03 捨てられた女
一行は初日と同様に順調な二日目を終え、三日目の夜を迎える頃にはシオリの能力を十分に理解することとなった。数えきれないほどの依頼をこなし、幾つもの死線を掻い潜って来た上級ランクの冒険者だからこそ彼女の有難みが分かる。
長期間の野営を必要とする依頼はそれだけでも難易度が上がる。幾ら慣れているとは言え、十分とは言えない携帯食の食事に快適とは言い難い環境での睡眠、そして日を追う毎に清潔さを保てなくなっていく身体は、日数を重ねればそれだけ精神も体力も削っていく。疲労は徐々に蓄積し、動きや判断力が鈍るようになる。こうなれば十分に能力を出し切ることは困難だ。それはそのまま依頼の成否にも直結する。時には命さえも左右した。
そんな中で、仲間の体調を管理し世話する者が居てくれたなら、どうか。
快適に調湿された野営結界の中で食後に供された薬草茶を啜りながら、アレクは甲斐甲斐しく働くシオリを眺める。
「お前、ソロで活動しているようだが、特定のパーティに入ったりはしないのか? その働きぶりなら引く手数多だろう」
「……アレク!」
何気なく口にした疑問だった。
だが、クレメンスのやや焦ったような叱責の声が飛び、場の弛緩していた空気が凍った。シオリの穏やかな表情が強張るのを見て、地雷を踏んだことに気付く。
「……皆さんには良くして頂いてはおりますが、どうあっても低級魔導士の身。長く一緒に居れば、どうしても足手纏いになってしまいますから」
微かな苦みの混じる言葉。それに痛みにも似た何かを感じて内心舌打ちした。下手を打った。触れてはならない話題だったか。誰でも触れられたくないものはある。勿論、自分にもだ。
「……お風呂、頂いて来ますね」
居たたまれなくなったのか、シオリは視線を逸らして言うと、天幕の中へ隠れるように入ってしまった。ルリィもどこか責めるような様子で一度ぽよんと弾むと、主を追い掛けて行く。
緊張していた空気が少しばかり緩んだ。誰からともなく溜息が漏れる。
「……すまん。空気を悪くした」
「仕方無いわ。知らなかったんだもの」
言いつつもエレンは気遣うような視線を天幕に向ける。
しばらくの沈黙が下りた。
「――彼女さあ」
ぽつりとリヌスが言った。
「捨てられたんだよ、前のパーティに」
「……捨てられた?」
穏やかではない話だが、冒険者の世界ではよくある事だ。弱い者は切り捨てられる。どれだけ苦楽を共にした仲間でもあまりに足手纏いになるようならば、脱退を促されることもある。こちらの考えを察したのだろうリヌスは、普段は人の善さそうな顔を苦々しく歪めて見せた。
「比喩的な意味じゃないんだよ。文字通りの意味で捨てられたんだ」
――四年程前、当時はまだ冒険者として活躍していたザックが依頼遂行中にひとりの少女を保護した。意識の無い状態で森の中に倒れているところを発見したという。意識を回復した少女と対応した彼らは困惑した。言葉も通じず、どうにか身振り手振りで意思疎通した結果聞き出したのがシオリという名のみだった。異国人の様相をした明らかに訳ありの様子の彼女を彼らは持て余したが、身元も分からぬ民間人の少女を立場上捨て置くわけにもいかず、その身柄は組合に預けられることになった。
しばらく経ち、日常会話程度はこなせるようになった頃、少女だと思っていたシオリが既に二十代も半ばの成人女性だと知り、皆驚いたという。だが、年齢と出身国まで聞き出したはいいが、地図上に該当する国は無かった。地図にも乗らぬ小国か、はたまた未開部族の出か。組合でも意見は割れたが結論は出なかった。何故あの場所で倒れていたのか、どこからどうやってあの場所まで来たのか、それすらも分からなかった。シオリは己の身に起きた事を察したのか、故郷への帰還を諦めた様子だったという。
