13 そして迎える再会の日
大盛況だった蟹パーティの翌日は、オリヴィエル王やリンドヴァリ夫妻への贈り物の買い物に一日を費やした。そして小雨が降り始めて肌寒くなってきた夜には、早々に寝台に潜り込んだ。寄り添って触れ合い、熱を分け合ってそのまま眠りに就く。
幸い十五日は朝からよく晴れ渡っていた。大気中の埃を洗い流して透明度を上げた空はサファイアのように青く、陽光で光の縁取りを施された雲は、美しい純白に煌めいていた。
「いい天気。王都からのお客さんをお迎えするのにぴったりの天気だね」
北の領都トリスが最も美しいとされる時期は華やかな冬の生誕祭の季節だというが、夏の太陽に煌めく青空と雄大な山脈を背景にした古都の街並みもまた美しいのだ。
しかしアレクはどことなく気がそぞろだ。「そうだな」と言ったきり、そわそわと室内を歩き回ったり、時折思い出したように窓の外を見たりと、なかなかに落ち着きがない。
傍らのヴィオリッドが、「本当に大丈夫かしら」と胡乱な目で彼を眺めている。
やはり緊張しているのだろう。
ともに歩むと誓っていながら道を違えた異母兄弟と、別離の日に呑み込んだまま抱え続けた本音を打ち明ける。それはアレクにとってはひどく勇気のいることだろう。そして喧嘩別れした元恋人とは十九年ぶりの再会だ。緊張しないわけがない。
(とは言っても、昼前からこの調子だと、夕方の約束の時間まで持たないんじゃないかなぁ……)
見かねたシオリはアレクを長椅子に座らせ、薬草茶を手渡した。トリス大聖堂のコニー司祭から差し入れられた、鎮静効果のある薬草茶だ。恐れ多くも大司教猊下自ら調合したものだというから、きっと霊験あらたかに違いない。ラベルにはとぼけ顔の似顔絵が添えてあって、そこに大司教の人柄が表れている。
蜂蜜を垂らして仄かな甘みを加えた薬草茶を一口啜り、彼はほっと短く息を吐き出した。
少し落ち着きを取り戻した彼の様子に安堵したシオリは、美しいトリスの街並みに目をやった。開いた窓から吹き込む風が心地よい。
通りを行く人々や川辺で水遊びに興じている子供たちを眺めていると、橋を渡る馬車の一団が目に入った。遠目では紋章付きかどうかまでは分からなかったが、護衛らしい冒険者風の身形の男が乗る馬に前後を護らせた大きな馬車が、三台連なって橋を渡っていく。一番後ろは幌馬車で、領都に引っ越してきた上流階級の一家のようにも見えた。
けれどもシオリは、あれはオリヴィエル王とリンドヴァリ夫妻の馬車だと直感的に思った。
午前のこの時間帯に領都入りしたということは、昨晩は近場の村で宿を取ったのだろう。
トリス近郊で王都方面から来た上流階級の団体が宿泊できる場所は、この辺りではアイロラ村だろうか。今の季節はアイロラ湿原のヒカリミズゴケと金平糖草の花が見ごろだから、きっと素晴らしい夜を過ごしたことだろう。
そんなことを考えているうちに、馬車の一隊は橋を渡って街並みの中に消えていった。
「アレク。今日は早めにお昼にして、少し仮眠を取ってから出掛けようか?」
薬草茶で少し落ち着いたらしいアレクは、カップに落としていた視線を上げて「ああ、そうしよう」と頷いた。
「眠れるかどうかは分からないが、どのみち今日は何をするにも落ち着かんだろうしな」
彼が自分でそう言った通り、その後も何も手に付かなかったようで、シチューとパンで軽い昼食を取って長椅子に横になっても、もぞもぞと寝返りを繰り返していた。
アレクにとって、十九年前の出来事はそれほどのものだったのだろう。
(三人ともまだ十代だったわけだし、一国家の今後に影響する決断をしなきゃいけなかったっていうのは、本当に大変だっただろうな)
いくら成人年齢に到達していたとはいえ、当時王家の異母兄弟はまだ十六。少し年上だった彼の恋人でも十八かそこらだ。しかも王位継承権争いで宮中は荒れていて、事は一刻を争う状況だったと聞く。そこで十代の彼らが最良を選び取ることは、きっととても難しいことだっただろう。
時を経て三十代となった彼らの再会が良いものであることを、切に願う。
