03 紫紺の灯(ともしび)
「なるほどな。それで一日中道案内をする羽目になったわけか」
エールを傾けながらアレクが笑い、シオリは不満げにトリスサーモンの香草パン粉焼をつついた。使い魔入店可の居酒屋「使い魔の宿り木亭」の看板メニューだ。ルリィは使い魔用のメニューを平らげた後、店内に設けられた遊び場で他の使い魔達と何やら雑談(?)に興じている。ルリィは吹雪猫やアイロラ蝙蝠と鼻を突き合せてぽよぽよしていたが、何か面白い話にでもなったのか、三匹してどっと笑うような仕草を見せた。楽しそうで何よりだ。
楽しげな彼らと引き替え自分はというとやや不満な気持ちを隠せない。
「まさか四回も呼び止められるとは思いませんでした。お蔭で買い物にも行きそびれましたし」
いかにも高位貴族といった風体の二人組を案内した後、実に四度に渡って旅行者に道案内を求められた。地図の東西を逆に読んでいた方向音痴の巡礼者に、国境へ向かう門への行先が分からず立ち往生する行商人、旅行中に痴話喧嘩した挙句に若妻と逸れた夫、遊び人風の三人連れ。
トリス大聖堂が奉る聖人の生誕祭が近く、巡礼者や旅行者が増える時期だ。地理に不案内な者も必然的に多くなる。道を尋ねられる事が多くなった。
「お前は人が好さそうだからな。声を掛けやすいんだろう」
「どうでしょう」
アレクは好意的な解釈をしたようだが、シオリの見立ては違った。声を掛けて来た遭難者は全て男だったのだ。面白半分に品定めするような目付きが多少なりとも気に障った。慣れてはいるが、面白くはない。機嫌の悪さはそこに理由があった。
「東方人が珍しいからじゃないですか。最後の人達なんか、一緒に食事に行こうってしつこく追い掛けて来て大変でした。やたらに手は握って来るし抱き寄せられるしで、危うくルリィが頭から丸呑みにするところでした」
「……」
人間がスライムに丸呑みされる図を想像したのか、アレクが少しばかり険しい顔付きになった。
運良く警邏の騎士が通りかかったお蔭で事無きを得たけれども、そうでなければいかがわしい飲食店に連れ込まれたか、はたまた彼らがスライムの餌になっていたか。最終手段として幻影魔法で煙に巻くという事も考えなくも無かったが、冒険者としては民間人に出来るだけ手荒な真似はしたくない。
「お前……気を付けろよ。異人の女は商売女と決めつける男も居るんだ。特にお前は小柄で見掛けも若々しいからな、御し易いように見えるんだろう。悪い意味でも男の目を引く」
「えええ……あー……そういう意味だったんですね」
移民の女の中には環境や言葉に慣れずに真っ当な職にありつけず、身を売って生計を立てる者も少なくないという。自分を異人と見て、行きずりの関係を期待したのだろうか。旅行者からの声掛けが多いのはその所為だったか。
(そういえばそういう仕事の勧誘もあったなぁ……)
トリスに来て間もない頃、職探しに奔走していた時に何度か声を掛けられたことがあった。『殿方の話相手をして、愉しい時間を提供する仕事をしてみないか』などと、いかにも女衒らしい下卑た男に話し掛けられた記憶は中々どうして忘れられるものではない。王都でも数人居るか居ないかという珍しい東方人の女に好き物の相手をさせようという魂胆だったのだろう。一度などは貴族風の身形をした上品そうな男が『上流階級の紳士の為の会員制クラブでの接客業』などという名目で仕事を斡旋してきた事もあったが、これは何とも判断し難く、念の為ザックに訊いてみたところ彼は血相を変え、数日後にはそのクラブに騎士隊の強制捜査が入るという事態に発展したこともあった。あれは確か、若い娘や言葉の不自由な異人を騙して強制売春させていたという質の悪い事件だったはずだ。
「……俺は違うからな」
「はい?」
スパイスのきいたホットワインを啜りながらぼんやりと当時の事を思い出していると、ぼそりとアレクが何か呟いたが、店内の喧噪に紛れてよく聞き取れなかった。アレクは王国風カツレツの切れ端を口に放り込んで咀嚼しながら何か考える風だったが、やがて飲み下してから頬杖を突くとシオリに目を向けた。
「それで、行きそびれた買い物っていうのは、いつもの買い出しか?」
「いいえ? 冬用の装備を買い足そうかと思いまして。ランクが上がって、去年の装備だと心許無くなったんです」
「そうか。なら」
アレクは笑った。
「一緒に行かないか?」
自分も新調したい物があるからというアレクの誘いで一緒に来る事になった、冒険者御用達のエナンデル商会。荒事の多い冒険者向けに特殊な製法や素材で作られた衣料品や装備類を取り扱う専門店だ。特に丈夫さと動きやすさを重視して作られた衣料品は愛用者も多く、シオリもまたその一人だ。割高ではあるものの、普通の店で買い求めた物よりは遥かに物持ちが良く動きやすい上に、何よりもデザインやサイズの豊富さが魅力だった。変わった物では着用時に武装も可能な礼装、準礼装も取り揃えられており、こちらは騎士にも愛用者が多いという。
店内は自分達と同じような冒険者姿の買い物客で賑わっている。見慣れない顔も多いが、中には同僚の姿もあった。視線の先ではアレクが手に取った手袋を見比べて考え込んでいる。手触りを確かめたり試着したりと真剣に選んでいるようではあるが、その顔はどことなく楽しげだ。
