04 失くした「想い出」と記憶の上書き
一階とは異なり、二階は廊下を挟んで向かい合うように同じ造りの部屋が並んでいて、生徒の寄宿室だったのだろうことが窺えた。
全部で十部屋。室内も十分に広く、二人部屋としても使えそうだ。
一部の部屋にはダーグの家族が使っていたらしい寝台や机などの家具類も残されていて、これも寝具さえ用意すればそのまま入居できそうなほどに整えられていた。
「手入れして大事に住んでたんだな」
「そうだね……このベッドなんか随分年代物みたいだけど、あんまり傷んでないし。ああ……窓から大聖堂が見える」
向かい側の部屋は雄大なトリス川を臨む眺望が素晴らしく解放感もあったが、こちら側の部屋は小邸宅やテラスハウスが立ち並ぶ街並みの向こうに大聖堂の尖塔が見えて、趣が異なっている。宗教地区ならではの落ち着いた眺望だ。
「どっちの部屋も見晴らしはいいな」
「うん。この感じだと部屋から年末の『光の環』が見られそうだね」
「だな。仲間内で部屋に集まってぬくぬくしながら年越しをするのも楽しいだろうな」
「うん」
川を臨む向こうの部屋も、きっと夜景が綺麗に見えるだろう。街灯りが川面に映り込む幻想的な光景はトリスの観光名所になるほどだから、夜の長い冬の憂鬱な季節にも、楽しく過ごせそうだ。
ルリィとヴィオリッドも川沿いの景色を見渡す部屋の眺望が気に入ったようで、興奮気味に向かいの部屋の窓に齧りついたまま、動く気配はなかった。時折ぷるぷる、ヴォフッとしているのは、何か会話でもしているのだろうか。
二匹の可愛らしい姿に微笑みながらふとアレクを振り返ると、彼は窓枠に手を掛けて外をぼんやりと眺めていた。その視線はひどく遠い。
「……アレク?」
「……ん? ああ」
呼ばれて一瞬外の景色から視線を外した彼は、返事するとまた視線を戻してしまった。
何か気になるものでも見えたのだろうかと窓際に寄ってみたけれど、とりたてて変わったものがあるようには思えなかった。
そのまましばらく無言で眺めていると、やがてアレクは問わず語りに教えてくれた。
「――大聖堂の手前に、モスグリーンの壁に白い窓枠の建物が見えるだろう」
「うん」
「あれがダーグが言っていた孤児院があった場所だ。今は開業医の診療所になってるようだがな」
やけに詳しい。そう思っていたら、その理由はすぐに知れた。
「母が亡くなってからしばらくは、俺もあそこに預けられていたんだ。いたのは半年ほどだったが……その間に俺もいくつかの持ち物を取り上げられてな。共有物にすると言ってクレヨンや絵本を没収されて、そのまま戻ってこなかった。クレヨンは母から、絵本は今にして思えば多分父から贈られたものだったんだろう。大事にしていた家族の想い出が『みんなのもちもの』にされて、『みんな』の手でどんどん消費されてしまって……あれは悲しかったな」
「アレク……」
「だが、俺なんぞはまだいい方だったんだろうな。家族の形見を売られてしまったという子供は確かにいたんだ。まさかそれで死者まで出ていたとは思わなかったが」
経営者や教員は子供たちの住環境の充実と躾には十分に心を砕いていたというが、経営不振の解消のためにその私物――その多くが家族の形見であっただろう――を没収し換金していたという一点においては、悪質のひとことに尽きた。精神的虐待と言っても過言ではなく、だからこそ死者を出し、そしておそらくはそれが遠因となって閉鎖に追い込まれたのだろうとアレクは言った。寄宿学校ではなく表向きは孤児院の体裁を取っていたのも、補助金目当てだったのだろうとも。
「……評判は良かったって話だったけど、外から見ただけじゃ分からない歪みがあったんだね」
「そうだな。そうでなければ俺もあそこに預けられることはなかっただろうさ」
