11 採集依頼
蒼の森の中を、散策道に向けて歩く。往路で念の為に残して来ていた道標を辿りながらの復路だ。と言っても、道を知っているルリィが先導して歩いてくれているから安心だ。
「次は俺の用事を済ましてもいいか?」
「あ……うん。どんな依頼?」
「採集依頼だ。二件ある。付き合ってくれるか?」
「勿論」
蒼の森での採集依頼。どちらも難易度はBらしい。
「雪菫と……あとは粉雪草の実だな。雪菫はおよその在り処の見当は付くが、粉雪草は手間取るかもしれん。少し散策道の奥に入ることになるが……」
「大丈夫。この後の予定は入れてないし、数日は遅れても平気」
実際に来てみないとルリィがどれだけ滞在するつもりなのか分からないのだから、余裕を持って予定を組んである。
そう言うと、なら大丈夫だなとアレクは笑った。
散策道は、まだ幾分早い時間帯とあって旅行者らしき人影は見えなかった。アレクは散策道の奥へと歩いて行く。道の先は行き止まり、休憩所や水場も引かれた小さな広場が整備されている場所へと繋がる。ブロヴィート村からは片道三十分の道程とあって、気楽に散策が楽しめる作りだ。
小さな広場の周囲には柵を模した結界が張られ、魔獣の侵入を防ぐ作りになっていた。要所要所に「この先侵入禁止。魔獣棲息区域」という立看板が設置されている。時折面白半分に結界外に足を踏み入れて遭難したり、魔獣に襲われて怪我を負う旅行者が居るらしかった。
(どこの世界でも似たような事する人は居るんだなぁ)
妙な所で感慨深く思ってしまい、シオリは苦笑した。
「人目が無いうちに奥に入るか。興味本位で着いてこられても困るしな」
アレクに促され、さり気なく差し出された手を借りて結界の柵を越える。ルリィは足元の隙間をしゅるんと抜けた。此処から先は再び魔獣の領域だ。ルリィの故郷よりは奥まった場所になる。探索魔法を広げて警戒しながらの探索だ。
「……雪菫と粉雪草ってどんな植物?」
少なくとも片方の生育している場所の見当は付くらしいアレクは、それらしい場所に視線を巡らせながら歩いて行く。
「雪菫は……菫……は分かるか?」
「うん」
「花だけ見れば普通の菫とそう変わらんな。強いて言えば少し青みが濃いくらいだが、一番の特徴は茎と葉が雪のように白いところだ。これで普通の菫と見分けがつく。寒冷地の雪の中でも凍らずに咲くんだ。だから雪菫。安易なネーミングではあるがな」
そう言ってアレクは笑った。
「ストリィディア原産で、国花でもあるんだ……と、ああ、あった。あれだ」
指差されて見た方向、白銀草で白一色になっている地面の一か所が、紫色に染まっている。
「こういう森の奥の木漏れ日が当たる場所に群生しているんだ。蒼の森では周りが白いお蔭で探しやすい」
「うわぁ……本当に葉が真っ白。こんなに寒いのに普通に咲いてる」
葉と茎は霜が降ったように細かく白い産毛が生え、雪菫の花を寒さから守るようにして生い茂っている。アレクはその花を二つ萼から引き抜くと、片方の花の根元を吸って見せた。
「こうすると甘い蜜が出て来る。吸ってみろ」
もう一つの花の根元をこちらに向けて来る。このまま吸えということだろうか。流石に気恥ずかしく思って躊躇っていると、唇にそっと押し付けられた。どうやら本当にこのまま吸わねばならないらしい。
(う、わぁ……)
目を細めてこちらを見下ろすアレクの顔をなるべく見ないようにして、そっと花を吸う。ふわりと仄かな花の香りと優しい甘味が舌に広がった。
「――本当だ、甘い……」
「だろう?」
満足気に笑ったアレクは、シオリの吸った花を今度は自分の口元に持って行き、吸い残しの蜜を確かめるかのように軽く吸う。
(ちょ、ちょっと!?)
