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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第2章 使い魔の里帰り

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09 始まりの日

シオリ視点

「――遅くなっちゃったなぁ」

 自宅への帰路を小走り気味に歩きながら、シオリはスマートフォンで時刻を確認する。街灯が少ない薄暗い道を、携帯端末の画面の光が微かに照らした。デジタル表記の文字は、あと数分で日付が変わるという時刻を示していた。

 夕食はまだ。この先のコンビニで適当に何か買って行こう。こんな時間まで働いて、帰宅してから調理するのはご免被りたい。時刻を考えれば、もしかしたらもう碌な物は残っていないかもしれないが。

 ぱたん、と音を立ててスマホカバーを閉じ、通勤鞄に仕舞い込む。

 ――と。

 不意に視界が歪んだ。立ち眩みにも似た感覚に、シオリは立ち止まって目を強く瞑った。それほど無理を重ねた訳ではないつもりだったが、もう三十も近い歳だ。疲れが溜まり易くなっているのかもしれない。しばらくその眩暈に耐えていたが、次第に足元までぐらつくような感覚に襲われて、小さく呻いた。

「な、に――」

 地面がぐにゃりと曲がり、身体が大きく揺らいだ。次いで、足元が抜けるような浮遊感。

「あ……」

 倒れる、そう思った瞬間、圧し潰すような凄まじいエネルギーの奔流が身体を襲い――意識は闇に呑まれた。



「――、――、――――」

 ふわりと浮上した意識の中で誰かの声を聞いたような気がして、シオリはゆるゆると目を開けた。見慣れない板張りの天井が視界に飛び込んで来る。そして、微かに漂う土臭い香り。状況が理解できないまま視線を巡らすと、質素だが清潔そうな白塗りの壁と、木枠に嵌められた硝子窓が目に入った。昔の、祖父母の家や重要文化財にでも指定されているような古い家屋で見かけるような、不規則な波のあるレトロな硝子。確か、大正硝子と言うのだったか――。

「――、――?」

 突然間近で掛けられた声に驚いてそちらに視線を向けると、燃えるような夕焼け色の髪の男が見下ろしている。洋画の俳優あたりにでも居そうな、彫りが深く端正な顔立ちの男。三十代は半ば位の年頃だろうか。明らかに日本人とは異なる風貌の男だった。緩められたシャツの襟元から覗けて見える肌に走る幾つもの傷痕に気付いて息を飲む。よく見れば、男の着る衣装はどこか異国めいている……というよりは、非現実的と言った方がしっくりくる物だった。

 編み上げの紐で襟元を閉じる作りになっている生成色のシャツに、チャコールグレーのベストはまだいい。だが、その腰に提げられた、素人目にも分かる凝った意匠の見事な柄飾りの付いた剣と、脛当ての付いた膝下まである頑丈な作りの革のブーツは、まさに中世欧州風といった風情だった。どう見ても普通の出で立ちではない。

 そういえば、自分の服も病衣のような物に着替えさせられていた。それまで来ていたはずのスーツは見当たらない。

(……一体、何が……)

 自らの身に起きた事を整理しようと、ゆるりと身体を起こした。くらりと軽い眩暈がする。そっと赤毛の男の手が背中に添えられて、起き上がる手助けをされた。

「……ありがとうございます」

 礼を述べると、男の顔が困惑に染まった。言葉が通じなかったようだった。漠然とした不安が胸を掠めた。言葉の通じない、明らかに外国人の様相の――しかも、普通では無い出で立ちの男と、見知らぬ場所で何故二人きりでいるのか。

 状況を把握しようと必死で思考を巡らす。そうだ。確か、仕事帰りだった。夜道を急ぐ中で突然酷い眩暈に襲われて、多分倒れて――。

 とすれば、自分はこの男に保護されたのだろうか。救急車で運ばれたのではなく、この外国人の男に? 古めかしい作りの室内と、流行りの若者向けの異世界を舞台とした小説にでも出て来そうな出で立ちの男。どこかの劇団員で、ここはそのセットの中だろうか。それにしては――男のやけに使い込まれたような凄味のようなものまで感じられる剣と、何度も袖を通して身に沿うように気慣れた様子を見せるその衣装が気に掛った。随分とよく作り込まれた小道具だ、と。それに、国内の劇団ならば言葉が通じないのもおかしい。日本に来て日が浅いのだろうか。