ともかく、成人女性ということならば、生活の糧を得るために職を得なければならない。まず最初は組合の手伝いから始めた。食堂の仕事や事務方の雑用をする傍らで、言葉や歴史、文化を学んだ。生き抜く為に必死なのか、吸収は早かった。貪欲に必要なだけの知識を学ぶ。辺境の未開部族かと思われていたが、独り立ち出来るだけの知識を得た頃には、そう思う者はほとんど居なくなった。その立ち振る舞い、物の考え方、学び方、知識の生かし方――そのどれを取っても、高度に洗練された文化の中で生活をしてきた事を示していた。
とはいえ、近隣では見ない異国人風の容貌と身元不明で訳ありの身とあっては雇い入れてくれるところはなく、結局そのまま冒険者として登録することにしたのだという。試験さえ通れば、身元不明だろうが訳ありだろうが、そういった複雑な事情を抱えた者達の受け皿としても機能する冒険者組合だ。
試験を難なく通過し、適性検査の結果、魔力を有していることが判明した。だが、その魔力量は極めて低く、一般的な魔導士として活動出来るかと言えば微妙なところだった。それでもシオリはその道を選んだ。成功を目指すのではなく、生活するための手段なのだからそれでも構わないのだと。
こうしてシオリは冒険者となった。始めは遺失物捜索や薬草摘みなど、初級の冒険者でも忌避するような手間のかかる割に実入りの少ない地味な依頼を積極的に受けて、地道に経験値と報酬を稼いでいく。
人柄の良さと仕事の丁寧さ故か、最低ランクの依頼だけでもある程度の信頼を勝ち得ると、そのうち下位ランクのパーティにも誘われるようになった。人数合わせや穴埋めのための一時的な加入だったが、そこでも一定の評価を得たようだった。敢えて低級魔導士でも下位に位置するという事実を包み隠さず相手に伝え、その上で戦闘の役には立てない代わりに冒険中の雑務を引き受けた。
数ヶ月経つ頃には、珍しい魔法の使い方で旅先でも快適に過ごせるという噂が組合でも知られるようになっていた。シオリが入れば成功率も上がる。成績を少しでも伸ばしたいパーティは積極的に彼女を雇った。魔法によって整えられた快適な野営環境と細やかな気遣いは、確かに冒険者たちの士気を上げた。低級魔導士としての活路を独自の方法で見出したシオリは着実に経験値を稼いでレベルを上げ、貢献度を認められてD級への昇格を認められた。
そして、冒険者になって一年と半分が過ぎた頃、【暁】の名を冠するパーティに誘われた。一時加入ではなく正式なメンバーとしてだった。D級のメンバーで構成された【暁】は、C級昇格を目指してはいるものの近頃は成績も芳しくなく、シオリの能力に目を付けたようだった。
固定パーティでの活動経験は無く、自身の魔力の低さを自覚していたシオリは相当悩む様子を見せた。しかし【暁】の熱心な勧誘と、そしてシオリ自身も恐らく身の置き場が欲しかったのだろう――【暁】への参加を決めた。
【暁】の問題点はメンバー構成のバランスの悪さだった。成績低迷の理由はそこにあった。力押しの通るものや、日帰りで終わるような依頼ばかりのE級の頃は、五人中四人が前衛職という偏った構成でも問題は無かった。だが、数日の野営を要す依頼や、微妙な判断も要求されることも増えるD級に昇格すれば、それも徐々に難しくなった。
そこへ適切な支援が行えるシオリが加入したことで、状況が変った。疲労を翌日に持ち越さず十分な回復が望めるために、多少の無理がきくようになった。依頼達成率も上昇し、経験値を稼ぎランク昇格への点数も順調に稼いでいった。
身寄りの無いシオリにも居場所ができた。メンバーの魔法剣士とも特に親しくする様子を見せ始め、ザックを始め彼女を見守ってきた者達も安堵した。
だが、三ヶ月を過ぎた頃、僅かな異変が生じた。
最初に気付いたのは同じ支部で活動する薬師の男だった。
(――装備の質に差がある)
最近は成績良好で羽振りが良いらしい【暁】は、頻繁に装備を替えるようになった。古参のメンバーは少しずつ装備の買い替えを進め、数ヶ月前と比較しても立派な物になっている。それに引きかえシオリだけは以前のまま。装備に拘らない質なのか、それとも。
