02 密会と密談
平均年齢の高い話です。
「じゃあ、悪ぃが後は頼んだ。何かあったらアレク……は今日は居ねぇか。クレメンスかナディアあたりに言付けしといてくれ」
忙しく書類仕事に勤しむ職員達に声を掛け、少ない手荷物を纏めて組合を後にする。旧友から会食に招待され、その為の早上がりだ。
(あいつに会うのはいいんだが、場所が面倒くせぇんだよなぁ……)
旧友との会食と言っても実態は要人の情報交換という名の密会だ。それ故に会場としてそれなりの場所を指定されていた。冒険者という立場故に正装は免除されるものの、それに準ずる服装で無ければならない。
(まぁ、あいつの家に行くよりゃ大分気安いが)
組合に程近いテラスハウスに借りた自室に戻る。身体を清めたかったがそれほど時間が有るわけでもなく、仕方なく微温湯に浸したタオルを硬く絞り、顔や身体を軽く拭った。
クローゼットを開け、専門店で誂えた身に沿うシャツとスマートに着替える。スマートと共布のベストを身に着け、髪色に合わせたクラヴァットを襟元に巻き、普段使いの物よりも凝った装飾の腰当を着けて愛剣を取り付ける。その上から冒険者向きに仕立てられたテイルコートを羽織った。
浴室の鏡の前で伸びかけた髭を剃り、無造作に縛った赤毛を解くと櫛を通して癖を取る。普段は滅多に使わない整髪料で前髪を整えてから、絹のリボンで髪を結った。
鏡で全身を確かめる。そこにはいつもの無骨な剣士ザック・シエルの姿は無く、代わりに公爵家元嫡男ブレイザック・フォーシェルの姿が映し出されていた。
「……しょうがねぇ、行くか」
短く溜息を吐き、上から外套代わりのマントを羽織って外に出る。通りで馬車を拾い、行先を告げた。
「リンデゴートホテルまで」
馬車に揺られながら窓の外の通りを見る。冬の訪れを予感させる空の下、繁華街を抜けた馬車は第二街区へ入り、やがて貴族階級や富裕層が多く居住する第一街区へと差し掛かった。現役時代は指名依頼などでよく立ち入った場所だったが、最近ではめっきり足を延ばす機会も減っていた。こうして旧友やかつての依頼人と旧交を温める目的でも無ければ、市井に身を落とした身分の自分にはあまり関りの無い場所だからだ。
やがて馬車は重厚かつ壮麗な建築様式の建物の前で停車した。
玄関前で待ち構えていた制服姿のドアマンの案内でロビーに入ると、こちらの人相風体を把握していたらしいベルマンに名を確かめられ、上層階へ案内される。
「久しいな、ブレイザック! 元気そうで何よりだ」
指定のスイートに通されたザックを灰色の髪の男が迎えた。壮年期の男に相応しい落ち着いた佇まいながらも、どこか青年のような溌剌とした気配を纏った偉丈夫だ。
「お前も変わりねぇな、クリス」
力強い握手を交わしてから無遠慮に相手の腹を摩り、ザックはにやりと笑った。
「……いや、ちっとばかり腹が出て来たか?」
「それを言うな。気にしているんだ。若い頃と食事量も運動量も変わらんはずなんだが、どうも最近は肉が付きやすくなってな」
少年時代からの友人、トリスヴァル辺境伯クリストフェル・オスブリングは苦笑いした。それから奥の部屋を指し示して足早に歩き始める。
「既にお二人とも来ておられる」
「――二人?」
ザックは目を眇めた。会食の招待客は自分の他はあと一人のはずだ。
「実は急遽一人増えてな。エドヴァルド殿の予定を聞き付けて、御自分も同行すると言い張って押し切られたそうだ」
クリストフェルの手で応接間の扉が開け放たれる。扉に背を向けて控えていた亜麻色の髪の男が振り返った。エドヴァルド・フォーシェル。王立騎士団副団長にしてフォーシェル公爵家当主――ザックの異母弟。きりりとした怜悧な表情が少年のように緩められる。
「お久しぶりです、兄上」
「エディ」
久々の弟との再会だったが、それを喜ぶ間も無くその視線がエドヴァルドの背後、重厚な装飾のソファに悠然と腰掛ける金髪の男に釘付けになった。男の口元が緩やかに弧を描き、金糸の髪の下に輝く紫紺の瞳が愉快そうな色を浮かべる。
「――陛下」
辺境伯家御用達の紅茶店から取り寄せられた香り高い紅茶が配られるのを待ってから、呼ぶまで室内には入らないよう部屋付きのバトラーに言い付けて下がらせると、やや気まずい表情を作りながらクリストフェルがソファに腰を下ろす。
「僕には構わずに用件を進めてくれないか。私的な用事はもうほとんど済ませてしまったからね。後は国境地帯の視察をするだけだ。話だけ聞かせてくれれば良い」
