08 星降る夜に祝福を
「誕生日おめでとう!」
「婚約もおめでとうー!」
「めでたいこと尽くしだなー!」
ぷるるんぷるん。
ヴォフン。
きらきら。
雰囲気作りが得意なリヌスの音頭で溢れる祝福の言葉。使い魔たちは謎の踊りを披露し、リラーヴェンの魔法で星屑のような光がきらきらと舞う。
結婚式の後で先回りしていたのだろう、談話室には既に酒と料理が用意されていた。食卓の中央に鎮座しているのはグリンカムビの燻製で、式用のものとは別に用意していたのかとシオリは驚いてしまった。
「クレメンスの旦那達に続いてダブルどころかトリプルでめでたいんだからさ、もう一羽獲ってきたんだー」
「そんな簡単に……相変わらず凄いなぁ」
それこそ狙って獲れるものでもないものを、買い物ついでにもう一つ、みたいな乗りで捕まえてきてしまうリヌスの腕前はいったいどうなっているのだろう。
いずれは村の男達を束ねる立場になっていたかもしれない彼を手放したことは、郷里の人々にとっては損失であったかもしれない。それでも自らの人生を生きろとその背を押してくれた人がいなければ、今の彼はなかったはずだ。
きっとそれが彼にとっての人生の分岐点だったのだろう。多分彼の唯一となるだろうエレンと視線を交わして微笑み合っているリヌスを眺めながら、シオリはそう思った。
「さ、座って座ってー。つまみも色々用意したからさ。飲もうよー」
「ありがとう……嬉しい」
誕生日をこれほど賑やかに祝うのは子どもの頃以来だ。気恥ずかしくもあり、けれども「王国ではこれが標準!」と言って笑う仲間達を前に、シオリはふっと肩の力を抜いた。
グラスが手渡され、アレクの手で薄紅色の果実酒が注がれた。グラスに氷が当たってチリンと軽やかな音を立てる。微かに立ち上るのは懐かしい花の香り。その香りは遥か彼方にある故郷の面影をシオリに見せた。
「わぁ……梅酒だね、これ」
「楊梅商会から取り寄せたんだ。多分、お前の好みに合うんじゃないかと」
「うん。向こうにいたときはよく飲んでた。ありがとう、皆」
酒にあまり強くはない母には残念ながらその習慣はなかったけれど、酒好きの義姉は毎年自ら漬け込んでいた。ご相伴に預かることも多かったあの梅酒を、今でも彼女は作っているのだろうか。兄と一緒に呑んでいるのだろうか。
「……懐かしい。炭酸水で割っても美味しいんだよ」
「そうかもしれないと思って用意しといたー」
食事に関しては常に用意周到なリヌスが保冷庫からさっと取り出し、皆の笑いを誘う。
梅酒やソーダ割り、エールに葡萄酒など、それぞれ好みの酒を注いだグラスを掲げると、リラーヴェン達がグラスを巡り、何か呪文を唱えていく。歌うようなその響きは、あの祈祷句にどこか似ていた。
――ちょっぴりだけど、幸せを呼ぶおまじない。
「わ、ありがとう。なんだかもう幸せな気持ちでいっぱい」
寄宿学院時代には、少年達にもこうして祝福を与えていたのかもしれない。微笑むリラーヴェン達の眼差しには、どこか懐かしむような色が滲んでいた。
長い時を生きる彼らにもまた、沢山の幸福が訪れますようにとシオリは祈る。
笑顔が弾け、誰からともなく「乾杯!」と叫ぶ。グラスが交わされ、シオリが最初の一口を含む僅かな時間だけ静寂が生じ、そしてすぐに喧騒が戻った。
「……美味しい。懐かしい味」
日本とは似て非なるミズホの国の果実酒は、しかし、故郷のものとよく似た味わいだった。上品で爽やかな果樹の香りも記憶にあるものとそれほど変わりはなく、シオリはほう、と息を吐いた。
不安と期待が入り混じった表情で見ていたアレクとリヌスが、顔を見合わせて「良かったな」と笑った。
「取り寄せた甲斐があったな」
「なー」
郷愁を誘う懐かしい味の梅酒と、立派なグリンカムビの燻製、それぞれが持ち寄った家庭料理。
不意打ちの誕生会。
家族の肖像。
心尽くしの「贈り物」で胸がいっぱいになっているシオリを見つめる、仲間達の眼差しは温かい。
「……幸せ、だなぁ……」
もう何度目になるかも分からない幸せな溜息をつくシオリの肩を、アレクは静かに抱き寄せた。傍らのルリィはぽよんぷるんと震えながら、ヴィオリッドや竜麟の中のひとと戯れている。
