07 美しい獣
純白の葉に白い樹皮の白雪樹の木々と、白や乳白色の草花で占められた下草が生い茂る森はほとんど白一色。それらが落とす影は蒼白く、ゆえにこの森は「蒼の森」と呼ばれている。
白と蒼で構成された森全体がキャンバス地のようで、それ以外の色彩を持つものが紛れ込めば一目で分かる。だからシオリは、それが木々の合間から姿を現した瞬間、すぐに気付いた。
まるで白地に落ちた紫色の染みのようにも思えたそれは、近付くにつれて大きな獣の形を成した。淡い紫色の体毛に覆われた巨大な狼は悠然と近付いてくる。その視線は真っ直ぐにこちらを捉えていた。もはや逃げるという選択肢はないが、ルリィ達が害はないと言ったその通りに敵意は感じられなかった。
「……凄い。本当にいた」
「……ああ」
全体の造形は雪狼に近い。しかし体長二・五メテルにはなろうかという立派な体躯、陽光を透かして紫水晶のように煌めく体毛、知性を感じさせる金色の双眸を持つ姿には王者の風格があった。それどころか独特の色香さえ漂い、その美しさに圧倒された二人は魅入られたようにその場に立ち尽くしていた。
――やがて獣は足を止めた。およそ十メテルの距離で、二人と獣は見つめ合う。
「……姿を見せるだけで滅多には近付いてこないっていう話だったのに、こんなあっさり……」
近付いてきたということは何か考えがあってのことなのだろうが、シオリに魔獣の考えは分からない。代わりにルリィが、やや遅れてブロゥがぽよぽよと「フェンリル」に近付いた。
ぽよぽよ。
ぐるるる。
ぽよよん。
魔獣同士でなんらかの会話が行われたようだが、それもごく短い時間だった。
それまでは若干の距離を取って様子を窺うようでもあった「フェンリル」が、再び二人との距離を詰めた。
「ア、アレク」
敵意はないのだろうが、初見の巨大な獣にここまで接近されてはさすがに警戒心が勝った。けれども肝心のアレクが動かない。それどころか、それまで剣の柄に掛けていた手がゆっくりと下ろされる。
「アレク……?」
「――凄いな」
嘆息交じりの短い呟きには感嘆の響きがあった。
「これは確かに敵ではない。これまではいまいちピンとこなかったが、今ようやく理解できた。きっとお前やニルスもこんな気分だったんだろう」
主語はなかったが、その台詞から全てを察したシオリは息を呑んだ。
「それって、もしかして」
異種族の友。魂の番。
特定の人物と強い繋がりを持つ魔獣を、この世界の人々はそう呼ぶことがある。人とは異なる理に生きる魔獣は、どれほど友好的であろうと根底の部分で人類と相容れないとされているが、魔獣の中にはそういった垣根さえ飛び越えてくる個体が時折現れる。「友」や「番」となる人物がその個体に出会うと、強く惹かれるような感覚に陥るという。
シオリもそうだった。ルリィと初めて会ったときに、これは敵ではない、これは仲間だと強く感じたのだ。
――長い歴史の中で大きな発展を遂げた人類は、ここに至るまでに自然界で生き延びるための能力のいくつかを失った。
その中の一つに、異種族と意思疎通を図る能力もあったのではないかという説がある。過酷な自然環境で種として存続するためには、敵対するばかりでなく住み分けや共存も必要。ゆえに進化の過程で得たのがこの能力だ。
異種族と対話して双方の合意のもとに縄張りを分け、あるいは縁を繋いで共存することで、脆弱でありながらも存続してきた人類。世界各地に数多くの異類婚姻譚が残されているのも、この名残ではないかと唱える学者もいる。
しかしその能力を失ったのは人類ばかりではなかった。多くの生物がそうであったように、進化と退化を繰り返し細分化が進む生物の歴史の中で失われていき、限られた条件下で特定の個体のみに発現する能力となった。その条件を満たす個体同士が邂逅を果たしたとき、強く惹かれ合うのだ――というのが現在の通説となっている。
「異種族の友」が人と魔獣の組み合わせである場合、その出逢いの多くが魔獣側からの接触で成立しているのは、人が自然の理から離れて独自の理の中に生きるようになってから久しく、その他の生物に対する感度が鈍いからとされている。
勿論諸説あり、研究途中で詳しいことは未だ解明されていないらしいが、確かに種が異なる特定の個体と深い結び付きを持つものは存在する。シオリとルリィ、ニルスとイールがそうであったようにだ。
(そういえば、この間の新聞記事にも載ってたっけ。陛下も使い魔と初めて逢ったときに、凄く惹かれる感じがしたって)
この説にはお伽噺的な要素も多く、この世界の出身ではないシオリにこれらの説が当てはまるかどうかも疑問は残るが、大多数が魔獣側の感性に頼った現象であるならば、案外人間側の事情はあまり関係ないのかもしれないともシオリは思っている。
