42 幕間・父と子「バニラの想い出」(アレク、父)
今回はちょっと切ない感じで。
怠くて眠い。なのに熱いし、体中がなんだか痛くて眠れない。
アレクセイは何度目になるのかもわからない寝返りを打った。額の上に載せられていた濡れタオルはもうとっくの昔にずり落ちてしまっていたけれど、寝苦しさの方が勝って直すのも億劫だった。どのみちもうすっかり温んでしまっているし。
もう一度寝返りを打って、窓の外に目を向ける。雪が降っていた。お城の大人達が『これは根雪になるだろう』と言っていた。長い冬の始まりだ。
「……楽しみにしてたんだけどなぁ……」
本当なら今日はオリヴィエルの秘密の場所に連れて行ってもらえるはずだった。でも、雪が降った上に熱が出たのでは、それも当分はお預けだ。
風邪かと思ったけれど、侍医は喉の腫れも鼻詰まりもないから疲れから来る発熱だろうと言っていた。
「あっつい……」
看病してくれる侍女は、時折控室から様子を見に来る以外は姿を見せない。遠慮しているのか、それとも庶子の王子になんか関わりたくないのかはわからないけれど。
「……母さんだったら、仕事休んでずっと傍に居てくれたのになぁ」
でも、あまりよく知らないよその女の人が傍に居ても、居心地悪くて余計に具合が悪くなりそうだ。
「母さん……」
優しかった母。風邪を引いて寝込んだ時は仕事を休んでずっと傍に居てくれた。安心して眠れるように、手を握って、頭を撫でて、大丈夫よって優しく声を掛けてくれて。
でも、母はもう居ない。死んでしまった。無理が祟って身体が弱っていたのが良くなかったらしく、普通は母くらいの年頃の人では死ぬはずの無い熱病で、呆気なく死んでしまった。
ぽろりと目から涙が落ちた。城に連れて来られてからは、絶対に泣くものかと我慢していたのに。
手の甲でどれだけ拭っても、次から次へと涙が溢れて止まらない。悲しい、寂しい、苦しい。しゃくり上げて、枕に顔を埋めて泣いた。
しばらくそうしていたら、泣き疲れて眠ってしまったようだった。
ふわり。
誰かが肌掛けを掛け直し、それから額と目元を触って、それでふと目が覚めた。
枕元で見下ろしている男の人。金色の髪、濃い紫色の目。きっと、オリヴィエルが大人になったらこんな感じになる顔立ちの人だ。
「……父さ……父上」
「……家族だけの時は父さんで構わんよ」
父は少しだけ困ったような顔をして笑いながら、水桶にタオルを浸して絞って、額の上に載せ直してくれた。それから傍の椅子に腰掛ける。
「食事を摂っていないと聞いた」
「……ごめんなさい」
何度か粥やスープは出されたけど、とても口に入れられる気がしなかった。せっかく作ってくれたのに食べられなくて申し訳なくも思ったけど、食欲が無くて、食べたくない。食べても吐き戻してしまいそうだ。食べないよりも、きっとその方がかえって迷惑をかけてしまう。
「謝らなくてもいい。体調が悪いのだからな、誰も責めたりはせんよ。ただ」
「?」
「オリヴィエが心配していた」
「……オリヴィエが?」
父は眉尻を下げて苦笑いした。オリヴィエルが困った時にする顔とそっくりだ。
「ああ。食事しないとアレクが死んでしまうと言って、半泣きになっていたぞ」
熱を出して食欲が落ちたくらいで死にはしないと思うのだけれども。
「……兄二人を続けて亡くしたばかりだからな。お前まで居なくなったらと、そう思ったのだろう」
二人の兄。顔も、城に来るまで名前すら知らなかった、母親違いの二人の兄。数ヶ月前に不幸な事故で立て続けに亡くなったのだと聞いた。オリヴィエルの自慢の兄だったらしい。
「……俺は死なないよ。ちょっと熱が出ただけだもん。治ったらちゃんと食べるよ」
「そうだな」
二人して顔を見合わせて、少しだけ笑った。
最初は怖くて冷たい人だと思っていたけれど、それは王様としての姿なのだとオリヴィエルは言っていた。彼の言った通り、こうして家族だけで居る時は何処にでも居る普通の男の人だった。ずっと思い描いていた「普通の父さん」。
