24 襲撃事件の真相
蒼の森外縁部の幾度目かになる巡回を終え、アレクら冒険者と村人で構成される臨時警邏隊は、同様に逆方向から見回っていた騎士隊と合流した。
「そちらの様子は?」
「問題ない。静かなものだった。そっちは」
「こちらも同じだな。特に魔獣らしい気配も無いようだ」
アレクの言葉に、騎士隊を率いていたニクラス・ノイマンは顎先に指を押し当てて思案する様子だった。
「奥の方はどうだか知らねぇが、外縁部だけで判断するならほぼ普段通りだと思うぜ。昨日は居なかった小動物も戻って来てる」
「動物ってのは思った以上に臆病だからな。ちょっとでも異変を感じりゃあ、まず姿は見せねえよ。小動物が戻ってるんなら問題ねぇんじゃねぇか?」
村の猟師が言い添えた。他の村人達も同意するように頷き合う。普段の森の様子を知り尽くしている彼らの言うことだから間違いは無いのだろう。
「……とすれば、少なくとも外縁部の危険は去ったと考えても問題はない……か。丸一日経つことだし、再襲撃の可能性も大分低いだろうな。思い切って旅行者を移動させるか」
今朝は騎士隊の馬車を二台開け、急ぎの移動を希望する旅行者のみの輸送をしただけだ。旅行者の多い季節だけに、まだ村には多くの移動希望者が残されている。彼らを宿から移動させないことには重傷者の収容もままならない。
「よし、では上と相談してみる。貴殿らは交代して休憩に入ってくれ」
「ああ、わかった」
先に昼食を取って来たらしい同僚達と交代する。彼らからふわりと食欲をそそる香ばしい匂いを感じた。
「なんだか美味そうな匂いがするな」
思わず呟くと、得物の槍を持ち直しながらマレナが笑った。
「今ならまだ温かいまま食べられると思うわよ。リヌスが雪待鳥を捕って来てくれたの」
「ほう。雪待鳥か。珍しいな」
狩猟時期は冬期間のみ、それも狩るのが難しく、滅多に市場には出回らない肉だ。アレクとて、たまたま滞在先で二度ほど口にしたことがある程度だ。
「正直言えばもっと食いたかったんだがなあ」
「口に出来ただけ運がいいわよ。リヌスに感謝だわ」
味覚を反芻して未練たっぷりに呟くルドガーの脇腹をマレナがつつく。余程美味かったらしい。非常時故に簡単な食事になるだろうと思っていたが、少なくとも昼食は期待出来そうだ。マレナ達に後を引き継ぎ、野営地に戻る事にした。
救護所の奥、冒険者用に設営された野営地に戻ると、同僚達が適当な場所に腰を下ろして昼食らしき肉料理を頬張っていた。時折ざくざくとバゲットを齧る食欲を誘う咀嚼音が聞こえる。
竃の前に雪待鳥の揚げ物と、スライスされたバゲットが積まれていた。脇には蓋付きの容器に詰められたペーストも置かれている。多分肝を練ったものだろう。確かに美味そうだ。料理を頬張る同僚達の顔も緩んでいる。
視線を巡らし、少し離れた場所に屈みこんで作業しているシオリの後ろ姿が見えた。使用済みの食器を洗っているらしい。先にこちらに気付いたルリィがぷるんと震えた。
「シオリ」
声を掛けると、振り返ったその顔が綻んだ。その笑顔にこちらも癒される心持ちがする。
「アレク。お疲れ様」
「お前もな。無理はしなかったか?」
「……大丈夫」
顔色は悪くはないようだったが念の為確かめると、返事の前に微妙な間が空いた。ルリィが触手を伸ばして意味ありげに彼女の首筋をぺしぺしと叩く。
「ちょ、ルリィ」
その短いやり取りで大方の事情を察してアレクは苦笑した。
「なるほど。無理をした、と」
う、とシオリは首を竦めた。
「……でも、ちゃんと休んだよ。一時間くらい寝かせてもらったもの」
