04 居場所の在り処
「――胸糞の悪い話だ」
苦虫を何匹も噛み潰したような渋面になるのを止められない。仲間を道具のように扱い、塵のように捨てるなど。人道に悖る所業だ。
「それで、その【暁】とやらはどうなったんだ。さすがにお咎め無しとはいかんだろう」
「魔物が出て逃げざるを得なかったのは本当だと押し切られてな。五人の証言を立証も出来んが覆すことも不可能で、結局お咎めは無しだ」
「ただまぁ、シオリが抜けた後は依頼も失敗続きで散々でさあ。それまでぎりぎりでも依頼達成出来てたのは、やっぱりシオリが居たからだったってわけさ。終いにゃメンバーの女を死なせて、トリスに居辛くなって他所の支部に移って行ったよ」
「……そうか」
アレクは天幕に視線を向けた。ようやく得たと思った居場所に捨てられた時、シオリは何を思っただろうか。誰も来ない迷宮の奥底で熱に浮かされながら、ただひとりきりで。
入浴を済ませて出て来たシオリは気まずそうにこちらに頭を下げて見せると、洗濯のために天幕の裏に消えた。
「……様子を見て来る」
そっとしておくべきなのかもしれないが、寂し気な背中が気にかかった。
天幕の裏手に歩みを進めると、座り込んでくるくると洗い物が回る水柱をぼんやり眺めるシオリと、寄り添うように佇むルリィの姿が目に入った。
微かに耳を打つ、歌声。
兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷
如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思い出づる故郷……
故国の歌だろうか。耳慣れぬ言葉で紡がれる歌の意味は分からなかったが、異国情緒漂うそれは、ひどく甘く悲しげに響いて胸を打つ。
「――シオリ」
儚げなその姿が消えてしまうかのような錯覚に陥り、思わずその名を呼んだ。歌が止んだ。
「さっきは不躾な事を聞いた。すまなかったな」
「いいえ。大丈夫ですよ」
わざわざ心配して来てくださったんですねとシオリは笑った。
「それはまあ――仲間だからな」
落とした言葉にシオリの目が見開かれ、それから笑みの形に細められた。
「嬉しいですね、仲間、って」
それは何を思っての言葉だったのか正しくは理解出来なかったが、それでも自分の言葉がシオリの心の柔らかい部分に触れたことだけは確かだと思った。
「……さあ、手伝ってやるから早く休むぞ。明日はいよいよ討伐だ」
「はい」
洗濯が終わるのを待ってシオリに手を差し出す。躊躇いがちに伸ばされた手を握り返すと、引き寄せて立たせてやった。
辛い目に遭いながらもこの稼業に戻ってきた強い女。だが、その姿はどこか危うく儚い。ついそのままこの胸に抱き寄せたくなったが、すんでのところで踏み止まった。
――翌日。
シオリの心尽くしで十分に身体を休めた一行は、とうとうマンティコアの住処へと到達した。向こうもこちらの気配を察知したのか、肌を刺すような殺気が強くなる。各々身構え得物を構える中、緊張を破るようにリヌスが呑気に言った。
「無事マンティコアを倒したら、シオリの唐揚げが食べたいなぁ」
一瞬目を丸くしたクレメンスが次にはニヤリと笑う。
「なら私は焼き鳥が良い。あれを肴に酒を飲んでみたいものだ」
「じゃあ、私はマチェドニアがいいわ。あの果物のミントシロップ漬、食後のデザートにぴったりだもの」
クレメンスに続いてエレンが言った。なるほど。報酬に好物というのも悪くない。興が乗って、アレクも希望を口にしてみた。
「では俺はあの豚の生姜焼きとやらだ。あの濃い味のソースが気に入った」
「皆ばらばら!」
シオリは笑った。
「じゃあ、今夜の献立は皆の好物!」
強敵を前にして歓声が上がる。士気は高い。行ける。
アレクは愛剣に魔法の力を添わせながら言った。
「シオリ、お前は? お前は何かあるか」
「私ですか?」
聞かれるとは思わなかったか、シオリは目を瞬かせた。
「……そうですね、なら私は――」
続く言葉は重低音の咆哮に掻き消された。圧倒的な力を伴う風が木々を揺らし、醜悪な人面の魔獣が姿を現す。
「――行くぞ!」
「応!」
戦いの火蓋は切って落とされた。
「……確かにマンティコアだ。依頼は完遂だな。ご苦労さん、よくやってくれた」
首検めを終えたザックは大きく息を吐くと、依頼の完了を告げた。途端に組合内に歓声が満ち溢れる。
「さすがアレクだ。S級同然というのも伊達ではないな」
「クレメンスの双剣捌き、俺も見たかったぜ」
