19 終わった恋、始まる恋
短いですが、やっぱり甘いです。
あと最後の一押しを諦めた為に失恋した男の話もチラリと出ます。
治療を終えた以上、重傷者用の天幕を占有するのは気が引けると主張してみたが、カスパルには既に病床は足りている事を理由にそのまま朝まで休むよう言い含められてしまった。その代わり、早朝に簡単な聴取をした後にはまた存分に働いてもらうぞと不敵に笑って言いながら、彼は天幕を出て行った。
簡素な寝台で寝息を立てるアレクの髪をさらりと撫でる。男性にしては柔らかく手触りの良い栗毛の感触を指先で楽しみ、それから少し血色の悪い頬に手を押し当てた。目元には微かに隈が浮かんでいる。
足元ではルリィがすっかり弛緩し切って寝こけていた。どちらも起きる気配はない。
(――心配かけちゃったな)
責められ捨てられる事を恐れて言い出せなかった腕の傷。アレクは絶対にそんなことはしないと分かってはいたけれど、それでも、あの異常だった日々を思い出せば、どうしても口にすることなど出来なかった。
じっとりと胸の奥底にこびりついて離れない恐怖感。
挫けそうになる心に何度も鞭打って必死に生きて積み重ねて来た最初の二年間の努力は、あの日に一度完全に壊されてしまった。それをどうにか立て直して、再び努力を続ける日々。本当に必死だったのだ。無意味には死にたくない。ただその一心で。
でももし今ここで、彼に蔑みの目を向けられてしまったら。もう二度と立ち直る事は出来ない気がした。そう思うほどにアレクに心を傾けているという自覚はあったからだ。
――この世界に来て、二度目の恋だった。
一度目はもしかしたら恋とも呼べないものだったかもしれない。異常な状況下で庇護者となった男に抱いた、本能的な依存心。あれがいわゆる吊り橋効果と呼ばれるものだということは、自分でも理解していた。
(――でも、それでも多分、好きだった)
何くれと面倒を見てくれて「困ったことがあったら何でも言えよ」と言ってくれた彼、冒険者になる事を決めた時に「応援している」と送り出してくれた彼、結果を出せば「頑張ったな」と褒めてくれた彼。子供ではないのに、その大きな温かい手で頭を撫でてくれた――ザックが好きだった。
あの状況で彼を好きにならない訳が無かったのだ。
でも、誰かから「忠告」されてその想いに蓋をして、そして――。
『……気付いてやれなくてすまなかった』
意識を取り戻した時に、酷く辛そうに顔を歪めて抱き締めてくれた彼に、『俺の妹にならないか』――そう言われた瞬間、完全にあの恋は終わったのだ。あの事件に責任を感じてくれて、もう二度と馬鹿な真似をする輩が近付かないように、「兄」になってくれるのだとそう言った。
「兄妹」になってあの想いを忘れた訳では無かったけれども、もう自分の中では彼の事を兄として認識してしまっている。兄として妹の自分を労わり、気遣ってくれる彼。その事に感謝はしているけれども、ただ、ぽっかりと心に空いた穴と、ふとした折に感じる激しい飢餓感と焦燥感だけはどうすることも出来なかった。
仲睦まじく寄り添う恋人達とすれ違った時。小さな子供達の手を引いて楽しげに道を行く若い夫婦を目にした時。互いへの温かい気持ちを長く慈しんで来たのだろう老夫婦を見た時。
ああいう温かいものは、存在の曖昧な異邦人である自分には、永久に手に入らないのだろうという思いが激しく心を焼き、蝕んだ。
ザックだって、いずれは伴侶を得て自分の元から離れるだろう。親しくしているナディアやクレメンスだって、きっといつかは、「仲間」という枠を離れ、「家族」というものを作るのだろう。或いは、故郷で待っているかもしれない者達の元へと戻ることもあるかもしれない。
どれも自分には無いものだし、これからも手に入らないだろう。
そう思い、孤独感で気がおかしくなりそうになったことも一度や二度ではない。帰る場所も無い異邦人である自分が与えられた居場所を手放さねばならなくなった時、一体どこまで生きていくことが出来るだろうか。
そんなどうにもならない想いを抱えていた時に、目の前に現れたのがアレクだった。
『お前の居場所になってやる』
そう言って手を取ってくれた。事あるごとに傍に寄り添ってくれた。手を握り締め、頭を撫でて、何度も抱き締めてくれた。温かい口付けまでくれた。
「……参ったなぁ」
あんな風に温かく心を満たしてくれた彼に、自分はもう完全に――。
疲れて眠ったままの彼の両頬をそっと両手で包み込むと、その唇に静かに口付けを落とした。それから唇を離して、彼の頬に自分の頬を摺り寄せる。
温かい人。優しい人。
(ねぇ、アレク。私は、)
――貴方を好きになってしまったよ。
ルリィ「砂糖大根大豊作」
赤毛の剣士と銀髪の双剣使いがフラグ回収出来ずに通常エンドしたので、王兄殿下ルートが解放されたっていう。何を言っているのかわからないと思うが、私も何を言っているのかわからない。




