41 幕間・男二人の恐怖料理(アレク、クレメンス)
アレクとクレメンスの若い頃の失敗談。
第二章二十六話「森の裁き」で出て来た、失敗した野鳥料理の話です。
「……間違いない。死んでいる。なんとか片付いたな」
黒焦げになった腹を晒して水辺に横たわる双頭蜥蜴が事切れているのを確認すると、クレメンスは上着に飛び散った魔獣の体液を指先で拭いつつ立ち上がった。さらりと癖のある銀髪が顔に落ちかかり、そこからも体液が滴っているのを見とめて顔を顰めた。
クレメンスの言葉に肩の力を抜くと、栗毛の青年は魔法剣を一振りして血糊を払い、鞘に納める。
「一時はどうなる事かと思ったが……」
「全くだ。目撃情報が誤りだったとは思わなかったが」
互いに顔を見合わせて肩を竦める。
大蜥蜴の討伐依頼を受けての遠征だったが、それがよもや誤認情報だとは思いもしなかった。通常は湖沼や河川を棲み処とし、時折地上に出ては小動物を襲う事もある大蜥蜴の討伐難易度はB。何時の頃からかこの川に棲み付いた水棲魔獣が近隣の村で家畜を襲い、対処に困った村人からの依頼で訪れる事になったのだったが――。
「まさか双頭蜥蜴が出てくるとは思わなかったな」
足元に転がる魔獣の骸に視線を落とす。二つの首のうち片方は胴体と生き別れになり、もう片方はだらしなく口元から長い舌を垂らしたまま、白濁した目でこの世ではない世界を覗き込んでいる。
依頼では大蜥蜴が二匹という事だったが、実際に現れたのは二首の大蜥蜴。双頭蜥蜴。大蜥蜴の変異種だ。
大蜥蜴であったならば、先日B級に昇格したばかりの二人でも十分に対処出来るはずだったが、その変異種である双頭の大蜥蜴の討伐難易度は未知数だ。なにしろ変異種だけあってその個体数は極めて少ない。それ故に情報も少なく、戦闘能力は極めて高いという事、そして体色が大蜥蜴とは真逆の白銀であるという事だけが伝聞で伝えられる程度だ。川からこれが姿を現した時には、一瞬「撤退」の二文字が頭を掠めたほどだ。
二つの首はそれぞれが意思を持って別々に動き、片方が氷の針を放てば、もう片方は毒の息を吐く。致死性ではないものの、獲物を麻痺させるその毒の餌食になれば厄介だ。その巨体からは想像もつかぬほどに俊敏な動きでこちらの攻撃を難なく躱して魔法と毒を吐き出し、そして爪を、牙を剥き、あっという間に二人は傷だらけになってしまった。
どうにか態勢を立て直し、二人同時にそれぞれの首を相手取る事に決めた。身体が一つとは言え二つの首が別々の動きをする以上、それはもう別の個体として扱うべきかもしれないと思い至ったからだ。
果たしてその作戦は功を奏した。氷魔法を放つ首は、素早さが自慢のクレメンスが攻撃を躱しつつ双剣で何度も切り付けて首を切り落とし、毒の息を吐く首は栗毛の青年――アレクが得意の魔法剣を駆使して口内の毒腺を塞ぎ、脳天に突き立てた剣を避雷針代わりにして雷魔法を打ち込み無力化に成功した。
二つの首が機能停止して尚動き回る胴体は、アレクが魔法剣で止めを刺した。
魔獣との遭遇から討伐完了までにおよそ二十分。ここに至るまでにすっかり体液塗れ、傷だらけになってしまった二人はどちらからともなく苦笑いした。
「お互い酷い恰好だな」
「全くだ。水辺の戦闘だからと着替えを持って来て正解だったな」
全身が泥や双頭蜥蜴の体液に塗れ、それを拭う手も傷だらけだ。冒険者向けに縫製された丈夫な衣服も所々が裂け、血の滲んだ素肌が剥き出しになっている。早めに洗い流して消毒せねばなるまい。雑菌や妙な病原体が入り込みでもしたら厄介だ。
「証拠品は私が回収しておこう。お前は先に水浴びしておくといい」
「――ああ。悪いな。今が夏で良かった。冬なら水浴びも無理だからな」