「――だが、そうは言っても何も食べなければ治るものも治らないぞ。だから――」
父は寝台の脇の卓に置いていた器を差し出した。硝子の器に盛られた、真っ白の――。
「あっ。アイスクリーム」
「好物だと聞いた。これなら食べられるのではないか?」
「うん!」
城に来てから初めて食べた甘くて冷たいお菓子。でも、冷たくて食べ過ぎると良くないから、滅多に出されることは無かったのだけれども。オリヴィエルも年に一、二回口にするかどうかだと言っていた。
途端に食欲が出て来た気がしていそいそと身体を起こすと、父に笑われてしまった。
「ああ、そのまま寝ていなさい。食べさせてやろう」
「えっ……うん」
氷菓は大好物だったけれど、それでも身体を起こすのはやっぱり辛かったから、大人しく言う事を聞いておいた。口元に運ばれた氷菓を口に含むと、甘くて冷たくて、すっと溶けていく。
「……美味しい……」
なんだか久しぶりに幸せな気持ちになって、思わず呟いてしまった。
「そうか」
父が、目を細めて柔らかく笑う。
「オリヴィエには内緒だぞ。見たらあいつも欲しがるからな。それに、厨房からこっそりくすねて来たんだ。ばれたら料理長に叱られる」
「えっ」
ちょっとだけ悪そうな顔をして笑う父。何か悪巧みをしているような、この笑い方もやっぱりオリヴィエルにそっくりだ。
――母と自分を二人ぼっちにしていた父。苦労させて、母を死なせてしまった父。どうしても割り切れない、許せない気持ちも勿論あるのだけれども。
(母さんの言ってた通りの人だ)
厳しくて冷たいところがあるように見えるけれども、本当は優しくて面白い人。
「……父さん」
「なんだ?」
「あのね」
「ああ」
「……母さんのこと、好きだった?」
氷菓の器と匙を手にしたまま、父は固まってしまった。アレクセイの顔を見て、それから窓の外を見た。そして、もう一度こちらに向き直る。
「――ああ。大好きだったよ」
「王妃様より?」
この質問には答えてはくれなかった。ただ、また困ったように笑っただけだ。
「……本当は、お前の母さんを妻に迎えたかった。だが、互いの身分と、周りが――何よりも、お前の母さんが――イェシカ自身が望まなかった。いつの間にか城から姿を消して、どこかへ行ってしまった」
「……」
何か言おうとしたけれども、それは言葉には出来なかった。父が、とても悲しそうな――泣きそうな顔をしているように見えたからだ。大好きなのに、なんで一緒になれないんだろう。そんなことがあるなんて、思いもしなかった。
でも、城に来て、王様や王子様や貴族には自分ではどうにもならない難しい「決まり事」があるのだという事はなんとなくわかった。きっと、父もその「決まり事」のせいで母と一緒になれなかったのだ。
(でも、なら――なんで、俺は生まれて来たの)
いくら考えても答えは出なかった。もっと大人になったら分かるのだろうか。
――父は黙って匙を差し出してくる。自分も黙ったまま、氷菓を口にする。
やがて、器は空になった。口の中が冷たい。熱も少し下がった気がする。身体が楽になったら、なんだかまた少し眠くなってきた。瞼が重い。うとうとし始めると、父が頭を撫でてくれた。まるで、母がしてくれたように。
「……さあ、寝なさい。熱には睡眠が何よりの薬だ。沢山眠れば、じきに良くなる」
「……うん」
肌掛けが肩まで引き上げられて、もう一度頭を撫でられた。静かに立ち上がった父の気配が、遠ざかって行く。扉が少しだけ開く――その音が、止まった。
「――私は一番に愛した女と一緒になる事は出来なかったが、お前達には――心の底から好いた娘と、幸せな結婚をして欲しいと願っている。それが、私の唯一つの願いだ」
静かな言葉とともに扉は閉じられ、そして足音が遠ざかる。それを聞きながら、アレクセイはゆるゆると眠りの淵に落ちていった。
ルリィ「ショタっ子アレク」
ストレス性の発熱が多い子です。




