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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第2章 使い魔の里帰り

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26 森の裁き

後半は生々しい感じのざまぁになります。

ご注意ください。

 翌朝早朝、日の出前。

 前日の残りのシチューを牛乳でのばしたスープと、これもやはり残った牛肉を薄切りにして炙り、ライ麦パンの上にバターと香草とともに乗せてオープンサンドにした、ブロヴィート産の新鮮な食材で豪勢な朝食を済ませたトリス支部の面々は、手早く野営地を解体した。

「先に戻ることになって申し訳ないが、後を頼む」

 同僚達が出立の準備を終えるのを確かめてから、アレクは見送りがてら共に朝食を摂りに来たニルスとエレンに向き合った。

「任せておいてくれよ。まぁ、多分僕らもあと二日ほどで戻れるんじゃないかと思うんだ」

「難民キャンプの治療術師を一部トリスに戻すらしいの。それに合わせて重傷者の中でも比較的症状の軽い人から輸送することに決まったから、私達もそれに同行する予定よ」

 二人は疲れの見える顔で、それでも笑って見せた。他の都市の騎士隊からも、少数ながらも応援の医療部隊を派遣する目途が立ったらしい。急ごしらえではあるが、負傷者をなるべく安静な状態で輸送出来るよう車輪や荷台を改造した荷馬車も導入されるということだった。

「そういうことなら、まぁ――無理しない程度に頑張ってくれ」

「うん、無理しない程度に頑張るよ」

「そうね、無理しない程度に」

 意味ありげな言葉を交わすと、心当たりのあるらしいシオリが気まずい顔で視線を泳がせた。ルリィが愉快そうにぽよんと跳ねる。その様子に三人で微かに笑い声を立てると、シオリは複雑な顔で眉尻を下げたが、やがて自らも苦笑を浮かべて手にした包みを差し出した。

「あの、これ……少ないですけど、良かったらお二人で食べてください。このまま手付かずで持ち帰ることになりそうなので」

 シオリ手製の携帯食だ。小さな包みにはそれぞれ内容物が分かるようにメモ書きがされている。スープとリゾットのようだ。

「お、ありがとう。休憩中にこっそり頂くよ」

「……正直言うと、騎士隊の野営食ってとんでもなく不味くって……」

 ニルスとエレンが顔を見合わせて苦笑いする。

「こういう状況だから贅沢は言えないのはわかってるんだけど、昨日のシチューもどきなんかもうね、牛乳だった何かっていうか……」

「そうね……生煮えっぽい野菜の入った凄く脂っぽい牛乳だったわ。何か変な灰汁みたいなのが沢山浮いてるし。あれなら最初から手を加えずにホットミルクにしてくれた方が余程美味しかったのに」

「牛肉なんかゴムみたいに固くて噛み切れないし、一体何の修行かと思ったよ。あれは焼き過ぎだなぁ……」

 二人の目が虚ろになった。妙に疲れて見えたのは疲労もあるのだろうが、もしかしたら食事のせいもあるのかもしれない。見送りも兼ねてと言ってはいたが、さては騎士隊の食事に耐えかねて逃げてきたか。シオリのお蔭で美味い食事にあり付けた冒険者の面々は苦笑いする。残りの日程がせめてまともな食事である事を祈るばかりだ。

「じゃあ、行くか。旅行者もそろそろ集まる頃合いだろうしな」

「うん、気を付けて」

「また後日」

 居残り組の二人に見送られて村の入り口に向かった。既に多くの移動希望者が集まっている。子供や年寄り連れの旅行者は優先的に馬車に乗せられ、二人の騎士と、元々旅行者に同行していた他の支部の冒険者二人の護衛を伴ってトリスへ向けて先に出発した。馬車ならば数時間もあれば目的地に着くだろう。

 残りの旅行者は徒歩での移動になる。五十余名という大人数ではあるが、十四名の冒険者と連絡役の騎士四名という充分すぎる人数の護衛が付くのだから、余程の事がない限りは何事も無くトリス入り出来るはずだ。速度は勿論馬車には及ばないが、旅慣れた冒険者や騎士よりは遅くなるにしても、明日中には到着する見込みだ。