「――?」

 男が再び言葉を発した。やはり、聞き取れない。耳慣れない言葉だった。英語がそれほど堪能なわけでは無かったが、それでも英語ですら無いということは自分にも分かった。先程まで漠然と感じていた不安感は、今確かな存在感を持ってシオリの胸を圧迫していた。

「――、――、――」

 男は何か言うと、踵を返して戸口から出て行った。半開きのままの扉の向こうから、複数の人間が会話するような声が聞こえる。やがて、男は二人の人間を伴って戻って来た。一人は白衣のような裾の長い上着を着込んだ青年、そしてもう一人は、薄布の衣装を纏って見事なプロポーションの身体を惜しげもなく晒した、赤みがかった金髪の美女だった。白衣の男はともかく、美女の方はやはり――ファンタジー小説にでもありそうな出で立ちだ。

 こちらの不安を察したのだろうか、美女はシオリが寝かされていた寝台の脇に膝をつくと、安心させるように手を握ってくれた。その脇の丸椅子に赤毛の男が腰を下ろす。見守るようにも監視するようにも見えて、シオリは落ち着かなくなった。それに気付いたのか美女が男に非難するような視線を送った。途端に男は気まずそうな顔をして視線を泳がせる。なんとなく二人とも悪い人では無さそうだという事は理解出来た。けれども、だからと言って安心できるというものでもない。

「――」

 白衣の男が優しい声色で何か言い、そっとシオリの手を取った。その出で立ちと仕草から、恐らく医者か何かなのだろうという事が知れた。診察でもするつもりなのだろう。腕に指先を当てて脈を取り、首筋を探って体温を確かめ、目や口内を丹念に診ていく。

 やがて男は柔らかく笑った。診察が終わったらしい。言葉はわからなかったが、その笑顔と優しく落ち着かせるような声音から、問題は無かったのだろうということが察せられた。

 しばらくの沈黙の後、美女が己の顔を指差して何か呟いた。

「――、」

「え?」

「ナディア」

 意図を掴み兼ねて、彼女を凝視する。もう一度彼女は言った。やはり、顔を指さしながら。

「ナ、ディ、ア」

「……ナディア?」

 復唱すると、美女は満足そうに微笑んだ。次いで、赤毛の男が自分の顔を指さして言った。

「ザック」

「……ザック?」

 気遣うような、警戒するような、様々な気持ちが綯い交ぜになったような顔をしていた彼が、陽光が弾けるような笑顔を見せた。多分、この顔が本来の彼を表しているのかもしれないと、ふと思った。

 それから、彼らの意図に思い至る。ナディア。ザック。これは多分、二人の名前だ。

 今度は白衣の男が自分を指さした。

「ニ、ル、ス」

「……ニルス?」

 そんな名前の主人公が活躍するアニメが昔あったな、などと思いながらニルスと名乗った男の顔を見ると、彼は穏やかな笑顔で頷いた。

 一通り名乗り終えると、三人の視線がこちらに集中した。次はそちらの番だとでも言いたいのだろう。

「し、お、り」

 外国人には聞き取り辛かっただろうか。日本人の名前は異国の者には聞き取り辛く発音し辛いと聞いたことがあった。

「し、お、り。しおり」

「シ、ウォ、リ」

「し、お、り」

「……シ、オリ?」

 何度か訂正してようやく正しい発音になったところで、頷いて見せた。

 名乗るだけの簡単な自己紹介を終えると、ザックから何か折り畳んだ紙を挟んだ本を手渡される。古ぼけて使い込まれた様子のその本は、地図のようだった。その擦り切れかけた表紙に印刷された地図を見て――シオリは、なるべく考えまいとしていたことが現実になりつつあることを察して身を硬くした。

 ――見たことも無い、知らない形の地形を記した、世界地図。

 血の気が引く感覚は恐らく気のせいではない。

 ザックは地図帳に挟まれていた紙を開いた。世界地図を写し取ったものだろう。広げた地図を、寝台の肌掛けの上に乗せた。それから地図の中央――見慣れない形をした大陸の中央上部を指さした。緯度は高めの地域。北海道か、それより上の地域にあたるだろうか。

「ストリィディア」

 多分、今居る国の名前なのだろう。でも、聞いたことが無い。地図で見ればそこそこの規模を誇る国だ。このくらいの規模であれば、いくら日本から遠く離れた国であろうとも、国名くらいは記憶にあってもおかしくはない。けれども、知らない。聞いたことも無い。そもそも――地図が、地形が、見知ったものとは全く違った。

(何。何なの。一体何が起きたの。まさか――でも、そんな)