体液でべたつく衣服を指先で摘み、未だ少年の面影が残る顔を忌々しげに歪めながらアレクは装備を解いて上半身を露わにした。数年前、駆け出しの頃はまだ薄かった身体つきも、今ではすっかり鍛え上げられて筋肉が付き、見事な肉体美を晒している。
彼が水浴びを始めるのを見届けてから、討伐完了の証として必要な魔獣の身体の一部を切り取って行く。大蜥蜴ではなく双頭蜥蜴だった事を示す為に、二つの首を専用の皮袋に詰めて口紐を固く結んでおいた。それから、薬や装備、工芸品などに加工出来そうな部位を丁寧に切り分け、これも密封容器や皮袋に詰めていった。
「良い物を見つけたぞ」
あらかたの作業が終わったところで、水浴びを終えたアレクが手にした物を掲げて見せた。
「ほう。水鳥か。美味そうだな」
戦いに巻き込まれて絶命したらしいそれは、街の料理店でも扱われている水鳥だ。他の水鳥と違い、確か今の時期が旬のはずだ。
「丁度良い。今夜はこれを焼いて食べるか」
「いいな。干し肉よりは断然良い」
顔を見合わせてにやりと笑い合う。
が。
美味そうな肉が手に入ったは良いが、丸のままだ。まず捌かねばなるまい。アレクを見るが、彼は首を振った。
「いや……魚ならどうにか捌けるんだがな」
豊かな自然に囲まれたトリスで幼少期を過ごしたアレクは、貧しい家計の足しにと同じような境遇の少年達と共に近隣の川で魚釣りをする事も多かったという。魚の捌き方も知っていた。だが、さすがに鳥獣類となると話は別らしい。
「お前はどうなんだ? クレメンス」
逆に訊かれるが、首を振るしかない。
「残念ながら……知っての通り、王都育ちなんでな」
ザックの実家、フォーシェル家御用達の商家の出であるクレメンスは、生まれも育ちも王都だった。恥ずかしい話だが、王都を出るまで肉も魚も切り身でしか見た事が無かったのだ。当然捌き方など知らなかった。
「そうか……」
二人してアレクの手の中の水鳥を眺める。
捌き方は知らない。だが、このまま諦めるには惜しい。
「――確か、始めに血抜きをするんだった」
何かを思い出すように思案していたアレクが、水鳥の首を指し示す。
「首を落として、逆さに吊るして血を抜くんだ」
「なるほど」
言われるままに剣で首を落とし、縄で手近な木の枝に吊るしておく。真下に穴を掘り、そこに血が落ちるようにしておいた。こうしておけば後始末は埋めるだけで済む。
血抜きをする間に自身も水浴びを済ませ、それから手の届かない場所は互いに手を貸し合いながら傷の消毒をした。
アレクの背中の傷の手当てを手伝ったクレメンスは顔を顰めた。爪の痕だろうか。然程深くは無いが、さりとて決して浅いとも言えない歪に抉れた傷痕は治癒魔法でも掛けない限りは痕が残りそうだった。
「これは痕になりそうだな……戻ったら直ぐ医者に診てもらえ」
「……どうりでやけに沁みると思った」
丹念に消毒し、軟膏を塗り込んで清潔な綿布を当てて包帯を巻く。
背中に付けられた傷痕は、新しいものばかりではなかった。塞がって間もないものもあれば、年数が経って肌色に馴染んだ古いものもある。
(会ったばかりの頃は綺麗なものだったが)
少年時代の白く艶の良かった肌は、今は見る影も無く傷だらけだ。何も無ければこんな傷痕を幾つも残すような生活に身を窶す事も無かったろうに。
――直接彼の出自を聞いたことは無い。ただ、トリスで生まれ育ち、十代の前半のみを王都の父の元で暮らしていたという事だけは聞いていた。だが、代々王家の側近や騎士団の要職を輩出する名門公爵家の嫡男だった経歴を持つザックが連れて来た男だ。普通の出自でない事は容易に予想がついた。
――同時期に王家から出奔して姿を眩ませた庶子の第三王子。身勝手な貴族達に強引に王位継承権争いに担ぎ出され、仲の良かった第四王子の枷になる事を疎んで自ら市井に下る事を選んだという――。
