05 ヴェアトリス、ではない女
※今回2話(04、05)同時投稿しています。前話をお読みでない方はそちらからお読みいただければと思います_(:3」∠)_
「――結局寄りを戻しにきただけってことしか分からなかったなぁ」
かつての仲間との再会は恐れていたほどの恐怖はなかったが、脳啜り撃退スプレーを顔面にぶちまけてやりたい衝動に耐えながらの舌戦は、ひどく消耗させられた。
そのわりに得られた情報はほとんどなく、マスター室の長椅子にぐったりと身を沈めたシオリに、ザックが気付けの葡萄酒を手渡した。
直前に「対象が接触しやすい状況を作れ」と言われ、急用ができた態を装って外出した振りをしていたザックは、「こっちはいつ手が出るかとひやひやしたぜ」と嘆息した。
「今回は比較的穏便に済んだが、次はどう出るか分からねぇ。影は付けてるが、気を付けろよ」
「うん。なかなか攻撃力の高い嫌がらせだったし、ちょっと気を引き締めていかないと」
お目当ての男性のそばにいる女への嫌がらせのつもりであれば、確かに効果は抜群だった。来ると分かっていて応戦したシオリでも、二度三度と続いたらさすがに病みそうだ。
「件のご婦人の性格の悪さがよく分かるな……」
恋人への所業を黙って見ていることを強いられたアレクも、苦い顔で呟く。
「俺としてはもうお前にアレの相手をさせたくはないが」
「ありがと。でも、トーレに関しては私も無関係じゃないから、問題が片付くまでは頑張るよ。むしろ……顔を見て自分の気持ちを伝えられて、良かったって思う」
自分でもあのときはおかしかったと今なら言える。
向こうの世界でも大人しい方ではあったけれど、だからといって何もかも言いなりになって黙って耐えているような性格ではなかった。反論すべきところは反論していたはずだ。
けれども、意思疎通と情報収集の手段である言葉を完全に習得したとは言い難かったあの頃は、身分制度さえ残っているこの異世界で自分の言動がどう生死に影響するかも分からず、慎重過ぎるほど慎重になっていた。
異世界での生活に慣れることに必死で精神的な余裕さえ失っていて、なにか言われれば黙って従うことが既に当たり前になっていたように思う。
それが隙になっていたのだろう。
「あの頃は自分でもびっくりするくらい従順だったけど、本音を言うとね、時々思い出してはもやもやしてたから、今回は言いたいことを言えてすっきりしたかなって」
「お前がそう思うなら、それでいいがな」
トーレはまだ心残りがあったようだが、それはもはや本人の問題だろう。できればこれで最後にしてもらいたいけれども、まだ次があるだろう予感も確かにあった。
「やっぱり次もあるかな」
「あるだろうな。あの男が来るか、裏にいる女が来るかは分からんが」
若い頃に病を患って数年間王都の屋敷で療養生活を送り、その後は気候の良い場所で過ごすために親族の別荘を譲り受け、一人移り住んだ――と周囲に話していたというヴェアトリス。
本人のやり口は素人ながら、辺境伯家の特務部隊でも身元の洗い出しに時間がかかっている彼女の素性は未だ謎のままだ。
「ヴェアトリスの一応の住所と身元は割れたぜ」
持ち帰った書類袋を開けながらザックは言った。
「一応って」
何やら引っ掛かる物言いを聞き咎めると、苦笑いした兄貴分は「まぁとりあえず見てくれや」と書類を差し出した。
手渡された書類を二人して覗き込む。文字が読めないはずのルリィとヴィオリッドも興味があるのか、一緒に覗き込んできた。
その書類には、この短期間でよくぞここまで調べたというほどの内容が記載されていた。特別に訓練した高速伝書鳥を駆使して現地の調査員とやり取りし、ここまでの情報を集めたらしい。
「ヴェステルヴァル領南端のアシェルの町。この町外れのビヨルクハウスの女主人がヴェアトリス・セイデリアだ。この屋敷の前の持ち主もセイデリア姓だったんで調べてみたら、そいつの姪にヴェアトリスってのがいてな。年頃も女と同年代の三十五歳。アレクとも同い年だな。王都住まいじゃあなかったが、シェーナ湖の対岸にある港町に一家で住んでた記録があった」
ビヨルクハウスの元の持ち主は、その港町の屋敷に弟一家とともに住んでいたようだ。現地では大家族として有名だったらしい。
「あった……ってことは、今はいないの?」
