30 或る事件の結末(2)
仄暗いを通り越してしまいました。
実際文字に書き起こしてみると中々に陰惨です。
面目次第もございません。
あと、二つじゃなくて三つに分かれました……。
聞き捨てならない言葉に身を強張らせたアレクの目の前に、もう一つの書類の束が置かれた。一番上に載せられていたのは新聞だった。トリス・タイムズ。日付は三年と少し前。社会面の隅の記事に赤インクで印が付けられている。扱いは大きくもなく小さくもないといったところか。
「高級娼館『金糸雀の夢』に強制捜査……支配人の女と従業員、利用客の一部を逮捕、監禁され売春を強要されていた移民女性を多数保護。経営者は不明――」
アレクは無言で読み進める。記事にあるキーワードを、ごく最近聞いたような気がする。
――娼館。移民の女。強要……。
胸に湧き上がる不快感は決して気のせいではない。
ザックが無言で見守る中、トリス・タイムズを傍らに置き、残りの書類に手を付けた。事件の詳細を記したものの写し。本来部外秘になるような類の物だ。滅多な事では使う事の無い実家の力を利用して手に入れたのだろう。
大まかな要点だけが纏められた感のある新聞記事とは異なり、事件の詳細――逮捕された支配人や従業員の供述、保護された女達の証言、治療記録に至るまでが記された書類に目を通しているうちに、アレクは比喩でもなんでもなく気分が悪くなって低く呻いた。
新聞の記事が妙に簡潔だったのは、実態があまりにも残酷で陰惨だった為に多くの事実を伏せていたからなのだろうと察した。そして拘束された常連客には高級官僚や騎士隊幹部などの名の知れた貴族も数人含まれている。帝国解体の為に多くの工作員を潜入させているような微妙な時期に、有力貴族の乱れを内外に気取られたくなかったという事情もあるかもしれない。
そして。書類に散見される幾つかの事柄に既視感を覚える。
――被害者の女達の身体に付けられた惨たらしい傷痕。焼印らしき痕もあれば、なんらかの魔獣によって付けられたと思しき痕もあったという。
そして治療の際に『見ないで!』と酷く怯えた女達。
見捨てないで。殺さないで。誰にも言わないで。
そんな風に取り乱して鎮静剤を使用せざるを得ないケースが多発したとあった。
(――シオリと同じだ)
アレクは一度目を閉じると、大きく深呼吸した。それから再び書類に目を戻す。
『金糸雀の夢』は、表向きは貴婦人同様の淑女教育を施した高級娼婦に上流階級の紳士の相手をさせる、会員制の高級クラブだった。だがその実態は、若く未熟な娘や王国の言葉と常識に明るくない移民の女を騙して監禁し、売春を強要していたのだ。それも、売春というのも生温い、「紳士方」の加虐嗜好を満たす「遊び」。
女達の身体に傷を付けた上で前世紀の迫害の歴史を持ち出して脅し、給与も経費や罰金と称してほとんど彼女達に手渡される事は無く、精神的にも経済的にも行き場がないように追い詰めて、悍ましい商売の「商品」に仕立て上げられていた。
「遊び」が過ぎて犠牲になった女も少なくないという。当初、遺体が確認出来たのは四人。だが、支配人や従業員の証言を元に、後日それぞれ別の場所から五体の遺体が発見された。犠牲者は全部で九人。
元々『金糸雀の夢』は当局に営業届を受理されている合法的な娼館だった。良く躾けられた淑女然とした娘達と一時の逢瀬を楽しむ、紳士達の遊び場。
ところがある時娼館内で流感が流行り、治療の甲斐無く人気上位を占める娼婦や将来有望な見習いの娘達が次々と死に、多くの常連客の足が遠退いた事で経営難に陥ったという。資金繰りに困った経営者は残った娼婦ごと店を売り払い、店の運営を任せられた女が支配人に収まった頃から娼館は禁断の商売に手を出すことになる。
