21 或る騎士の憂鬱
二話同時投稿です。
前の話をお読みで無い方はそちらからどうぞ。
一部にやや残酷な表現が含まれていますのでご注意ください。
とある娼館での事件の回想です。
「……なるほど。これは確かに立件は難しい、な」
一通り話を聞き終えたカスパルは渋面を作ると、調書を書く手を休めて眉間を揉んだ。書き掛けの調書を睨み付けながら深い溜息を吐く。
「組合内での不正はともかくとして、精神面への暴力は立証し辛くて……な。傷痕は全て魔獣によるものだとシオリ殿も認めている上に、被疑者全員が否認し目撃者も無く状況証拠だけとなると……」
ある程度覚悟はしていたのだろうが、それでも落胆を隠せない様子のアレクと、仕方がないとばかりに苦笑いするシオリに居た堪れなくなる。
「一応トリスの騎士隊に報告しておくが……。どうする、調書の写しを作っておくか? 全部というわけにはいかんが、参考になりそうな箇所は全て抜き出しておく。多分組合でも必要だろう」
「――ああ。頼む」
「この騒ぎだから写しが出来るのは少し先になるが、年内には必ず届くように手配する。組合宛に送付で構わないか?」
「マスターのザック・シエル宛にしてくれ。俺から話を通しておく」
「承知した。――しかし、すまないなシオリ殿。辛い事を思い出させておいて、あまりお役には立てないようだ」
言えば、シオリは薄く微笑んで眉尻を下げた。少し困ったような笑みだ。
「いいえ、大丈夫です。こちらこそ、この大変な時にお手を煩わせてしまって、申し訳ありませんでした」
するべき話も終わり、席を立つ二人を見送る為に己も立ち上がる。
「貴殿らはこれからどうする」
訊けば、二人は顔を見合わせてから、アレクが答えた。
「もう暫くは滞在するつもりだ。まだ何か手伝う事があれば、だが」
その返答に思わず安堵の息を吐いてしまい、二人に苦笑されてしまった。まだまだ人手は足りないのだ。少なくとも、事件を引き起こした商人達と多数の重傷者を領都に搬送するまでは。それに、移動を希望している旅行者は、雪狼の脅威が去ったと確定するまでは単独行動は控えさせなければならない。ある程度希望者が集まったところで一纏めにして護衛を付けて送り出してやる必要があるだろう。
「可能なら協力して頂ければ有難い。昨日同様、アレク殿は警備、シオリ殿は救護所の手伝いをして貰えれば助かる。具体的には現場で聞いてくれ」
「わかった」
「すまないな」
「構わんさ。こういう時の為の冒険者組合だ」
「どうぞお気になさらず」
本来ならばこちらから気遣わねばならない二人に、逆に気遣いの言葉を掛けられてしまい、カスパルは苦笑するしかない。
天幕を出て行く二人と一匹を見送ると、大きな溜息を吐いて椅子に座り込む。
「――異邦人への虐待、なぁ……」
残念ながらストリィディアに限らず、他国でも珍しい事では無い。むしろ、この国はまだかなりまともな方だ。移民や難民の受け入れ数は近隣諸国でも比較的多く、どうしてもこの手の犯罪は多くなりがちな為、定期的に風俗店や娯楽施設、飲食店などの立入検査を行い、違法な店はその都度摘発している。現国王に代替わりしてからは検査の頻度が増やされ、その甲斐あってか大分数は減少したが、残念ながら根絶し切れないのが実態だ。嫌な話ではあるが、需要があるからなのだろう。
三、四年程前にも領都で、異邦人を違法に働かせて売春強要していた高級娼館が摘発された事件があった。実態の残酷さ故に、摘発の事実以外はほとんど公にはされなかったが、あれは実に不愉快で陰惨な事件だった。
表向きは貴婦人のように教育された高級娼婦に客の相手をさせる、上流階級の紳士向けの会員制高級クラブだった。だがその裏では、言葉や慣習に不自由な移民の女を、逃亡を阻止する為に大きな傷や焼印を付けた上で、かつて国内で信じられていた古い考えを持ち出して威圧し、不当に働かせていたのである。女の中には加虐嗜好のある客の相手をさせられ、見るに堪えない惨たらしい傷を付けられた者も数名あった。正確な人数は明らかにはならなかったが、少なくとも四名の娼婦が紳士方の「遊び」の犠牲となって命を散らしている。発見された遺体の、そのあまりの惨たらしさに精神を病んだ隊員も出たほどだ。
当時、領都の部隊に所属していたカスパルは、その事件の捜査に参加していた。
『傷を見ないで!』
『お願い、殺さないで!』
保護した後、治療の為に騎士隊の医療施設に預けた際の、女達の狂ったように泣き叫ぶ声は、今でも耳にこびりついて離れない。治療を終えて日常生活に戻った者も多いが、未だに療養中の女も居るのだ。
――商人に暴行されたらしい女が居るが錯乱して治療拒否し、どうにも様子が尋常ではない為、対応の指示をお願いしたいと部下に呼び出されて駆け付けた天幕で目にしたシオリの姿が、あの時の女達の姿と重なった。
負傷したシオリを治療しようとした際の反応が、そしてその傷痕が――その保護した女達の様相にあまりにも似ていた為に、つい過剰反応してしまったのだ。場合によっては連れの男を取り調べねばなるまいと息巻いたものだが、呼び出した際のあの男の様子から、彼は傷痕とは無関係だという事が容易に察せられた。彼女の傷痕に、彼もまた酷く傷付いた様子を見せたからだ。蒼褪めて震える指先で、シオリの手に壊れ物を扱うかのように触れたあの時のアレクは、自らが傷を負わされたかのように酷く痛々しく歪められていた。
あれは、女を想う男の顔だ。
そして先程聴取して見送ったばかりの二人からは、互いに深く想い合い、気遣う様子が見て取れた。あの男が傍に付いているならば、深く傷付いた彼女もきっといずれは癒される日が来るだろう。癒されると、いい。
(――そういえば……)
領都のあの娼館での事件は、首謀者不明のまま未解決になっていた。高級娼館という上流階級相手の商売だったこと、それ故に利用客や経営者もそれなりの身分である可能性が指摘されたことから、人身取引の根絶を目指すトリスヴァル辺境伯自ら指揮を執った大捕り物になった。だが、結局支配人は捕らえたものの、肝心要の首謀者たる経営者の逮捕には至らなかったのだ。
完全な解決を見ないまま数ヶ月が経ち、郊外の駐屯地へと異動が決まったカスパルにはその後の顛末は分からないままだ。
「カスパル殿! 村長がお呼びです。相談したいことがあるとのことです」
「わかった。直ぐ行く」
調書を手早く纏めて懐に押し込むと、カスパルは席を立った。夜が明けて朝特有の慌ただしさを見せる外へと向かう。
(今度暇が出来たら久しぶりに領都を訪ねてみるか。何か訊けるかもしれん)
垂れ幕を捲り上げて差し込む朝日に目を細めながら、そんな事を考えた。
・カスパル・セランデル:37歳。騎士。ブロヴィートの隣村の駐屯地の副隊長。単身赴任中のお父さんで妻子持ち。