ちなみにルリィは入店してからずっと、使い魔用の菓子の積まれた棚をじっと見つめている。これは後で買ってあげることにしよう。
「……どっちにしよう」
アレクとルリィから目の前の外套に視線を戻すと、シオリは独り言ちた。冬の冒険用の下着類や凍結防止素材で作られた肩掛け鞄と薬品入れポーチは直ぐに決まったが、肝心の外套だけ未だに決めかねている。
似たようなデザインの二種類の外套。生誕祭の聖夜をイメージしたという、藍色から白へと綺麗なグラデーションの掛かった染めの生地に白糸で刺繍を施したドルマンスリーブの外套と、もう片方は藍色の地に細かな雪模様の縁飾りが施されたケープ付きのジャケットだ。どちらも捨て難いが、素材が異なるようだった。どちらが良いだろうか。店主を呼んで意見を聞こうと思った時、背後から伸びた手が外套に触れた。アレクだ。
「随分と悩んでいるようだが」
「素材が違うみたいで、どっちの方が仕事に向いているかなと」
「……なるほど」
アレクの手が二つの外套を撫で、それから棚に吊るされている他の外套にも視線を向けた。
「お前にはこっちのも似合いそうだがな。好みではないか?」
勧められたのは紫苑色から紫紺色へと濃淡が変化する、上品な色合いの裾の長いケープ。悪くはない、むしろ好みなのだけれども。
「……それも気になったんですけど、野営地での仕事を考えると裾と腕周りが少し……」
袖が無く、腕ごとすっぽりと膝上までを覆う作りの外套だ。武器で直接魔獣とやり合うような職業と違い、魔導士の自分には合った作りのようにも思えるけれども、自分は家政魔導士だ。裾がもたついて野営地での仕事の邪魔になる物は選択肢には入らない。でなければ野営地で外套を脱いで作業することになるが、冬期間はなるべく着たままで過ごしたかった。
「……それもそうか」
アレクの眉尻がほんの少しだけ下がり、残念そうな表情になる。初めて会った頃のような、どこか硬さを感じさせる隙の無い表情の多かった頃と比べると、最近の彼は随分と表情豊かになった気がする。男性的な強さだけではない、柔らかい笑顔、嬉しそうな顔、困ったような顔、少し疲れたような弱々しい顔……真情の吐露とでも言うのだろうか。そういった表情を隠さなくなった。それだけ親密になれたということなのだろうか。
「すみません、折角勧めて頂いたのに」
「いや、いいんだ。気にするな」
気を取り直したアレクは、シオリの手の中にある二つの外套を再び見比べた。表面をしばらく眺めてから裏返して裏地を確かめ、思案する様子だった。やがて片方を選んでシオリに差し出す。
「……多分こちらの方がいいだろうな」
藍色から白への濃淡変化のあるドルマンスリーブの外套。
「裏地は保温効果の高いトリス兎の毛織物だ。野営用の毛布にも使われる素材だから保温効果は保証出来る。多分表地は撥水効果のある河羊の毛皮だろうな。雪や雨に強いし、汚れが付き難いからお前には丁度良いだろう」
さすが現地人とでも言うべきだろうか。的確な助言だ。
「じゃあこれに決めます。ありがとうございます、アレクさん」
見上げて礼を言うと、嬉しそうにその目が細められる。その柔らかい微笑みにうっかり見惚れそうになり、思わず目を逸らしてしまった。
――多分好意を持たれているというのはここ最近の彼の態度から知れた。けれども直接言葉で伝えられた訳ではない。だからなのか、未だに距離を掴み兼ねている。そういうことは――今までに何度もあったから。物珍しいから声を掛けた、他とは毛色の違う女を確保しておこう、ただ何時でも関係を切れるように愛を囁く言葉は与えない――そういう魂胆が透けて見える男も少なからず居た。
でも。
『――お前の方が先に、俺の居場所になってしまったな』
ふと脳裏にアレクの言葉が浮かんだ。それから頬に触れたあの温かく柔らかい感触も。
彼はシオリの傷に気付いている。多分、ザックに保護された経緯も、そして【暁】の事も聞いたのだろう。
――少しずつ丁寧に、傷に障らないように、距離を詰めてくれている。
彼の優しさも勿論あるのだろうけれど、彼自身もまた何かの傷を持っているからこその配慮なのではないかとも思う。
――高熱に魘されて譫言に口にした言葉を覚えている。
助けて。どうして。許してくれ。やめてくれ。
断片的で全貌は分からなかった。けれども、助けを求めるように、痛みに耐えるように強く握り締められたその手を取らずにはいられなかった。縋るように握り返される手。
(……私と同じなんだね)
誰にも言えない、言いたくない。けれども助けて欲しい、安息の場所が欲しい。相反する気持ちを持て余してもがいている自分――彼。
(私がこのひとの居場所になれたのなら)
もう一度、彼を見上げた。
(――このひとを私の居場所に望んで、いいのかな)
こちらを見下ろして緩やかに細められるその瞳は、優しい眠りと癒しを齎す穏やかに凪いだ夜空の色だ。
要人の密談ですったもんだやってる一方、その頃こちらはデート中だったっていう。