家族の肖像に描かれていた通りの温かく幸せな光景が、確かな存在感を持って目の前にある。
それを取り巻くようにして酒を酌み交わし笑い合っている、かけがえのない輩。
人と人との縁を紡いだ先にあった、否、その縁そのものが――
(私の、宝物だ)
梅酒を傾けながらアレクに凭れ掛かったシオリの髪に、不意に彼の手が触れた。結わえていた後ろ髪に、そっと何かが結ばれる。さやさやとした衣擦れの音が耳を擽った。
「――誕生日おめでとう。俺からの贈り物だ」
「リボン……?」
「ああ。お守り代わりに、な」
「わぁ……ありがとう。解いてみてもいい?」
「勿論だ」
せっかく結んでくれたものだけれど、許可を得て髪からするりと解く。
柔らかで光沢がある、ほんのりと薄紫色がかった生地は絹だろうか。魔力を帯びているのは、魔獣素材だからなのだろう。
「アウロラシルケス――野蚕の一種だな――の繭から紡いだ絹だ。糸質は均一ではないから正装用の生地には向かんが、一般的な絹より丈夫で魔力を帯びているから、貴族の野遊び用の服や冒険者の装飾品に使われることが多い。クレメンスのクラバットもこれだ」
「へええ……というか、随分詳しいんだね。やっぱり実家で教わったりとかしたの? 繊維産業の振興とかそういう方面の……あっ」
何かに思い当って小さく声を上げると、「ばれたか」と苦笑いしたアレクは「そうだ。ナディアの受け売りだ」と種明かしをしてくれた。
夜明け前の空のように淡く明るい紫色の絹地に、金と銀の糸で蔦模様が施されている。仕事着として好んで着ている紺地の縁取り模様に合わせてくれたのだろう。その刺繍糸からも清廉な魔素の気配がしていて、アレクが言った通りに護符としても機能するのだろうことが分かる。
ナディアの紹介だという市内屈指の護符職人による刺繍は驚くほど繊細で、蔦模様を模した魔除けの紋様は気が遠くなるほどに細やかだった。
「あ、この銀の糸……もしかして、ヴィオの?」
「ああ。体毛を少し分けてもらった」
それ自体が魔除けの働きをするフェンリルの体毛の糸からは、優しく温かく、そして力強い波動が伝わってくる。魔除けの紋様がそれを増幅しているようだった。
「……なんだかアレクに抱き締められてるみたいな気分。これなら離れているときでもアレクを感じていられるね。ありがとう、アレク。ヴィオも」
「ああ。そんなふうに言ってもらえるとは、贈った甲斐があるというものだ」
嬉しそうに笑った彼の前で、リボンを編み込んだ緩い三つ編みを作る。
「どうかな?」
ふんわり一本に編んだ三つ編みの先でリボンがさらりと揺れ、それに見入っていたアレクはやがて、ほうっと熱っぽい吐息を漏らした。
「清楚でいながらどこか誘うような妖艶さもある。よく似合ってるぞ」
「……いつも思うんだけど、そういう台詞がさらっと出てくるのもやっぱりどこかで習ったりとかしたの?」
女性関係で苦労したというわりには、淀みなく誉め言葉が出てくるのは何故なのだろう。半ば照れ隠しの問いだったが、アレクは今度は当たり前のように肯定した。ただし、名状しがたい表情で、ではあったのだけれども。
「社交術というか……華やかな場での社交辞令のようなものは一通り習ったわけで……しかしまぁ、弟のようには上手くなかったがな」
本当に習ったのか。
驚いてしまったシオリの唇を、アレクは微苦笑しながらそっと塞ぐ。
「似合っているというのは本当さ。黒髪によく映えて綺麗だ」
「ふふ。ありがと」
くすくすと笑い合いながらもう一度唇を軽く触れ合っていると、「お楽しみ中のところを大変すまないが」とでもいうように、足元をちょいちょいとつつく者があった。ルリィだ。
ルリィはぷるるんと震え、ひょいひょいと触手でとある方向を指し示した。その先ではリヌスを筆頭とした仲間達がにんまりと笑いながらこちらを眺めていて、さらにはちょうど来たばかりのザックが目を泳がせて立ち尽くしていた。
「アレクよぉ……控えめなシオリをお前はこうまで大胆にしやがって……」
兄代わりとして言いたいことが多分にあるらしいザックの周りを、リラーヴェン達が宥めるように飛び回る。
