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03 携帯食のご注文承ります(3)

 その日もアレクは適当な仕事でも見繕おうと、組合(ギルド)に足を向けた。互いに別の依頼ですれ違う事も多いが、運が良ければあの女の顔を見られるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、組合(ギルド)の扉に手を掛けた。

「……ん?」

 扉を開けると妙な熱気が満ちていた。室内に人こそ少ないが、何かがあったらしい浮付いた空気を感じる。視線を巡らすと、依頼を物色する者や卓に着いて談笑する者、そしてカウンターで職員と話し込む者、それぞれが同じような紙袋を抱えていた。

「何だ?」

 近場の店で特売でもあったのだろうか。

「おや、アレクじゃないか。久しぶりだねぇ。この間は御活躍だったそうじゃないか」

 横合いから艶を含んだ(アルト)に呼び止められて振り返る。零れ落ちそうなほどの見事な胸と絶妙なラインを描く腰を申し訳程度に隠すような、随分と布地をけちった露出の多い衣装を身に纏った妖艶な美女がそこに居た。高く結い上げられたストロベリーブロンドの艶やかな髪、金茶色に輝く瞳を縁取る睫毛に煌めくラメを塗し、白磁のように滑らかな肌と誘うような艶めかしい紅色に艶めく唇。

 アレクは思わず目を見張った。

「ナディア……お前」

「なんだい?」

 ナディアと呼ばれた女はしなを作って流し目を寄越す。

「……大分若返ってないか? 一体どんな術を使えばそうなる。いよいよ本格的に魔女染みて来たな」

 途端にナディアは笑みを引っ込め、柳眉をそびやかした。

「相変わらず口の悪い男だねぇ」

 記憶にあるこの妖艶な魔女は確か肌艶も髪質も悪く、もっと年嵩に見えていたはずだった。以前よりも七つか八つは若く見える。

「シオリのお蔭さ。煙草と肉中心の食生活を改めろって言われてね。煙草抜くのは随分と苦労したもんけど……野菜も言われた通りにちゃあんと採るようにしたらこの通りさ」

 滑らかな肌を満足気に撫で上げる。言われてみれば、以前は身体の一部であるかのようにその片手にあった煙管が、今は無い。

「ほう……」

 煙草と食事を改めるだけで若返るというのは興味深かったが、それよりも口説く算段を付けている最中の女の名を聞いて、思考は一気にそちらへと向いた。

「さっきまで居たんだけどねえ。あんたももっと早く来てりゃあ、シオリの携帯食が買えたかもしれないのに」

「携帯食? あいつはそんなこともしているのか」

「毎回なかなかの盛況ぶりだよ。同行無しでもあの子の手料理が出先で食べられるんだからね」

 聞けば携帯食の販売は週に一度だという。それは惜しい事をした。こんなことなら惰眠を貪っているのではなかった。

「欲しいんなら追い掛けてみたらどうだい。一度会ってるから顔は知ってるだろ。さっき出て行ったばかりだからね、多分買い出しでマリウスの店に寄ってるはずさ」

「……なるほどな。行ってみるか」

 挨拶もそこそこに飛び出すアレクに、ナディアは愉快そうに眉を上げて見せた。



 通りを歩いて行けば、直ぐにシオリは見つかった。大量の荷物を手にして店の前で佇んでいる。平たい形になった足元のルリィは、荷物の下敷きになっているようにも見えて思わず吹き出してしまった。

「――また随分と買い込んだものだな。手伝うか?」

「アレクさん」

 声を掛けると返事も待たずに、その腕の中の荷物を取り上げる。ルリィが自分のも持てと言わんばかりにぷるぷると震えた。

人ひとり(シオリを)運べたのなら、これくらい造作も無いだろうにな)

 思いつつも、ルリィの荷物を持ち上げてやる。途端に綺麗な饅頭型に戻って、ぽよんぽよんと飛び跳ねた。意外に調子の良い奴なのかもしれない。

「部屋まで運べばいいか? この先のアパルトメントだったか」

 シオリの部屋に上がり込む上手い口実を見つけ、内心ほくそ笑んだ。警戒心が無いのか、それとも意識すらされていないのかは分からないが、シオリは大人しく「お願いします」と頭を下げた。

