05 幻の少年たち
三階から屋根裏へと繋がる木製の扉の向こう側は薄暗く、灯りを翳すと埃が積もっていた。あまり用がない場所だからなのか掃除も手入れも行き届いてはおらず、薄汚れた壁紙はところどころが剥がれ落ちている。
見るからに数十年単位で使われていない空間だということが分かる。ダーグの話では点検などで稀に立ち入る程度だということだった。
「普通なら使用人を住まわせるところなのだろうが、立派な使用人棟があるせいか、ほとんど不要な場所になっていたのかもしれないな」
「物置も二階か三階の空き部屋で事足りるものね」
慎重に階段を上って辿り着いた屋根裏の廊下にも、階段と同じように埃が降り積もっていた。足跡らしきものも見当たらなかった。
「……少なくとも、実体のあるものではないのだろうな。やはり」
「うん」
けれども魔獣のルリィやヴィオリッドには見えているのか、時折視線を動かすような仕草をしている。胸元からふわりと飛び立った光も興味深そうに辺りを飛び回り、なにものかと会話するように明滅していた。
「おわぁ……」
探索魔法を展開したシオリは、思わず妙な声を上げてしまった。
二人と二匹を取り巻くように、そわそわと動き回る気配がある。
「いるいる。十体くらいはいるよ」
嫌な気配ではなかったが、微かな囁き声を聞いたような気がしたシオリは、思わずアレクにしがみ付いた。
「残留思念……ではないな。目に見えないだけで、これは精霊かそういった類のれっきとした生き物だぞ」
「『その道にはちょっと詳しい』とか言ったダーグさんのお知り合いには申し訳ないけど……」
顔を見合わせて苦笑いした瞬間、空間が揺らぐような感覚が過ぎった。屋根裏に棲むなにものかが魔法を使ったのだ。
ルリィが警戒色に変化することはなかったけれど、アレクは柄に手を掛け、シオリは後退して身構える。
――と、薄汚れた廊下の景色がぶれ、光の粒子が漂う中に少年の姿が像を結んだ。歳の頃は十六、七歳ほどだろうか。雀斑の浮いた顔に穏やかな笑みを浮かべた少年は、くるりと背を向けると癖のある銀色の巻き毛を揺らして早足に歩き出した。
それを合図のようにして四方の壁から少年達が顔を出し、銀髪の少年を先頭に整列して行進を始めた。
少年達が現れる瞬間、あちこちから魔力が放出される気配を感じた二人は揃って声を上げた。
「……幻影魔法……!」
「なるほど、そういうことか……!」
魔導具以外の魔法にじかに触れる機会が少ないだろう一般人には、幻影魔法と死霊の区別はつかなかったかもしれない。
――制服らしい揃いのテイルスーツを纏った幻影の少年達は、最奥の扉の前で足を止めて振り返る。廊下に綺麗に整列した少年達の表情は、そのどれもが笑顔ながらもがなにかを訴えかけるようで、シオリとアレクは導かれるように静かに足を踏み出した。
ルリィとヴィオリッドも危険を訴えることはなく、見守るように二人の背後からついていく。
「――この先に、何かあるの?」
シオリの問いに巻き毛の少年は微笑み、促すように扉に視線を向けた。
きっと、この少年達の幻影を作り出しているなにものかが、この先にあるものを見せたがっているのだ。
「行ってみるか」
アレクが慎重にドアノブに手を掛けたが、鍵が掛けられていたらしく、がちゃりと鈍い音がした。
「五番の鍵……か」
扉に打ち付けられていた、古ぼけて変色した真鍮の板に記されていた番号と同じ数字の鍵を差し込む。
鍵はすっかり錆びていた。だいぶ苦労して鍵を開けたアレクは、ゆっくりと扉を開く。蝶番が軋んだ音を立て、続いて黴と埃の乾いた臭いが漂った。
天井が低く、決して広いとは言えない屋根裏部屋には小さな窓から陽光が差し込み、空中に漂う埃を可視化させている。