見掛けは以前と同様の高級娼館。常連客の多くは表向きの商売で合法的に遊ぶ健全な客だ。だがその実態は、娼婦の命を奪う事すら許容されるような恐るべき殺人クラブだった。
従業員は高額報酬に目が眩んだ上に殺人に加担した罪で裁かれる事を恐れ、そして「裏の商売」の会員となった男達は、事が明るみになれば自らの立場が危うくなるだけでなく、己の異常性癖を満たせる場所を失いたくないという理由から――それぞれの身勝手な理由で固く口を閉ざし、結果として『金糸雀の夢』の悪事はおよそ二年の間、外に漏れる事は無かったのである。残念な事に裏会員の中には上級貴族出身の騎士も含まれており、立入検査の日程はこの騎士から漏れていた事も発覚が遅れた理由の一つだった。
それが強制捜査に至ったのは、関係者の匿名による内部告発があったからだ。事の重大さと良心の呵責に耐えかねての事だったらしい。
そして。
本来ならば綿密な捜査と証拠固めをした上で容疑者を一網打尽にするべきところを、最後まで首謀者である経営者の正体が掴めぬままに、騎士隊は告発から極めて短期間で強制捜査に踏み切った。これ以上手を拱いていてはいたずらに犠牲者を増やすだけだと判断したからだった。それほどまでに悪質で残虐だった。たった二年足らずで死者が四人、行方不明者が五人とは尋常ではない。
だが結局のところ、経営者を除く容疑者の全てを逮捕しても、肝心の経営者は行方どころか正体も分からないままだった。客を装って店に出入りしていた男は、名前だけではなく容姿さえも偽っていた可能性があったからだ。それどころか、告発の前後からぱったりと店に姿を現さなくなり、捜査は難航した。
唯一経営者と深く関わっていた支配人の女は厳重に取り調べられたが、女からも有用な証言は得られなかった。女は経営者の男に身請けされた、『金糸雀の夢』の元娼婦だった。店ごと買い上げられて支配人に据え置かれたこの女こそが「匿名の告発者」だった。恋人の悪行に心を痛めて告発を決意したというが、当の男は女の態度から危険を察知し、売上金を持ってそのまま姿を眩ました。
女は、恋人が捕まらないどころかどうやら自分にさえも姿を偽っていたらしいと知って泣き崩れたという。
「……その支配人の女が告発する切っ掛けになったのはな。シオリなんだ」
書類の大方を読み終わったところで、ザックがぽつりと呟く。
卓の上の料理は既に冷めていた。もうそれに手を付ける気は無かった。不快感を押し流すようにすっかり温んでしまったエールを飲み下してから、アレクは精神的な疲労を隠そうともせずにザックを見た。どういうことだと視線で先を促す。
「シオリが、その娼館の女衒に声を掛けられた。珍しい東方人の女だから目を付けられたんだろうな。見掛けは身形の良い紳士風の男だったらしいが、シオリも怪しいと思ったんだろう、俺に相談してきて事無きを得たよ。『上流階級の紳士の為の会員制クラブでの接客業』ってのはいかにもな誘い文句じゃねえか」
ザックはエールを一口啜り、先を続けた。
「支配人の女もな、男に東方人の女を雇い入れる準備をしとけと指示されて我慢の限界が来たようだ。珍しい東方人の女なんぞ、客寄せに使われるんならまだしも、それこそどんな仕打ちを受けるかわからねぇ。思い余って騎士隊に告発したんだそうだ」
――良心の呵責に耐えかねて。恋人の悪行を止めるために。
そこだけ聞けば女を哀れに思う者も居るかもしれない。だが、告発に至るまでに二年という歳月があり、その間に九人の女が死んだ。死んだ者だけでも九人だ。生き残ったが心身ともに消えない傷を負わされた女の数は十数人に及ぶ。支配人としてこの女が果たした役割は大きく、従わざるを得なかったという状況を考慮しても厳罰は免れなかったようだ。