「飛行系の魔獣ならリヌスも外せねぇな! ずば抜けた動体視力で飛ぶ鳥も落とすって話じゃねぇか」
「見てよ、怪我も疲れもほとんど無いわ。後方支援にエレンやシオリが居れば安心というのは本当ね」
仲間達が取り囲まれ口々に褒めそやされるのを尻目に、ザックに視線を流す。目が合った。
「……どうだったよ。トリス支部のとっておきは」
「見事なものだ。道中快適で疲れ知らずだった」
手放しの称賛にザックは満足げだ。
「――で、シオリは今フリーなのか?」
「あ? ソロだっつったろ」
意味を取り違えたらしいザックに、意味深な笑みを浮かべて見せた。
「そういう意味じゃない。決まった相手は居るのかという意味だ」
ザックの陽気な笑みが消え、探るような視線が突き刺さる。
「居ねぇよ。居ねぇが、それがどうした」
「気に入った。あの女は俺が貰い受ける」
「ああ?」
ザックの瞳に剣呑な光が宿る。竜さえ射殺すような視線のまま顔を寄せられ、潜めた声で威嚇された。
「お前とあいつじゃ身分が違い過ぎる。何かあって傷付くのはあいつだ。いいとこの坊ちゃんが気紛れで遊ぶだけのつもりならやめておきな」
一線を退いて大分丸くなったとは言え、元S級の名は伊達ではない。殺気にすら似た怒気を放たれ、それを正面から平然と受け止めて、唇を笑みの形に刻んで見せる。
「遊びなものか。本気だ、俺は。この歳まで散々国の為に働いてきたんだ。妻ぐらいは自分の惚れた女を望んでも罰は当たるまいよ」
そうだ。自分はあの女に惹かれた。稀有な女だ。常識に囚われない発想、自らの欠点を利点に変える胆力、自らの力で立とうとするその強さ、旅の中にあっても行き届いたその気配り、喜怒哀楽の振れ幅が小さい穏やかに凪いだ顔――。
「簡単に言うけどな、周りが黙っちゃいねぇことはわかるだろうが。もう一度言うがな、何かあって槍玉にあげられるのはお前じゃない、あいつのほうなんだぞ。わかってんだろ、そんくれぇは」
珍しく言い募るザックに、獰猛な笑みを見せる。
「……随分と食い下がるじゃないか。なんだかんだ言って手放したくないのはあんたのほうじゃないのか、公爵閣下」
ザックは凄絶な笑みを浮かべた。挑発に乗ってくれるようだ。
「あいつは俺が拾った。妹みてぇなもんだ。兄として妹の幸せを願うのは当然だろうが。あいつは十分に傷付いたんだ。これ以上傷付けるような真似をしてみろ。いくらお前でも許さねぇぞ、王兄殿下」
背後の喧噪を他所に密かに行われた睨み合いは、やがてザックの方から逸らされた。
「あいつの傷付くところはもう二度と見たくねぇ」
「その話なら道中聞いた――俺はな、ザック。あいつの居場所になってやりたい」
ザックは諦めたように短く溜息を吐いた。
「……その言葉、違えるんじゃねぇぞ。出来るもんならやってみろ、アレクセイ」
「……ああ、任せておけ。ブレイザック」
『そうですね、なら私は――』
あの時掻き消された言葉の続き。
『私は、居場所が欲しい』
微かな声だったが、それでもその願いは確かに耳に届いた。
強い女だ。だが、時折見せる儚い表情は己の胸を焼いた。故国を離れた見知らぬ土地で、曖昧な身の上で居る事の心細さは自分にはわからない。だが、もし許されるならば、彼女の縁、その心の拠り所になりたかった。
「シオリ」
熱気からようやく解放され、一時の仲間達と別れを告げて組合を後にしたその背中に声を掛ける。
宵闇の気配が迫る街並みの景色を背に、シオリは振り返った。
「無事マンティコアを倒して俺達はお前の心尽くしの手料理に有り付いたが、お前の欲しいものは手に入ったか?」
押し黙ったままのシオリの手を取り、騎士のように口付ける。
「もしお前が望むなら、俺が居場所になってやる」
言葉の意味を理解して徐々に赤らむその顔を眺めながら、
(――さて、どうやって口説き落とそうか)
そんなことを考える。
楽しくなるだろうこれからの日々を思い、口の端を吊り上げた。
・シオリ・イズミ:31歳。B級冒険者。家政魔導士。日本人。
・アレク・ディア:34歳。A級冒険者。魔法剣士。好物は豚の生姜焼き。
・クレメンス・セーデン:36歳。A級冒険者。双剣使い。好物は焼き鳥。
・リヌス・カルフェルト:28歳。A級冒険者。弓使い。好物は唐揚げ。
・エレン・オヴェリ:27歳。B級冒険者。治療術師。好物は果物のシロップ漬。
・ザック・シエル:40歳。元S級冒険者。ギルドマスター。好物は?
・ルリィ……?歳。使い魔スライム。好物は水魔法の水。
※作中の「ふるさと」の歌詞は著作権保護期間が満了しているようなので、そのまま掲載させていただきました。