14 災害級
いつもは活気に溢れている組合の空気は重く、朗らかな同僚達でさえ今は声を潜め、深刻な顔でひそひそと言葉を交わしていた。
けれども戸口に立った二人の背後、日没直後の暮色のような色合いの大きな獣に気付いた彼らは、ぎょっと目を剥いた。
俄かに上がったどよめきに、書類を片手に険しい顔のザックも何事かと振り返る。
そしてヴィオリッドの姿を認めた瞬間、道端でばったり竜と出くわしてもここまでは驚かないだろうというほど派手に仰け反った。
「おま……お前、何だその、それ、そいつ」
緊迫感が台なしの言語崩壊ぶりに、ブロゥが「ちょっと落ち着いて」とその足元をつつき、二人は思わず苦笑いしてしまう。足元のルリィも可笑しそうにぷるるんと震えた。
「詳しいことは後で話すが、件のフェンリルを使い魔にした。といっても、どうやら雪狼の変異種らしいがな」
「いや、フェンリルを使い魔にって、お前そんな簡単に」
「ヴォフン」
この二日でこういった反応にもすっかり慣れたのか、ヴィオリッドは狼狽えるザックを意にも介さず「以後よしなに」とでも言うように一声鳴いた。
「……とまぁ、見ての通りこいつに害はない。依頼人も納得してくれた。これは騎士隊長殿の許可証と依頼完了のサインだ」
「お、おう。確かにな……確かに間違いはねぇようだがよ……」
目を白黒させながらもサイン済みの依頼書に視線を走らせたザックは、「今すぐ色々問い詰めてぇところだが、それはまた今度な」と深々と溜息を吐く。
「この調子でドラゴンの奴も穏便に済ましてくれりゃあいいんだが……」
「……ドラゴンで確定なんだね」
それを見たことがないシオリにとって、どこか遠い世界のお伽噺のようにも思えた。実感がまるでわかない。
「ああ。ついさっき騎士隊から第二報が届いた。ほぼ間違いねぇが、種類の特定ができねぇって話だ。つまりは変異種、もしくは新種の可能性があると」
氷湖に出現した未知の竜種。
「――伝説の……氷蛇竜とやらの可能性は?」
この場にいる誰もがその可能性に思い至っておきながら、それでも口に出すことは憚られたその疑問を、アレクは敢えて口にした。
けれどもザックは正直に「分からねぇ」と答えた。
「分からねぇが、その心積もりでいた方がいい」
ごくりと誰かの喉が鳴った。
「……皆、聞いてくれ。ついさっき、北方騎士隊本部から正式に援軍の要請があった。組合としては勿論受ける。だが、これから当たってもらう案件は、最初の襲撃で多数の死傷者が出ている」
それまであった微かなざわめきさえ消え、水を打ったような静寂が場を支配した。
誰も身動ぎ一つしない。
ザックはそのまま目を閉じ、何か悩むようにしばらくの間考え込んでいた。書類を持っていない方の手が一瞬固く握られ、そして解ける。
やがて彼は重々しく口を開いた。
「――今回はただの魔獣暴走とは訳が違う。魔獣の掃討と並行して死傷者を出した化け物――未知のドラゴン討伐も行うことになる。また、近場の難民キャンプの集団パニックも予想される。そうなった場合、現場は混乱を極めるだろう。そのため緊急度、難易度ともに特Sランクに相当する」
一瞬の静寂。
次の瞬間、ぴんと張り詰めていた空気が崩れ、小さな悲鳴が重なった。
ぞっと立ち竦んだシオリをアレクは力強く抱き寄せたが、その彼の手でさえ、緊張にひどく強張っていた。
息苦しくなるほどの緊張感。吐いた溜息が震えを帯びる。
特Sランク。
――人的・物的被害想定は甚大、災害級。
「今回の緊急招集、これだけの人数が応じてくれたことは嬉しく思う。だが事情が変わった。仲間内から死傷者が出るかもしれねぇ現場だ。後方支援に回ったとしても、前線が崩れりゃあ否が応でも身体を張ってもらうことになるだろう。だから無理強いはしねぇ。それぞれに事情や考えもあるだろう。ここで辞退してもらっても構わねぇし、どんな選択をしようが誰にも文句は言わせねぇ。俺達は自由を貴ぶ冒険者だからな。よく考えて決めてくれよ」
命あっての物種が第一信条とも言える冒険者だ。だから命を賭けろとは言わない。その代わりに彼は自ら先頭に立つつもりでいる。
ザックは見慣れた軽戦士風の装備ではなかった。竜鱗鎧を着込んだ竜殺しの英雄姿の兄貴分は、この場に集った冒険者をぐるりと見回した。
けれどもその視線を誰とも合わせはしなかった。そうすることで、ほんの僅かにでも「お前は出ろ」という圧を与えてしまうことを危惧したのだろう。
否、彼のことだからむしろ、お前は出るなと言ってしまいそうになるのを堪えているのかもしれない。
――養う大家族がいる男、乳飲み子を預けて働いている若い母親、籍を入れたばかりの青年など、幾人かが手を挙げて辞退した。
中には年齢を理由に辞退した者もいた。国内最高齢の冒険者、ハイラルド・ビョルネ翁もこのうちの一人で、彼は「ドラゴンを相手にするような歳はとうに過ぎたがの、留守番くらいなら儂にもできるじゃろうて」と笑った。
万が一にも前線が総崩れになった場合、魔獣と、そして暴徒と化した難民が街を襲うかもしれない。
だから精鋭が抜けて手薄になる組合を、ひいてはトリスの街を護るために残ると、そう言うのだ。
辞退した同僚達もハイラルドに追随した。
「爺さんになら安心して留守を任せられるってもんだ。頼んだぜ」
「先生の分も我々が戦います」
若い頃から孫息子のように可愛がっていたザックと愛弟子クレメンスの頼もしい姿に、ハイラルドは目を細めて笑った。皺と古傷が刻まれた手で二人の肩を叩いて何度も深く頷く仕草に、言葉にできない想いが溢れている。
師弟の見送りの儀式を済ませたクレメンスの腕に、ナディアの手が掛けられた。頷き合うこの二人は、ともに危地へ向かうつもりなのだ。
シオリは恋人を見上げた。そして足元の友人を見下ろす。
アレクは頷き、ルリィはぷるるんと震えた。ヴィオリッドもまた尾を優雅に揺らす。
彼らは残れとは言わなかった。恋人も友人も、ただ護られるだけの存在でいろとは決して言わなかった。
恐怖は勿論ある。そして自らが戦力としてはあまりに弱いという自覚もだ。
けれども、大切な人達がともに征くことを肯定してくれたのなら、何も憂うことはない。自らが持てる全ての力で以って、未知の竜を討つ、その手助けをするのだ。
――フルオリット山脈とリーリア谷のドラゴンを斃した竜殺しの英雄ザック・シエルの号令、そしてそれに応える冒険者の鬨の声が組合に響き渡った。
ユル蛇(´-`).。oO(ユル蛇戦を遥かに凌駕する過剰戦力な予感……)




