06 Lilla vän
中は三畳一間ほどの小さい空間で、屋根の傾斜であろう勾配天井のせいで一層狭く感じられた。出入口も狭く小窓の一つすらなく、部屋というよりは小屋裏収納のようだった。
シオリとダーグはともかく、一九〇センチメテル越えのアレクは身を屈めなければ頭を擦ってしまうほどだった。体格の良いヴィオリッドは言わずもがなで、入口から鼻先を突っ込んで眺めるだけにとどめていた。
その小さな部屋の床にはテーブル代わりだろう木箱が置かれ、周りには刺繍や房飾りの付いたクッションが並べられている。壁面には少年が描いたものらしい油絵や鉛筆画、飾り棚には鉱物標本や粘土細工が飾られていた。
タペストリーが鋲で打ち付けられた勾配天井には、年代物の魔法灯と誰かの手作りだろう天体のモビールが吊り下げられていて、少年たちのインテリアへの拘りが強く感じられた。
壁際に重ねられた木箱は書棚代わりなのか、革張りの装丁の古書が何冊か収められている。そっと手に取って頁を繰ってみると、ところどころ古い綴りや表現で記されていてネイティブではないシオリには少し難しく感じられたが、旅行記や冒険小説であるらしいことが読み取れた。
もう一つの箱には紐綴じの本が十数冊。この秘密基地の会誌らしく、彼らが自ら書いた詩や小説、論文に挿絵まで添えられた立派なもので、この場所は上流階級の少年達の品の良い遊び場だったのだろうことが窺えた。
まるで想い出を詰め込んだ宝箱のような部屋で、アレクとダーグは童心に帰ったように室内を眺めていた。きっと自分も似たような顔をしているのだろうとシオリは微笑む。
「だいぶ埃を被ってはいるが、荒らされたり片付けられたりした形跡がない。ずっとそのままになっていたんだな」
「先生たちにも秘密の場所だったのかな」
「どうだろうね。黙認されていたのかもしれないよ」
そう呟いたダーグは、テーブル代わりの木箱の上に置かれたままになっていたノートを見せてくれた。
そのノートには少年らしい字で教師や学友たちへの感謝と再会を願う言葉が認められていて、最終頁には大人のものとわかる見事な達筆で「君達の未来に幸あれ」と一言添えられていた。
「懐の深い、いい学校だったんだね」
「そうだな……」
彼らの離れ難いという想いが、数十年の時を経てもなお伝わってくるようだった。
「でも、新しくできた競合校には勝てなかった。よくある話だよ。それで新入生が減って閉校を余儀なくされたと聞いたよ」
王都の著名な教員による指導が売りだというその学院には叶わなかったのだろう。王都仕込みというのは地方住まいにとっては大変な魅力だ。第二街区にある学院は今でも近隣の領地から生徒が集まるほどの人気ぶりで、濃紺に金の縁取りの凛々しい制服はシオリでも知っているくらいだ。
閉校という現実を前に、卒業を待たずに去ることになった少年たちの想い出が詰まった部屋を静かに見回したシオリは、ふとある一点に目を留めた。
彼らの日常や風景を描いた写実的な絵の中にあって、少年たちの手や肩に腰掛けている小人が描かれた童話的なその鉛筆画だけは、奇妙に浮いていた。
右下には作者名と日付、そして誰かへのメッセージのような一文が添えられている。およそ八十年前、閉校の直前あたりものだ。
「――ラルフ・セーデルリンド、大陸歴一九一九年五月二十一日。小さき友へ、想い出をここに」
その隣に並べるようにして飾られている肖像画に視線を流したシオリは、「あ」と小さく声を上げた。
それは生徒と教員の姿を描いた肖像画で、日付は鉛筆画の数ヶ月前のものが記されている。その中央、学院長と二人の教師の隣に座る少年は幻影の監督生にそっくりで、肖像画の下に添えられていた手書きの名簿には「ラルフ・セーデルリンド」という名が記されていた。