 旅行者達の中には不安げな表情の者も居たが、大半はようやく出発出来るという安堵感に溢れていた。二日も足止めされていたのだ。どの顔も表情は比較的明るい。冒険者と騎士の護衛が付く事で野盗や魔獣の心配も無くなるのだという安心感もあるのかもしれない。

 移動希望者のリストと照らし合わせて全員が集まったのを確認したところで、騎士隊の代表者となるらしいニクラスから注意事項が言い渡される。

「今回はトリスへの移動が主目的となる。観光目的で来られた皆様方には申し訳ないが、こういった事情なので休憩と野営以外での観光地や村への立ち寄りはご遠慮頂きたい。だが、もし体調が悪くなったり、隊を離れて途中の村での宿泊を希望される場合は遠慮無く申し出てくれ。状況に応じて対応させて頂く」

 旅行者達が若干緊張した面持ちでニクラスの話を聞き入る中、アレクはシオリに囁いた。

「今回はこれだけ人数が居るから、お前は無理に探索魔法は使わなくていい。体力と魔力の温存を第一に考えてくれ」

 シオリは少しばかり驚いた表情を作ったが、大人しく頷いた。

「うん、わかった。そうする」

 素直に従う彼女の肩をそっと抱き込むようにする。

「お前が忙しくなるのは野営地に着いてからだろうからな。この大人数だから分担作業にはなるだろうが――大丈夫か?」

 シオリの視線が騎士隊の小さな荷馬車に向けられた。野営用の天幕や毛布、食糧が積み込まれている。

「うーん……こんなに沢山の人に対応したことはないからなんとも言えないけれど……私がすることって天幕の暖房と、食事の支度くらいかな?」

「食事は騎士隊の野戦食になるらしい。万一騎士連中が調理するようなら、出来ればお前が手伝ってやってくれ」

 先ほどのニルスとエレンの話を思い出して些かぞっとした。言いたい事は察してくれたのだろう、シオリは苦笑いした。

「スープのような何かと肉だった何かはきついものね……」

「そうだな……」

 シオリという家政魔導士が来るまでは、調理の得意な者が居ない――特に女の居ないパーティなどは干し肉や乾パンなどの味気無い食事で済ませていたはずだ。時折温かい食事が恋しくなって調理することもあるにはあったが、美味いかと言われれば正直微妙などというのはまだいい方で、不味いとはっきり言い切れる物が出来上がることも少なくはなかった。それでも旅先で温かい物を口に出来るだけましだと皆黙って食べていたはずなのだが。

 旅先でもシオリの温かく美味い食事が三食食べられるようになってからは、すっかりそれに慣れてしまった。食事ひとつで疲労回復の度合いや依頼の成功率も違ってくるのだから侮れない。食事の重要性を知って、自分なりに旅先での調理法を研究する者も増えたと聞く。

「じゃあ、その辺は着いてから様子を見て手伝うことにするよ」

「ああ。よろしく頼む」

 野営地での方針を相談し終わったところで、出発の合図があった。皆気を引き締める。

 一路、領都トリスへ。




 道中は予想よりも平和な時間が過ぎた。時折小型、中型魔獣が街道沿いに姿を見せる以外には特別変わりは無かった。とはいえ、普段より人前に姿を現す頻度が高いことを思えば、やはり蒼の森の異変は少なからず影響していると言える。危険度の小さい小型魔獣なら街道に敷設された結界を超えてくることはなく、稀に侵入してくる魔獣は冒険者や騎士が倒していく。

 魔獣が姿を見せる度に旅行者に緊迫した空気が漂うが、大きな混乱になることはなく、何度か繰り返すうちに慣れてきたようだった。結界の効力と護衛の腕が確かな事を知ったからだろう。彼らを元気付けるかのように、ルリィが旅行者の合間をぽよんぽよんと飛び跳ねて見せたのも一定の効果があったようだ。陽気で可愛らしいスライムの動きに、旅行者達からも微かな笑い声が漏れていた。