――結局アレクは少しうとうとした程度で時間になってしまい、身支度を整え外に出て間もなく、迎えの馬車が門の前に滑り込んだ。
準礼装という気楽な格好ではあったが、めかしこんでいる二人を見たエレンとリヌスは眩しそうに目を細めた。
「あら、会食か何か? 英雄と聖女のお勤めも大変ね」
「まぁ、そんなものだ。今夜は泊まりになる。明日の夕方には帰る予定だ」
「そっかぁ。気を付けて行っといでー」
「ありがとう。保冷庫の件はよろしくね」
「りょーかい!」
彼らは二人の行先にもあまり疑問は抱かなかったようで、笑顔で送り出してくれた。
「あの二人、最近よく一緒にいるな」
「そうだねぇ」
アレクはなんとなく意外な組み合わせに愉快そうにしていたが、昨年末の慰労会でエレンの好みの男性像を聞いて心当たりがあったシオリは、予想は外れてなかったなと微笑んだ。
迎えの馬車はフェンリルでも乗れる仕様の大型だったが、それでもヴィオリッドが乗り込むと微かにミシリと音を立てた。けれどもよく訓練された御者は僅かに表情を変えただけで、微笑を崩さないまま扉を閉めた。
ゆったりと走り出した馬車は橋を渡り、いくつかの角を曲がって複雑な経路で辺境伯家に向かった。僅か二日前まで滞在していたその場所は、お忍びで訪れた王族を迎えてもなお、いつもの落ち着いた佇まいを保っていた。
二人と二匹を出迎えてくれたのは今やシオリにとっても顔馴染みとなった家令で、二人のために用意された部屋に案内してくれた。
「陛下とリンドヴァリ夫妻は、それぞれ別室にて寛いでおられます。お時間までこちらでお待ちください」
「ああ、分かった。ありがとう」
そう言って家令を下がらせたアレクは、短く息を吐いて長椅子に身を沈めた。
「……いよいよか。緊張するな」
そう言って苦笑いしている彼の手を取ると、その手はじっとりと汗ばんでいた。
武骨な手を両手で包み込んで、ゆっくりと擦る。その上にルリィとヴィオリッドの手も重なって、ついでに鱗から飛び出た光が重ねられた手の天辺でふわんふわんと揺れた。
「お前たち……」
そのどことなくとぼけた光景に、アレクは空気の塊を吐き出すように噴き出した。
「そうだった。俺はもう一人じゃないんだ」
ひとしきり笑ってから彼はそう言い、そして「ありがとな」とルリィとヴィオリッドの身体を撫でる。
まるでそれを見計らったかのように、扉を二度叩く音がした。
「――アレク。僕だ。待ちきれなくて来てしまったよ」
扉越しに聞こえた声は落ち着いた男のもので、アレクは弾かれたように顔を上げた。さっと立ち上がった彼は、勢いよく扉を開ける。
そこに立っていたのは、緩やかに波打つ金髪に紫紺色の瞳を持つ美しい男だ。
「……オリヴィエ。よく来てくれた」
「うん。会えて嬉しいよ」
「背嚢、早速使ってくれているんだな」
「勿論さ。ペルゥも気に入ってて、寝袋代わりにしているくらいなんだ」
「はは、そうか。それは贈った甲斐があったというものだ」
互いの姿を認めるなり距離を詰めて抱き合う二人。
およそ一年ぶりの、そして特別な意味を持つ異母兄弟の再会は感動すべきところなのだろう。
大人しく傍らに控えているヴィオリッドも何か思うところがあるのか、二人の様子を目を細めて眺めていた。
けれどもシオリだけは、ひどく見覚えのある男の姿に絶句していた。
会ったのは何ヶ月も前のたった一度だけ。
しかし、ただ美しいだけではない、その洗練された立ち居振る舞いと威風堂々とした佇まいは強く印象に残っている。後ろに控えている武人然とした亜麻色の髪の男もだ。
亜麻色の髪の男はシオリの視線に気が付くと、なんとも困ったような苦笑いを浮かべた。
「あのときの……」
昨年の秋口、市内散策中に道に迷ったと言って声を掛けてきた二人組だ。
それに気付いたシオリは開いた口が塞がらなくなった。
この二人は初めから迷子などではなかったのだ。きっと、最初からそのつもりでシオリに近付いたに違いなかった。
(……やられたぁ……!)