(惨い事だ、な)
何も無ければ今頃は第四王子――若くして即位した今上陛下の側近として政治の表舞台に立っていたであろうに。
もっとも当の本人はむしろ今の生活を気に入っているようでもあった。だから部外者である自分が心を痛める筋合いも無いのだが、どうにも居た堪れない気分になる。
「――お、血が抜けたようだぞ」
思いに耽っているうちに、いつの間にやら着替えを済ませてしまったアレクの声で我に返った。
吊るしておいた水鳥からは既に血が抜けきり、試しに足先を触ってみるとすっかり冷えていた。腹の辺りはまだ温かい。
「とりあえず、野営地を決めるか」
さすがに双頭蜥蜴の躯を目の前にして食事をする気にはなれない。どのみち、このまま放っておけばいずれ死肉目当てに魔獣が寄って来る。近くで野営するにしても、ある程度距離は取った方がいいだろう。
「あの丘の上にするか」
アレクが川辺から離れた丘を指差す。あそこなら水場も近く、急な増水があっても十分に凌げるだろう。
抜いた血を落とし込んだ穴を埋め、荷物を纏めて皮袋に水を汲む。吊るした水鳥を回収すると、丘の上を目指して歩き出した。
野営地と決めた場所に結界杭を打ち、適当な石を組んで簡素な竈を作った。
「……で、どう調理するんだ、これは」
「……」
料理らしい料理はしたことが無く、せいぜいが蓋を開けた缶詰を直接火に掛けて温めるくらいだった。鳥肉料理など経験はあるはずも無い。
「魚ならそのまま焼いて食えるんだがな」
ぼそりとアレクが呟く。近隣で獲れる川魚には内臓も美味い種類が多い。塩を振りそのまま炙るだけで十分な御馳走になる。内臓が苦手ならその箇所を残せば良いだけだ。
だが、水鳥はどうなのだろうか。
「……内臓はどうするんだ?」
「あー……いや、どうなんだろうな」
「……」
「……」
顔を突き合わせて考えてみるが、そもそも料理の知識は皆無に近い。良い知恵が浮かぶはずもなかった。
「丸焼きにすればいいんじゃないか」
「なるほど。そうすれば調理の手間も省けるな。魚だって内臓入りで焼く事もあるんだ」
名案だとばかりに二人してにやりと笑った。魚程度ならともかく、鳥獣類の内臓の処理は出来れば御免被りたいというのが正直なところだ。
早速火を熾し、適当な枝を見繕って水鳥に差し込む。
「そういえば羽はどうするんだろうな」
「このまま炙れば焼け落ちるんじゃないか?」
「それもそうか」
後に、本来ならば羽も内臓も綺麗に取り去るべきところを、全て残したままで丸焼きにした事が大いに間違いであったことを元猟師だった同僚によって教えられるのだが、今の二人には知る由も無かった。
竈に枝を固定し、水鳥を炙り始めた。チリチリと音を立てながら、羽が徐々に焼け焦げていく。それとともに――
「……おい」
「……なんだ」
二人して手で鼻を覆いながら呻くように言葉を落とす。
「凄い臭いだが」
「……そうだな」
炙り始めてから漂う香りは期待したようなものではなかった。なんというか、臭い。獣臭い。食欲を誘う匂いとは程遠い。
「この臭いはあれだな」
「なんだ」
「……以前屠殺場の」
「やめろ」
言い知れぬ不安感を誤魔化すように言い掛けた台詞は、ばっさりと切り捨てられた。確かに、食事前にするような会話ではない。
黙りこくる二人の前で、水鳥が焼けていく。羽はあらかた焼け落ちてしまってはいたが、ところどころに焼け残っているそれが、なにやら不吉な前兆のように思えた。何しろ、ここまで焼いても美味そうにはとても見えない。美味そうな鳥の丸焼きというよりは、焼け死んだ鳥という表現の方がしっくりくる。
焼けていくにつれて、異様な臭気が増した。
「……羽……の臭いだよな、これは」
