02 変わりゆく世界
「うーん、いよいよかぁ」
「ああ。楽しみだ」
フリーズドライ食品の生産と委託販売の依頼をしてから約半年。今日はその試食会なのだ。
上顧客用の特別なエントランスから入ったシオリたちを、待ち構えていた店員が上層階まで案内してくれた。ルリィは既に慣れたものだが、ヴィオリッドと竜麟の中のひとは物珍しさにきょろきょろしていて、先導の店員がその様子を見て相好を崩した。
「楽しそうで何よりですよ」
どうやら彼は竜麟の光が認識できるようで、蛍を寄せるように指先を伸ばして光に触れ、それからヴィオリッドに視線を流して「これからもどうぞご贔屓に」と言って笑った。
ギャラリーを兼ねたホールの先の特別室では、特別試食会の招待客が談笑しながら時間を潰していた。
クレメンスとナディア、ザックは、二人に気付くとひらりと手を振った。彼らと向かい合って座っている楊梅商会のヤエ・ヤマブチとショウノスケ・ゴトウも、微笑んで目礼を寄越した。
今日の招待客は全て揃っているようだ。時間には余裕をもって来たつもりだったが、それでもシオリとアレクが最後だったらしい。
「すみません、お待たせしてしまったみたいで」
「構いませんよ。約束の時間にはまだだいぶ間がありますし、準備にまだ少し掛かりますから」
言いながら歩み寄ったパウル・ホレヴァは、温かく力強い握手を交わしながらからりと笑った。クレメンスの実弟というだけに髪色や顔立ちは似通っているが、陽気で無邪気ですらある笑顔は、彼らの印象をまるで正反対のものに見せていた。
クレメンスと並んで立ったとしても、息を飲むほどの色香がある彼と兄弟だと気付く人は意外に少ないかもしれない。そう思うほどには随分と印象が違う。
聞けば彼らの長兄もやはり容姿は似ているというが、こちらは豪快で剽軽な人物らしい。長兄と歳が近く、少年時代の知己として何度か内輪の宴席に同席したことがあるというザックが言うには、「クレメンスと同じ顔で南国のダンスを歌って踊るんだぜ。ご丁寧にマラカス振ってな。まったく冗談みてぇな光景でよ」だそうで、毎回笑いを堪えるのが大変だったそうだ。
そんなことをふと思い出したシオリは、パウルの後ろに座っているクレメンスを見てうっかり噴き出しそうになってしまった。慌てて表情を引き締めていると、開発部長のクヌート・アルクヴィストに握手を求められて、シオリは小さく安堵の息を吐いた。
「お久しぶりです、クヌートさん」
「ええ。大変お待たせしました。なんとか形にできましたよ。料理の種類や味にも当然拘りましたが、包装の保存性と利便性にはかなり力を入れました。開発部の粋を集めた力作です。是非こちらもご覧いただければと思います」
「ええ、勿論です」
ややもするとこの場で語り出しそうな開発部長殿をスマートに遮ったパウルの勧めで、自分たちのために用意されていた席に腰を下ろす。
既に席に着いていた人々は挨拶と近況報告まで済ませていたようで、すっかりと寛いでいた。心なしかその場の雰囲気が華やいでいるのは、祝い事の話題に触れていたからのようだ。
シオリはヤエとごく自然に握手を交わした。ショウノスケと手紙での親交を続けているアレクも、まるで旧知の仲であるかのように笑顔で言葉を交わしている。
「またお会いできて嬉しいです。今回のことでは楊梅商会さんには随分とお世話になりました」
「なに、我らにも利のある話だ。このくらいの手間はどうとういうことはない。それに、異郷の地で粉骨砕身の努力をする我が『同胞』に、手を差し伸べずにはおれぬからの」
そう言って笑うヤエの左手には、淡い桜色と若葉の色の小さな宝石が嵌め込まれた指輪が光っていた。アンネリエの側近、バルト・ロヴネルとの婚約の証だという。
「わぁ……ご婚約おめでとうございます」
祝福の言葉を贈りながらも、二人のどちらの色でもない石を不思議に思っていると、意志の強さを秘めたヤエの瞳が柔らかくふわりと解けた。
「――あの男に初めて贈った菓子の色だそうだ。想い出の色なのだと」
