27 人の裁き
ルリィ「弟者、激おこ」
時を遡ることおよそ一日前。
「――予想より難民の流入数は少なかったですが、それでも救援物資の不足は否めませんね」
難民キャンプの視察を終え、一行は馬車に揺られながら領都トリスへの帰路についていた。目立たぬよう領都の騎士隊幹部服に身を包んだエドヴァルドが言うと、同じく騎士隊幹部に変装したオリヴィエルが頷いた。予想していた流入数よりは大分下回ったが、それでも小規模な町程度の人数はある。
「天幕や簡易暖炉は騎士隊の旧式の備品を出して対応していますが、やはり燃料や食糧は充分とは言えない状況ですな」
向かいの席に座ったクリストフェルが渋面を作る。クリスタール平原に設置された難民キャンプは国内でも最も環境が厳しい場所だ。東南部や南部の国境地帯のキャンプと比較しても寒さが厳しい。それでも帝国で暮らすより難民キャンプの方が遥かに人間的な生活が出来ると難民からは感謝される始末だった。帝国での生活がどれだけ悲惨なものであったかがよく分かる。だが難民生活が長引けば、やはり不満は噴出するだろう。帝国内の状況が落ち着くにはまだ数ヵ月は掛かる見通しだ。
「南部の米が幸い昨年に引き続き豊作だったからね。古米と合わせて送らせよう。帝国民の口に合うかどうかはわからないけれどね」
帝国民の主食は麦や芋類だが、贅沢は言わないだろう。末端の民は芋や雑穀が手に入ればまだいい方で、野草や木の実などで凌いでいたという。そうして集めた貴重な食糧は家の働き手や生き残る可能性の高い者から順に口に出来るのだから、必然的に小さな子供や女から飢えて死んでいく。未来の担い手、そしてそれを産み育てる者から死んでいくのだ。飢えた事の無いオリヴィエルにとっては想像を絶する世界だ。
国力の衰退は広げ過ぎた領土を守る軍事費が嵩んだ事だけが理由ではない。年々収穫量が減少していく事の意味に、帝国の王侯貴族は誰も気付かなかったのだろうか。年貢の不足分を賄う為に圧政を繰り返した結果がこれだ。かつてアルファンディス大陸北部全域という広大な領域を版図とし、栄華を極めた帝国の歴史もここで終わる。
ここ十数年、帝国籍の冒険者が国境地帯付近に多く出入りするようになったのは、かつてこの地が帝国の領土だった頃の先祖の遺物を求めての事ではないかとも言われている。迷宮や遺跡といった形で残された場所に保管された遺物を回収し、少しでも足しにしようとしているのだろうか。
「……有難いことに寄付を申し出てくれている家や、使わなくなった毛布、古着などを領民から集めてくれている家もある。集まった物から順に送るよう手配するよ」
帝国の貴族と比べて、自国の貴族の慈善精神はどうだ。無論政治的な思惑のある家も皆無ではないだろうし、問題のある家も多いのは事実だ。しかし今は彼らの善意に全力で感謝したくなった。
今後の方針を話し合う最中、不意に外が騒がしくなった。馬の駆ける蹄鉄の音が近付き、誰何の声が上がる。クリストフェルとエドヴァルドが剣の柄に手を掛けたが、窓の外に見えたのが見覚えのある騎士であることを見て取り、緊張を解いた。中継点の砦で見掛けた騎士だ。
「――申し上げます!」
「何事だ」
クリストフェルが応じると、伝令の騎士はやや緊張した面持ちで答える。
「領都の伝書鳥通信にて緊急連絡。ブロヴィート村に雪狼の群れの襲撃があり、負傷者多数とのことです」
「なんだと?」
意外な報告にクリストフェルが瞠目し、オリヴィエルはエドヴァルドと顔を見合わせた。
「何かの間違いではないのか。あれは滅多に人里には降りて来ないだろう。そんなものが群れで襲ってきたというのか?」
年に数回逸れ狼が人里付近に迷い込む以外は、敢えて森の奥地にでも踏み込まない限りは目にすることはない魔獣。国内でも群れで人里を襲撃したという報告は、祖父の代まで遡っても出ては来ないだろう。少なくともオリヴィエルの記憶には無い。
「いえ、確かなようです。乱獲目的で入り込んだ隊商が森の深部において密輸品の催眠ガスを使用して群れの怒りを買ったとか。追って来た雪狼の群れを引き連れて村に逃げ込んだとのことです」
「密輸品? 催眠ガスだって?」
エドヴァルドが唸った。彼の瞳に剣呑な光が宿る。国防に携わる騎士として聞き捨てならない話だからだろう。
「吸い込んだ瞬間に昏倒するような代物で、かなり強力なもののようです。軍事目的で開発されたものに間違いないでしょう」
「そんなもの一介の商人では入手は難しいだろう」
「貴族が手引きした可能性もありますね」
「詳しく調べねばなりませんな。取り調べには私も立ち会うことにしましょう」
クリストフェルの言葉に頷く。帝国の内乱で近隣諸国の情勢も不安定になる中での軍事兵器の密輸入とは穏やかではない。本当に雪狼の捕獲だけが目的なのだろうかという疑念を抱いたのは皆同じのようだ。
「それで、雪狼の群れは?」
「群れの数はおよそ七十。駐屯騎士隊と居合わせた冒険者らによって約三分の二を討伐、残りは捕獲されていた雪狼の解放に伴い、撤退したそうです」
「おお……」