 何度か休憩を挟み、この日の野営地に定めた地点に着く頃には大分日は傾いていたものの、概ね予定通りと言えた。

「本日はここで野営とする」

 ニクラスの言葉に旅行者達はほっとしながら顔を見合わせた。ようやくゆっくり休めると思ったのだろう。観光を楽しむつもりがとんだ事件に巻き込まれてしまったものだと、彼らを気の毒に思う。

「我々は天幕の設置と食事の支度をするが、貴殿らはどうする。野戦食は人数分あるが」

 冒険者らの間に俄かに緊張が走った。思うことは皆同じだ。

「野戦食は味気ないからな。贅沢は言ってられんが、せめて汁物くらい温かい物を出せればと思うが――」

 ひぃ、と背後で誰かの奇妙な悲鳴があがった。あの声質は、リヌスかルドガーあたりだろう。ニルスとエレンの「牛乳だった何か」の話を思い出したに違いない。自分としても疲れたところへそんなものを口にするのは御免被りたい。さすがに随分な我慢を強いられた旅行者達からも不満が噴出するのではないかという不安もある。

「でしたら、食事の支度は私にお任せください。野営地での調理は得意です」

 シオリが柔らかく提案すれば、ニクラスは少しばかり逡巡する素振りを見せたものの、特に反論するでもなく申し出を受け入れてくれた。

「ならば、お願いしようか。正直言えば、我々はあまり料理は得意ではなくてな」

 戦いに秀でては居ても、料理に長けた者はそう多くはないらしい。料理上手な人材は引く手数多で、条件の良い上の部隊に取られてしまうのだそうだ。その話に騎士隊の切実な食事事情が垣間見えて、なんとも言えない気持ちになった。

 シオリら女性陣が夕食の支度に取りかかる中、何人かは水場の川に降りて行った。魚を釣るつもりのようだ。今夜も美味い食事にあり付けそうだと同僚達と顔を見合わせつつ、結界杭と天幕の設置に手を貸す。

 騎士隊の野営用具というだけあって、結界杭も天幕も特別仕様だった。一回り大きい金属製の結界杭はより広い範囲に効力を発揮するため、本数は少なく済むらしい。天幕も冒険者用に販売されている物とは違い、救護所で使用されていた大きい物だ。医療用の簡易寝台を持ち込んだ時には狭く感じたものだが、床に雑魚寝をするのであればそれなりの人数が収容できるようだ。設置出来た天幕から順に旅行者を収容していく。彼らの多くは食事までの時間を休息に充てることにしたようだったが、野営の知識がある者や余力のある女などは、それぞれ天幕の設置や食事の支度に手を貸してくれると申し出てくれた。

「ありがたい。是非お願いしたい」

 ニクラスがそう言うと、四十代は半ばだろうか――きっと家庭では頂点に君臨しているであろう肝の据わった様子の女が呵々と笑った。

「世話になりっ放しというのも申し訳ないですからねぇ。お手伝い出来るところはさせて頂きますよ」

 自宅での調理とは違い、野営地でのそれは勝手が違って多少戸惑う様子ではあったが、野菜の皮剥きやパンのスライスなどを任された彼女達はそれなりに楽しんでいるようだ。人手が増えたことで、メインの調理と味付けをする役割のシオリは手が空いたらしい。その間に結界内に空調魔法を施してくれるという。

「大丈夫か? いつもより規模は大きいが」

「昨日みたいに二十近くある天幕に掛けて回るよりはずっと楽だよ」

 疲れは見えるものの、それでも普段通りの穏やかな笑みを絶やさない顔でシオリは言った。

「……俺も手伝えればいいんだがな」

 アレクのような攻撃を主体とする魔法を使う者にとって、シオリのような細やかで微妙な加減の必要な魔法の使い方は難しい。どうしても威力が強くなってしまう。手伝ったところで、結界内が焼けるような暑さになるのが関の山だ。ナディアあたりがやれば一瞬でミイラが大量生産されること請け合いだ。そもそも空調魔法は合成魔法でもあるのだから、自らが出る幕は無い。