ゆったりと腰掛けたまま、ストリィディア現国王――オリヴィエル・フェルセン・ストリィディアは、優雅な動作で紅茶を啜り始めた。
三人で視線を交わし、ザックは首を竦めて招待主を促した。要人の密会とは言え、もっと砕けた場になるはずだったのだが、思わぬ闖入者によって硬い空気が漂う。
「――ではまず、国境地帯の情勢についてだが」
クリストフェルが口火を切った。
「知っての通り、四ヶ月ほど前から続くドルガスト帝国内の反乱の影響で難民が押し寄せている。砦付近のクリスタール平原に難民キャンプを設置し、現地に騎士隊を追加派遣して対応に当たっているが、何しろ人手が足りなくてな。領内の治安維持がやや手薄になっているのが現状だ」
「それについては、王立騎士団からも騎士隊の派遣を検討中です。連合軍との兼ね合いもありますのであまり多くは割けませんが、可能な限りこちらに回せるよう手配します。部隊数や日程の詳細は近日中にご連絡いたしますよ」
王立騎士団副団長の立場にあるエドヴァルドが口を挟む。
「それは有難い」
クリストフェルが相好を緩めるが、直ぐに再び眉間に皺を寄せる。
「先日もこの忙しいのに皇帝の使者が砦まで押し掛けて来てな。自国の難民にも目にくれずに何を言い出すかと思えば、『反乱軍を扇動した一味の一人が難民に紛れて国境を越えたはずだ、発見次第引き渡せ』とえらい剣幕でな。人相風体も一応聞きはしたが、まぁ発見は難しかろうな」
「――ちなみに、特徴は?」
「アレン・シュリギーナという砂色の髪に紫紺色の瞳の、遊び人風の優男だそうだ。まぁ、十中八九偽名だろうし、瞳の色はともかく髪色は染めるなりなんなりで幾らでも偽装出来るだろうからな。何の手掛かりにもならんよ」
四人の男は意味深に視線を交わし合った。
「アレンという名は王国でも帝国でも珍しくない名だしな。紫紺色の瞳にしてもごくありふれた色だ。瞳の色だけで言っていいならば、今思い出せるだけでも知己に五人は居る」
クリストフェルが言って笑えば、
「俺も知り合いに少なくとも二人居るな」
「私もです」
ザックの言葉にエドヴァルドも同意した。
「僕なんか毎朝鏡越しに顔を合わせているぞ」
オリヴィエルの冗談には苦笑するしかない。中身を飲み切った茶器を卓上に戻すと、彼は表情を引き締めた。
「……冗談はさておき。傀儡皇帝アウヴィネンは完全に皇民の求心力を失っているし、帝国各地の有力貴族も圧制で民も領土も疲弊しきっていることに気付いていない。連合軍の工作員の活躍で大分弱体化も進められたからね。反乱は成功するだろう。各国の国境線には難民が押し寄せて問題になっていることだし、頃合いを見計らって連合軍が鎮圧に乗り出す予定だ。ようやくこれで周辺諸国の懸案事項だった帝国が解体出来る。反乱終結後の領土は三国で分配されることになるよ」
まぁ平地が少ない他の二国と違って土地に困って無いから要らないんだけどね、そう言って言葉を締め括った。
しばしの沈黙が下りた。
「……どちらにしても、騎士隊が出る事で一時的に魔獣討伐と治安維持が手薄になる。冒険者組合には迷惑を掛けることになると思うがよろしく頼む」
クリストフェルの言葉にザックは頷いた。冒険者組合は民間組織故に、基本的に国家権力に関わるような事はしない。だが、この状況に関しては目を瞑るしかないだろう。
「――そういえば、その紫紺色の瞳の男の話で思い出したが、アレクセイ殿下はお元気なのか?」
クリストフェルがさり気なさを装って話を振ると、こちらが言葉を返す前にオリヴィエルが口を開いた。
「そのことなんだけどね。僕がここに来ることになった一番の理由はそれだ。アレクが倒れたと聞いてね、居ても立っても居られず駆け付けたというわけさ」
「なんと! それは初耳だ。容態は? 大丈夫なのか」
驚いたクリストフェルが騒ぎ立てるが、ザックは苦虫を噛み潰したような顔になるのを止められなかった。何故、遠く離れた王都に住むオリヴィエルがそれを知っているのか。
「……疲労から来る発熱だそうだ。二、三日臥せっただけで済んだが、大事を取って一週間ほど休んで頂いた。今はすっかり回復されて現場に戻られている――それにしても御存知だったとは。未だに殿下に監視を付けておられたのですか」
前半の言葉は旧友に向けたものだが、後半は国王へのそれだ。やや声が硬くなるのはどうしようもない。
