02 夏至祭と不穏な噂
冒険者組合までは徒歩数分。そのごく短い距離の間にも屋台が立ち並び、美味しそうな匂いを漂わせている。
炭火に炙られて皮から脂を弾けさせているコカトリスの串焼きや、とろりと黄金色に溶けたバターが豊かな乳の香を放つ蒸かし春芋、しゅわしゅわと爽やかで軽快な音を立てる水葡萄の炭酸水割り、燻煙の独特な香りが立ち上るスモークサーモンと生クリームのスープなど、地元の食材をふんだんに使った料理が屋台を賑わせていた。
「よお、お二人さん。どうだい、寄っていかないかい」
物色しながら歩く二人と一匹を目敏く見付けたマリウス・カッセルが、陽気に笑いながら手招きした。
食料品店を営む彼も今年は帝国料理の屋台を出している。店先には急ごしらえのテーブルやベンチが置かれ、近隣の顔見知りが陣取って料理を楽しんでいた。
マリウスの妻特製河羊肉パイの香りが鼻腔を擽る。ちょうど焼き上がったところのようで、マリウスがパイ皮をざくりと切ると、生地に練り込まれた濃厚なバターと、香草が効いた河羊肉の香りがふわりと立ち上る。
じゅわりと溢れた肉汁がパイ皮を伝って皿に滴り落ち、シオリは思わず「うわぁ」と歓声を上げた。足元のルリィもぷるるんと震える。
「どうだよ、美味そうだろ。今なら焼き立てが味わえるぜ」
言われるまでもなく既に食べる気満々でいた二人と一匹は、片隅の空いた席に腰を落ち着けた。まもなく熱々のパイと水葡萄の炭酸水割りが運ばれ、嬉しそうにぷるんと震えたルリィが早速触手を伸ばして取り込んでいく。
「いただきます……うわぁ、美味しい!」
ルリィに倣ってパイを頬張ったシオリは目を丸くした。
生姜や香草、塩胡椒がしっかりと効いた河羊肉の味がパイ生地のバターの香りと複雑に絡み合い、口内いっぱいに広がる。
羊肉は獣臭が強く人を選ぶ印象があるが、水苔や水草を食べて育つ河羊の肉は臭みが少なく、むしろ草のような仄かな香りが良いアクセントになっている。脂は果実油よりもさっぱりと軽い口当たりでくどさは全くなく、つい二切れ、三切れと手を伸ばしてしまう。
周りの人々も同じのようで、まるでスナック菓子か何かのようにひょいひょいとつまんでいた。
マリウスの屋台に集う客は、彼の知己であろう帝国系と思しき者達のほか、王国人や南国系など様々だった。
「……帝国っていうと嫌われがちだけど、料理とかは普通に受け入れられてるよね。市内にも専門店がいくつもあるし」
前々から疑問に思っていたことをアレクの耳元で囁くと、「なんだかんだで身近なのさ」という返事だった。
「元はあれだけ大きな国だからな。昔は大陸の文化の中心だったんだ。だからどの国の文化も何割かは帝国がルーツだと言われているくらいだ。ストリィディアだって、占領下にあった百五十年のうちに根付いた文化も多かっただろうさ。料理なんかは最たるものだろうな」
マリウスの妻が作るこの帝国の家庭料理も、食材が豊富なストリィディアに来てから覚えたものらしい。だから正確には王国風帝国料理なのだろう。
「そっか。生活の中にすっかり根付いてるんだね」
「そういうことだ。それに、美味い料理に罪はないからな」
指先に付いた脂を些か行儀悪く舐めとったアレクの視線がマリウスに向いた。
――マリウスの一家は、十年ほど前に圧政に耐えかねて亡命した帝国人だ。トリスに流れ着いた当初は軋轢も多かったというが、今では違和感なく溶け込んでいる。矯正したのか、以前シルヴェリアで出会った帝国人のような訛りもなかった。
「そういえば、あの人達は元気にしてるかな。フロルさんとユーリャさん……だっけ」
シルヴェリアの旅の途中で助けた、死にかけの帝国人。必ず生き残る、そしてこれからは民のために生きたいと言った彼らは、今どうしているだろうか。もし元気でいるのなら、きっと難民キャンプのどこかで日々を大切に過ごしている姿が見られるだろう。
「あの人達も、夏至祭を楽しめるといいね」
黙って耳を傾けていたアレクは「そうだな」と頷いた。
荒れた帝国は食べることさえ難しい環境で、祭を開く余裕すらないと聞く。それを憐れに思ったトリスヴァル辺境伯の気遣いで、今年の夏至祭は難民キャンプでも開催されるようだ。