「……なんだ、どうした?」
シオリと亜麻色の髪の男の間に漂う妙な空気に気付いたアレクは、怪訝な顔をした。そして異母弟の含み笑いに気付き、なんとなく事情を察した彼は「おい」と低い声を出した。
「オリヴィエ。まさか、顔見知りだというんじゃないだろうな」
「そのまさかだよ」
にっこりと笑った金髪の男――アレクの異母弟にしてこの国の王オリヴィエル・フェルセン・ストリィディアは、悪びれもせずに言った。
「だって気になるじゃないか。大事な兄が世話になったというんだ。弟としては一度挨拶しておかないとって思ってね」
言いながら彼はあのときと同じように優雅に手を差し出し、そっとシオリの手を取って指先に口付ける真似事をした。
「その節は兄が大変世話になった。感謝する、シオリ嬢」
「……いえ、とんでもないことでございます」
初めましての挨拶をする前にこんなことになってしまい、シオリは曰く言い難い気持ちになってしまった。
そんな二人の様子をじっと観察していたルリィが、しゅるりとアレクに近付く。
「ん、なんだルリィ。どうかしたか」
アレクの問いに、ルリィは恐れ多くも国王陛下を触手の先でひょいひょいと指し示した。
「オリヴィエが?」
くいくい。
「シオリを?」
ぎゅーっ。
「――抱き締めた……?」
ルリィの仕草から何を訴えようとしているのかを理解したアレクの声が、一段と低いものになった。
スライムによるまさかの垂れ込みに「げっ」という顔をして蒼褪めたのはオリヴィエルで、「あーあ、俺ぁ知らねぇぞ」と目を逸らしたのは亜麻色の髪の男――ザックの異母弟にして王立騎士団元副団長のエドヴァルド・フォーシェルである。
「……オリヴィエ」
いい笑顔を浮かべたアレクは、オリヴィエルの肩をぽんと叩いた。その指先は肩に食い込んでいる。
「どういうことか説明してもらおうじゃないか」
「え、あ、いやこれはその、シオリ嬢の人となりを確かめたかったというか、その」
「分からんでもないが、それで抱き締める必要なんぞないだろうが」
「いやぁだってこっそり不思議な魔法を使ってたし、ご婦人に他意がないかどうか確かめるには結構有効というか」
「お前のやり口は露骨で肝が冷えることがある。もう少し控えたらどうだ」
「あ、ちょっと、肩は弱いんだよやめてやめて、うひゃあぁぁぁぁぁあ」
突如として始まった、とても三十代の王族とは思えない異母兄弟のじゃれ合いに半ば呆然としていたシオリは、オリヴィエルが背負っているピーコックブルーの背嚢がもぞりと動くのを見てぎょっとした。
衝撃の再会劇にすっかり気を取られていたが、彼の背嚢の中にはなにものかの気配があった。心当たりがあるとすれば彼の使い魔であろう桃色のスライムで、果たして、僅かに持ち上がった被せ蓋の下から、桃色のゼラチン質の物体がずるりと這い出してきた。
オリヴィエルの身体伝いにしゅるりと床に降り立ったスライムは、ルリィによく似た半球状の形になると、「ご機嫌麗しく」とでもいうように優雅に身体を折った。宮廷式でもスライムはスライムで、なんともとぼけた様子にすっかりその場の空気が緩み切ってしまい、げんなりとしたアレクは長椅子に深々と腰を下ろしてしまった。
そんな彼を見下ろしたオリヴィエルは、「……でも、本当に良かったよ」と呟いた。
「シオリ嬢とも良い関係を築いているようだし、安心した」
それは何気ない呟きで。
けれどもその言葉に込められているのは深く重い、万感の想いだ。
彼はアレクの手を取り、そして微笑みながら言った。
「――向こうの部屋でリンドヴァリ夫人が待っている。彼女も今は温かな家庭を築いているんだ。だから、安心して行っておいで」
彼の手を引いて立ち上がらせたオリヴィエルは、その背を押した。
アレクは戸惑いの後に一瞬泣き笑いのような表情を見せ、そしてシオリを振り返った。
微笑んだシオリは、小さく頷いてみせた。
それを見た彼は覚悟を決めたような顔で、一言「行ってくる」と言い置いて出ていった。
「大丈夫さ」
不安そうに見送るシオリに、オリヴィエルは微笑む。
「僕たちはもう、あの頃のように未熟な子供じゃない。だから、きっと大丈夫さ」
「……はい」
十九年前に拗れた二人の、その再会が彼らにとっての区切りと再出発になるといい。
シオリは祈るように、そっと胸元で手を組んだ。
ギリィ「GWは是非王立博物館へ! 一番人気の雪男の剥製が待ってますよ!」
※開き直り




