14 襲撃
人気の無い散策道をひたすらに村に向かって走る。森の奥地でしか活動しない雪狼がこれほど人里近い場所まで群れで下って来ることなど、そうそうあるものではない。奥地で何か異変があったか、それとも――。
ふと、耳が微かな音を拾った。シオリも気付いたらしい。
剣戟の音、騒ぎ立てる人の声、馬の嘶き――そして、雪狼の遠吠え。
「まさか……村が襲撃されてる?」
緊張のあまり硬くなった声でシオリが囁いた。肩口に乗ったままのルリィは既に赤い。散策道が途切れ街道に出る手前でシオリを下ろして手を繋ぎ直す。飛び降りたルリィは死角になる位置を守るような場所に陣取った。
「何があるかわからん。絶対に俺から離れるな」
「わかった」
街道に飛び出し、ブロヴィート村の方角へ視線を向ける。遠吠え、怒声、悲鳴、馬の嘶き、剣戟の響きが入り乱れている。村で何か大きな戦闘が始まっている事は明白だった。
異変を察知した隊商や旅行者は、村から離れた場所で待機していた。
「何が起きたか分かるか」
手近に居る商人風の男に声を掛ける。
「詳しくは分かりません。私も今ここまで来たばかりで……ですが、逃げて来た人の話では、白い狼の群れが村を襲っていると」
男はやや蒼褪めた顔でそう言った。やはり雪狼か。
「蒼の森にもまだ雪狼の群れが居るようだ。なるべく早くここを離れて近場の村へ避難してくれ。可能なら駐屯騎士隊にも連絡を」
「承知した!」
隊商の護衛らしき男達に声を掛ければ、彼らは瞬時に行動を開始した。隊商と共に旅行者達も足早に村から離れて行く。理解が早くて助かった。
「俺達は村へ急ごう」
ブロヴィート村にも小規模ながらも騎士隊が駐屯している。既に近隣の駐屯地や領都へ伝令を出しているかもしれないが、民間人の保護と魔獣討伐は冒険者の義務でもある。どれだけの規模の群れなのかは未知数だが、可能な限り要救助対象を避難させねば。
村に駆け込むとそこはさながら戦場の様相を呈していた。突然の襲撃だったのだろうか。村の大通りには旅行者の手荷物や村人の物らしき籠や桶、食糧等が散乱していた。その中に何体かの雪狼の骸も紛れ、壁に凭れ掛かるようにして怪我に呻く騎士や旅装姿の者達の姿も見えた。見回した範囲だけでも十数名の負傷者が居るらしい事がわかる。雪狼の増援が来る前にどうにかして室内に避難させたい。どのみち出血の酷い負傷者を冷えた屋外に長時間放置しておくのは得策ではなかった。
アレクは素早く周囲を見渡した。家々の戸口は固く閉ざされ、上層階の危険が少ない窓から時折村人の不安げな顔が見え隠れする。
「余裕があればでいい! こいつらを中に入れてやってくれ!」
窓から顔を覗かせる村人達に声を掛ける。ほとんどは無理だとばかりに首を振ったが、勇気ある何人かは頷くと窓辺から姿を消した。程無くして幾つかの家屋の扉が開き、男達が飛び出してくる。彼らが近場の負傷者を中に運び込む間、周囲を警戒して襲撃に備える。
「……あんたらもあっちに行くんだろ」
村人の一人が大通りの奥、村の中央部を首で指し示した。
「勿論だ。それが仕事だからな」
「そうかい。気を付けてくれ。雪狼の襲撃なんざ記憶にある限りでは初めてだ。武運を祈ってる」
「ああ、ありがとう――そうだ、悪いがしばらくこれを預かって貰えないか」
「構わんよ。寄越しな」
アレクは背中の背嚢を下ろして男に差し出した。此処から先は大荷物では邪魔になる。シオリを促し彼女の背嚢も預けると、男は快く頷いて受け取ってくれた。
短い会話を交わしてから村人達は素早く家に戻り、再び扉を硬く閉ざした。
「残りの負傷者は私が魔法で屋根上まで運ぶよ」
シオリの提案に頷く。
「わかった。なら俺が軒下まで運ぶから後を頼む。ルリィはシオリを護ってやってくれ。いつ増援が来るとも限らんからな」
ルリィはぷるんと震えた。承知したという意味だろう。
男達が回収しきれなかった負傷者を手頃な家の軒下まで運び、シオリの土魔法で地面を底上げして屋根上やテラスまで押し上げると、上で待ち構えていた村人達が手を貸し合って負傷者を回収していく。既に協力を頼んであったらしい。それを見た周辺の家屋の住人達も、窓越しに次々と協力を申し出てくれた。それに対して片手を上げて謝意を示す。