「だが、無理をしたのは間違いないんだな?」
「ぐ……」
気まずそうに俯いた彼女の耳元に口を寄せて囁いた。
「後でお仕置きだな」
真っ赤になってしまったシオリの狼狽えぶりに吹き出し、冗談だと付け加えると、あからさまにほっとした表情になる。揶揄い過ぎたかと軽く詫びながらその頭を撫でた。
「お前、食事は?」
「……まだ、これから」
「食器は人数分あるんだろう。洗うのは後回しにして先に食べれば良いじゃないか」
悪いとは言わないが、仕事熱心に過ぎるのは彼女の悪いところだ。そう伝えれば、その視線が僅かに泳いだ。
「……一緒に、」
「うん?」
「一緒に食べようと思って、待ってた」
思い掛けない台詞に虚を衝かれ、一瞬固まってしまった。その言葉の意味がじわりと胸に浸透し、ほのかな熱を帯びる。慎ましいシオリにしては思い切った誘い文句だ。
「……嬉しい事を言ってくれるな」
そういうことならば話は別だ。案外自分も単純なのだと内心自分自身に呆れもしたが、素直に彼女の気持ちを受け取ることにする。
「ならば、喜んで御一緒させて貰おうか」
促すと、彼女は大人しく従った。洗い終わった皿を纏めてその場に伏せてから立ち上がる。待ってくれていたというのは本当らしい。
「メニューは唐揚げとレバーペーストのオープンサンドだよ。唐揚げは四種類から一つ選んでね。ペーストは好みで塩胡椒を足して食べて」
「こういう場所で食べるには中々豪勢だな。お前が作ったのか」
「うん。リヌスさんに頼まれたから。唐揚げがよっぽど好きなんだねぇ」
唐揚げ好きなのもそうかもしれないが、どちらかと言えばシオリの料理が好きなのではあるまいか。彼は確か、遠征の予定が無くとも毎週のように彼女の携帯食を注文していたはずだ。クレメンスのように、肴や軽食代わりにしているのかもしれない。
(胃袋を掴まれた男は多そうだな……)
実際には女も多いのだが。その事実を知る由も無く、アレクは薄っすらとリヌスに対して警戒心を抱いてしまった。
「――で、どれにするの?」
「ん? ああ、そうだな」
訊かれて唐揚げの盛られた鍋を覗き込む。
「こっちが塩味の腿肉と胸肉、こっちの少し赤いのがちょっとだけ辛いのだよ」
「この中から一つか……」
わりと本気で悩んでしまった。腿肉と胸肉では風味も食感も異なる。以前食べたのは腿肉だったから胸肉にも興味があった。だが、あの濃厚な味わいの腿肉はもう一度食してみたい。少しだけ辛い味付けだという方も気になった。
「アレクと違うの選んで半分にする? 皆そうやって食べてたよ」
見かねたシオリに提案された。若干苦笑気味だ。
「私は塩味の胸肉にするよ」
「なら、俺は辛口の腿肉にしよう」
それぞれ一つずつ選んでナイフで半分に切り分けたものを皿に乗せてくれた。炙ったバゲットにはレバーペーストが塗られる。
「塩胡椒はどうする?」
「いや、そのままでいい」
せっかくシオリが作ったものだ、下手に味を加えて台無しにしたくはない。
適当な場所を探し、二人して腰を下ろした。ルリィは傍でぽよぽよと一人遊びをしている。こちらは既に食事は済ませたらしい。昨日の襲撃から丸一日経って食欲の戻ったらしいルリィが残った臓物を食べたと聞いて、微妙な気持ちになった。シオリの作る水が大好物だと聞いて油断していたが、このスライムは思った以上に肉食のようだ。そう言えば以前は大蜘蛛を喜んで丸呑みにしていたような……。
「いただきます」
シオリの食前の挨拶で我に返り、ルリィの食事については頭の片隅に追いやっておく。
