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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第10章 追い縋る者、進みゆく者
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08 亡霊にもなれない

今回2話分(07、08)投稿しております_(:3」∠)_

「07 青年たちの事情」をお読みでない方は、そちらからどうぞ。


 恐らくは感動の再会を夢見ていたのだろうに、まるで覚えがないと言うアレクの反応に、ヴェアトリスは「そんな」と唇を震わせた。

「お忘れでございますか。今は訳あってヴェアトリスと名乗っておりますが、真の名はセーデシュテン伯爵が長女、ヴェロニカ・セーデシュテンでございます。王妃陛下――いえ、オリヴィエル陛下のご生母様であらせられる亡き王太后陛下の侍女を務めておりました、セーデシュテン夫人の娘の……幼き頃の陛下と殿下の遊び相手として、何度かご一緒させていただきましたわ」

「……と、言われてもな……」

 本来ならば緊迫の場面だっただろうに、拍子抜けしたアレクは困ったように頭を掻いた。

「俺が城に召し上げられた頃にはもうオリヴィエの母君は離宮に移られていて、伯爵夫人とも顔を合わせる機会はほとんどなかった。それに、確かに遊びの輪にご令嬢が何人かいたが、だいたいお前達はいつもオリヴィエにべったりだっただろう。ああいや、そうだ。思い出した。それで、これではとても遊びにならんとオリヴィエの機嫌を損ねて、ご令嬢方は遊び場に呼ばれなくなったはずだ。子供がしたことだということもあって、ご令嬢方の名誉のために遊び相手から外された理由は伏せられたと聞いたが……ほんの数回会っただけの、それも俺の存在を端からないことにしていた連中のことなんぞ、覚えていろというほうが難しいぞ。悪いがあのとき一緒にいた女どもの顔も名前も、正直俺は覚えていない」

 思い出は美化されるというが、ヴェアトリス――否、ヴェロニカは、アレクの幼馴染みのつもりでいたのだろう。

 しかし肝心のアレクの心証は決して良いものとはいえず、「幼い頃一緒に遊んだ」という想い出だけを記憶に留めていたらしい彼女は、その認識の違いにひどく衝撃を受けたようだった。

 紅を差した唇をぐっと噛み締めたヴェロニカは、搾り出すように言った。

「……たとえ殿下は覚えておられなくとも、わたくしは貴方様との想い出を糧に、この十九年を過ごしてきたのです。貴方様のおそばに侍る栄誉を賜ったというのに、いわれなき罪に問われて表舞台から去らなければならなくなったわたくしには、殿下との想い出だけが生きる糧でございました」

「そばに侍る……? いわれなき罪とは?」

 その言葉を聞き咎めたアレクが鋭い視線を向け、ようやく注意らしい注意を引くことができたと思ったらしいヴェロニカは、訴えかけるように前に一歩踏み出した。

「王家専属侍女に内定したわたくしを妬む方々にはめられたのでございます。王家の方々のお目に留まったのだと喜んでおりましたのに、最終面接と称して呼び出された部屋に殿下と二人きりで閉じ込められて、既成事実を作ろうとした恥ずべき女というレッテルを貼られてしまいましたわ……!」

 アレクはしばらくの間考え込んでいた。

 しかしやがてなにかに思い至ったのか、「ああ」と呟く。

「そういえばいたな、そんな奴が……」

「……やっぱり知り合いだった?」

「いや? だが俺に薬を盛って素っ裸で迫ってきた痴女なら覚えがある。体調を崩していた俺を介抱すると称して引きずり込んだ部屋に、媚薬の香が焚いてあってな。甘ったるい香りで余計に気分が悪くなって正直それどころじゃなかったが、確かにその女、侍女のお仕着せの下は初夜で着るような薄衣だったんだ。妬みではめられたもなにも、完全に本人が最初からその気だったのさ。取り調べの結果も黒。はめられたとか何とか言って騒いだようだが、協力させていた取り巻きに罪を擦り付けようとしていただけの話さ。媚薬も自分で手に入れたという証拠も出たし、王族に薬を盛った罪で有罪になった女の家名が確かにセーデシュテンだった」

 王家の居住区画に部屋を持つことを許され、王族の身の回りの世話をする特別な役目を与えられた王家専属侍女。それに内定していたことも間違いないというが、自分よりも優秀で見目麗しいライバルが多く、焦った末の犯行ということだった。王妃の筆頭侍女を務めた夫人の娘という矜持も、犯行に駆り立てた動機の一つだったとも。