「適材適所って言うし。戦い方は人それぞれだって教えてくれたのはアレクだよ」

 そう言われてしまえば黙るしかない。

「なら、お前の持ち分の仕事が終わったら、今日は早く休め。お前の分の見張り番は俺が引き受けてやる」

「……え。さすがにそれはちょっと申し訳無いよ」

「いいんだ。騎士隊と合わせれば男だけでも十四人も居るんだ。四、五人に分かれて三時間置きに交代しても十分な人数だぞ。遠慮するな、どのみち女達は多めに休息が取れるようにしてある」

 同僚と話し合い、食事の支度という大役を担ってくれる女達の夜の見張り役は免除するか短縮するという方向に決まった。そう言い足せば、渋々ながらも彼女は頷いてくれた。

「ありがとう、アレク。なんだか気を使ってもらってばかりだね」

「気にするな。互いの不足を補い合うのが仲間だろう」

 屋外ではあり得ない程に快適な野営環境を提供されているのだ。そのくらいの対価は支払っても罰は当たるまい。

「……ありがとう」

「ああ」

 シオリは柔らかく微笑むと、空調魔法を展開した。普段より広い空間のせいか多少時間は掛かったものの、徐々に結界内の空気が暖められていく。空気が変わった事がわかったのだろう、不思議そうに首を傾げる者も居た。

「――なるほど、救護所を暖めてくれたのは魔導士殿だったか」

 シオリに気付いたニクラスが声を掛けた。魔法で温かい空気を満たし終えると、シオリは微笑んで返事の代わりにした。

「珍しい魔法の使い方をする魔導士がいると噂になっていたが、確かに面白いな。これはいい。実に快適だ」

「恐縮です」

 賞賛する相手と、それに対して困ったように眉尻を下げて謙遜するシオリ。彼女と関わるようになってからよく見る光景だ。

「……うぁー! ブーツが脱げねぇ!」

「ああ、足が浮腫んだんだな」

「無理もないわね。歩き詰めだったんだもの。私も足がパンパン」

「贅沢は言っちゃいかんがなあ、自分のペースで歩けないのは疲れるよな」

 三人の目前の天幕で、一人の旅行者が悲鳴を上げた。それに対して仲間らしき者達が声を掛ける。どうやら足が浮腫んでブーツが脱げなくなったようだ。周囲の者達も覚えがあるのか、同情気味に笑っている。

 そのやり取りに、シオリが僅かに反応した。

(――ああ、これはまた悪い癖が出るな)

 後の展開が容易に予想出来て、アレクは思わず苦笑した。ルリィも察したらしく、ぺしりと彼女の首筋を叩いている。

「まだ何もしてないよ、ルリィ」

「まだ、ってことはこれから何かするつもりなんだろう、お前は」

「足湯作るだけだよ。疲れは出来るだけ取ってもらった方が、明日の行程も効率が良いんじゃないかと思って」

 水場が近いから水魔法も発動しやすいし、そう言って彼女は行ってしまった。困っている者が居れば放ってはおけないのがシオリという女だ。自分が困っていても人に頼ることはないというのに、誰かが困っていれば手を差し伸べてしまう。身を削るような働き方はして欲しくは無いのだが。

 彼女には、誰かの役に立つ事で自らの存在意義を見出しているような節があった。そうして誰かが喜ぶ顔を見る事が心の糧になっているらしいことも薄々感じてはいた。だからこそ、強く止める事が出来ないでいる。

(疲れたら、俺があいつの休む場所になってやればいい)

 この数日でそう思えるようにもなっていた。今の彼女に必要なのは、彼女自身が変わる事ではない。心の拠り所となる場所だ。そこに帰りさえすれば安らげる、そんな場所。その心の拠り所に自分がなれれば良い。

(受け止めてやる、俺が)

 野営地の空いた場所に大人数向けの足湯を作り出して旅行者達を驚かせているシオリに歩み寄り、そっとその背中に手を当てた。見上げる彼女に笑って見せれば、安堵したように彼女も笑った。

