子は静かに微笑みながらもその紫紺の瞳にだけは笑みの無い、酷く冷たい光を宿してただ一言、「あいつは旅立った。これ以上の詮索は無用だ」とだけ答えたという。

 これについて、城仕えの者達の間では国外逃亡説や突然の外遊説の他、王太子派による追放や暗殺説も囁かれた。

 しばらくの間はこの話題で持ち切りであったが、数週間後に国王ロヴェルト・ヴァレンティ・ストリィディアが崩御し、盛大な国葬が執り行われた後には徐々に口にする者も少なくなり――そして更にこの二ヶ月後、王太子オリヴィエル・フェルセン・ストリィディアが新王として即位する頃には、行方知れずの第三王子に関する話題に触れる者はほとんど居なくなった。

 新体制への移行や続く式典で多忙を極めたからというのもあったが、旗頭を失って勢いを削がれた第三王子派が、新たに取り入る先を得る為に奔走する事で手一杯であったというのも理由の一つである。

 大半が穏健派であり対立派閥の旗頭である第三王子にも同情的であった王太子派の多くや、中立派、そして第三王子派でも真に国を思うが故の選択であったと認められた者については、先帝時代の役職をそのまま引き継いだ。有能と判断された者は元の派閥に関わらず、それぞれが適した要職を与えられもした。

 だが、王太子派の過激派であった者や第三王子派の多くは閑職や僻地勤務へと追いやられることになる。無論、年若い子女達も例外では無い。

「余の治世に奸臣も愚臣も要らぬ。余の欲するはこの国を想う真の忠臣のみ」

 権力欲や出世欲にとらわれ主君や罪無き者――ひいては守るべき国や民を蔑ろにする輩は必要無い、と。厚顔にも取り縋る者達に向けて若干十六歳の新国王が言い放った言葉はあまりにも有名である。

 代々王家の血を引く者は穏やかで愛情深く、その慈しみの心をそのまま国や民に注いできた王家が導くストリィディア王国は、長く平らかであった。

 だが、その情の深さ故に――愛するものを蔑ろにされれば決して容赦せず厳しく処断する苛烈な一面を持ち合わせていることもまた、この血を受け継いだ者の特徴でもあった。その事に思い至れなかった愚か者が、此度の継承権争い終結後に断罪されたのである。

 ――そして。

 行方不明の第三王子と理無わりない仲であったとされるとある子爵家の令嬢については、侍女の職を解雇されて領地へと戻された。娘を生涯王都へ踏み入れさせぬ事、そして二度と第三王子の名とその関わりを口にせぬ事を条件に、子爵は現職への残留を許されたという。

 事実上王都からの追放処分となったこの令嬢は、解雇の際に新国王直々に処分を言い渡され、苛烈を極める「餞別」の言葉を賜った。

 その理由は第三王子との最後の逢瀬で密かに出奔の意思を告げられた際、『王族ではなくなる貴方には何の価値も無い』と、心身ともに弱っていた彼に最も言ってはならない致命的とも言える暴言を放ち、彼の心に癒える事の無い深い傷を負わせたからであるが――これらはあまり知られていない事実である。





ルリィ「反省してお口チャック」


左遷されたり解雇されたりした若い衆のほとんどは、成長して精神的にも大人になるんだと思います。そして黒歴史を思い出しては「あ”------」ってなったり、過去の自分を穴に埋めたいとか思っては悶絶して床を転がるんだと思います。


これで一応アレク側の事情についてはほぼ出し切ったかなという感じです。

次回はザックとシオリの話――にするか、これを非公開にしてほのぼのorあほあほ話にするかは未定です。なんだかんだで重い話続けちゃったしな……どうしよう。

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― 新着の感想 ―
新王カッコいい けど、もっとざまぁ展開を見たかった
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