 今の今まで忘れられていたばかりか、「お気に入り」の青年たちの前で痴女呼ばわりまでされたヴェロニカは怒りと羞恥にさっと顔を赤らめ、そしてわなわなと震え出した。

「いや、しかし待てよ? そのときのご令嬢は確か、何年か服役して出所した後に自害したと聞いたような――」

「貴方たち! 殿下を取り押さえなさい! 殿下は市井暮らしが長かったせいか、記憶が定かではないご様子。即刻陛下のもとにお連れして静養していただかなければ! そこの汚らわしい女は殺しておしまい!」

 ヴェロニカの後ろに控えていた二人がさっと前に飛び出して構えたが、残念ながらアレクの敵ではなかった。

 アレクは剣すら抜かなかった。瞬く間に距離を詰めた彼は、手刀で二人を昏倒させた。

「何をぼんやり見ているのです! ルード! 貴方たちも協力なさい! 殿下を陛下のもとにお連れすれば、わたくしは表舞台に戻れるのですよ! そのときには貴方たちにも今とは比べ物にならないほどの待遇を与えると約束しましょう!」

 ああそうかとシオリは思った。

 不名誉な事件を起こした彼女は、貴族社会から追われたのだ。それで別人に成りすまして、息を潜めるように生きてきた。そんな彼女は「行方不明の王子殿下」を発見保護した功績を以って、その地位を取り戻すつもりに違いなかった。

 ひどく出来の悪い滑稽劇を見せられているようで、何か居た堪れなくなったシオリは、思わず口を開く。

「あの、盛り上がっているところに大変恐縮なのですが」

 ぎろりと憎々しげに睨みつけたところで、氷蛇竜にそれに比べれば威嚇にすらならない。まったく動じることもなくシオリは続けた。

「陛下はアレクの居場所をご存じですよ。最初から、ずっと」

 数日後には会う約束までしているとまではさすがに言わなかったが、それでもヴェロニカには十分だったようだ。

 息を呑み、掠れた声で「嘘よ」と呟く。

「継承権争いはもう終わったのだもの。それならもうとっくに王宮にお戻りになっているはずよ。双子のようとまで言われていた陛下のもとに、なんの理由もなく殿下がお戻りにならないだなんてあるはずがないわ」

 ヴェロニカの中には彼女の信じる兄弟像があったのだろう。その思い込みを根拠にアレクの独断による失踪説を信じ込んでいたのか。

「殿下には王宮こそ相応しい。陛下の隣にあってこそ、殿下は真価を発揮できるのよ。冒険者だなんて野蛮な仕事、殿下には相応しくはないわ」

 自らに言い聞かせるようにそう呟いた彼女は、血走った目をシオリに向けた。

「お前……お前が誑かしたのね。そうに決まっているわ。そうでなければ殿下がお戻りにならないだなんてあるはずがないのだもの。この、汚らわしい商売女――」

 頭の中で、ぶつんと何かが切れる音がしたような気がした。

 なぜこの手の輩はすぐ誑かしたなどと言うのだろうか。自らが惚れた男を、女に簡単に篭絡されるような男だと揶揄しているようなものだとはどうして思わないのだろうか。

「アレクは迫られたからといって簡単に手を出すような人じゃない! それに、恋人でもない人の前で恥ずかしげもなく全裸になるような人に言われる筋合いは、これっぽっちもありません!」

 お前が言うなとはまさにこのこと。きっと誰もが同意するだろう。

 しかし思わぬ反撃にヴェロニカは硬直した。

「な、な……!」

 怒りのあまりにそれ以上の言葉を発することができず、口をぱくぱくするばかりのヴェロニカに、アレクは大笑いしながら抜きはらった剣を突き付けた。

「まったくもってこいつの言う通りだ。そうでなければ俺は、とっくの昔にどこぞの痴女(・・・・・・)に篭絡されてただろうさ」

 そう言って一頻り笑ってから、不意に彼は笑みを消した。

 その顔にあるのは確かな怒りだ。

「王族の仕事は何も表舞台ばかりにあるわけではない。脱いで男に迫るしか能のない女が、知ったようなことを抜かすな。お前のような輩に俺たち兄弟を訳知り顔で語られるのも、俺の唯一である女を侮辱されるのも我慢ならん。ヴェロニカ・セーデシュテン。お前を王族詐称及び王族侮辱罪、未成年者略取の容疑で捕縛する。この件――必ず弟に報告させてもらうぞ」