ぐったりと動かない負傷者、特に鍛えられた屈強な騎士達を運ぶのは流石に骨が折れたが、筋力増強の魔法でやり過ごした。シオリも合間に魔力回復薬を飲んで魔力切れに備えているようだった。村の中央部に向かいつつ、目に付く負傷者を回収しては屋根上や上層階に避難させる。こちらに回せとばかりに窓を開けて待機してくれている気の利いた者も居たのは有難かった。
そうしてどうにか辿り着いた村の中央部の広場――多くの宿が立ち並ぶその場所は人々の罵声や焼け焦げた臭い、そして血の臭いに溢れていた。それは雪狼のものか、はたまた負傷者のものか。
雪狼と対峙する騎士らに紛れて冒険者らしき者達の姿も垣間見えた。その彼らが背に守るようにしているのは数台の幌馬車。どうやら雪狼達の標的はこの幌馬車を率いる隊商らしい。幌馬車に繋がれた馬達は混乱して暴れるのを防ぐ為か、何がしかの手段で既に眠らされているようだった。
彼らを取り囲むようにして牙を剥く雪狼の群れ。ざっと見ても、その数は六十か七十か――。どう考えても討伐難易度はAを通り越してSランクだ。騎士隊の練度や冒険者達のランクは定かではないが、厄介にも程がある。
と、横合いから雪狼が飛び出した。咄嗟に魔法剣で薙ぎ払うと弾き飛ばされた魔獣は地面を転がるが、直ぐに体勢を整えて牙を剥いた。が、見覚えのある炎の檻がそれを覆い隠し、やがてその身体が横倒しになった。シオリの魔法だ。
「このクソ女! 貴重な毛皮を汚すんじゃねぇよ!」
途端にどこかから口汚い罵声が飛び、背後でシオリが息を飲む気配があった。思わず声のした方角を睨み付けると、商人風の身形の男と視線が絡んだ。幌馬車に縋り付くようにしながら、騎士達や冒険者に守られている。見覚えのある男だ。あれは確か――初日の村の野営地でシオリに手を出そうとしていた男の一人だ。
(……あの野郎。後で覚えていろ)
睨め付けると男は震え上がり、さっと騎士隊の後ろに隠れてしまった。
「この連中の言う事には耳を貸すな! 雪狼を片付けることだけを考えてくれ!」
騎士隊から声が飛んだ。
「群れを引き連れて来やがったのはそいつらだ! 気にすることはねぇ、やっちまってくれ!」
「命あっての物種だ! 貴重かどうかなんて構ってられるか!」
彼らの言葉に被さるようにして、家々や宿の窓から村人や旅行者達の声が降って来る。口々に浴びせかけられる罵声に、隊商の商人達も怯んだようだった。
「……なるほどな。どういうつもりか知らんが、愚かにも群れに手を出したわけだ」
警戒心が強い彼らが群れ単位で人里を襲うなど、余程飢えているのでも無い限りはそうそうあるものではなかった。少なくとも、ここ数十年は国内でそのような報告は無かったはずだ。あるとすれば、仲間意識の強い彼らに何らかの危害を加えた時だろう。だとしても、一体何を仕出かしてこんな事態を引き起こしたのか。国内の人間ならば雪狼の危険度を知らない訳ではあるまいに、まさか毛皮目当てでなどということは無いと思いたいが。
ともかく、この群れを片付けなければ調べようもない。
群れの中でも一際大きい一頭が凄まじい咆哮を上げた。それに呼応して雪狼らは統率された軍隊のように一斉に姿勢を低くとると、次々と隊商を護る騎士隊や冒険者達に向かって攻撃を始めた。左右正面からと不規則な動きで攻撃を仕掛けては素早く後退する雪狼達。次はどの雪狼から攻撃を仕掛けてくるかは予測不応とあって、集団での戦闘には慣れている騎士らでも苦戦する様子だった。
恐るべき群狼戦術。標的の力を徐々に削いで仕留める彼らの戦術だ。
「アレク。私は屋根の上から援護するよ。上までは魔法で登る」
「分かった。気を付けろよ。くれぐれも無理はするな」
あまり表情に出さない疲労の色を微かに滲ませるシオリを気遣い、幾つか魔力回復薬を握らせた。本当は休ませてやりたいが、状況がそれを許さなかった。自ら危険の少ない屋根上まで退避すると言う彼女の言葉を否定せずに受け入れる。
「うん。アレクもね。ルリィは……」