直接相手と対峙する前衛と異なり、どうしても後衛職の装備は後回しにされがちなのは分かる。だが、それでは同じ後衛職の女との差に説明がつかない。薬師は自身も後衛職だからこそ知っていた。報酬の分け前で前衛職と差が付けられることは珍しくない。しかも新参者だ。配分が少ないこともあるだろう。
そう思い、多少の違和感が気になりはしたが、その時はそれきりで終わった。
しかし、その後も状況は徐々に悪くなっていく。
依頼達成後の宴席で、シオリの姿を見かけなくなった。古参メンバーのみで盛り上がる光景は、他者の目からもやはり違和感があった。そのうち古参メンバーはC級への昇格を果たしたが、シオリはD級のまま。シオリ加入後からの彼らの活躍ぶりを見れば、少なからず彼女の貢献も影響しているはずだった。にも関わらず査定は低評価なのだという。
半年を数える頃には、人目も憚らずに彼女を邪険にする様子も目に付き始め、彼らの関係の異様さが際立つようになった。シオリは搾取されているのではないか。憔悴した顔と、明らかに古参メンバーと差異の目立つ装備に、そんな噂が囁かれるようになった。
【暁】の好成績はシオリの貢献があったからこそでは無かったのか。だというのにシオリのあの扱いはどういうことか。組合に意見する者も少なくなかった。だが事勿れ主義の先代マスターは、この意見を聞き流した。
「一方的な搾取等の不正を防止する為、報酬の分配は組合を通して行われている。【暁】も同様だ。シオリは間違いなく報酬を受け取っている。昇格が無かった件については、【暁】からの報告で彼女の貢献度が低いと判断されたからに過ぎない。足手纏いになっているのだ」
そう言って取り合わなかった。
【暁】のメンバーも、シオリへの不満を隠そうとはしなかった。確かに初期の頃は良かったものの、ここ数ヶ月は【暁】の成績は再び悪化の傾向にあった。失敗こそしないものの達成率は低く、満足の行く結果が得られていない。シオリが思うような働きをしなくなった。移動中や戦闘中の動きも悪く、足手纏いになる一方だと。
ならば彼女を脱退させれば済む話だ。にも関わらず、何か旨味でもあるのか、【暁】は彼女を手放すのを嫌がった。
シオリ自身も他の冒険者との接触を避けているのか、報酬の分配時以外は組合にも一切顔を出さず、依頼で街を離れる時と買い物に出る以外は下宿に引き籠っているようだった。
――何かがおかしい。
S級冒険者への指名依頼で組合を空ける事も多かったザックは、この時初めてシオリの様子を知り、有志を募って独自に調査を始めた。有志は直ぐに集まった。【暁】に加入して以来シオリを完全に独占され、その恩恵を一切受けられなくなったことで、他の冒険者からは不満も出始めていたからだった。
組合職員や近隣店舗への聞き込みの結果得られた事実は、ここ数ヶ月、パーティの食費や消耗品代は全てシオリが支払っていること、彼女が武器屋や防具屋などに出入りしている形跡が一切無いこと、そして、他のメンバーは装備の買い替えや遊興施設への出入りが増えたことだった。
そして、三ヶ月ほど前から【暁】の実力に見合わない難易度の依頼を引き受けるようになったという事も気になるところだった。成功続きで味を占めたか、それとも己の実力と過信したか。理由はどうあれ、それはいかにシオリの支援があれども達成は難しい依頼ばかりだった。
その頃からだ。シオリの様子に変化が生じたのは。
間違いない。彼女は搾取されている。恐らく成績低迷の責任を擦り付けられ、パーティの為に金を使う事を懲罰的に強要されている。報酬は全てパーティの経費に消え、装備を整える余裕もない。それどころか、元々の貯えにすら手を付けている可能性もあった。その上で無理な依頼に同行させられている。