まずは辛口の腿肉から。ざく、という軽快な音の後に、弾力のある肉の歯応え。口内に野鳥らしい野趣溢れる味わいの肉汁が溢れる。咀嚼すると、じんわりと程良い塩気と共に辛味も感じた。
「……美味いな」
「そうだね。雪待鳥ってこんなに美味しいんだ。リヌスさんに感謝しないと」
同意しつつ、振る舞われた薬草茶を飲んで軽く口内の脂を流してから、次は塩味の胸肉に手を付ける。腿肉のように、齧ると豊富な肉汁が溢れてきたが、こちらはあっさりとした牛フィレ肉のような上品な味わいだ。鳥特有の匂いも無く食べやすい。幾らでも摘まんでしまいそうだ。もう少し食べたかったというルドガーの気持ちが良く分かる。素材も良いのは勿論だが、料理人の腕が良いのも確かだった。初めての食材を頼まれて直ぐ調理出来るというのは、腕だけでは無く知識も豊富ということなのだろう。
濃厚な味わいのレバーペーストのオープンサンドを食べ切ったところで、ほう、と息を吐く。味気ない保存食とは異なり、街での生活と変わらない食事は満足感が違った。
「ああ美味かった。御馳走様」
「うん。お口に合ったようで良かった」
他の同僚達もあらかた食事を終えたようだ。大鍋は空、切り分けられたバゲットも無くなっている。残ったレバーペーストは、食材調達の功労者が持ち帰る事に決まったようだ。ほくほく顔で背嚢に詰めているのを同僚達が羨ましそうに眺めているのを見て、つい笑ってしまった。
「――シオリ殿。鍋はこちらで良いか?」
それぞれが食事の後始末を始めたところで、カスパルが大鍋を抱えて現れる。騎士隊にも御裾分けされていたらしい。確かにあれだけの食材、冒険者だけで食すには気まずいところもあったのだろう。
「あ、すみません。わざわざ持って来ていただいて。後で取りに伺いましたのに」
「いや、頂いたのはこちらだからな。鍋は洗ってある。あれほど美味い料理は久しぶりに食べたよ。ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
シオリが大鍋を受け取ったところで、カスパルはこちらに向き直った。どうやら他にも用件があるらしい。
「――今後の方針が決まった。商人どもの聴取も大まかにではあるが済ませた。貴殿らにも聞いておいてもらいたい」
「ああ、聞かせてもらえるなら是非」
周辺で作業していた同僚達も、興味深げに集まって来る。先の見えない仕事をするよりは、今後の予定を聞いておいた方が動きやすい。この騒動の発端になった商人達の動機と処分も気になるところだ。
「まず今後の方針についてだが。蒼の森外縁部の安全性がある程度保証された。これによって、旅行者の徒歩での移動が許可される。万一に備えて女子供や年寄り等の体力に不安のある者は馬車を使ってもらうが、それ以外は数人の護衛を付けて纏めて移動してもらう事になった。これは今日と明日の二日に分けて行う予定だ。今日は隣村までの移動希望者、明日は領都までの希望者だ。貴殿ら冒険者には、明日の領都方面への護衛を頼みたいんだが――構わないか? 領都への移動を確認したところで、今回の依頼は完了としたい。薬師殿や治療術師殿にはもう暫くお付き合い頂くことになるが、こちらは既に話を通してある」
アレクはぐるりと同僚達を見回した。了承の首肯が返って来る。
「それで構わん。西行きの護衛はいいのか?」
「そちらは我々が同行する。一旦駐屯地に戻って報告したいからな。一時間半後には出発予定だ」
「了解した」
こちらの返答にカスパルは頷き、それから一度短く息を吐く。
「――で、問題の商人どもについてだが」
きりりとした表情を崩し、些か疲れた表情になった。