シオリが言い澱んだ。するりと足元に赤い影が過る。
「ルリィ、お前」
ぽよんと赤く染まったルリィが跳ねる。こちらで戦うという意味なのだろう。ルリィの意思か、それともシオリの――。
「私は下に降りないようにするから平気。無理もしない。ルリィも自分で無理な事は絶対にしないから、きっと大丈夫」
「しかし……」
「ルリィは――アレクを仲間だと思ってるから、一緒に行きたいんだよ」
自らの意思で付いて来ようというのか。
シオリの言葉を肯定するように赤い身体がぷるんと震えた。
「――分かった。ルリィ、もし危険だと判断したら必ず逃げろ。シオリも絶対に下には降りて来るなよ」
シオリは頷き、ルリィも承知したとばかりにぽよんと跳ねる。
「スライムと共闘か。面白い」
それこそ滅多に出来る経験ではない。アレクは笑った。雪狼の群れを前に問題無しとルリィが判断したのであれば、この賢いスライムのことだ、きっとその通りなのだろう。
シオリを後ろ手に守りつつ通り沿いの建物の壁際まで下がらせ、彼女が土魔法で足元の地面を底上げして屋根まで登るのを見届けてから、アレクは愛剣を構え直した。ルリィは水溜まり状に広がる。
(――Sランクの討伐か。さて、どうしたものか)
見た所、騎士隊も冒険者達も動きはそれなりに洗練されていはいるようだが、この群れに対応出来るかと言えば中々微妙なところではあった。自らもS級への昇格を何度か打診されている身とは言え、あまりにも多勢に無勢。呆気なくやられるつもりは無いが、余程上手く立ち回らねば切り抜けるのは相当に困難だった。
大通りの広場とは言え領都に比べれば遥かに小規模な場所、それも家屋の密集した場所で火魔法を使った大技の使用は避けたい。しかし、彼らの狙いが隊商なのは幸いだった。時折群れを離れてこちらに向かってくる個体以外は、ほとんどが彼らに意識を向けていた。地道かつ姑息ではあるが、これならば背後から斬り付け、注意を引き付けて一体ずつ始末していく事も可能だ。なんなら数体ずつ群れから切り離し、炎の檻で窒息させる手もある。
正直に言えば範囲攻撃はやや不得手だったが、やるしかあるまい。このままではいたずらに負傷者を増やすばかりだ。死人は――出ていなければ良いが。
「魔法が得意ならどうにかして口の中に火魔法を叩き込め! 体内なら耐性はほとんど無いようだ!」
幌馬車の周囲に円陣を組む騎士らに声を掛けると、数人から応じる答えがあった。見れば魔法剣らしき剣を装備している者も何人か居るようだ。
アレクも覚悟を決めた。体勢を低く取り、群れに向かって一気に踏み込む。
妖気を増したルリィも同時に動いた。
「……凄い」
何か手立ては無いかと注意深く戦況を見守りながらも、アレクとルリィの戦いぶりに視線を向けたシオリは感嘆の呟きを漏らした。
魔力を帯びた剣で数匹を群れから切り離しては、素早い身のこなしで一匹ずつ確実に仕留めて行くアレクの動きは無駄が無く美しい。ルリィは音も無く背後から忍び寄り、スライムの得意とする奇襲攻撃を掛けては口や鼻、耳から体内に潜り込んで内側から破壊しているようだった。どちらも護る対象が無く自由に動ける身では恐ろしく強い。アレクもルリィも互いに補い合いながら、群れの外側から切り崩していく。
しかしながらあまりにも魔獣の数が多く、隊商を守護しながらの攻撃を余儀なくされている騎士隊の方は明らかに疲弊しつつあった。商人達は恐怖の余り、硬直したように動けなくなっているが、一部の者は正気を無くしかけているようにも見えた。万一あのまま恐慌状態に陥りでもすれば、何を仕出かすかわからない。
(いっそ彼らを先に無力化するか、それとも……先に救助してしまおうか)
正直言って、大切な仲間達を雪狼の群れの中に残して、代わりにあのどう見ても質の悪そうな連中を先に助けるのは腹立たしかったが、そうも言っては居られない。
建物を背にするようにして隊商を護る騎士隊の後ろまで、屋根伝いに移動する。土魔法の応用で屋根に足場を確保してから、下を覗き込んだ。恐怖で震える商人達と共に、負傷して壁際に身体を預ける数人の騎士の姿が見えた。
「騎士様!」
上から声を掛けると、騎士達が何事かと振り仰いだ。