記録の最後に「終身刑」とある。
そして、一番最後の書類。事件の主犯格、正体不明のまま逃走していた経営者。
――ランヴァルド・ルンベック。変死体で発見。
「……あいつが経営者だったのか」
確かに金目当てに【暁】に加担していたとは聞いたが、それでも猟奇的な商売をしていた高級娼館の経営者のイメージと結びつかない。
脳裏にランヴァルドの姿が浮かんだ。数年前に組合マスターに就任した五十絡みの上級魔導士。几帳面で金勘定には細かい男だったが、それゆえに事務処理能力は高く、マスターとしての評価は悪くは無かったと記憶している。ただ、人間性がどうだったかと言えば、よくわからないというのが正直なところだ。格式の高い家の出らしく、冒険者らしからぬ仕立ての良い衣装で身を固めた男だった。市井で暮らすには違和感のある貴族めいた風体と物腰の柔らかさが胡散臭く感じなくもなかったが、ただそれだけだ。
だが。
ああ、そうだ。
『金糸雀の夢』での事件と酷似している【暁】の手口。金の為に女を傷付け、言いなりの人形にして――。
「娼館の女衒がシオリに近付いたのも、奴の手引きか」
「ああ」
「騎士隊から逃げおおせて、のうのうとマスターの座に収まったまま、懲りずにまたシオリに手を出したのか」
「……ああ」
【暁】を隠れ蓑にシオリの心を徐々に殺し、裏では依頼に手を加えて親しい者達とシオリとの接触を絶ち、孤立させた。その結果があの事件だ。
「【暁】の件でとうとう奴は尻尾を出した。シオリを人買いに売る前に、限界まで搾り取ろうとして引き際を見誤ったんだ」
保護されてから分かった、傷だらけのシオリの手足。そして、やはりブロヴィートの時と同じように、治療中に取り乱して泣き叫んだという。『金糸雀の夢』の女達と同じ言葉を口にして。
それで気付いた。この件に、あの高級娼館の事件の関係者が関わっている。逃亡中の経営者が。
「……元々俺は、この娼館の捜査に最初から関わってたんだ。クリスから直々に依頼されてな」
クリス――クリストフェルはこの地域を治める辺境伯だ。ザックの古い友人。アレクも何度か顔を合わせた事がある。
上客には代々優れた文官を輩出する侯爵家の次期当主や、同盟国――帝国解体で協力関係にある国だ――の外交官も含まれていた。静養や視察と称して訪れた際に、この娼館での「遊び」に興じていたのだという。監禁されていた女のうちの幾人かは、身請けに見せ掛けてこの同盟国に連れて行かれた者も居たようだ。確かにこれはいかに辺境伯家でも流石に些か荷が重い。フォーシェル家や王家の力も借りなければならなかったようだ。この件に関しては同盟国と極秘の取引もしたようだった。オリヴィエルやエドヴァルドも相当頭を痛めたのではあるまいか。
「――それで? ランヴァルドの『変死』というのは」
記録には、トリス近隣の森で変死体で発見されたとある。発見日時は一年半前。【暁】の事件の数週間後。夜間の移動中に野盗に襲われた後、魔獣に遺体を食い荒らされたものとして処理されたようだが――。
ザックと視線が絡む。いつもは綺麗に澄んだ蒼眼が、奇妙にどろりと濁って見えた。獰猛さだけではなく――自嘲や自責の色も混じった複雑な目。
「だからさっき言ったろ。愛した女にあそこまでされて黙っていられるほど俺はお人好しでもなけりゃ腰抜けでもねぇってな」
ザックは嘲笑った。
「俺だよ。俺が、殺した」
雪狼「ふたぁつ! 不埒な悪行三mがふっがふっ」
ルリィ「!?」