「簡単に言ってしまえば、毛皮の採取と愛玩用に雪狼が大量に必要だったのだそうだ。どこぞの貴族から依頼があったらしくてな。密輸入した催眠ガスを縄張りの周辺に仕掛けて群れごと眠らせ、妊娠した若い雌だけを選んで運んで来たらしい。母体は産後に毛皮を剥ぎ取り、子供は赤子のうちから手元で育てれば十分愛玩用として通用すると踏んだそうだ。本当は毛皮採取用に妊娠した個体以外も運ぶ予定だったそうだが、思った以上に強靭でガスの効きが悪かったらしくてな。健康な個体から直ぐに目を覚ましてしまって、身重の雌を運ぶのが精一杯だったそうだ。あの馬鹿ども、森の中で相当な量のガスをばら撒いたらしい。周辺の生態系に影響が出なければいいがな」
強過ぎる催眠ガスを大量に吸い込めば、小動物は命の危険すら考えられる。間近で吸い込んだ人間が瞬時に昏倒したほどの威力だ。植物にもなんらかの影響があるかもしれない。
「――それで、雪狼の群れを引き連れて村に逃げ込んだと、そういう訳か」
「そういうことだな」
その結果があの騒ぎだ。迷惑極まりないなどという生易しい話ではない。
「負傷者の中でも駐屯騎士隊の隊士が一番酷くてな。副隊長殿は数週間の療養で復帰出来るそうだが、隊長殿は残念ながら――治療に相当の時間がかかるようだ。生きているのが不思議な程の出血だったようだ。完治する頃には大分筋力も体力も落ちているだろう。元のように騎士を続ける事は難しいかもしれん」
「……そうか……」
隊長まで勤めたのだからそれなりの腕前だったろうに。残酷なことだ。騎士としての未来を奪われた名も知らぬ男の心の内を思い、胸が痛んだ。
「……それで、その商人どもの処分は」
「旅行者の移動が済み次第、領都へ護送することに決まったよ。罪状は今のところなんとも言えん。人里への魔獣の大群の引き込みなんぞ例が無いのでな。公務執行妨害と傷害罪に禁制品密輸入罪は間違いないんだが、いずれにせよ厳罰は免れんだろう。被害が甚大過ぎる」
「……だろうな」
困ったような、それでいてどこか険しさを帯びた表情で聞き入っているシオリの肩を、ついそっと抱き寄せてしまった。カスパルはこちらにちらりと意味深長に視線を走らせてから、再び溜息を吐いた。
「連中の勤め先は王都の大店なんだが、まぁ、損害賠償やらなにやらで今後の商売は難しくなるだろうな。被害額は莫大なものになるだろうし、既に領都の新聞社が嗅ぎ付けて取材に来てるんだ。いずれ噂も王都に広がるだろう。信用もがた落ちだ」
ざまを見ろと言わんばかりの言い草だが、巻き込まれた負傷者や村人の事を思えば当然の事と言えた。特に彼は騎士仲間の未来を潰されているのだ。彼らの罪は重い。
「詳しい取り調べは領都で行われるが、関わった貴殿らにもまたご協力願う事もあるかもしれない。その時はよろしく頼む」
「心得た」
「わかりました」
伝えるべき事はこれで終わりらしい。カスパルは敬礼して見せると、その場を立ち去った。去り際にアレクの肩を一つ叩いて行く。言葉は無かったが、ちらりと一瞬だけシオリに向けた視線から、言いたい事はおおよそ予想が付いた。頷いて見せると、にやりと笑い、彼は足早に去って行った。
「――さて。あともうひと踏ん張りだな」
アレクの言葉を合図にそれぞれが持ち場に散っていく。シオリはこの場を片付けてから、救護所の手伝いに戻るらしい。無理はするなといつものように念を押してから、アレクは巡回警備の為に村の入り口へと足を向けた。
体調が落ち着くまでは、少し更新ペースが落ちると思います。
楽しみにしてくださっている方、申し訳ないです。