周囲から感嘆の声が漏れる。単体では討伐難易度B、もしくはAに分類される魔獣だ。その数十頭にも及ぶ大群を、恐らくそれほど多くはなかっただろう人員でそこまで討伐出来たのは奇跡に近い。騎士隊と冒険者の必死の抗戦が功を奏したのだろうか。居合わせたという冒険者も手練れだったのかもしれない。
「負傷者は百七十三名、うち重傷者は六十八名。駐屯騎士隊の隊員の半数はこれに含まれます。隊長以下数名は完治しても現場への復帰が難しい状態であると……」
「……そうか。わかった。詳しい事は領都に帰還してから聞こう。それまでには詳細な報告が上がってきているだろうしな」
一通りの報告を終え帰還する騎士を見送ってから、馬車の旅は再開した。
「……現地の視察をなさいますか?」
今後の方針を練り始めたらしいクリストフェルを横目に、エドヴァルドが言った。
「いや。そうしたいのは山々だが、僕が行っても邪魔になるだけだよ。それよりも今必要なのは村と負傷者の支援だ。国境地帯から治療術師を一部戻した方がいいだろうね」
「早急に手配します。重傷者の領都への搬送を考えると、馬車の手配も考えねば」
考え込んでいたクリストフェルが顔を上げて口を挟む。負傷者の治療や村の復興には災害対策予備費の一部を充てる予定だという。
騎士の報告では当日中に救援部隊と物資の輸送は完了しているという事だった。まず考えねばならないのは、重傷者の治療と騎士隊の配置換えだ。村の駐屯騎士隊の半数が重傷、しかも蒼の森の警戒も必要となれば、そこそこの人員は必要だろう。国境地帯に騎士隊の大半を割いている今、頭が痛い問題ではある。
それに。
「王都のビョルクルンド商会というと毛皮貿易で近年急成長した大店です。多少強引な商売で批判も多いですが、珍しい毛皮製品を多く扱う事から懇意にしている有力貴族も多い。密輸と魔獣の捕獲を命じた家を調べねばなりませんね。私的に軍事力を強化しているとあっては見過ごせません」
軍事兵器の密輸入、そして雪狼の大量捕獲の画策。捕獲されていた雪狼は全て身籠った雌だったという。雪狼の毛皮は魔法兵の装備になる。産まれた子も赤子から育てれば飼い主に従順な生物兵器にもなりうるだろう。商人の供述通り、単なる毛皮採取、愛玩用とは限らない。
「村への魔獣の群れの引き込みだけで見れば意図的ではなかったとして言い逃れされるかもしれませんが、兵器の密輸入と国内での使用だけでも十分に立件は可能です」
「それに討伐の妨害と、救助活動中の女性への傷害だったかな? なかなかに悪質だね」
法では裁けない部分が出たとしても、世間が黙ってはいないだろうのではなかろうか。被害があまりにも大きい上に、大きな商売をする者や貴族には兎角批判が集中しやすいものだ。
果たして、オリヴィエルとエドヴァルドの予測通り、事件に関わったビョルクルンド商会及びイスフェルト伯爵家は、軍事兵器の密輸入及び国内での使用、実行犯の商人達については違法な有毒ガスの使用及び公務執行妨害、傷害容疑においてのみ立件され、魔獣の人里への引き込みについては現行法では裁けないとして不問とされた。
しかしながら、隣国の内乱と難民への対応で国内の治安維持が手薄になっている最中の密輸兵器を使った悪質な事件は国内の報道機関によって大々的に報道され、国民の間でも大きな話題となった。とりわけ、多数の負傷者や、危険な魔獣と決死の覚悟で戦い負傷して現場への復帰が絶望的となった騎士達、主要産業の観光業に大打撃を受けたブロヴィート村、そして救助活動中に暴力行為を受け負傷した女性冒険者の話には多くの同情が集まり、商会や伯爵家へは批判が集中。
この結果、村には多くの寄付が寄せられた他、事件を引き起こしたビョルクルンド商会は外聞が悪いとして顧客離れが相次ぎ、売り上げは大きく減少した。創始者一族は、商会の売り上げや個人財産の一部を負傷者や村への賠償金として充てる事で事態の火消しを図ろうと試みたが、高まる批判を沈静化させるには至らず経営は悪化、二年と経たずに倒産した。
また、軍事兵器の密輸に関わり、雪狼の大量捕獲を依頼したとされるイスフェルト伯爵は当初無関係を主張したが、側近が事件への関与を仄めかしたことで事態は一変。謀反や内乱の画策を疑われた結果、国王の名の元に王立騎士団によって家宅捜索され、次々と証拠品が押収された事で当主と側近達の有罪が確定した。歴史の古い名家ではあったものの、先々代から政治の中枢を外れた事で元より勢力の衰えていた伯爵家は、この事件によって没落の一途を辿ることとなる。
なお、このイスフェルト伯爵家当主が二十年前の王位継承権争いに加担していた事、後ろ盾の無い庶子の第三王子を擁立して政治の中枢に近付こうと画策した一派の筆頭であった事、それ故に第三王子と親密であった第四王子――後に立太子の儀を受け、そして数年後に即位したオリヴィエル・フェルセン・ストリィディアの激しい怒りを買い、苛烈な詮議を受けた上での有罪判決であった事実は、当時の事情を良く知る者達の間では公然の秘密とされた。
唯一の肉親となった異母兄を大切に想うオリヴィエルは、彼を精神的に追い詰め王城から出奔する切欠となった伯爵を許すつもりは毛頭無かったのである。