「お、今日も足湯があるのか」

 見張りの交代まで手の空いた同僚達は、勝手知ったるとばかりに次々と履物を脱いで足を浸していく。その様子に旅行者達も興味を惹かれたようだ。

「私達も入ってみていいのかしら。足だけ入るのね?」

「ええ、どうぞ。疲れや浮腫みが取れますよ。人数が多いですから、十分位ずつで交代して頂けると助かります」

 疲労回復に良いらしいと聞いて、彼らも俄然入る気になったらしい。先に湯に浸かっている冒険者達を参考にして、恐る恐る足を浸していく。

「万一、水虫とか皮膚病をお持ちの方は入らずに先に仰ってくださいね。感染すると大変ですから、個別に対応しますよ」

 シオリの言葉に、傍らで興味深く見守っていたニクラスをもう一人の騎士がちらりと見たが、直ぐに何食わぬ顔で足湯に視線を戻した。ニクラスが不味い物を口にしたような顔付きになる。ごく一瞬の出来事だったが、その流れで大方の事情を察してしまい、アレクは微妙な表情でシオリと顔を見合わせた。

「ええと……個別対応、しますので」

「……お気遣い、感謝する」

 絞り出すように言うと、ニクラスはがくりと項垂れた。男として同情を禁じえず、思わずその肩を叩いてしまった。

 こうしてニクラスを含む一部の水虫の飼い主達もまた、足湯を楽しめる運びとなった。



 多くの者達が足湯で旅の疲れを癒した後は、夕餉の時間だ。献立は釣果のトリスサーモンの切り身が浮いた舌触りの良いポタージュスープに、ライ麦の味が活きたクネッケブレッド。硬いクラッカー状のそのパンはそのまま齧る者もいれば、手持ちのバターやジャムを塗って楽しむ者、塩気のきいたポタージュスープに浸して柔らかくして食べる者など様々だった。

「疲れた時は甘い物ってよく言いますけど、実際はしょっぱい物も欲しくなりますよね」

 酸味と甘味の絶妙なベリージャムを乗せたクネッケブレッドを齧ってからポタージュスープを一口飲んだシオリが言うと、マレナも同意する。

「確かにねぇ。駆け出しの頃に、甘い物が自由に買えるのが嬉しくて携帯食についショートブレッドとお菓子ばかり持って行った事があったんだけど、あの時は後悔したなあ。最後の方なんか、猛烈に干し肉が齧りたくてしょうがなかったわ」

「味のバランスって大事だよねー。俺なんか時間が無くて手持ちの乾パンと塩漬けの缶詰だけで出掛けた時があったけどさあ、行程半ばで糖分不足になって道中雪菫の蜜吸いまくった時があったよー」

 次々と披露される旅先での食事の失敗談で場が盛り上がった。

 アレクも同僚の話を聞きながら、若い頃の事を思い出す。まだ二十を過ぎたばかりの頃、クレメンスと二人で遠征した時に偶々捕らえた野鳥の肉を台無しにしたことがあった。二人とも肉の捌き方など知らなかった。血抜きをするらしい事は覚えていたものの、内臓や羽を処理しなければならないということを知らずにそのまま焼いて、恐ろしく鳥臭い肉を食う羽目になったのだった。獣臭いとでもいうのだろうか、口内からいつまでも異臭が消えずに辛い思いをしたものだ。

「味もそうだけどよ、栄養のバランスってやつか? あれもちゃんと考えて持って行けば、体調も結構良いよな」

「そうだなぁ、シオリが来るまでは考えたこともなかったけどねー」

「なんとなく怠いとかやる気が出ないとか、そういう事は減った気がするわ」

 主食のパンに副食の干し肉や魚の缶詰。そういったもので済ませていたものだったが、これに野菜や果実の瓶詰を加えるだけでも随分と体調に差が出る事を知った。シオリが言うには、主食や肉、魚は活力源になるが、野菜や果物は身体の調子を整えるのに重要な役割を果たすのだという。旅先では難しいが、新鮮な物を持ち込めるならなるべくその方が良いとも彼女は言った。ストリィディアなら豊富に収穫出来るじゃが芋やベリー類が最適らしい。

 夕餉の献立、じゃが芋のポタージュスープとベリージャムを塗ったクネッケブレッドにも重要な意味があるのだと知って、皆感慨深そうに食事を進めていると、俄かに街道方面が騒がしくなった。馬の駆ける音が近付いてくる。夜の帳が落ちたこの時刻に馬を飛ばす者は珍しい。何かあったのだろうか。皆、やや緊張した面持ちで様子を窺った。

