33 祈りと恵みの祝祭
二日後はよく晴れ渡って爽やかな風が吹き、夏至祭前夜を楽しむには素晴らしい日となった。
二人と二匹はその日、トリス支部所有の馬車に乗り込み、国境に向かった。竜討伐後の周辺の調査と、難民キャンプでの夏至祭に参加するためだ。
作戦直後はあちこちに転がっていた魔獣の遺骸も全て綺麗に片付けられ、各地に避難していた人々もそれぞれの家に戻っている。途中で立ち寄った村は以前の活気を取り戻して、村人達も魔獣暴走後の生活を立て直すために精力的に働いていた。
「逞しいなぁ」
「だからこそ人類はここまで発展してこれたんだろうな」
「そうだね」
あのとき司令部が設置されていた本陣は解体され、既に跡形もなかった。今はディンマ氷湖に氷蛇竜と氷湖の調査のための仮設研究所が建設中で、シオリとアレクは竜の墓参も兼ねてそこに向かった。
途中で組合の馬車を降り、仮設置された騎士隊の中継所から輸送馬車に乗り換える。
氷湖への行き来が増えたこともあり、そこに至るまでの道は簡単ながらも整備されていた。
「そういえば、氷湖に大量の魔法石が沈んでるって新聞に載ってたね。やっぱり回収するのかな」
「だろうな。地下水路の奥にあるとかいう帝国の研究所跡、あそこから入ればなんとか回収できんこともないという話だ。上手くすれば今回の被害の補填に充てられるかもしれん」
「そっか」
やがて馬車は見覚えのある丘で停まった。あのとき第一次防衛線が敷かれていた場所だ。
この先は一般人が立ち入ることはできず、二人も例外ではなかった。
「どのみち、解剖された姿を見るのはお辛いでしょう。せめてここから祈ってやってください」
特別にこの場所から氷湖を見ることを許された二人は、丘の上から下を見下ろした。
竜はあのときの姿のまま、すっかり凍り付いていた。
周囲を騎士や研究員らしき人影がうろついている。けれども様子を見る限り、調査とはいえ竜の身体は丁重に扱われているようだった。
「組織の一部は王都や領都の研究所に保管されることになるでしょう。残りは調査終了後、この地に埋葬されます。竜は余すところなく素材にできるという話ですが、今回ばかりは北方騎士隊の総意ということで、可能な限り遺体を傷付けずに埋葬することになりました。さすがにね、あまりにも気の毒なので」
付き添いの騎士はそう教えてくれた。
竜を埋葬した後は慰霊公園として整備する案も出ているという。犠牲となった者達の霊を慰め、旧帝国の悲惨な歴史と教訓を後世に伝える場とするのだ。
この工事を取り行うことによって雇用も生まれる。一時的に魔獣が激減して収入源の一つが絶たれた人々にとっても、悪くはない話に思えた。
「……とはいえ、魔法部隊の部隊長殿は随分食い下がったみたいですけれどね。貴重な素材なのにと」
その部隊長とは、作戦会議のときシオリの引き抜こうとした幹部の一人だ。確かアッペルヴァリという名の男だった。
よほど人望がないのだろうか。部外者にそんなことを暴露されているアッペルヴァリの、騎士隊内での評判を薄っすらと察してしまった。
「その、大丈夫なんですか。後からこっそり掘り返したりとか、粘って覆したりなんてことは」
「大丈夫なんじゃないですかね」
心配するシオリをよそに、その中年の騎士はしれっと言った。
「先日研究棟で、何故か下半身だけ下着一枚になって歩いているところをとっ捕まって、更迭されましたので。寝惚けてたんですかねぇ」
「……」
「……」
シオリとアレクは顔を見合わせ、そして同時に足元のルリィを見下ろす。
ルリィは「自分じゃないよ」とでもいうように、ぷるんと震えた。
恐らくブロゥの仕業だろう。あのスライムはザックの使い魔である立場上、クリストフェルや騎士隊幹部と会う機会が多い。その過程で何か思うところでもあったのではあるまいか。
「まぁ、気にしなくてもいいと思いますよ。あの御仁、手癖が悪くて女性には大層不人気でしたから、いい機会だったのではないですか」
「なるほどセクハラかぁ……」
「黙っていればご婦人受けのいい美中年なんでしょうがね。こればっかりは仕方ありませんな」
「……そ、そうですね……」
万が一、あのときあのまま強引に引き抜かれていたら、自分も餌食になっていたかもしれない。
隣で青筋を立てているアレクを宥め、ペンダントに加工した鱗を手に竜の冥福を祈る。
「またね」
その言葉が届いたのかどうか、竜の周りの空気が揺れ、ふわりと光が舞ったように見えた。