セーデルリンドという名はシオリにも覚えがある。トリスヴァルとロヴネル、そしてエンクヴィストの三領地に囲まれた男爵領だ。
「ああ、セーデルリンドの絵だったのか。まさかここの学生だったとはねぇ」
「ご存じなんですか?」
驚いたような表情でしみじみとその絵を眺めていたダーグは、「名前だけで直接会ったことはないけどね」と言った。
「セーデルリンド男爵の叔父に当たる人で、八十年代初頭くらいまで活躍した挿絵画家だよ。冒険や幻想小説を主に手掛けていたかな。残念ながら目を悪くしてもう筆を置いてしまったらしいけど、確か今でも御存命のはずだよ」
元美術商らしく画家について詳しいダーグは、その近況まで教えてくれた。
「しかしそうか……いやぁびっくりだなぁ。あの銀髪の子はセーデルリンドの若い頃の姿だったんだねぇ。ロヴネル領の美術学校出身って話だったけど、その前があったのか」
あの幻影の彼らはやはり、実在の人物だったのだ。
それなら、幻影の紡ぎ手の正体は誰なのだろう。
そんなことを考えていると、シオリの肩越しに鉛筆画を覗き込んだアレクが「これはもしや、小さな友人じゃないか?」と呟いた。
「……リラーヴェン?」
「ああ。妖精の一種だ。賑やかな――特に子どもがいる場所に棲み付く習性があるが、人前に滅多に出てこない。というより、多くの妖精がそうであるように、『いる』と認識していなければ見ることさえ難しいんだ。俺も一度偶然見かけたことがあるが、その一回きりだな」
やはりそのときも事前に「いるらしいよ」という噂を聞いていて、だからこそ認識できたのだろうと彼は言った。
希薄で、けれども確かに存在するもの。
楽しくて賑やかなことが大好きで、だから子どもや動物がいる家に棲むのだという。しかし人間のように個体差もあって、中には旅芸人や隊商の馬車、商船に棲むものもいるのだそうだ。
人間の正の感情を糧として生きるもの。時折小さな危険から遠ざけてくれる、守り神のようなもの。
それがリラーヴェンという生き物なのだと。
「この絵を描いたということは、彼らも見たことがある……というより、もしやこの屋敷にいたということか?」
「小さき友へってあるし……あれ、じゃあ、もしかして」
屋根裏に――今もシオリたちの周りにうろついている微かな気配は。
そこまで考えた瞬間、胸元の竜の鱗から飛び立った光が、シオリの注意を引くように激しく左右に揺れた。
その明滅する光に照らされて、ぼんやりとした小さな人影が浮かび上がった。
ともすれば見失いそうになるほどに透けた人影は、大きなものでも二十センチメテルほどの背丈しかなく、その輪郭から衣服を纏い、帽子をかぶっているらしいことが分かる。
まさにお伽噺の妖精のようなそのシルエットに、シオリは息を呑んだ。
「本当にいた……!」
その姿を捉えて言葉にした瞬間、彼らの姿が明瞭になった。
幾分ふっくらして丸みを帯びた身体つきと若々しい容姿は同じながらも、性別があって顔立ちも異なり、服装も可愛らしい町娘風から上品な若奥様風、陽気な船員風に洗練された紳士風、学生風と様々で、それぞれに個性があるようだった。
そのうちの何人かは「小さき友へ」と題した絵画に描かれている小人と服装が同じで、少なくとも彼らは寄宿学校時代からこの屋敷に棲んでいるのだろうことが知れた。
「……こいつは驚いた。七十年近く生きてきて妖精を見たのは初めてだよ。本当にいるんだねぇ」
感嘆の声を上げて無意識に手を伸ばしたダーグの指先に、紳士風のリラーヴェンが小さな手でそっと触れた。
リラーヴェンの紳士は、君をずっと知っていたよというように微笑む。
「賑やかなところが好きなんだろうに、学校がなくなってからもずっとここに留まっていたのかい」