まさかの間接キスに大いに動揺したけれども、彼は無意識だったのかもしれない。何事も無かったかのようにその場に膝をつくと、保存用の密閉容器に採集した雪菫を詰め始める。
「……手伝う?」
内心の動揺を押し殺して訊くと、いや、と小さい返事があった。
「代わりに周囲を警戒していてくれないか。お前の方が正確に察知出来るだろう」
「わかった」
探索魔法を少し大きめに広げて警戒範囲を拡大する。幾つか掛かる気配はあるが、ごく微弱な反応はどれも森林内に棲息する小動物だろう。今のところ魔獣らしき気配は無い。
ルリィはぽよぽよと雪菫に近付くと、器用にひとつだけ花を摘み取って粘液の中に飲み込んだ。ごく小さな花弁を溶解すると、しばらく考え込むような素振りを見せた。それからするりと花から離れて、シオリの側に落ち着いた。どうやらルリィは蜜の味をお気に召さなかったようだ。スライムにも好みはあるらしい。
「……雪菫の原種は森の中でなければ育たないが、改良種は観賞用に街でも植えられていてな。子供の頃は甘味を求めてよく花壇の雪菫を失敬していたよ。友人達とつい夢中になって吸って、街角の小さな花壇の一角を吸いつくしてしまって……あの時は散々に怒られたな」
昔を懐かしむように語るアレクの顔は柔らかい。きっと良い想い出なのだろう。自分にも覚えがあった。学校の花壇や通学路の道端に生えていた花の蜜を吸って、ちょっとした甘味の代わりにしていたものだった。
「……私もやった」
「お前もか」
二人して顔を見合わせて笑い合う。
「どこの子供もやることは同じなんだね」
「そうだな」
大きく世界を隔てた場所で生まれ育った自分達だけれども、その内面はあまり変わる事は無い。そのことがなんだかひどく嬉しかった。
同じ――人間なのだと。
「よし。これくらいでいいか」
雪菫で一杯になった密閉容器を背嚢に仕舞い込み、アレクはその場から立ち上がった。
「それ、何に使うのかな」
「ああ……蜜で酵母を作るらしい。花弁は着色に使うと言っていた」
「酵母? ……って、ああ、酵母ハンターの?」
「そう、パン屋のベッティルだ」
酵母ハンターという珍しい肩書を持つベッティル・ニルソンは、本職は組合近くにパン工房を持つパン職人だ。パン作りとその発酵に欠かせない酵母菌の採集に並々ならぬ情熱を注いでいる変人として有名だが、そのパンの美味しさは誰もが認めるところだ。深みのある味わいや食感に魅了されて通い詰める同僚も多い。
「粉雪草もベッティルの依頼だな。これの実から酵母が採れるらしい」
「へぇ……じゃあ、また新しいパンが出来る――っ!?」
彼の作るパンの香りと味に思考を巡らせていたシオリは、警戒の網の端に掛かった気配に息を飲んだ。明らかにこちらを目指しているその気配の接近速度は速い。
「どうした?」
「……何か来る」
魔力反応の大きさからして、恐らく魔獣だ。森に棲む小動物とは異なる。その気配が距離凡そ三十メテルまで接近したあたりでアレクも反応して剣を抜き払う。同時にルリィも攻撃色の赤に変化した。
下草を踏む足音が近付き、そして茂みから飛び出したのは、艶やかな白銀の毛並みを持つ美しい獣。その蒼い瞳の獣は底冷えのする咆哮を上げた。
「雪狼か!」
子供の頃によく花壇や通学路のとある花の蜜を吸ってましたが、後になって調べてみたらどちらも量を採り過ぎると毒になるものでした。少なくとも片方は以前は食用だったものなんですけどね。後になって食用禁止になった植物のようです。
それから私事ですが。
子供が怪我で入院することになりましたので、もしかしたらしばらく更新が遅れ気味なるかもしれません。