その後、引き返してザック達と合流する頃には黄昏時になっていた。北西の山際は茜色に照らされ、空のほとんどは夜の色に染まっている。
けれども物寂しさはない。夏至祭前夜を祝う国境地帯には魔法灯の灯かりと人々の笑顔に溢れている。国境の砦周辺には隊商の天幕が立ち、僅かな貯えから少しでも良いものを手に入れようと、多くの難民で賑わっていた。
「良かった……商人さん達も、思ったより沢山来てるね」
竜騒動やその復活に絡む経緯から、参加を見合わせる商人もあったという。それどころか夏至祭そのものの開催すら危ぶまれていたが、無事開催できるとあって、関係者はさぞ安堵したことだろう。
「帝国絡みだったものね。やっぱりそれで騒いだ人もいたみたいだけど」
「まぁ、こればっかりは……何しろ事が事だからな。感情的になるのは致し方ない面もある」
それでも国民の大多数は冷静で、難民と皇帝派残党は切り離して考えるべきだという論調だ。そうでなければ、貴族が犯した罪を民に贖わせることになってしまう。
雑談しながら周辺を見回っていた二人は、思わぬ一団を見つけて「あっ」と声を上げた。
隊商の中でもひときわ目立つ、異国情緒溢れる身形の集団。その荷馬車の幌には、花を模った東方風の紋章があった。楊梅商会の幌馬車だ。
三角帽子の東方人に気付いた一人が幌の中に向かって声を掛け、間もなく中から武芸者風の女が顔を出した。
「シオリ殿! そなたも来ておったか!」
「ヤエさん! お久しぶりです」
楊梅商会代表ヤエ・ヤマブチは、シオリの顔を見るなりぱっと顔を綻ばせて馬車を飛び降りた。後ろからショウノスケ・ゴトウが慌てて追い掛けてくる。
「難民支援の祭りと聞いては我らも黙ってはおれぬゆえ、押っ取り刀で馳せ参じた次第だ。そなたに文を出したが、どうやら行き違えたようだな」
抱擁と握手で再会を喜び合い、一頻りの挨拶を済ませたところでヤエは教えてくれた。出発前に参加を報せる手紙を出してくれたらしいが、先週の混乱で遅れと行き違いが生じていたようだ。
「伝説の幻獣を従えた竜の英雄と聖女、そのような噂を聞いたがあれはどうやらまことであったようだな」
ヤエは二人の首に下げられている幼竜の鱗の首飾りと、アレクの後ろで大人しくしている美しい巨大な狼の姿に感じ入るものがあったようだ。
「斃したのは私達だけではないですし、なんだか肩書ばっかりが独り歩きしてて、凄く気恥ずかしくはあるんですけれども」
「……その名は、重いか?」
不意に落とされたヤエの問いに、しばらく考えたシオリは静かに首を振った。
「最初は重いとも思いましたけど、最近はそういうのも必要なのかなって思うようになりました。自分のためでもありますけど、誰かの目標とか支えになるのなら、それもありなのかなって。勿論、偶像崇拝は困りますけれどもね」
肩書は重くもある。しかし人々に何かを伝え、残していくためには必要なものでもあるということを、シオリは理解するようになっていた。
黙って聞いていたヤエは、やがて何かを噛み締めるように何度も頷き、そして微笑む。
「積み重ねた実績の上に肩書があり、それが説得力を与えるものとなる。それを理解したそなたならば、悪いことにはなるまいよ。勿論それを悪用せんと近付く輩もあるやもしれぬが、それはそなたの騎士殿が追い払ってくれよう」
人の上に立ち多くのものを見てきたヤエの言葉は、シオリの胸に響いた。
「……そうですね。私もこの肩書に恥じないよう、もっと精進します」
「それは、ほどほどに、のう?」
シオリの事情をそれほど多く知る訳ではないヤエにも、何か思うところはあったようで、そこはしっかり念押しされてしまった。
その後は近況報告や情報交換で友好を深めた。
彼らもよく知るクレメンスが負傷して療養中であること、しかし命に別状はなく、近いうちにナディアと籍を入れる予定であることなどを明かすと、ひどく驚いて「見舞いと祝いを同時に贈るのは王国の礼儀に反するだろうか」と真剣に悩み始めてしまった。
「そちらはどうなんです? 醤油が北方騎士隊にまで普及しててびっくりしましたけど」
「お陰様で好調でな。だが、今は興味本位で取り寄せている者も少なくはないようだ。だから見極めはせねばなるまいな」
「なるほど……」
手放しで喜ぶことはないあたりが、さすがというところだ。
事業提携しているロヴネル家とも関係は良好で、ヤエとバルト・ロヴネルの交際を匂わせる言葉があったときには、驚きのあまり二人して素っ頓狂な声を上げてしまった。