「――まぁ、なんだ。遅くなったが、誕生日おめでとう」
忙しいのだろうに、誕生日を祝うために合間を見て来てくれたらしい。
手渡された小箱の中には万年筆が収められていた。このところ書き物が多いシオリを思って作らせたものらしい。
藍色の地に、満月の下に芽吹く若葉の彫金を施し、キャップに一粒の真珠をあしらった細身の万年筆。
月は癒しを。若葉は希望を。
そのどちらもがシオリをイメージしたものなのだと、ザックは言った。
「お前は仕事で沢山の仲間を癒してきた。これなら苦境を乗り越えられるってぇ希望を与えてきた。そればかりか、最近じゃあ周りにいい変化をもたらしてる。お前にぴったりのモチーフだと思ってよ」
「兄さん……」
収められた箱を抱き締めて「ありがとう」と言ったシオリの肩に、彼はその武骨な手を置いた。
よく見るとその目はまだほんのり充血していた。式の最中に泣き腫らした目が、まだ回復しきれていないのだろう。相変わらずバスタオルを抱えたままのブロゥが傍らに控えていて、人間の友人を気遣っていることが分かる。
ザックはだいぶ長いこと黙ったままだった。長年見守ってきた二人の友の門出を見届けた今の彼はきっと、ほんの些細なことで決壊してしまう状態なのだ。だからそれに耐えていることが窺えた。
それでもどうにか心を落ち着かせた彼は、ようやく口を開く。
「……お前はもう、寄る辺のねぇ迷子なんかじゃねぇ。今や周りを引っ張る存在だ。そんでよぉ、こんなにもお前を祝ってくれる仲間がいるんだ。俺ぁそれが……嬉しくてしょうがねぇよ。なぁ、シオリ」
幸せになれよ。
呟くようにそう付け加えた彼は、ふっと視線を逸らして目元を拭う。
そんな彼の顔面にブロゥが間髪入れずバスタオルを押し付け、「ふごっ!?」という奇妙な声を上げさせて良い雰囲気をさらりとぶち壊してくれた。
「あんたも一杯飲んでいくか? 泣き過ぎでそろそろ干からびるぞ」
「おめぇはほんっとうに可愛げなく育ちやがって……」
「シオリに言わせると俺は可愛いらしいが」
「ほんっとうに隙さえありゃあ遠慮なく惚気やがって……」
照れ隠しなのかなんなのか、バスタオル越しによくわからない言い争いを始めてしまった恋人と兄貴分に、仲間達はおろかシオリも思わず噴き出してしまった。
――でも。
「ほんとに、ありがとう、兄さん。私がこうして笑っていられるのは、兄さんが寄る辺のない私を助けてくれたからだよ。兄さんが最初に繋いでくれた縁を伝って、皆と繋がっていって……そしてアレクと会えた。一番最初の切っ掛けを作ってくれたのは、兄さんだった」
人は誰しも人の縁の中に生きている。
しかし、新たな縁を作っていくのは容易なことではない。こと、世界という壁によって全ての縁を絶たれていたシオリにとって、その一番最初の縁を繋ぐことができたのは奇跡にも近いことだった。
この地に生きる人々がそれぞれに紡いできた縁。
その中に導いてくれたのはザックだ。
再び全てがゼロになろうとしていたところから救ってくれたのはルリィで。
そして、一度は絶たれようとしていたその縁に戻る勇気をくれたのは、唯一の人になったアレクだった。
――素性の知れぬ天女などではない、人としてこの地に足を付いて生きていく切っ掛けをくれた、大切な――。
「――兄さん。ルリィ。そしてアレク。皆――皆、大好きだよ」
愛しい人々へ贈る、精いっぱいの言葉。
それを聞いたザックは、無言で再びバスタオルに顔を埋めてしまった。当分復活しそうにはなく、そのまま傍らの長椅子に沈没してしまう。そんな彼の前に、気付けの薬とばかりになみなみとエールを注いだグラスが置かれた。
「……ルリィ……悪いんだけど、ちょっと組合までお使い頼んでもいいかな。兄さん、しばらく戻れそうにないって」
もちろん! とばかりにぷるんと震えたルリィは、預かった書き付けを丁寧に体内にしまい込み、しゅるりとシェアハウスを出ていった。
幾度目になるかも分からない祝福の言葉とともに、祝いの輪の中に引っ張り込まれていくシオリを見送ったアレクは、エールを片手にザックの隣に腰を下ろす。
ややあってから、ザックがバスタオルの下からぼそりと呟いた。