他のメンバーは、本来支払うべき経費が浮いた事で懐が潤っているのだろう。働き盛りの男が多く、飲食や旅に必要な消耗品に掛る費用は馬鹿にならない金額だ。その支払いを全てシオリが肩代わりし、浮いた経費はそのまま懐に入るのだから、雑務や経費の支払いを一手に引き受けるシオリを手放したがらないのも道理だった。
――ある程度の証拠を集め、いざ突き付けようとしたその矢先に事件は起きた。
組合を通さない直接依頼を受けて旅立った【暁】が、シオリを伴わずに帰還したのだ。シオリはどうしたのか。皆は当然彼らに詰め寄った。だが【暁】のリーダーだった剣士は悪びれもせずに言った。
「シオリは自力歩行が難しい怪我を負った。こちらも身の危険が迫って、止むを得ず彼女を置いて脱出することを余儀なくされたんだ。そう責めないでくれ」
冒険者緊急避難法――冒険中、自らの生命に危険が迫った場合、負傷者を放置して立ち去っても違法性を問われない。これを適用したのだと。
ならばせめて彼女の居場所をと問うたが、彼らは頑として口を割ろうとはしなかった。守秘義務により、依頼での行先も依頼人の素性も一切明かせないと言う。
「仲間の命より守秘義務を取るってのか。まだ命はあったんだろう。今からでも遅くはない。お前らに無理なら俺が行ってやる」
もし手遅れだったとしても、せめて弔ってやりたい。
S級のザックに凄まれC級の彼らは震え上がったが、それでも明かそうとはしなかった。
「依頼人は帝国の上級貴族なんだ。強く口止めされているし、報酬にその分も上乗せされている。下手に明かせば我々に類が及ぶ。勘弁してくれ」
そう言われてしまえばそれ以上の追及は難しかった。帝国との国交はあるとは言え、その関係は極めて微妙だ。気位が高く選民意識の強い帝国の上級貴族の機嫌を損ねれば、厄介事になるのは目に見えている。
だが、それではシオリは。調べようにも直接依頼となれば組合にも記録は残らない。決して口外はしないからとしつこく食い下がってみたが、結局聞き出せないまま彼らは逃げるように定宿に戻って行った。
――組合に暗澹たる空気が漂ったまま、数日が過ぎた。ザックらは出来る限りの手を尽くしたが、件の依頼人とやらもトリスに立ち寄らずに別れたらしく、手掛かりは得られなかった。
打つ手は無しか。
誰もが諦めかけた時、シオリが帰還したという知らせがあった。トリス西門の外で、瑠璃色のスライムに抱えられるようにして倒れているところを保護されたのだ。辛うじて意識はあったものの発熱と衰弱が酷く、危険な状態だった。懸命な治療の末に一命は取り留めたが、精神的な疲労も影響してか寝込む日が長く続いた。その間、瑠璃色のスライムは彼女の傍を片時も離れなかった。シオリをここまで運んだのはこのスライムだと彼女は言った。食料を分け与えた事を恩義に感じてのことらしい。
しかし、それにしても。
シオリの身体には【暁】の剣士が言うような怪我は何処にも見当たらなかった。それに、いかに命の危険が迫ったからとて大の男が四人も居て、誰もこの小柄なシオリを運んでやろうとは思わなかったのか。
【暁】のメンバーは、シオリの帰還を知っても喜ぶどころか苦々しい顔をするのみだった。いよいよ何かあると問い詰めた結果、シオリの恋人と目されていた魔法剣士がとうとう口を割った。
「貴族の護衛で入った迷宮で装備類を沢山入手出来たんだ。依頼人は自分の目的の物さえ手に入れば、あとはこっちの物にしてもいいと言って……」
数ヶ月に及ぶ無理が祟って道中倒れたシオリを捨て置くよう命じたのは依頼人の帝国貴族だ。貴族主義の思想が根強い彼らにとって、冒険者の女の命ごとき些末なことだった。シオリよりも依頼の完遂を優先するよう言い募り、【暁】もそれに従ったのだ。足手纏いと蔑む女を連れ帰るより、戦利品をより多く持ち帰ることを彼らは選んでしまった。ようやく中堅ランクに手が届いたばかりの彼らにとって、それらは喉から手が出るほど魅力的だったのだ。
――そんな理由で、シオリは迷宮の深部に、たった一人、捨てられた。
ルリィ「一飯の恩(キリッ」