名門ロヴネル家傍流の跡取りと東方屈指の大商会の娘との交際は、世間的にも難しいところは多いかもしれない。けれども良い方向に話が向かえばいいとシオリは思った。
「そうだ。余興で演武やることになってるんだが、良かったらショウノスケ殿もどうだ」
冒険者組合の余興として、ザックとアレクの演武が予定されている。二人の英雄の演武はきっと人々に希望と勇気を与えるだろうと、クリストフェルの薦めがあったからだ。
しかしそれは表向きの理由だ。王国の武力を示し、旧帝国側の不穏分子へ精神的圧力を掛けるという意味合いもあるらしい。
そもそも難民キャンプでの夏至祭開催自体が、純粋な慈善活動ではないようだ。これから王国の民として生きることになる難民を、言葉は悪いが懐柔する目的もあるようだった。
「某がか」
突然の誘いに、ショウノスケは目を瞬かせた。
「無理にとは言わん。だが、あんたが参加したらきっと盛り上がるぞ」
「そういうものか……」
「良いではないか。滅多にあることではないぞ」
ショウノスケは少し悩むようだったが、ヤエの後押しもあって首を縦に振った。
「楽しみだね」
「ああ。演武にかこつけて手合わせもできるしな」
「な、なるほど……」
一度承諾してしまえばショウノスケも随分と乗り気で、後で打ち合わせに出向くという約束をして彼らと別れた。
「元気そうだったね。私も元気をもらっちゃった。なんていうか、いつもとは違う風に吹かれて、気分が変わったような気持ち」
「なんだかんだで気質が合うんだろうな」
「うん。今では懐かしいような気さえしてるよ」
書類の上だけとはいえ、いずれは故郷となる東方の地。いつかは行ってみたいとシオリは思う。
その晩はショウノスケを交えて打ち合わせした後、早々に就寝した。
人の気配があまりにも多く落ち着かないのではと思ったが、長旅の後だったからか、意外にもぐっすりと眠ることができた。
翌朝目覚めると、既に外は活気に溢れていた。
早起きの商人達は屋台や出店を出し、朝食を買い求める人々で賑わっていた。
難民は仮設の家や天幕に草花で編んだ花飾りを付け、子供達はその合間を楽しげに駆け回っている。
彼らのほとんどは、王国の人々の善意で集められた民族衣装を身に纏っていた。鮮やかな生地と色とりどりの刺繍が美しい。地域ごとに意匠が違うのか、生地の色や刺繍は異なっている。
「ああいうのって、民族感情を傷付けられたりしないのかなってちょっと心配だったけど、そういうこともなさそうだね」
そう言うとアレクは眉尻を下げ、ほんの少しだけ悲しげな表情を作った。
「貧しい生活を長年続けるうちに、少しずつ伝統が失われていったようでな。歌や踊りは辛うじて残っているが、ああいう色鮮やかで金になりそうな衣装や工芸品から売り払って……今ではごく一部にしか残っていないそうだ。鮮やかな染料自体が贅沢品扱いされてもいたようだから……新しく作ることすらできなかったんだろうな。元々彼らが着ていた服を見れば分かる。生成り色や茶色、よくて濃い緑色か。ほとんど素材の色そのままだっただろう?」
「言われてみれば……」
他民族の侵略ではなく、国の政策によって失われる文化もある。
国による文化の消滅。それは緩やかな自殺とも言えた。
それはひどく悲しいことだとシオリは思った。
「このままなくなっちゃうのかな」
「現物と記録が残っていれば、復活もできるんだろうが。生活が落ち着いて余裕が出てきたら、そういうことを始める人間も出てくるかもしれんな」
「……うん」
「こういう分野はナディアが得意なんだ。あいつの故国が元々はその分野に力を入れていてな。国が滅んでからも、伝統だけは受け継いでいきたいという思いで刺繍の腕を磨き続けていたそうだ」
「そ、そっか。うーん、なんだか皆凄いなぁ」
なんとなく圧倒されていると、「お前だって凄いじゃないか」とアレクは笑った。
「お前の世界の技術や知識を、俺達に合う形に変えて伝えてくれるだろう。今回の戦いでそれはよく分かったじゃないか。分かりやすい形ではないかもしれないが、確実に浸透はしているぞ」
「……うん。ありがと、アレク」
繋いでいく技術、伝統。
語り継ぐ物語。
新しく取り入れたものも、少しずつ形を変えて浸透していく。
こうして様々な形で、人々の想いと願いが受け継がれていくのだろう。
人と人との出会いもまた同じだ。
巡り合い、重なり合う人生の先に、新たな人生を紡いでいく。
「――俺達も……」
「うん?」