そこは物置になっていて、壁際のチェストや窓辺の書き物机、そして寝具のない簡素な寝台の上に至るまでが大量の荷物に占領されていた。
もうだいぶ長いこと放置されていたらしく、乱雑に積み重ねられた大きさや材質が異なるトランクはひしゃげて潰れ、木箱からはみ出した書類や帳簿は劣化して、折り重なるようにして崩れ落ちている。
「ああ……これは寄宿学校時代のものだな。教科書だ」
茶色に変色した本を拾い上げたアレクは、頁を捲ろうとして指先に付いた蜘蛛の糸に眉を顰めながら呟いた。
「わ、手書きのノートだ。これ、レシピ集だよ。きっと厨房の人が書き留めたんだろうね。これって資料的に貴重なものだったりするのかな」
「これほど雑多に色々あると分からんな……ラーシュの奥方に伝手があるかもしれん。今度頼んでみるか」
「うん」
ラーシュの妻は学者だ。この手付かずの物置をダーグがどうするかは分からないが、置いていくつもりなら彼女に見てもらってもいいかもしれない。恐らくはほとんどが既に故人であろう持ち主の遺族が分かれば引き取ってもらってもいいし、そうでなければどこかに寄付するか、綺麗にしてシェアハウスの図書室に収めてもいいだろう。
物珍しさについきょろきょろしてしまったシオリを、十歳ほどの少年が注意を引くように覗き込んだ。
ねぇ、こっちだよ?
そう言われたような気がして「あ、ごめんね」と照れ笑いをすると、少年は室内のある一点を指差した。
壁の前に置かれた大きな書棚。
そこには一番最初に姿を現した巻き毛の少年が佇んでいて、シオリと視線が合うと上品な笑みを浮かべた。
「……あいつは多分、監督生だ」
「監督生?」
「最上級学年から選ばれる、生徒の纏め役のようなものだ。学校ごとに役割や仕事は多少違いがあるようだがな。見ろ。一人だけウエストコートとボタンの色が違うだろう」
「あ、ほんとだ」
単なる幻影にしては妙に細かい。きっとこの少年は、過去に存在していた誰かなのだろう。
金色のボタンに触れて少し誇らしげに微笑んだ彼は、優雅な動作で書棚を指し示す。
「ここに何かあるの……?」
とはいえ、古びた本が数冊ある以外には文具箱や雑貨類が雑多に置かれているだけで、特別変わったものがあるようには思えなかった。
振り向いて見た少年は「違う」というように首を振り、もう一度書棚を――正確には書棚の向こう側を指差したのだろう、幻影で形作られた腕が書棚を突き抜けて隠れてしまっていた。
「どういうことだ?」
「ん、ん……んん?」
試しに探索魔法を展開してみたシオリは、違和感に気付いて声を上げた。
書棚の裏――その壁の向こう側にも、何か小さな気配が蠢いている。微弱ながらも感じられる魔素の塊は、生活魔導具かなにかだろうか。
――そこに、小さな空間があるのだ。
「え、隠し部屋?」
「なに? 間取り図にもないぞ……いや、だからこその隠し部屋か?」
「ダーグさん達は気付いてなかったのかな」
「まぁ、古い屋敷の屋根裏は、用がなければ買い取ってもそのままということも珍しくはないからな……」
間取り図も物件を売却するためなのか最近作らせたもののようで、真新しいものだった。ダーグも特に言及しなかったあたり、知らなかったのだろう。
しゅるりと書棚と壁の隙間から入りこんでいたルリィが、しばらくしてから再び顔を覗かせた。
「部屋、あった?」
そう訊ねると、ルリィは「あったよ」とでもいうようにぷるるんと身体を震わせた。しゅるりと伸ばした触手の先には、変色して縁が崩れた紙片が握られている。
「これ……子供の絵だね」
拙い鉛筆画は子供の手によるもので、ボール遊びをしている少年達が纏う揃いの服は、幻影の少年達と同じもののようだった。