あるいはやはり、この世界があちらの世界と歴史の根が同じということを示しているのかもしれないが、それは途方もないほど壮大な話だ。それを確かめる術は今のシオリにはなかったし、今後この世界が発展を続けるうちに解明されるかどうかも分からない。
ただ、ルリィという異種族の友と出逢えたことは、シオリにとっては間違いなく幸運なことであったろう。
――命の恩人で、この世界で得た心から信頼できる友の一人なのだから。
アレクもまた、そんな「友」に巡り合ったようだった。それがまさか、幻獣と呼ばれるものだとは予想だにしなかったけれど。
「――なんとも不思議な感覚だな。お前やオリヴィエと初めて顔を合わせたときともまた違う。なんというか……同士を得たような気分だ」
かつてシオリが瑠璃色のスライムにそうしたように、アレクはごく自然に「フェンリル」に手を伸ばした。
「撫でてもいいか?」
彼の問いに、紫の獣は喉を鳴らした。まるで「構わないわ」と言っているかのようだった。そしてそのまま、大人しくアレクに撫でられている。
「毛並みがいいな。まるで絹のようだ」
よほど手触りがいいのか撫でているうちに頬擦りを始め、そのままもふもふの中に顔を埋めてしまいそうになっているのを見て、どことなく荘厳な雰囲気に呑まれていたシオリはさすがに冷静になった。
「……ね、アレク。交流は一旦切り上げて、まずは用件を済ませてしまおう?」
シオリの言葉にアレクも我に返ったようだ。その獣も「いつまでそうしているつもりなの」と言いたげに胡乱な目で彼を見下ろしているし、ルリィは揶揄うように足元をぺしぺしとつついている。
ちなみにブロゥは興味津々に幻獣の周りをうろつき、珍しい生き物を存分に堪能しているようだった。
「あ、ああ、そうだな。その、なんだ。この近くの村の連中がな。お前に害がないことはスライムから聞いて分かってはいるが、一応の安心材料が欲しいらしいんだ。お前には人間に手出しをする気はない、というのは信じていいか?」
人に興味があるらしい素振りを見せながらも、これまで人を含めた多くの生物と深くかかわることを避けてきたこの幻獣に、言葉がどれだけ通じるのだろうか。ちらりとそんなことを考えたが、その心配は杞憂だったようだ。
――異種族との意思疎通を図る能力があったというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。少なくとも魔獣の中には、明らかに人間の言葉を解するものがいることは確かだ。高い知性を持つ魔獣の中には、人類と付かず離れずの距離を保って暮らしているうちに言葉を覚えたものもいるのだろう。
この幻獣もまたそうに違いなかった。
果たして、美しい魔獣は「勿論よ」と言わんばかりに喉を鳴らした。
「そうか、それは良かった。しかしそうは言っても困ったな」
一度は安堵したアレクも、すぐに眉尻を下げてシオリを振り返った。
「俺達ばかりが理解していてもあまり意味はない。それをカスパルやブロヴィートの連中にどう証明するかだ」
「そう……だね」
「さて、どうするか」
二人で思案していると、足元のスライム達が「フェンリル」とまたなにやらぽよぽよぐるるると会話を始めた。しかしすぐに「話」はまとまったようで、ルリィが当たり前のように「じゃあ行こうか」というような仕草をした。
「え、連れていくの? 大丈夫?」
「一番手っ取り早いが、今あの村は狼に対してかなりの警戒心があるからな……しかし、そうだな」
アレクも悩むようだったが、やがて意を決したように頷いた。
「とりあえず近くまでは連れていこう。村からは見えない場所でカスパルと村長に確かめてもらえばいい」
不安がない訳ではないが、スライムという魔獣と共存を始めたあの村なら、あるいはという期待もあった。
「お前も、着いてきてくれるか」
アレクの問いに、幻獣は「わふっ」とも「ぐふっ」ともつかない声を出した。了解の意らしい。そして鼻先を押し付け、先を促すようにしてアレクの背を押した。
「おいおい、なんだ、気が早い奴だな」
案外俺に会うためにうろついていたんじゃないか。
そんな彼の冗談をどう思ったのかは分からないが、紫の獣は否定とも肯定ともつかない唸り声を上げ、大きな尾でぺしりと彼の背を叩いた。
(――ああ、これは多分……)
二人の様子を見たシオリは悟った。
(きっと、一緒に帰ることになるんだろうな)
シオリとルリィのように、友、あるいは家族としてだ。
そしてその予想は、間もなくその通りになった。
ペルゥ「エンゲル係数爆上がりな予感」
なのであまりにも大きな魔獣はあまり使い魔には適さないんですよ_(:3」∠)_
食費が嵩んで破産寸前になったドラゴンの主人もいたとかいないとかいう話がまことしやかに流れております。