恋人を見上げると、紫紺色の瞳が陽光を受けてアメシストのように輝いた。
「一緒になったら、いずれは……紡いでいくものができるだろうか」
「だろうか、じゃなくて」
伸ばした指先をアレクの唇に押し付けたシオリは。艶やかに微笑む。
「紡いでいこうよ。だから、待ってる」
目を丸くした彼はやがて、破顔して頷いた。
「……ずっと待たせたままで悪いな」
「ううん。区切りをつけて落ち着いてからにしたいって、その気持ちは分かるから」
「ああ。だが、もうすぐだ。オリヴィエやレヴィと話して蟠りを解いたら、そのときは――」
掬い上げた左の薬指に口付けを落としたアレクの唇が、短い言葉を紡ぐ。けれどもその言葉は人々の歓声に掻き消され、シオリの耳に届くことはなかった。
でもその聞こえなかった言葉に込められた想いは、確かにこの胸に届いた。
季節の草花や瑞々しい若葉で飾られた夏至柱が男達の手によって立てられ、一際大きな歓声が上がった。旅芸人や楽団の音楽が奏でられ、それに合わせて人々は踊り出す。
ルリィは音楽に合わせてぽよぽよと弾み、ヴィオリッドも楽しげに身体を揺らしている。
光と喜びに満ち溢れた、華やかな光景。
それを見て微笑んだ二人は、静かに口付けを交わした。
その日、国境の難民キャンプで開催された夏至祭は、類を見ない賑わいを見せた。
呪われた歴史から解放され、新たな日々に希望を見出した人々の表情は明るく、祈りと恵みの祝祭は夜遅くまで続いた。
この祭でトリス在住の旧帝国人代表として出店していた食料品店のマリウスは、祖国を脱出して以来二度と会うことはないだろうと思われていた幼馴染みと、奇跡の再会を果たした。
言葉もなく抱擁を交わす二人を、多くの人々が涙と歓声で祝福した。
マリウスの郷里ではこの十年で多くの命が失われたが、生き延びた人々は反乱軍や連合軍の内通者と思しき者の手によって、どうにか国境に流れ着いたという。
夏至祭の後、幼馴染みを含むいくつかの家庭はマリウスの手引きで職を得、やがてトリスに根付いたようだ。残りの半分は保護領が王国に編入されたのち、郷里に戻っていった。残りは国境周辺の開拓村の一つに向かい、そこに根を下ろすことにしたという。
竜討伐でともに戦ったフロルとユーリャもまた、ディンマ氷湖にほど近い開拓村の住人となった。
村人の先頭に立って開拓作業に勤しむ傍ら、二百年ほど前の皇帝によって沈められた数多の魔法石を回収する作業に携わった。竜の埋葬後は墓守と語り部としても積極的に働き、後にフロルは辺境伯から直々に村長に任命されたようだ。
その傍らには、妻となったユーリャが寄り添っていたという。
冒険者組合主催の演武は後に語り継がれるほどの盛況ぶりで、竜殺しの英雄二人の迫力ある演武は観客を熱狂の渦に巻き込んだ。
人の背丈ほどもある大剣を軽々と振り回すザックと、その上背のある体格からは想像もできぬほど俊敏に動くアレクの戦い。
それはまるで武神と竜神の舞のようであったと、トリス・タイムズの記者は記している。
急遽招かれた東方の剣士ショウノスケの演武も注目を集めた。
黒地の布をたっぷりと使った不思議な衣装を身に纏う東方の侍の剣は、宵闇に輝く弓張り月のように鋭く繊細な光を放つ。
それはまるで、闇路を照らす導きの光。
歩むべき道に惑う混迷の民を導く神に喩えられたショウノスケは「話を盛り過ぎではあるまいか」と困惑したが、「希望を見出したい民の願いの表れと受け取っておけ」というヤエの言葉に、どうにか納得したようだ。
シオリの幻影魔法による「活弁映画」も大きな話題となった。
猛る竜を慰めた聖女の名に違わず、慈しみと希望に溢れた幻影。
世界各地の美しい景色と情緒豊かな音楽は、過酷な日々を生き抜いた人々の心を癒した。
また、新しき英雄が演武を終えた後に跪いて聖女の手を取り、永遠の愛を誓って、観衆に拍手喝采の祝福を受けるという一幕もあった。
多くの人々に称えられる英雄も、聖女も、実のところはただの人である。しかし、伝説とはこうして作られ語り継がれていくのだろうと、夏至祭を紹介する記事で件の記者はそう締め括った。
――初夏の空は高く青く、平和の訪れを祝い豊穣を願って歌い踊る人々を、静かに見下ろしている。
脳啜り「……まさかとは思うけどもしかして竜のやつ取り憑いt」
陽キャ竜「ウフフ」
ウ フ フ
第8章本編、終了です。この後はいくつか幕間挟んだ後に、新章開始ですん。
それから4日夜か5日に活動報告にて「いつもの」お知らせあります。




