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01 携帯食のご注文承ります(1)

 カラカラカラカラ……。

 窓の下で響いた荷馬車の通り過ぎる音に、ゆるゆると目を覚ます。カーテンの隙間から差し込む日差しは柔らかく、まだ朝の早い時間であることを教えてくれる。時折聞こえる足早に過ぎて行く足音や小鳥の囀る声に耳を傾けながら、温かい肌掛けの中で起床前の微睡まどろみを楽しんだ。

 カーン。

 カーテンで遮った窓の向こうに、神殿の鐘が響き渡った。一つ、二つ、三つ……それを六つまで数えたところで鐘の音は鳴り止んだ。六時。起床時間だ。

 肌掛けを捲り上げて身体を起こし、伸びをする。床の上では既に起きていたらしいルリィが、水溜まりのように広がったまま、うにょんうにょんと伸縮していた。ルリィなりの目覚めの体操らしい。ちなみに寝る前にもなにやら違うパターンで伸縮しているのだが、あれは就寝前のストレッチのつもりらしかった。

「おはよう、ルリィ」

 挨拶すると、しゅるんと触手が伸びるように身体の一部が細く伸び上がった。これもまたルリィなりの挨拶だ。

(……ますます人間染みて来たなぁ)

 出逢った頃は、まだまだスライムらしいスライムだった気がするのだけれども。

 寝台から起き出して、藍色の地の裾とスクウェアネックの襟元に、生成色の糸で蔦模様が刺繍されたワンピースに着替える。仕事着として魔導士のローブ代わりに着ている一枚だ。

 キッチン脇に重ねておいた盥を二つ並べ、その中に術式を起動して水を張る。片方を足元に置くと、ルリィが触手を二本伸ばしてパシャパシャと洗顔(・・)した。洗い終わったら、その水は飲み干してしまう。一体何処を洗ったのかは毎度疑問に思うところだ。

 自分も顔を洗い、お気に入りのリトアーニャ共和国製のリネンタオルで優しく顔を拭った。冒険者仲間のナディア姐さんに勧められた化粧水で肌を整え、顔に薄く粉を叩いて乳白色に仕上げ、瞼には淡い薔薇色を塗し、塗れば薄紅色にほんのり色付く紅を唇に乗せた。姐さん仕込みの上品な薄化粧の完成だ。しかしながら当の姐さんは妖艶な厚化粧なので何か解せない気もする。

 洗顔に使った水は小ぶりな如雨露じょうろに移し、窓辺に歩み寄ってカーテンを開けた。アパルトメントの窓から見るトリスの街の朝の光景。高く澄み渡った空を背景に色とりどりの屋根の立ち並ぶ街並み。その遥か向こうに、大聖堂の塔が聳え立つ。

 風光明媚な景色を楽しみながら、小さなベランダの鉢植えに水を遣った。観葉植物の類は一切無く、全てハーブや野菜類だ。大き目の鉢植えに瑞々しく生えそろったベビーリーフを何枚か摘み取り、実ったトマトを一つ採ってキッチンに向かう。

 朝食は柔らかくて栄養満点なベビーリーフサラダと、冒険者仲間の間でも安くて美味しいと評判のパン屋で買った雑穀パン、そしてベーコンエッグだ。棚のフライパンを取り出し果実油を垂らして、魔法石を擦ってコンロに火を入れる。熱したフライパンにベーコン二枚と卵二つを割り入れ、黄身に薄い膜がかかり、白身の端がカリカリになるまでフライ気味に焼き上げる。大き目の平皿にサラダと軽く炙った雑穀パン、そしてベーコンエッグを乗せれば朝食の完成だ。

 足元でそわそわしながら行儀良く待っているルリィの目の前に、魔法で水を満たしたボウルと出来立ての朝食を並べてやる。すると、ぺこんとお辞儀をするように一瞬前のめりになってから、朝食を食べ始めた。最初は人間と同じ物を与えても大丈夫なものなのかと悩んだが、余程硬いものでなければ何でも食べるらしい。いや、厳密には食べるというより、粘液に取り込んでしゅわしゅわと溶かしているのだが。

 ルリィの食事風景を横目に、自分も朝食に手を付ける。まず果汁で喉を潤し、雑穀パンを千切って口に運んだ。素朴な味で、噛めば噛むほどに雑穀の甘味と仄かな塩気が口いっぱいに広がって来る。

「うん、美味しい。後で買い足ししておこう」

 ちょんちょん。

 足を突かれて見下ろすと、ルリィが空になったボウルを差し出していた。水のおかわりのようだ。水魔法を発動してもう一度水を満たしてやると、再び嬉しそうに飲み干した。本当は自分と同じように果汁やスープを出してやりたいのだけれど、どうやら本人が水魔法の水が大好物らしいので、欲しがるままに与えてやっているのが現状だ。

(まあ、本人がそれで良いっていうんだから、良いんだけど……)

 サラダを食べ、ベーコンエッグに取り掛かった。半熟に出来れば最高なのだが、さすがに故郷(・・)の生卵の水準を求められないので、しっかりと火を通してある。それこそこの世界の、故郷とは比べるべくもない低水準の医療技術環境での食中毒はご免被りたい。

 故郷。

 もう想い出の中でしか戻る事の叶わない――。


 カーン!


 再び聞こえた鐘の音に、はっとする。

 今度は七つ。そろそろ食べ終えて、出掛ける支度をしなければならない時間だ。

 胸の奥底に滲んだ微かな痛みを押し込んで、朝食の残りを片付けることに専念した。



 朝食の片付けを済ましてから、ワンピースと似たような意匠のケープ付きジャケットを羽織り、羽飾りをあしらった三角帽子を被ってブーツを履く。仕事の時の自分なりの正装。依頼を受ける予定の無い日だけれど、緊急に仕事が入る場合に備えてのこの姿だ。

 瓶詰にした自家製携帯食を詰め込んだ肩掛け鞄に腕を通し、同じようにして一杯になった籠を手に提げる。

「よし、じゃあ行こうか」

 シオリの足元で、ルリィが返事代わりにぽよんと弾んだ。



 アパルトメントを出て凡そ五分ほどの場所に組合(ギルド)はある。自宅と組合(ギルド)との間には食料品店や雑貨屋、防具屋などが立ち並び、買い物にも便利だ。仕事柄買い出しが多いから、便利な立地のアパルトメントは少し賃料は高めだけれど、とても気に入っている。

 軋んだ音を立てて組合(ギルド)の扉を開けると、中で待ち構えていた冒険者達が一斉に振り返った。思わず仰け反りそうになる。

「おはようございます」

「おはよう!」

「待ちかねたよー」

 先日の依頼で親しくなったリヌスが揉み手しつつ上機嫌で近寄って来るのを見て、思わず吹き出してしまった。

 それにしても。ぐるりと室内を見回して思う。約束の時間にはまだ少しばかり早かったけれど、毎回多くの冒険者が集まってくれる。それだけ期待されているようで嬉しくなった。シオリは気持ちを引き締めた。

「それではご注文の品、お渡ししますね!」

次回は9/10 0時更新です。

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