「監視とは人聞きの悪い。警護が主目的だよ。とは言っても付けていたのは出奔してから最初の数年だけだ。アレクは下手な騎士などよりは余程強いし、成長し切って精悍な容貌に変わってしまえば、少年期のほんの数年だけ城に居た彼を見分ける者はまず居ないからね。後はずっと自由にしてもらってたよ。ただ、」
一旦言葉を切ったオリヴィエルは物憂げに目を伏せた。
「――長期の任務から戻った者は帰還後しばらくしてから体調を崩す者が多くてね。アレクももう少し城に滞在してくれるものだと思っていたが、一ヶ月もしないうちにこちらに戻ってしまったので、心配だったんだ。大丈夫、四六時中貼り付かせてるわけじゃない。定期的に様子を見て貰ってただけだ。念の為、まだ暫くは様子見させて貰うがね」
分かっている。継承権を捨てて独りきりで残して来てしまった弟への罪悪感から彼の頼みを聞いてやっているアレクの想いも、国の為とは言えその罪悪感に付け込むような形で兄を危険な任務に追いやっているオリヴィエルの悔恨の念も。頭では理解している。だが、それでも割り切れない思いは残る。アレクにはせめて、トリスに居る間だけでも自由で居て欲しかった。
――実の弟よりも長く一緒に居た、大事な弟分なのだ。
「まぁでも、元気そうで安心したよ。顔色も良さそうだったし、随分と穏やかな顔をしていた」
「……お会いになられたんですか」
「いや。遠くから見るだけで留めておいたよ。ただ、『天女』には会ったけれどね」
苦々しい顔を隠しもしなかったザックはとうとう腰を浮かせた。
「あいつに――接触されたのですか」
蒼褪めて立ち尽くしたブレイザックに静かな視線を向けながら、オリヴィエルは緩く笑った。弟想い妹想いの良い『兄』だ。大切に想っているのだという事が窺い知れた。
「心配する事は無いよ。ただ、あのアレクの心を射止めたという女性に興味があってね。会ったのはほんの数十分だったが、彼女が稀有な女性だということが良く分かった。報告にあった通りだよ。中々面白い魔法の使い手でもあるし、王妃や王子達の側仕えに欲しいと思ったくらいだ。隠れていた僕の護衛を全て見つけ出してしまった」
「……おやめください」
ブレイザックがゆるゆるとソファに腰を下ろす。その片手で蒼褪めたままの顔を覆った。
「確かにあいつは稀有かもしれませんが『天女』などではない、内面は他と変わるところの無い普通の女です。辛い想いをすれば普通に傷付きもする、心に傷を抱えた女です。あまりあいつを――刺激せんでやってください」
「……大事なんだね。彼女が」
肯定の言葉は無かった。だがそれだけに、彼の心の内を如実に表していると知れた。
「身元不明の得体の知れない女ですから、殿下と近しい彼女を警戒するのは分かります。ですが、あれは何の害も無い女です。それどころかむしろ弱い。一度などは死にかけました。誰にも寄り掛からずに生きる強い女を装っては居ますが、本当は居場所を求めて必死にもがいている女です。この四年間あいつを見て来てそれがよく分かりました。生きる為に大変な努力を重ねて来たのです。出来るならあいつには、心安らかに過ごしてもらいたい。勿論、殿下にも」
心の内の吐露は確かにオリヴィエルの心に届いた。分かっている。届けられた報告書から見えて来る彼女は、確かに得体こそ知れないが本人は何の害も無い、むしろ周囲に好影響を与える存在だ。
「――兄を傷付けこの国に害をなすようなことがあれば無論黙っているつもりは無い。だが、兄を想う弟として、数年を寄り添って暮らした『親友』として、願わずにはいられないんだ。こんな考えを持つことは国を預かる王としては失格だろうことは理解している。でも、僕では決して治せない兄の膿んだ傷を癒してくれるならば――例えどれだけ得体が知れなくとも、彼女をこの国の民として受け入れたい、そう思っているよ」
ブレイザックが顔を上げた。真意を探るかのような蒼い瞳と視線が交差する。オリヴィエルは微笑んだ。アレクセイと同じ、紫紺の瞳を細めた笑みの形で。
情報交換という名の密談を終えた後、オリヴィエルはエドヴァルドをその場に残し、他の護衛を伴って宛がわれた部屋に辞した。元より己は予定外の参加者だ。後は旧友、兄弟で水入らずの時を過ごせば良い。
とりあえずの目的は果たした。兄の無事を確かめ、「天女」にも会った。
天女。
――王兄が入れ込んでいる女が居る。そんな報告が齎されたのは僅か一月前だ。