餡を練り上げて桜の花を模った菓子とその贈り主はバルトの印象に強く残ったそうで、取引とは別に個人的な書簡のやり取りを続けた末の婚約だったそうだ。
初顔合わせから婚約に至るまで僅か半年。しかもその切っ掛けが「綺麗で甘くて美味しい異国のお菓子」だというから、なんだかバルトらしいなとシオリは笑ってしまった。
「見惚れるほどの食べっぷりの良さもさることながら、知勇兼備の忠心ぶりに心底惚れ込んだのだ。甘く柔い綿菓子のような男が時折見せる、研ぎ澄まされた刃のような瞳がこの上なくぞくぞくさせてくれてなぁ……」
まこと私好みの好い男子よ、と頬を染めたヤエは盛大に惚気て見せ、シオリとナディアは年甲斐もなく黄色い声を上げてしまった。
「うわぁ……!」
「おやおや……!」
名門伯爵家の傍流の子息と、東方屈指の大商会の息女の婚約。これを政略と見る向きもあるようだが、そう考えた人間の目は節穴かと思うほどの惚気ぶりだ。
バルトの手帳にヤエの姿絵と東方の菓子の包み紙が挟まれていることを知っているルリィは、「熱烈だなぁ」とでもいうようにくねくね蠢いている。
「いやぁ、祝い事続きで目出度いことです。クレメンスさんとナディアさんに続いてヤエさん、そしてシオリさんとアレクさんもでしょう」
実の兄弟であることはまだ隠すつもりなのだろう。この場では実兄を他人行儀に呼んだパウルは、手ずから淹れた紅茶を二人に振舞いながら嬉しそうに笑った。
「ええ。来年の春に式を挙げるつもりです」
「それは……! まことにおめでとうございます。心よりお祝い申し上げますよ」
「ありがとうございます」
「まこと、喜ばしい……祝いの品に反物を、と言いたいところだが、さすがに衣装は王国式か」
「……とも思ったんですけれども」
ちらりと隣りのアレクに視線を流すと、彼は好きにするといいと微笑んだ。
「東方式もありかなと思って。といっても、あまり間がありませんから、相談しようと思っていたところです」
「ならば丁度良い。近頃はミズホでも異国式の婚礼衣装の引き合いが多くてな。ミズホの様式に西方式を取り入れた衣装の用意がある。ショウノスケ、図録を」
商売人らしく初めからそのつもりでいたのか、風呂敷包みから婚礼衣装のカタログを取り出されたときには、さすがに笑ってしまった。
しかしカタログに並ぶ数々の衣装は、あまり拘りのないシオリの目から見ても魅力的で、つい見入ってしまいそうになった。東方人として東方から嫁ぐという形を取るなら、これらの婚礼衣装はその希望に適うものだ。それに、世話になった礼に広告塔くらいにはなれるのではないかとも思う。
「近々ロヴネルとトリスに支店を置くことになったのでな。そこが窓口になるゆえ、王都と行き来する必要もない。だからゆっくり選ぶがよいぞ」
既に仮事務所を置いているという。ロヴネル家傍流との婚約を機に、楊梅商会はいよいよ本格的に販路拡大するつもりなのだ。郷里に似た空気を纏う彼らと今後も会う機会が増えると知って、シオリは嬉しくなった。
「ええ。後日また連絡しますので、是非お願いします」
「うむ。決まりだな」
満足げに頷いたヤエは、手帳に予定を書きつけながら、ふむ、と唸った。
「しかし、随分と急ぐのだな。竜討伐の英雄と聖女の婚姻となれば、支度も念入りになるのではないか?」
「まぁ、普通はそうなんだろうが。だが諸々の事情を鑑みると、どうもそのあたりが妥当かと」
「なるほどのう」
アレクの言葉になにがしかの含みを感じ取ったヤエは、ショウノスケに目配せをして苦笑いした。
「横槍の懸念があるということか。なれば、祝言は早々に済ませた方が良いのやもしれぬな」
政治的価値がある人物が独身となれば、縁続きになりたがる者はきっといるだろう。庶子とはいえ王兄であるアレクには当然それだけの価値があるし、異国出身の平民であるシオリでさえも、竜の加護を得た聖女となればトロフィーのように手元に置きたがる者もいるかもしれない。
平民として暮らしている今のところは大きな問題はないが、それでも二人に色目を使う人間はいないわけではなかった。