 互いに買い物袋を抱えて並んで歩く様はまるで夫婦のようにも思えて、つい口の端が笑みの形に引き上げられる。悪くない。

 しばらく歩き、濃い象牙色の壁に煉瓦色の屋根のアパルトメントに辿り着いた。磨き上げられた手摺りに塵一つ無い手入れの行き届いたエントランスは清潔さが保たれ、扉の脇のカウンターには季節の花が添えられていた。奥に居た、糊の効いた真っ白なシャツに暗灰色のスラックスを着込んだ初老の男が軽い会釈を寄越す。管理人らしい。

「シオリさん。先日頂いた出汁巻き卵、美味しかったですよ。家内も喜んでおりました」

「喜んで頂けたのなら何よりです」

 さり気ない遣り取りの中で、管理人の目が一瞬だけこちらを向いた。だが、下世話な勘繰りをされることはなく、柔らかい笑みとともに目礼された。彼の人柄の良さを感じ取って安堵する。シオリは住処として良い場所を選んだようだ。

 階段を登り、二階の角部屋に案内される。青灰色の扉を開けると、微かに爽やかな甘さを感じる香が鼻腔をくすぐった。

 ああ、これはシオリの匂いだ。

 女遊びをしたことは数あれど、立場上(・・・)決まった女は居なかった。……と、いうより、少年時代に女絡みで嫌な思いをさせられて以来、特定の女を作る気にはなれなかったのだが。自ら押しかけたようなものだったが、この歳になって初めて独り身の女の部屋に上がり込んだという事実に思い至り、今更のように気恥ずかしさを覚える。

「運んでくださってありがとうございます。今お茶をお出ししますね」

「――ああ、悪いな」

 紅茶と茶菓が用意される間に、ぐるりと部屋を見回した。よく整理された室内には雑貨類などの無駄な物はあまり無い。しかしながら、片隅の寝台の脇には大量の書物が納められた書棚があり、そこから溢れたものは傍らの小卓に積み上げられている。遠目にも書物の端から幾つもの付箋が飛び出しているのが見えて、勉強家なのだという事が窺い知れた。湯を沸かす間に焼菓子を小皿に取り分けているシオリの立つ台所には、所狭しとガラス製の密閉容器が並べられている。自らが食べる分もあるのだろうが、大半は旅先で仲間に供される物なのだろう。

 興味深く室内を眺め回してから、何とはなしに卓上に置かれた注文書を手に取る。一枚二枚と繰りながら見ているうちに、ふと馴染みの名前を見つけて手を止めた。

「……クレメンス・セーデン。鶏ハムの焼き鳥風味、煮豚の薄切り、アンチョビーポテト、茄子とベーコンのガーリック炒め……」

 旨そうな組み合わせだが、とりあえず思った事を口にする。

「……どう見ても酒のあてだな」

 居酒屋で並べられても違和感の無い品揃えだ。

「やっぱりそう思います? 前から少し気になってたんですけど」

 紅茶のカップと焼菓子の小皿を並べながらシオリが言う。紳士らしく振る舞う双剣使いの意外な一面を見たような気がして、二人して顔を突き合わせて笑った。ひとしきり笑ってから紅茶を一口啜った。良い茶葉を使っているらしい。淹れ方はナディアに教わったのだと彼女は言った。ちなみにルリィは水を張った盥の中で、水遊びに興じている。その様はまるで波間に浮かぶ海月くらげのようだ。

「しかし、携帯食にしては妙なメニューだな。ほとんどが保存に向かないように見受けられるが」

 肉料理や魚料理ならばともかく、リゾットだとかスープなどはオイル漬けや塩漬けにするわけにもいくまい。

「ああ、それは……」

 カップを置いて台所に向かったシオリは、盆にガラス瓶と薬缶、器を載せて戻って来る。ガラス瓶から蝋引き紙に包まれた四角い何かを器に入れた。

「これはなんだ? 乾物……か?」

 赤茶けてぱさついた立方体の塊。

「見ててくださいね」

 塊の入った器に熱湯が注がれ、匙でかき回される。すると見る間にトマト色のスープになり、酸味と出汁の良い香りが立ち上った。

「……これは……」

 乾物のような固形物が瞬く間に香り良いスープに変わり、アレクは目を見張った。勧められるままに匙で掬って口に運ぶ。口内に広がるトマトの酸味と燻製肉(ベーコン)の香り。小さな立方体に刻まれた野菜の食感も生きている。乾物を戻しただけにしては、味も食感も良過ぎた。