「そうだな。ああ、見てみろ。描き手は寄宿生だったんだろうな」
用紙は寄宿学校の便箋だったようで、鉛筆画の裏側には罫線とレターヘッドが印刷されていた。学校名に添えられている住所も、この屋敷のもので間違いなかった。
この書棚の向こう側も、寄宿学校時代の想い出が詰まっているのだろうか。
「動かしてみるか」
「うん。一応ダーグさんを呼んで来よう」
一階の自室で読書をして待っていたダーグは、事情を話すとすぐに来てくれた。とはいえ高齢の身で最上階まで一気に上るのは堪えるらしく、途中からはルリィの身体に乗せて運ぶことになった。
「いやぁ、貴重な体験をさせてもらったよ」
思いがけずスライムに乗るという珍しい経験をして楽しげに笑ったダーグは、書棚を前に「しかし、隠し部屋とはねぇ……」としみじみと呟く。
「ここには長年住んでいるけど、隠し部屋には気付かなかったなぁ。やっぱりね、あまり日も入らないし、さすがにちょっと気味が悪くて、屋根裏に入ることまでは滅多にはなかったから。たまにメンテナンスで業者が入るくらいだったよ」
従姉妹が住んでいた頃でさえ手付かずだったこの物置の存在には勿論気付いていたが、かつての住人の面影を色濃く残すこの場所にあまり手を付ける気にはなれなかったとダーグは言った。
手入れが行き届いたこの屋敷にあって、屋根裏だけは学校時代の名残を強く残したままになっていたようだ。
「そうは言っても、よく隠し部屋があると分かったね。これも冒険者の技能なのかい」
「ああ、それは……その、寄宿生の子達が教えてくれたので。正確には幻影の姿を借りた誰か、なんですが」
シオリがダーグを連れて戻る頃には少年達は姿を消していた。けれども気配はある。幻影魔法の術者の気配だ。
あれは幽霊や残留思念などではなく、この屋敷に棲む何かによって作り出された幻影魔法だということを知ったダーグは、ひどく驚いたようだった。
その表情が一瞬寂しそうに曇ったのは、生前の姿で現れた魂という明確に存在する幽霊ではなく、幻影という存在しないもの――まさに幻そのものなのだと知ったからだ。
まるで孫息子と同居しているようだと言っていたほどだから、そのくらいには「彼ら」に情を寄せていたのだ。
「あれ自体は幻だが、過去に存在した誰かを投影したものだと考えれば、そうがっかりするものではないと思うが、どうだろうか」
ルリィが持ち出した絵をアレクから手渡されたダーグは、そこに描かれた見覚えのある制服姿を指先でなぞり、そして頷いた。
「……そうだねぇ。その通りだよ。幽霊でなくて良かったんだ。あんな歳で亡くなった子達がいたわけじゃないってことだからね」
何度か小さく頷いていた彼は、やがて書棚に視線を向けた。
「じゃあ、確かめてみようか。一体何が出てくるかな?」
しんみりしたものとはうって変わって、少し期待するようなダーグに促されるままに、アレクとシオリは書棚に手を掛けた。ルリィは手伝ってくれるつもりなのか、書棚と床の微妙な隙間にしゅるりと潜り込んだ。
力を籠めてゆっくりと横に移動させていくと、人一人が屈んでようやく通れるくらいの狭い入口が姿を現した。中が暗いのは窓一つないからなのだろう。
光魔法の灯かりで照らし、三人縦に並ぶようにして中を覗き込む。隙間からルリィとヴィオリッドも顔を突っ込んだ。
「うわぁ……!」
「おお」
「これは……!」
内部の光景に、三人揃って歓声を上げた。
――その小部屋は、少年たちの秘密基地だったのだ。
↓ トーテムポール状に並んで小部屋を覗き込む三人+二匹(+一匹)の図
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