「……多分……」
鳥小屋に近寄った時のような獣臭が鼻をつく。
「食える……んだよな」
「……駄目なら皮を剥いで食えばいい」
「なるほど」
――やがて、すっかり沈黙してしまった二人の前で水鳥が焼き上がった。火から下ろし、ナイフを入れて皮を剥ぎ落す。皮の下から程良く焼けた鳥肉が現れた。見た目には美味そうだ。二人して顔を見合わせ、ほっと安堵の息を吐く。
食べやすい大きさに肉を切り分け、皿の上に盛り付けた。
「……じゃあ、頂くとするか」
「……ああ」
どうにも嫌な予感が拭えない。未だにあの臭気が漂っている。
クレメンスはフォークに肉を突き刺したまま沈黙したが、アレクが意を決したように肉を口に運んだ。口に含んで一瞬動きを止めたが、眉間に皺を寄せたまま咀嚼し始めた。
「……」
「……ど、どうだ?」
三度ほど咀嚼したところでアレクの動きが止まった。
「ぐ……」
呻き声とともに、紫紺の瞳がじわりと涙目になる。
「おい、」
「……すまないっ、無理、」
ぎょっとするクレメンスにそれだけ言葉を落とすと、アレクは勢いよく立ち上がって口を押えたまま木立の影に消えた。乱暴に土を抉る音に続いて、げほげほと激しく咳き込むような声。
「……」
アレクが消えた方向から手元の肉に視線を戻す。ゆっくりとそれを口に含んだ。
もぐ、もぐ。二度ほど噛み締めた、その瞬間。
「――!?」
焦げたような臭いの後にやって来たのは、生臭いとか獣臭いというのも生温いとてつもない臭気。なんというのだろうか、鳥小屋の鳥の群れに頭から突っ込んで、洗浄も消毒もしていない鳥の羽を口いっぱいに詰め込んだらこんな感じになるだろうか。ともかく人の食える代物ではない事は確かだ。野鳥を生のまま丸飲みにする魔獣に対して尊敬の念すら抱いてしまう。
アレク同様がばりと立ち上がると、彼とは反対側の木立に駆け込み、慌てて土を掘って口の中の物を吐き出した。
「ぐ、げほっ、ごほっ、う、」
全て吐き出してなお口内にこびり付く臭気。これは恐らく口を漱いだ程度では取れない。
土を戻して吐き戻した物を埋めると、急いで野営地に戻る。既に戻っていたアレクが、涙目のまま小瓶の酒を呷っていた。気付け用の強い酒だ。なるほど、あれなら臭いが消えるかもしれない。
荷物を漁り、酒の小瓶を取り出して勢い良く呷る。口に含んだ瞬間は酒の芳醇な香りが広がるが、喉元を過ぎてしまえば再びじわじわとあの鳥臭い臭気が襲ってくる。
「駄目だ、こいつを始末しないと臭いは消えんぞ」
残った水鳥の丸焼きを手に取り、剣の鞘で木の根元に穴を掘って放り込む。埋めてしまえば、臭気は多少軽減されたようだった。
「……あの鳥にはかわいそうな事をした」
「……そうだな……」
戦闘に巻き込まれて死んだ挙句にとんでもなく不味い料理に仕上げられ、ほとんど口を付けられる事無く土に埋められてしまった。あまりにも哀れな末路に水鳥に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、水鳥にしてみればはっきり言って余計なお世話であろう。そもそも食ってくれとお願いしたわけでもない。
「……」
「……」
クレメンスはアレクと顔を見合わせた。彼の普段は凛々しい顔が今は情けなく歪められているが、恐らく自分も同じような様相だろう。
「……慣れないことをするものではないな」
「そうだな……」
死んだ魚のような目で、土を埋め戻した場所を見た。それから二人してがっくりと項垂れる。
口内には未だにあの味と臭いがこびり付いていた。
――若き日の、異臭漂う苦い想い出である。
ルリィ「自分は平気」
未処理のぼんじりを未処理のまま焼いて食べれば同じような経験が出来るかと思います。多分……。