 やがて馬は野営地の前で止まったようだった。二騎。見張りの騎士が対応しているのが見える。馬上の人も騎士のようだ。やはり何かあったか。何やら短く言葉を交わした三人は、すぐにこちらへ向かってくる。先に食事を済ませて茶を啜っていたニクラスの元へ急ぎ足で来た騎士の表情は硬い。

「何事だ」

「――拘束していた商人が数名逃走しました」

「なんだと?」

 駐屯地の牢に入れていたのでは無かったか。騎士の報告に周囲がざわついた。

「他の村で待機していた仲間が居たようです。騎士隊の一部と冒険者殿が村を離れて戦力が薄くなった所を狙われました。不覚でした。我々の完全な手落ちです。休憩の為にブロヴィートに立ち寄った、西の村から集団移動中の旅行者に紛れていました。駐屯地で例の催眠ガスをばら撒いて見張りが昏倒した隙に牢の鍵を開けられました」

 まだあのガスを持った者が居たらしい。確かに手落ちといえばそうなのだが、非常事態に便乗してあんなものを投入されれば、さすがの騎士隊でも咄嗟の対応は難しかったのではあるまいか。

「ガスを吸わなかった数名の商人が逃走したものの、村を出る前に捕らえました。ですが残念ながら手引きした二名と合わせて四名の商人が現在も逃走中です。抵抗中に再度ガスを使用されまして――くそっ、あいつら!」

 余程悔しかったのだろう、冷静に報告していた騎士の口調が最後で崩れた。

「状況は分かった。連中はトリス方面に逃走したのか?」

 彼の肩を叩いて落ち着かせたニクラスは先を促す。

「はい、こちらに向かって逃走するのを目撃されており、数名の騎士が馬で追跡したものの行方は掴めません。ニクラス殿が見かけていないとなると、やはり途中で森に入ったのではないかと――」

「この状況で素人が森に入ったというのか? 自殺行為じゃないか」

 襲撃の影響で、普段より危険度の高い魔獣が外縁部付近まで降りてきているのだ。催眠ガス以外に戦う術を持たないらしい彼らが無事で済むとは到底思えない。

 思わず疑問を呈すると、騎士は頷いた。

「ええ、ですがここに至るまでに姿を見なかった事を考えると、そうとしか思えません」

 ブロヴィートからトリスまでの街道沿いは、片側は森林地帯だがもう片側は起伏が少なく丈の低い草原地帯だ。多少の時間差はあったにせよ、徒歩で逃げた者を馬で追い掛けて姿を見失ったとすれば、森に入ったと考えるのが自然だ。途中で馬や馬車を使った形跡も無いという。

「我々は二手に分かれます。彼は村に戻りますが、私はトリスの騎士隊に報告に向かいます。万一不審者が領都に入り込みでもすれば厄介だ」

「了解した。我々も警戒する。何かあれば早馬を飛ばそう」

「お願いします」

 用件を伝えると、彼らは足早に立ち去った。

「場合によっては森を捜索せねばならんかもしれんな。まったく次から次へと……」

 こちらを気にしながら食事を終えて天幕に戻っていく旅行者を尻目に、ニクラスは嘆息した。

「そういう訳で、見張り中に不審者を見かけたら、直ぐに報告してくれ」

「ああ、わかった」

 冒険者の面々は神妙な顔で頷いた。




 馬鹿だなぁ。

 片付けを始めるシオリ達の傍でぷるんと震えたルリィはそう思った。

 ――逃げさえしなければ、あいつらも長生き出来たというのに。

 人の法で裁かれると思うからこそ見逃されたというのに、罪人が受けるべき罰も受けずに敢えて森に逃げ込んだというのなら、もうそこから先は森の法廷、裁きの場。人としてだけではない、この地上に生きる生物としての道理を外れた罪人に生き長らえる術は最早無い。