折しも王子二人が事故死し、続いて王妃も体調を崩して離宮で療養生活に入るなど、王宮は混乱状態にあった。そんな状況下にあった父王の元へ、かつての恋人の訃報が届いたのは随分後だったらしい。アレクは父王との連絡が付いて引き取られるまでの間、母子の見守り役だった父王の配下の独断と厚意で、その施設に預けられたということだった。
「世間一般の孤児院と違って、あの施設では基本的には引き取り手のある孤児しか預からない。だから間違って余所に養子に出されるという心配がなかったというのもあったようだが、とんでもないところに預けてしまったと、あとから父には随分と謝られたよ」
その施設の経営者は元貴族の孤児だったようで、幼少期の辛い体験から一時預かりの事業を思い付いたという話だ。そこだけ聞けば良い話なのだろうが、現実はそれほど甘くも優しくもなかったということなのだろう。
「――ああ、悪いな。妙な話をして」
「ううん。気にしないで。でも、そういう想い出のある建物が見える場所って大丈夫? あまりいい気分じゃないでしょ?」
心情的にもあまり愉快ではないだろうが、彼は「大丈夫だ。昔の話だしな」と苦笑した。
「ただ、少し話を聞いてもらいたかったんだ。ありがとな」
「……うん」
話すことで楽になること、区切りをつけられることもあって、きっと彼はそうすることで気持ちの整理をしているのだろうとシオリは思った。
――泣き顔だった小さな栗毛の少年が、困ったような微苦笑を浮かべて走り去っていく幻が見えたような気がした。
「まぁ、これには少し面白い後日談があってな。記名してあった持ち物は没収されなかったと言ったら、それ以来父は俺たち兄弟の持ち物全てに記名してくれるようになって……気持ちは嬉しかったが、下着にフルネームで記名されたときにはさすがにどうしようかと思った。普段は冷静沈着な近衛騎士が、それを見てうっかり噴き出す始末でな」
「んっ、ふふ……!」
一瞬、アレクの王族としての名がひらがなで記名されているところを想像してしまい、シオリは耐えきれずについ噴き出してしまった。
「しかし、父のお陰であの悲しい想い出も少しは払拭できたんだ。孤児院のことを思い出した後には必ずあのときのことも思い出す。オリヴィエはキレるし、近衛は変な声を出して俯いたきりずっと肩を震わせているし、たまたま同席していた宰相――ああ、ザックの親父さんだ――は残念なものを見る顔をして、父は気まずそうに小さくなっているんだ。あのときの話は身内で語り草になっている。だからな、あの孤児院で一緒に過ごした『兄弟』たちも、あんな愉快な想い出で上書きできているといいと、今でも思うんだ」
「そっかぁ……」
かの孤児院には、富裕層ばかりとはいえ家での立場はあまりよくはない子供ばかりが預けられていたというから、その後の人生も厳しいものだったかもしれない。けれども、アレクのささやかな祈りと願いが届いているといいと、切に願う。
――二階を一通り見て回った二人は上の階に向かったが、全体の造りは二階とあまり変わるところはなかった。一つ一つの部屋が二階より広いのは、住み込みの教員や特別寄宿生向けだったからだろう。
「寄宿学校ってお金掛かりそう……」
「まぁ、少なくとも庶民向けではないな。年間授業料だけで労働階級の年収が簡単に吹っ飛ぶぞ」
「ひぇっ」
庶民には無縁の世界だ。この邸宅も寄宿学校時代には富裕層の子息を受け入れていたとあって、随分と贅沢な造りをしていた。寄宿学校だったのは八十年以上前だったというが、その当時から各階に浴室と洗面所が設けられていたというから、それなりに格の高い学院だったに違いない。
「うーん、見れば見るほど即決したい物件」
「だな。これなら少し家具を揃える程度で済みそうだ。あとは……屋根裏か」
そう呟いた途端、まるで聞き耳を立てていたかのように、階上でなにものかがもぞりと身動ぎしたような気がした。