 言い知れぬ焦燥感に呼吸が乱れた。浅く、息を吐く。震えが止まらない。

 酷く狼狽するシオリを気遣わしげに見てから、ザックは世界地図をこちらに押しやる。それから小首を傾げて、指差してきた。

 お前の国を、指し示せ、と。そういうことなのだろうけれども。

 シオリはザックを見た。何か言葉を発しようとして失敗し、ただ震える吐息だけが漏れた。ナディアが柳眉を聳やかし、ニルスは困ったような顔でこちらを見た。ザックの視線は探るような、油断ならない鋭さを孕んだそれに変わった。

 もう一度地図を見る。やはり、わからない。何度見ても、何処を探しても、見慣れた地形の国は何処にも見当たらなかった。視線を外して、寝台の側――窓を見た。外が、見える。肌掛けを跳ね除けて、寝台を降りた。身体がふらついて蹈鞴を踏むが、構わず踏み出す。

「――!」

 制止するような鋭い声が掛かるが、それを無視して窓に駆け寄った。張り付くようにして見下ろす、窓の下の光景――。

 異国情緒溢れる街並みは宵闇に沈みつつあった。その夜の帳が落ちようとしている街の大通りが、温かい色の街灯に照らされて浮き上がる。大通りを行き交う人々、馬車――。そのどれもが見覚えの無いものだった。現実には存在しないはずの、御伽噺の中のような世界だ。中世の民族衣装のような衣類を身に纏った人々が通りを行き交う。時折剣や弓矢、杖のようなもので武装した者の姿も見えた。そのどれもが作り物ではなく、確かな生活感に溢れた現実味のある光景だった。

 ふと、絵本に出て来る魔法使いのような身形の男の連れていた、猫のような生き物がこちらを見た。真っ白な綿毛のような体毛に、二本に分かれた尾。その背には退化した羽のような器官が二枚折り畳まれるようにして生えている。金色と蒼色のオッドアイの、知性を感じさせる瞳と視線が絡み合い――瞬間、その白い身体がふわりと浮き上がる。

 シオリは声にならない悲鳴を上げた。後退りする身体が、力を失い均衡を崩してぐらりと揺れた。背後から慌てたような声が掛かり、誰かに身体を支えられる。抱き込まれた身体が、そのまま抱き上げられた。ザックだった。彼に抱き抱えられたまま、歯の根が合わないほどに震えた身体を両腕で抱き締める。

 寝台に運ばれ、再び寝かされ肌掛けが掛けられてもなお、震えは収まらなかった。

(嘘だ)

 通じない言葉、物語の登場人物のような身形の人々、見慣れない地形を描いた世界地図、見慣れない街の光景、見たことも無い生き物――そのどれもが、自らの身に起きた事実を指し示していた。

(まさか、そんな、安っぽい小説でもあるまいし)

 ――違う世界に、来てしまった?

 温かい肌掛けの中で蒼褪めて震えの止まらない身体を抱き締めたままのシオリの頭を、ナディアが落ち着かせるように優しく撫でた。ザックがニルスに視線を送る。彼は厳しい顔で首を振った。これ以上の尋問は許可できないとでも言いたげだった。

「――、――、――――」

 通じないと分かっているだろうに、それでもザックはシオリの手を撫でると何か言葉を落とした。多少の硬さは残るものの、どこか気遣うような声音。けれども、撫でるナディアの優しい手も、恐らく悪い人ではないのだろうザックの気遣いも、今は何の救いにもならなかった。

(……どうしよう。どうしたらいい――)

「……シオリ」

 名を呼ばれる。困ったような顔で微笑むニルスが吸い飲みを差し出した。そっと、口元に押し当てられる。流し込まれた液体は、仄かな甘味と土のような香りがした。

「――、――」

 飲み下したのを確かめてから、ニルスは手のひらでシオリの目を優しく隠した。眠れ、ということなのだろうか。飲まされたのは何かの薬だったのかもしれない。強張った身体が弛緩し、意識が徐々に遠ざかる。

 そうだ。眠ってしまえば、忘れられる。逃げられる。それどころかこの悪い夢から覚めるかもしれない。霞みがかる思考の隅でそんな事を考えながら――意識が沈んだ。






 ゆるりと目を覚ましたシオリは、一瞬自分が何処に居るのかわからず、目を瞬かせた。

 雪熊の天幕の天井が視界一杯に広がる。

(――夢、か……)