 ルリィの思考が同胞と繋がる。ルリィは彼らであり、彼らもまたルリィであるのだ。同じ身体から分裂して出来た瑠璃色の同胞、意識の共有体。

 その接続した同胞の意識を通じて、同胞の見た光景がルリィの中に流れ込む。

 ――断罪の、光景を。




「――おいっ、本当に大丈夫なのか!」

 息を切らして蒼黒い闇の中を走る男が仲間に向かって叫ぶ。

「街道に近い場所なら大した問題はねぇよ! 黙って走れ!」

「馬鹿正直に目立つ所を逃げても捕まるだけだ!」

 逃亡を手引きした二人の男が口々に言い募る。わかっている。追っ手から逃れるには街道沿いの外縁部を抜けるより他は無い。逃げ切りさえすれば、主人や依頼人がどうにかしてくれるはずだ。そのはずだ。

 ああ、だが。この森の不気味さはどうだ。静かだ。静か過ぎる。自分達の足音と呼吸の音しか聞こえない。森とはこのように静かな場所であっただろうか。まるで、そこら中から息を潜めて見張られているような、そんな――。

「うわあっ!」

 背後から仲間の悲鳴が上がった。どさりと倒れる音。

「おい、なんだ! 転んでる暇なんてねえぞ! とっとと立――」

 悪態を吐きながらも先を行く仲間が足を止めて振り返る。その言葉が途中で止まった。強張った彼の表情に、男もまた振り返った。

「――ひ、」

 背後に広がる光景に息が止まった。

 瑠璃色のスライムに呑まれる仲間の姿。

 べしゃり。奇妙な水音とともに、傍らの仲間もまた声も無く倒れ伏す。

 べしゃり、べしゃり。

「あ、あ、」

「おい、嘘だろ、」

 スライムが、色とりどりのスライムが彼らを取り囲んでいる。触手を伸ばして男達の手足を絡め取って拘束し、そのまま森の闇の中へ引きずり込んでいく。

「離せっ、離しやがれっ」

 必死でもがくが粘着質の拘束は解けない。そうしている間にも、森の奥へ、奥へとスライム達は進んでいく。

 ――やがて。木々の僅かに開けた小さな広場のような場所で拘束は外れ、彼らは解放された。だが、その解放は許されたからではない。彼らは引き出されたのだ。裁きの場所へと。

 するりと這うようにしてスライム達は離れていき、代わりに――。

「ひっ」

 誰かが悲鳴を上げた。男は声も出せずに、目を見開いたまま目の前の光景を凝視する。

 男達をぐるりと取り囲むのは、雪狼の群れ。その群れが何者であるかなど訊くまでも無かった。自分達が搾取しようとして罠に掛けた、あの群れだ。

 ああ。

 男は思った。

(――終わりだ)

 首領らしい一際大きな雪狼の遠吠えと共に、彼らは一斉に牙を剥いた。

 男が最期に見たのは白い獣の鋭い牙の生えそろった大きな顎、そして最期に聞いたのは仲間達の断末魔と生肉の咀嚼音。





 ――後日。

 蒼の森を捜索していた騎士隊は、街道からそれほど奥では無い場所、外縁部の半ば付近で四体の遺体を発見した。遺体には多くの牙や爪痕が残されており、恐らく魔獣――雪狼に食い殺されたのだろうと推測された。そのどれもが生々しい白骨を晒して身元確認すら難しい有様であったが、現場に残された遺留品から逃走した商人達であると断定された。

 これをもって捜索隊は解散し、その後、残りの容疑者達は無事領都に連行されたという。

残りのざまぁは次回です。



ところでどうでもいいことですが、水虫は当初カスパルさんが飼い主の予定でした。


ニクラス「なん……だと!?」

ルリィ「水虫駆除は承っておりません」

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― 新着の感想 ―
ルリィさんって思考レベルとか通常の魔物よりも上位存在な感じがするんよね…魔王とかこの地方の土地神とか言われても驚かないレベル
[一言] ルリィさん……実は森の中ではかなり上位の存在だったりするのか(• ▽ •;) ひょっとして、村で檻を開けようとしていた時に攻撃しなくなったのはルリィが呼び掛けて止めていた説。
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