「足場を作って上に退避出来ます! どうしますか!」
騎士達は顔を見合わせるがそれも束の間、「頼む!」という短い返答があった。それから他の騎士からも声が上がった。
「出来ればこいつらを拘束しておきたい! これだけの騒ぎを起こしたんだ、尋問する必要がある!」
「わかりました!」
拘束と聞いて商人達に動揺が走るが、さりとて逃げ出せる訳もなく、その場に硬直したまま立ち竦んだ。目配せを交わした騎士らの一人が何事か呟くと、糸が切れたように次々と商人達が倒れて行く。眠りの魔法だ。精神や身体に直接作用する類の魔法は不得手なシオリは内心羨ましく思う。
「いざという時には最悪自分の足で逃げて貰うつもりでいたが、こうなったら話は別だ。とっとと眠らすに限る」
負傷した左腕の痛みに顔を顰めながらも、その騎士はにやりと笑って見せた。それを見て思わず苦笑した。確かに面倒そうな連中ではある。
壁際に寄ってもらい、地面を底上げして二、三人ずつ屋根上に運ぶ。重量が過ぎると一度に運べないのがもどかしい。全員を上に退避させてから、些か手狭になった足場を広げて場所を確保した。
ひとまず要救助者を退避させて安心出来たのか、騎士達は気力が尽きたようにその場に膝を付いた。彼ら自身も負傷しているのだ。腕や足から酷く出血している者も居た。本来ならば立つ事さえままならなかったはずだ。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄り薬を取り出すが、他ならぬ彼らの手で制止された。
「正直大丈夫とは言い難いが、こちらはどうとでもなる。出来れば下の連中を援護してやってくれ」
援護と言っても無力な自分がここまでの大群を相手に何が出来るのかと思わないでもない。けれども、どうにかしなければ――救援部隊もいつ来るか分からないのだから、このままではいずれアレクやルリィにも被害が及ぶ。
「――おい、あんた」
広場を見下ろして思案していたところへ後ろから声が掛かった。振り返ると隣の宿のテラスから屋根伝いに移動して来たらしい二人の男の姿。商人風の――まさか。
「下の荷馬車も上に上げてくれねぇか。屋根に上げろとまでは言わねぇ、さっきの魔法で馬車ごと地面を持ち上げてくれるだけでいいんだ」
やはり、あの隊商の関係者だったか。村人や旅行者に紛れて逃げおおせていた者も居たらしい。
シオリはちらりと馬車に視線をやり、直ぐに男に向き直った。
「無理です。どう見ても重量がかなりある上に台数も多いので、安全に持ち上げられる保証は出来ません。それに、あれに力を使うくらいなら雪狼の掃討に専念した方がまだ確実です」
冷静な言葉に血の気の多いらしい男達は俄かに殺気立った。
「冗談じゃねぇ! あん中にゃ大事な商品が沢山積んであるんだ! あれが全部傷物にでもなったらとんでもねぇ損害だぞ! そうなったらあんた、どう責任取ってくれるんだ!」
「あんた冒険者なんだろうが! 困ってる人間を助けるのが仕事だろうがよ!」
「荷馬車を上げられねぇってんなら、あの雪狼! 全部無傷で仕留めやがれ! あれの毛皮を売れば損害分は回収できるはずだ!」
あれだけの厄災を村に引き入れておきながら、自らの商売の事しか頭に無い彼らの勝手な言い草に奥歯を噛み締める。
「責任を取らなければならないというのならそれは貴方達の方です。あの群れを引き連れてここまでの被害を出したのは貴方達でしょう! どれだけの負傷者と損害をこの村に出したと思っているんです! むしろ損害賠償を請求されるだけの事をした! 引き起こした人災の尻拭いは私達の仕事じゃない!」
「このっ――」
激昂した男達が拳を振り上げて迫り来る。一人はどうにか動ける騎士が二人がかりで取り押さえたが、もう一人は腰元に下げていた鞭を振り被った。荷馬車用の鞭だ。
(あんなものが当たったら――)
広げたとは言え身を躱すには足場は狭く、男は瞬く間に肉薄した。咄嗟に防御の体勢を取りつつも風魔法の障壁を張る。瞬間、左腕に衝撃が走った。
「――っ!」
凄まじい痛みに、声にならない悲鳴が口から漏れた。