 ――十九年前にヴェロニカが引き起こした事件は、当時王太子だったオリヴィエル王自らが詮議したという。そのときの苛烈な詮議を思い出したヴェロニカは、「ひ……」と潰れたような悲鳴を上げた。

 たたらを踏んで後退った彼女の足元が、不自然に沈む。

 落とし穴だ。床板が腐っている。

 そう思った瞬間めりめりという生木が裂けるような音が響き、駆け寄る間もなく視界からヴェロニカが消えた。

 布が切り裂ける音、甲高い悲鳴。

「ルリィ!」

 了解! とばかりにぽよんと跳ねたルリィは、その勢いのまま床の穴に飛び込んでいく。

 駆け寄って――勿論注意深くだ――穴を覗き込むと、床板の破片とともに天然の坂を転がり落ちていくヴェロニカの剥き出しのズロースと、なんとか追い付いてその身体に巻き付くルリィの姿が見えた。やがてそれも、暗闇に呑まれて消える。

 火球で窓ガラスを割ったアレクが鋭い口笛を吹いた。

 それを合図に特務部隊が突入してくる。

「この男たちを取り押さえろ! 戦意はない、あまり乱暴にはしてやるなよ! 主犯と思しき女は地下(した)に落ちた!」

「――アレク!」

 探索魔法で地下を探ったシオリは声を上げた。

「ルリィたちに魔獣が接近してる! 大型複数、水属性!」

 騒ぎを聞きつけたか、それとも新鮮な「餌」の匂いを嗅ぎつけたか、落下地点付近に迫る気配があった。

 女の悲鳴、続いて微かに聞こえる男の怒声。

 それらに重なるようにして響き渡る、軋むような甲高い咆哮。

 そして魔素が揺らぎ、火魔法が発動する気配。爆発音。

 ルリィとヴェロニカが落下するより前から地下にあった気配が、魔獣と交戦している。

「後は任せた! 俺たちは救出に行く! ヴィオ、来い!」

 叫んだアレクはシオリを抱え込み、駆け寄ったヴィオリッドの背に飛び乗った。

 二人を乗せたヴィオリッドは、凸凹とした岩が剥き出しの坂を一気に駆け下りる。

 降り立った先に広がる異様な光景に、シオリは「あっ」と声を上げた。

 ――薄ぼんやりとした淡い緑色に輝くヒカリゴケに照らされた、地下水が流れる地下洞窟。

 意味不明の言葉を発しながら、折れたであろう脚にも構わず這いつくばって逃げようとするヴェロニカと、ちょっとうるさいので静かにしろと言わんばかりにその口を押さえながら身体に絡み付いているルリィ、そして骨折した足を庇いながら必死に魔法を連打しているトーレの目の前にいるのは、しゅうしゅうと奇妙な音を漏らして迫る巨大な蟹の群れだ。

 向こうが透けて見えるような半透明の身体はすりガラス細工のようで美しくもあるが、それらが縦歩き(・・・)でじりじりと直進してくる様は言いようもなく不気味だった。

 シオリの身の丈ほどもある巨大な蟹が、一斉にハサミを振り上げた。

 しかしそれを見たアレクは、魔法剣を構えながらにやりと笑った。

水晶蟹クリスタール・キュラバか。随分と大きく育ったものだ」

 湖周辺の清流で稀に見掛けるこの水棲魔獣には環境が良過ぎたのか、本来一メテル弱のはずの体格が一・五メテルはあった。

 しかし竜殺しの英雄となった彼には討伐難易度Aの魔獣など敵ではなく、気圧された水晶蟹は、じりりと後退った。

 ――ほとんど一方的な殺戮が、幕を開けた。


ルリィ「セルフちん列罪とは誠に恐れ入ります!」


ヴェアトリスに化けていたヴェロニカ嬢、実は第2章44話の「幕間・弟と兄『苛烈なる王』」(書籍版6巻「ある王子に纏わる物語」p191)に名前なしで登場しております……気合入れて裸で迫ったのに嘔吐されちゃったお嬢さんです……_(:3」∠)_

社交界では「裸を見せて吐かれた女」と大層話題になったそうです。

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― 新着の感想 ―
「裸を見せて吐かれた女」www たとえ本当に冤罪だったとしても不名誉が致命的な社交界でこんなレッテルを貼られておいて返り咲けるわけがないww むしろしばらく貴族令嬢にヴェロニカという名前がつけられなく…
カニパーティだ(ノ∀`笑)
美味しいザリガニさんとったどーからーの、巨大なサワガニ?さんに全てもっていかれてしまっているw
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