だからアレクの身分を公表する前にというのが二人の共通の考えだ。王と大司教の立ち合いのもとに婚儀を済ませておけば、わざわざ二人の間に割り込もうとする不作法者はそうはいないだろう。
勿論その内部事情を部外者もいるこの場で話すことはしなかったが、竜殺し、そして竜自らが定めた竜麟の所持者という称号、それだけでも人の欲を掻き立てるということは皆理解していた。
「実際、ザックも竜殺しの英雄になってからしばらくは、そういう話がたびたびあったようだからな」
「え、そうなの?」
面倒見の良い兄貴分が板についてしまっているのか、せっかく恋仲になっても親兄弟と付き合っているような気にさせられるという理由で振られてしまうことが多いと、そんな話は何度か聞かされてはいたのだが。
「晩餐会に招かれて出向いたら見合いの席だったとか、どこぞの小貴族の家臣に婿入りを迫られて断るのに難儀したとか、そういう話さ。あいつも粗野な言動で誤魔化してはいるが、よく見れば整った顔立ちで所作は綺麗だろう。だから余計に女どもの興味を惹いたようでな」
「ああ……それは」
相手にしてみれば、危険な冒険者稼業よりも安全かつ安定した生活を与えてやろうという気持ちもあっただろうが、社会的名声を抱えた見目の良いオブジェとしてしか扱われないだろう選択肢を、ザックが好んで選ぶはずはなかった。
「……これが二、三十年も前であれば、謀略や暗殺――どんな手を使ってでも手に入れようとする人間はいたのだろうがな」
クレメンスがぽつりと呟くように言う。
「だが、今はもうそういう時代ではない。そんなことをすれば、時代遅れの不作法者だと自ら喧伝するようなものだ」
陰謀や暗殺が罷り通る時代は過ぎ去りつつある。
そう言った彼の表情には、僅かに苦いものが滲んでいた。そんな彼に気遣うような視線を向けたパウルが、言葉を引き継ぐ。
「ええ。この二十年ほどでこの国も随分と変わりました。貴族が因習を捨て、女性の社会進出も進んで、人々が選べる選択肢が増えたからでしょうかね。婚姻によってステイタスを得ようとする人生観しか持たない人間は、以前より少なくなったように思います。商売柄、貴族の方々ともお付き合いさせていただいておりますが、視野が広くなったと申しますか……随分と寛容になりましたよ」
そこに至るまでにはきっと国王――アレクの異母弟と彼を取り巻く人々の並々ならぬ努力があっただろう。
改革推進の根底にあるのは、王位継承権争いによって生じた多くの問題、そしてその渦中にあった王家の異母兄弟の辛い体験だった――そんなような新聞の特集記事を、以前読んだことがある。狭められた価値観から人々を解放するために、オリヴィエル王自ら率先して改革を推し進めたのだと。
(……多分それはきっと、アレクのためでもあったんだろうな)
先日対面したオリヴィエルから感じたのは、離別した異母兄への強い思慕と後悔のようなものだった。最も身近な兄弟を護ることができなかったという強い想いが、彼を突き動かしたのかもしれない。
隣のアレクの手が不意に動き、そしてシオリの手を握った。その口元は綻び、シオリを見つめる紫紺色の目は柔らかく細められていた。
王家の異母兄弟が辿った道の先にあった幸福を、今、静かに噛み締めているのだと分かった。
手を繋ぎ合うシオリとアレクを見つめ、そしてクレメンスとナディアに視線を流して一瞬微笑んだパウルはやがて、「さて」と話題を切り替えた。
「積もる話はこれくらいにして、本題に入りましょうか。準備が整いましたよ」
卓の上には六センチメテル四方の淡い金色の包みの山と、専用の保存缶らしい密閉容器、そして魔導式湯沸かし器に人数分の食器が置かれた。
いよいよ試食会の始まりだ。
ルリィ「マラカス振って歌い踊るクレメンス似の男……」
※蒼の森のスライムと気が合いそうだなぁと思っている
バルトの手帳に挟まれているものについては、第七章のルリィの日記で触れておりまする_(:3 」∠)_