マリウスの店も第三街区の帝国系移民代表として出店する予定になっていた。普段の商売と屋台営業の傍ら、準備を進めているという。
「黙って村を出てきちまったから、もし知った顔に会ったらと思うと正直不安もあるけどな……でもまぁ、寛大な辺境伯様のお陰でこうして生きてこれたんだ。せめて何か手伝いでもできればって思ったんだよな」
そう言ってマリウスは笑った。
同じ「移民仲間」と思しき男が彼の肩を叩き、「王国と我が故郷に」とエールを掲げた。それに倣う杯は多く、笑顔が溢れる。
――王の生誕祭に夏至祭と楽しい行事が続き、街全体が浮付いている。けれどもその一方で不穏な噂もあった。
「……そういやまた出たってな。今度は街道沿いだって話だぜ」
パイ料理を楽しみながら談笑していた男の一人が、不意に声を潜めて新たな話題を振った。俄かに漂い始めた重い空気に、シオリとアレクは思わず振り返った。
「ああ、例の」
「よりによってブロヴィートの近くだってな」
「見たっていう人も増えてきたみたいだし……見間違いだとしてもちょっと不安だわ」
「去年のこともありますからねぇ。ブロヴィートの連中、ピリピリしてるらしいですよ」
「この前は騎士隊が国境の方の山狩りしてただろ。次は蒼の森の辺りもやってくれねぇかなぁ」
「じゃねぇとおちおち買い出しにも行けんわ」
ひそひそと囁かれているのは、幻獣フェンリルの話題だ。雪狼より一回り以上大きく、その体毛は紫水晶のように淡く光り輝いているという。これが三週間ほど前からブロヴィート村付近で目撃されるようになり、近隣の村や旅人を騒がせているのだ。
――幻獣とは目撃証言や伝承のみで実在が確認されていない魔獣の総称。昨年末、シルヴェリアで遭遇した雪男もその一つで、現在も慎重な調査が続けられているらしい。今のところは極秘扱いとなっているが、ザックの話では恐らく近いうちに新種の魔獣として公式発表がなされるだろうということだった。
それでは今巷で噂のフェンリルはどうなのだろうか。今のところは目撃証言ばかりで目立った被害がなく、冒険者組合としてはしばらく静観するということにはなっているが――。
「……随分噂になってるみたいだね」
「そうだな。しかしあの辺りでは四、五年に一度は話題になる。騎士隊もどこまで本腰を入れてくれるか」
「四、五年に一度? 幻獣にしては多いんだね」
「そうだな。だが、定期的に噂にはなるが、結局なんだったのか分からないまま噂自体が自然消滅するというのを繰り返している。だから雪狼の見間違いじゃないかっていうのが定説だ。あの辺は元々雪狼が多いからな。体格の良い雪狼が光の加減で色が違うように見えているんだとか、雪菫の群生地を遠目に見てフェンリルに見間違えているんだとか、まぁ大体そんな認識だな、一般的には」
「そっかぁ……」
そうは言っても、ブロヴィート村は昨年の冬の初め、雪狼の群れに襲われるという事件があった。書き入れ時に大きな被害を出し、復興作業や風評被害で一時期は客足が途絶える寸前までいったのだ。その記憶がようやく薄れ始めた最近、それも夏至祭直前に再び「狼型」の魔獣の騒ぎだ。関係者の心痛は察するに余りある。
「まぁ、一応駐屯騎士隊も対応はしているだろうし、これ以上騒ぎが大きくなるようなら組合にも調査依頼が来るかもしれん。そのつもりでいてもいいだろうな」
「うん」
最近はルリィの同胞、蒼の森のスライム達が公然と村に出入りするようになったというし、せっかくだからルリィの里帰りも兼ねて行ってみてもいいかもしれない。
――マリウス達の会話は、いつの間にか別の話題に流れていた。あらゆる背景を持つ人々が多く集まる領都トリスでは、話題には事欠かないのだ。幻獣フェンリルの噂でさえその一つに過ぎない。
「さて、じゃあそろそろ行くか」
「うん。マリウスさん、ご馳走様」
美味しいパイ料理で腹を満たして席を立つと、「おう、また来てくれよ!」とマリウスが笑顔で手を振った。
不穏な噂はあるが、街は平和そのものだ。
このまま平穏に夏至祭を迎えられるといい。道行く人々の明るい顔を見ながら、シオリはそんなふうに思った。
コカトリス「俺氏、食肉でしか登場してない件」
( ◜ω◝ )