「ミネストローネか? しかしこれは一体どういう……」

「フリーズドライ製法と言いまして。調理済みの食品を氷魔法で急速冷凍してから、風魔法で乾燥させて作ります。味や食感を損なわないので保存食には便利なんですよ」

「フリーズドライ?」

「軽くて持ち運びしやすいし、熱湯ですぐ戻せるので携帯食には最適です。ええと……」

 言いながら戸棚に向かい、何やら箱のような物を二つ取り出して来る。シオリが一抱え出来る程度の大きさの箱だ。魔力の流れを感じる。

「――魔導具か?」

「ええ。特注で作ってもらったんですけど、私の財力ではこの位の大きさのしか出来なくて」

 本当はもっと大きいと沢山作れるんですけど、と言いながら蓋を開けて見せる。密閉度の高い金属製の箱だ。どうやら氷と風の魔法石が仕込んであるらしい。

「急速と言っても、冷凍も乾燥も何時間かは掛かってしまいますから私の魔力では難しくて。一度無理に短時間でやろうしたら一瞬で魔力が干上がって大変な目に遭ったので、結局魔導具に頼ることになりました」

 作った料理を一食分ずつ型枠に入れて箱に仕込み、冷凍から乾燥という手順を踏んで、そのフリーズドライ食品なる物を作るらしい。一度に作れる量が限られる為、週に一回、それも一人が注文出来る個数を限定する事で対応しているという。

「それにしても面白い技術だな。お前が考案したのか?」

「いえ……私の故郷にあった技術です」

 未だ不明とされているシオリの故郷。彼女の口調が重くなり、そして微かに郷愁の念が混じる。あまり触れられたくない話題なのだろう。やや気まずい沈黙が下りた。

「そうだな……俺も何か注文したいが、今からでも問題ないか?」

 頷くシオリの顔から、どこか郷愁を誘う色が消えた。それに安堵しつつ、携帯食の一覧を眺めながら注文書に必要事項を書き付けていった。



 ――夕刻。

 アレクは当座の仮宿として寝泊まりしている宿の部屋に戻ると、卓の上に二つのガラス瓶を置いた。荷運びの礼という名目で貰った携帯食と、酒の肴にと持たされたレバーと芋のオイル漬。勿論シオリの手製だ。

 あの後昼食を馳走になり、つい話し込むうちに時間を過ごしてしまった。落ち着いた慎み深い印象の女だったが、こちらから距離を詰めてみれば、思いのほかよく話し、よく笑った。案外近寄るのは容易いかもしれない。

 ――そう、距離を詰める加減さえ間違えなければ。

 仕事柄(・・・)、相手に合わせた付き合い方は心得ている。陽気な男の前では屈託の無い人間を演じ、淑やかな女ならばそういった女が好みそうな紳士も演じて見せた。

 だが、もうこの歳だ。あと数年もすれば不惑の歳。十歳から激動の中に身を置いてきた四半世紀。もう十分に身を削った。そろそろ落ち着いた暮らしがしたかった。自分が自分らしく在れる場所で、出来れば癒されるような存在おんなを隣に置いて。

「……居場所を求めているのは、俺の方か」

 不意に思い至り、苦笑する。何の事は無い、同じものを求める女に同じ匂いを感じて惹かれただけなのかもしれなかった。それならば、互いに互いの居場所になれればいい。与え合い求め合う、そんな存在になれればいい。

 装備を解き、寛げる部屋着に着替え、何の装飾も無い粗末な椅子に座る。階下の食堂で貰って来たエールを煽り、それから瓶詰に手を付けた。備品の器に開けると香草の匂いが仄かに立ち上った。レバーをフォークで突き刺して口に運ぶ。臓物特有の臭みや癖は無い。肉の旨味と程良い塩味を舌の上でしばらく楽しみ、それから嚥下する。

 ――シオリ手製の料理は、己が長く求め続けた家庭の味がした。


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