「――幸せに、してやってくれよ。そんで、おめぇも幸せになれ。絶対だ。違えるなよ」
この世に絶対などというものは存在しない。
だがそれでも、アレクは彼が言わんとすることを全て理解していた。
それは、幸せになるはずだった友を永久に失った経験のある彼だからこその言葉だ。
何を思い、何を願って絶対などと口にしたのか、それを正確に理解したからこそ、アレクは「当然だ」と頷いた。
「あんたも幸せになってくれよ。それが弟分としての……いや、俺達の願いだ」
「何言ってやがる」
バスタオルでぐいっと涙を拭ったザックは、にやりと笑った。
「俺ぁ十分に幸せだ。家族思いの両親に弟、本音で語り合える友、優秀で可愛い弟分に妹分、一緒に居てくれる人外の友――これだけ気のいい連中に囲まれてんだ。これを幸せってぇ言わずになんて言うんだ」
その表情には一点の曇りもなく、その言葉は強がりなどではなく掛値のない本音なのだとアレクは悟った。
「――そうか」
自然と口の端に笑みが浮かぶことを自覚しながら、アレクはグラスを掲げた。
「それなら、あんたの益々の幸せを祈って乾杯だ」
「お前もな」
キン、とグラスを打ち付け合う軽快な音が響く。
いくつかの祝い事が重なったその日の宴は夜遅くまで続いた。
夏の太陽が山際に沈んでようやく夜の帳が落ち、南の空に月が煌々と輝く。
夜風に当たるために庭先に出た誰かが、「おっ」と声を上げた。
「星の精の渡りだ」
楽し気な声に誘われるように外に出たシオリは、空を見上げて息を飲んだ。
ビロードのように滑らかな濃紺の空、数多の光が七彩の輝きを放ちながら踊るように飛んでいく。
天の川を流れてゆくように移動するその光の正体は、星の精の別称を持つ夜光蝶の群れだ。
数年に一度、それも夏の特定の期間にしか現れない星の精の渡りと呼ばれる現象。よく晴れて湿気が少なく、風があまり強くはない夏の夜という条件を満たさない限りは見ることが叶わない。
シオリも実際に見るのはこれが初めてで、背後からアレクに抱き締められたまま、食い入るように夜空を見つめた。
星の精の渡りの遥か上空、時折星が流れて落ちていくのはペルセウス流星群だろうか。一つ、二つと星が流れるたびに、あちらこちらから歓声が上がる。
美しいトリスの街並みを彩るかのような、夜光蝶と流星群の共演。
目の前の光景を食い入るように見つめるヴィオリッドの両脇に、いつの間にか戻ってきていたルリィとくしゃくしゃのバスタオルを抱えたブロゥ、そして吹雪猫のシグルドやリラーヴェン達が、そっと寄り添っていた。
胸元で竜麟の首飾りがちりりと鳴る。きっと、中のひともまた、この光景を眺めているのだろう。
「――俺は……俺達はこの光景を護るために闘ってきたんだと、今ならそう思えるな」
そう呟いたアレクの紫紺色の瞳に、七彩の光が躍る。
人間も、魔獣も、竜も、そして妖精も。
種族を超えてここに集う、全ての者が同じ景色を眺めている光景は、ひどく貴いものだった。
「お前も、皆も――勿論俺自身も。俺たちがいるこのかけがえのない光景を、これから先もずっと護っていきたい。そんなふうに思っているよ」
「うん。私も」
故郷から断絶されて全てを失ったあのときからずっと、自分を取り戻すために生きる日々だった。けれどもその過程で辿った道は、いつしか誰かの大切なものを護ることに繋がっていた。
生きていくということは案外そういうことなのかもしれないと、シオリは思う。
だから。
「私も護っていきたい。私を受け止めてくれたこの優しい大地を、アレクと一緒に」
そう言った瞬間、頭上から短く息を飲む音が聞こえて、そのまま上向かされたシオリの唇が熱いもので塞がれた。
背後で、わっと口笛交じりの歓声が上がったけれど、アレクの口付けは止まらない。
「――ありがとう。何よりも嬉しい言葉だ」
深く貪るような口付けの合間に、囁くような呟きが零れ落ちる。
「一緒に護ってくれ。お前や素晴らしい仲間達とともに生きる、この世界を」
「うん」
――濃紺の空を舞い踊る夜光蝶の群れと降り注ぐ星々の光は、数多の人々を抱く優しい大地を、柔らかに照らし出している。