 四年も前、初めてこの国に落ちて来た日の記憶。始まりの日の記憶だ。

 そっと身体を起こす。ぽたり、頬から水滴が落ちて毛布に小さな染みを作った。泣いていたらしい。

 あの日、流石に子供でも年若い娘でも無い大人の女だという自覚があったから、見苦しく泣き喚くなどという失態は犯さなかったが、それでもショックで発熱して数日は寝込んだ覚えがある。あの時はザックやナディアには随分と心配させてしまった。数日間の療養とニルスの薬湯でどうにか回復した後は、環境に慣れる為の日々が始まった。

 身に着けていた衣服は洗濯して戻されたものの、通勤鞄は無かった。身振り手振りの会話でどうにかザックから聞き出してみたが、どうやら身一つで保護されたらしかった。あの世界に落したままか、転移の際に時空のはざまにでも消失したか――。

 ともかく、何もない、言葉も通じない、この国の常識さえ分からない、財産らしきものは何一つ持たない身。帰り方を探すだとか、そんな悠長な事は言っていられなかった。とにかく此処での生活に慣れ、生きて行くための基盤を整えない事には何も始められなかった。

 ただひたすらに、生き抜く為だけに必死だった四年間。

 今はもう、帰りたいという気持ちはあるにせよ、帰れないということも理解していた。どこかの小説のヒロインのように劇的でドラマティックな物語は始まらない。何か役目を期待されて呼び出された訳でもなければ、素晴らしい力を付与されて落とされた訳でも無かった。本当に、ただ偶発的に生じた空間の歪みに囚われて、この世界に落ちて来ただけに過ぎないのだと、今ではそう理解している。

 帰還の術はもしかしたら何処かにあるのかもしれないが、何の力も無い自分が何の手掛かりも無い状況で闇雲に探し回ろうと思うほど、若くも無ければ愚かでもない。そもそも、その為には自らの出自を明らかにする必要がある。けれども、異世界転移などという突拍子も無い事を信じて貰える等とは到底思えなかった。苦労して必死の思いで築いたこの地での立場を危うくしてまで為すべきことではない。

 とにかく、生きよう。そう、思って日々を過ごしている。

(私は生きている。曖昧な存在であろうと、今この地で、こうして息をして、生きている)

 頬に残る水滴を、手の甲で拭った。

 天幕の外で微かな衣擦れの音がし、それから入り口の垂れ幕がそっと捲られた。

「……起きていたのか」

 中の気配を察して様子を見に来たのかもしれない。静かに歩み寄って来る。

「……ルリィは? まだ遊んでる?」

「向こうで仲間と寝ている。なかなか壮観だぞ。色とりどりの水溜まりが出来ている」

「じゃあ、前と同じなんだね。兄さんも吃驚してた」

「そうなのか……」

 アレクは何とも言えない微妙な顔をした。その表情が前回ザックが見せたものと全く同じもので、思わず吹き出してしまうと、怪訝な顔をされた。

「兄さんと同じ反応だから、つい」

「……あいつと同じか」

 彼はどこか不満げだ。古馴染みで随分親しくしている間柄とはいえ男同士、どこかで反目し合うものもあるのかもしれない。

「交代の時間まではまだ間がある。もう少し寝ておけ」

「うん」

 促されて再び毛布に包まると、伸ばされた手が頬に触れた。

「?」

 見上げると、微かに眉間に皺を寄せたアレクの顔。

「……何?」

 もしや涙の跡でも見咎められたか。内心焦ったけれども彼は追及しないでおいてくれた。

「いや……なんでもない。さあ、寝てしまえ」

 大きな手のひらが、視界を塞ぐようにそっと置かれた。その手からじんわりとした温もりが伝わる。その温かさに導かれるようにして、うとうとと微睡み始めた。

(――いつか)

 心地良い温もりの中で、思う。

(いつか、本当の意味で(・・・・・・)この人の手を取る事が出来たなら、私はこの地に根を下ろすことが出来るかな)

 ――思考が緩やかな眠りに引き込まれて溶ける寸前、唇に何か温かいものが触れたような気がした。

それでは現地の特派員に状況を聞いてみましょう。蒼の森のルリィさーん?

「Zzzzzzzz」

ルリィさーん??

……ちょっと通信状態が良くないようですね。




実際に書いてみると話が案外長くなるもんだなぁと感じる今日この頃であります。

次回か次々回あたりに戦闘パート入れるかなぁ。入れるといいなぁ。




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― 新着の感想 ―
[一言] ルリィしゅき····!
2021/06/19 14:54 退会済み
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