――何人かは子供たちに着いていったよ。でも僕らはあの子たちが残した想い出を護りたくて、ここに留まったんだ。それにすぐ君の従姉妹たちが来たからね。彼女たちが去ってからも、君達の一家が来てくれた。子沢山で賑やかで、だから寂しいということはなかったよ。
耳が捉えたのか、それとも脳内に直接響いたのかも分からない、木霊するように聞こえた不思議な声は、ダーグの問いにそう答えた。
――でも、君の子供たちがいなくなってからは、さすがに寂しかったかな。それで魔法を使って昔を懐かしんでいたんだけど……どうやら驚かせてしまったみたいだ。
彼らにとって一番思い出深かった、学院最後の日まで残っていた少年たちを幻影に投影して、過ぎ去った日々を回顧していたのだとリラーヴェンは語った。
それが幽霊と誤解させて騒がせてしまったことを詫びながら困ったように笑うリラーヴェンの紳士を前に、自分にも心当たりがあったシオリはそっと目を伏せた。
寂しくて、心細くて、置いてきたあの世界の光景を懐かしむように投影していた日々が確かにあった。夜、独りきりの部屋で見ていた、懐かしいあの世界の幻影。
(そういえば、最近はほとんど見てなかったかも)
あの世界を忘れたことはない。
けれども、想い出に縋り付くようにしてあの世界の幻を見ることはしなくなっていた。
きっと、満たされているから。前を向けるようになったからだろう。
――しかし、小さい頃から見守ってきた君もいよいよここを去ると聞いて、さすがにそろそろ身の振り方を考えた方がいいんじゃないかって話になったんだ。幸い僕らの気配に気付いてくれた子たちが来てくれたことだし……その、迷惑を掛けた身でお願いするのは申し訳ないんだけど、僕らを外に連れていってくれないだろうか。
紳士な彼と若奥様な彼女は、ダーグとともに引っ越し先に着いていきたいのだと言った。
町娘な彼女と船員な彼は、子供たちが沢山いて賑やかな場所ならどこへでも。
残りの五人はそれでもまだここから離れ難く、決めあぐねていると言った。
「いいとも。一緒に行こうじゃないか。あっちには従姉妹も子供たちも皆いる。懐かしい顔にたくさん会えるよ」
幽霊騒動で売値を下げざるを得なかったことなど、まるで気にしないようにダーグは即答した。申し訳なさそうに眉尻を下げているリラーヴェンの紳士の頬を撫でて、彼は優しく微笑む。
「そんな顔をしないでおくれ。君たちのおかげで竜の英雄様と聖女様ともお近付きになれたし、君たちにも会えて、ずっと見守ってくれていたことを知ることができたんだ。いやぁ、嬉しいねぇ」
子供たちが沢山いる場所を望むリラーヴェンには、トリス孤児院を紹介することで決まった。勿論受け入れにはイェンス司祭の許可が必要だろうが、既にスライムを受け入れている彼なら頷いてくれるだろう予感があった。
残りの五人――学院の制服にどことなく似た衣装の彼らは、シオリとアレクが屋敷に住んでくれるのなら、このままここに留まって想い出の場所を護りたいと言った。スライムとフェンリル、そしてもう一つの気配にも興味津々で、彼らがいるなら楽しそうだし珍しい話が沢山聞けそうだとも。
シオリはアレクを見上げた。彼は微笑み、力強く頷く。足元のルリィは期待するようにぷるるんと震え、ヴィオリッドがヴォフっと鼻を鳴らした。
「ダーグさん。決めました。私達にここを譲ってください」
彼はぱっと綻ぶような笑顔になり、リラーヴェンたちは大喜びでルリィとヴィオリッドの背に飛び乗った。その上を小さな光が嬉しそうに舞い飛ぶ。
――壁に飾られた絵画の少年たちは、そんな彼らを祝福するかのように、優しい微笑みを湛えて見下ろしている。
シオリ(´-`).。oO(リラーヴェンって、ねん〇ろ〇どみたいな見た目だなぁ)
箱入りマンティコア(´-`).。oO(なお、この回、アレク氏はずっと中腰)