少年期の忌まわしい経験から異性に対しては酷く淡泊になり、この歳に至るまで浮付いた噂など一切無かった兄に突然降って湧いたように現れた女の影。興味を引かれてよくよく聞いてみれば、四年程前にブレイザックが保護した曰くつきの女だという。かつて公爵家の嫡男だった経歴を持つ男に近付く女。折しも、帝国への潜入工作の下準備と訓練の為にアレクセイが王都入りした時期だった。女に何か後ろ暗い目的があるのではないかと勘繰るのも無理からぬ話であった。ブレイザック本人も思うところがあるのか、独自に調査したようだった。
自らも早速直属の調査官に探らせたが、ブレイザックに保護される以前の経歴は一切不明。しかも、どこをどう調べても、明らかに異人と分かる風体の彼女がこの国に侵入した痕跡は一切見当たらなかった。幼児期に何処かの貴族の愛玩用に密かに連れ込まれでもしたかとも思ったが、思い当たる家をつぶさに調べても、彼女がこの国に存在していたという形跡は何一つ発見されることは無かった。ブレイザックもそのあたりを気にしたのか専門家に診せるなどしてみたようではあるが、診断結果は衰弱は見られるものの心身共に極めて健康。囲われていた女特有の闇や歪みは一切無し。
結局、四年前に保護されるまでどこでどんな生活をしていたのか、何故あの日あの場所に居たのか、今に至るまで全てが謎のままだ。
『不思議な事に、発見現場周辺に人の出入りした形跡は何一つ見当たらなかった。まるで空から突然降って来たみてぇに、ただぽつんとそこに倒れてたんだ』
当時、ブレイザックはそう証言したという。
その証言から、諜報員の間で呼びならわされるようになった女の綽名が「天女」だ。遥か東方の御伽噺に語られる天の御使いを意味する言葉。
(――天女、か)
子供じみた想像に思わず苦笑するが、あながち間違いでは無い気がした。
実際に接してみて感じたのが、男に対して非常に貞淑な印象だった。己が整った顔立ちだという自覚はあったが、その自分を目の前にしても表情ひとつ変わらなかった。こちらの身分の高さにも気付いていたようではあるが、道中も媚びる様子は一切無く、用事が済めばあっさりと引き下がって帰ってしまった。
夕凪の海のように凪いだ女。
物腰や立ち振る舞いは女らしいが、「おんな」を意識させないというのは中々出来る事ではない。男に寄り掛からず自分の足で立って歩ける芯の通った強い女だ。
得体の知れない女。だが強さと優しさ、そして儚さの混在する不思議な女。
当初は他国の間者ではないかと疑いもしたが、間者にしては目立ち過ぎ弱過ぎるが故に比較的早い段階で警戒度レベルを引き下げられた。ブレイザックに媚びる様子も無く、慣れない環境で日々を生き抜く事に必死な様が、定期的に寄せられた報告からも容易に察せられた。
下働きのような生活をしながら、この国の言葉や文化を必死に学ぶ女。弱過ぎて使い物にならない魔力と蓄積した知識を最大限に生かして仲間の為に働く女。使い潰されて死にかけながらも折れる事無く現場に戻った女。親しい仲間は居ても、それに決して依存し寄り掛かることなどしない強い女。そして、求めれば必ず優しく手を差し伸べる女。
あの時別れる間際に触れたあの手は、荒れて罅割れた、よく働く者の手だった。
害があるどころか、むしろ、あれは。
「――なるほど。あれならアレクが夢中になるのも頷けるな」
オリヴィエルへの罪悪感故か、難しい頼み事も快く引き受けてくれたアレクセイ。国王という立場故に、彼を気遣いながらもその罪悪感に付け込んで何度も危険な任務に赴かせてしまった。だからこそ、少年期から積み重ねた彼の心の傷を、己では癒せない。
強い男だったが、根は優しく繊細な男でもあった。あのような不愉快な場所に送り込まれて、一体どれだけの傷を増やして来たのか。
脳裏に、寄り添って歩くアレクセイと天女の姿が浮かんだ。ついぞ見た事も無いほど優しく穏やかに彼女を見つめるアレクセイと、一線を引きながらも彼を心から気遣う素振りを見せるシオリ。
彼女ならば、彼を癒してくれるだろうか。
(どうか、癒してやって欲しい)
――癒しの、天女よ。
・オリヴィエル・フェルセン・ストリィディア:34歳。国王陛下。お兄ちゃん大好き。
・エドヴァルド・フォーシェル:30歳。王立騎士団副団長。お兄ちゃん大好き。
・クリストフェル・オスブリング:41歳。トリスヴァル辺境伯。領都トリスの屋敷に居住。最近太りやすくなったのが悩み。
おっさんが増えた。