「ああ。十四年前、南のロムルス王国に渡ったようだぜ。もともとあっちの出身でストリィディアに移り住んできたはいいが、寒すぎて合わなかったんだとさ。アシェルの屋敷も景色が気に入って別荘にするつもりだったらしいが、結局一度も使わずじまいだったとかって話だ」
「えっ、病弱な娘さんを一人置いて帰っちゃったの? わざわざ地方まで連れてきておいて?」
ロムルス王国は大陸南部沿岸地域の温暖な国で、ストリィディア王国からはかなりの距離がある。一応地続きではあるが、山脈や内海を迂回する陸路よりは海路を取るのが一般的だ。それでも何週間もかかると聞いている。
病弱な娘を異国に一人置き去りにしてそんな遠くまで行ってしまったのかと、シオリは驚いてしまった。
けれどもザックは「そこが分からねぇんだよ」と首を竦めた。
「病弱な娘を大事にしてたようではある。だが記録上は置いてったってことになってんだ。ヴェアトリスの出生地はロムルスで、赤ん坊の時分に入国した記録もある。だが出国記録にヴェアトリスの名はねぇときた」
「周りの人間は誰も疑問に思わなかったのか」
「そのようだ。なにせ乳飲み子んときから病気がちで家に籠もりきりだったんで、町の人間にゃあほとんど存在が知られてなかったらしいからな」
一家の旅立ちには近隣の人々が見送りに出たというが、娘が一人いないことには誰も気付かなかったという。
「だとすると、ますます俺との接点はないぞ。王宮に出入りしていたとも思えんし、ロムルス出身のセイデリア家とやらにも覚えがない。てっきり王子時代の俺を直接知る誰かだと思っていたが」
身元が分かっても、結局何も分からずじまいだ。
「療養中の娘を一人置いていった点を除きゃあ、ここまでの話に疑わしいところはねぇ。ただなぁ……まだ裏は取れてねぇ話なんだが、ヴェアトリスの容姿について引っ掛かるところがあってな」
「引っ掛かるところ? なんだそれは」
アレクが視線で先を促すと、ザックはなんとも言えない表情で言った。
「髪と肌の色が違うんだとよ。例の女はくすんだ金髪に白い肌で、アシェルの町の住人もそう証言してるんで間違いねぇだろう。だが、ヴェアトリスの主治医んとこで看護師をしてたって女の証言じゃあ、母親に似た小麦色の肌に燃えるように赤い巻き毛だったってんだよ。その看護師が娘に会ったのは一度だけって話だから記憶違いの線もねぇわけじゃねぇが、どうもな。主治医の方は他界してて裏が取れなかった。ヴェアトリスのアシェル行きの経緯も含めてな」
「……それってつまり」
シオリはごくりと唾を呑み込んだ。
「あの人はヴェアトリスさんではないかもしれないってこと?」
「そういうこったな……」
身元は分かったが、それは別人かもしれない。
それでザックは「一応」と言ったのか。
何者かがヴェアトリスに成り代わっているのだとしたら、本物のヴェアトリスは一体どこへ。
その疑問を口に出すのは憚られて、シオリはそのまま押し黙った。
「今は交友関係と生活費の出所を探ってるところだ。ロムルスに帰ったってぇセイデリア家も調べさせてるが、こっちはさすがに時間がかかりそうだな」
「……なんとも不気味な話だな。俺達はいったい何につけ狙われているんだ」
アレクに似た色を纏う男達を侍らせている、別人に成りすました女。
そんな得体の知れない女が、今も近くで様子を窺っているかもしれないことに思い至ったシオリは、ぞっと身震いした。
「まぁ、なんにせよ」
赤毛をがしがしと掻き回しながら、ザックは溜息を吐いた。
「弟君の訪問も控えてんだ。当面は休みを取ってあることだしよ、しばらくは家で大人しくしとくってのも手だぜ」
兄貴分はそう言ったが、二人は顔を見合わせて苦笑いした。
「……できれば、さっさと解決してしまいたいかな」
「同感だな。護られてばかりいるのは性に合わん。いいようにされているのもな」
二人の考えることは多分同じだ。
自らが囮となって、おびき寄せる。
そして平穏を取り戻すのだ。
勿論自分たちも協力するぞとばかりにルリィがぷるるんと震え、ヴィオリッドは牙を剥きだして唸り声を上げた。
特務部隊の高速伝書鳥「酷使の極み」
脳啜り「それより誰だよ魔女にスプレー携帯させてる奴!!!!!!」
次回、釣りをします(※囮捜査的な意味で)




