22 幕間・失恋男を慰める会(ナディア、ザック、クレメンス)
酔い潰れてる人が居ます。
「珍しいねぇ、あんたが泥酔するような飲み方するなんてさ」
甘酸っぱい香りが口内で弾ける感触を楽しんだ後、林檎酒を嚥下してナディアは苦笑した。卓の向かいではクレメンスがだらしなく突っ伏している。
「……放っておいてくれ。正直今かなり堪えているんだ」
泥酔しながらも律義に言葉を返すあたり、彼らしいといえば彼らしいのだが。酒好きではあるが、決して酒に呑まれるような飲み方をするような男ではなかった。ゆっくりと味と香りを楽しむ、そういう男だ。にも関わらずこの有様なのだから、本人の言う通りに相当堪えているのだろう。
「まぁでも、ほんとに驚いたよ。アレク、自分ちで休んでるんだとばかり思ってたからさ」
あの時組合に現れた彼は、見覚えのあるショールを身に着けていた。防寒具代わりに肩に巻かれた、シオリのお気に入りの一枚。立ち去り際にその栗毛から香った仄かな匂いは、彼女が愛用している洗髪料のそれ。彼がそれまで何処に居たのかなど、言わずとも知れてしまった。
「――まさかシオリの所に世話になってたとはねぇ」
クレメンスはゆるりと身体を起こすと、グラスに残された琥珀色の酒を呷った。
彼がシオリに好意を抱いているらしいことは薄々気付いてはいた。ただ、誰に対しても紳士的な彼のそれは、ごく親しい者にしか分からなかっただろう。ほんの少しだけ後ろから見守るように静かに慈しむ密やかな愛情は、端から見れば兄のようでもあり父のようでもあった。だからこそ彼女には伝わらなかった。或いは彼自身が、彼女への想いの深さに気付いていなかったのかもしれない。
手酌で注ぎ足した酒を飲み干すと、彼は再び卓に両腕を投げ出して突っ伏した。癖のある銀髪がさらりと流れ、卓上に広がる。初めて会った頃よりは幾分艶が落ちて、くすんだ色合いに落ち着いた銀髪。年若い娘達を虜にした甘い優男風の顔立ちは、今では年齢を刻んで年相応の渋味を見せている。甘さと渋さが絶妙な均衡を保っているその整った顔立ちは、やはり女性の心を惹き付けてやまないのだ。
にも関わらず、一番心を傾けていた女の心は動かせなかったようだ。
「シオリがアレクに心を開き始めているのに気付いた時、正直言えば悔しかった。ずっと大事に愛でて来たものが、会ったばかりの男にあっさりと心を開いたんだ」
「……ならお前も、もっと距離を詰めてやりゃあ良かったんだよ。そうすりゃあ、シオリはお前の手を取ってたかもしれねぇんだ」
ザックがすっかり温んだエールに顔を顰めながら言う。クレメンスの肩が微かに震えた。笑ったようだった。
「――守ってやりたいと、思っていた。彼女が穏やかで居られるなら、見守っているだけでも、良いと、思っていたんだ。だが」
深酒の所為で眠気が回って来たのか、言葉が途切れ途切れになる。気怠そうに持ち上げられた手が、銀髪をぐしゃりと握った。
「……アレクから、彼女の匂いがした時に、堪らなくなってしまった。あいつは、彼女に、そこまで許されるほどの仲だったのかと」
「……うん?」
「ああ?」
クレメンスを凝視したナディアは、視線を巡らせてザックを見た。ザックもまた眉間に皺を寄せている。何だろうか。何か今引っ掛かった気がする。
「おいクレメンス、お前、」
ザックが彼の肩を揺するが、返事は無かった。ただ少しばかり寝苦しそうな寝息が聞こえるのみだ。
「こいつめ、下世話な勘違いしてやがった」
「だねぇ。ただ風呂借りただけだと思うんだけど」
シオリのことだ。帰宅後も面倒がないように気を回しただけなのだろうが、クレメンスはそうは受け取らなかったようだ。事に及んで染み付いた匂いだと誤解したのだろう。
「まったくだ」
下世話な誤解で動揺するほどには彼女を愛していたということか。眠り込んでしまった仲間を眺めながら、ナディアは苦笑いした。
「やっぱり家飲みにして正解だったねぇ。案の定寝落ちしちまったよ」
「……だな」
勝手知ったるとばかりにザックの部屋を横切り、彼の寝台の毛布を一枚拝借してからクレメンスの肩にそっと掛けてやった。
「でも、いいのかい」
「あ? 何がだよ」
肴の青チーズを齧るザックは、言葉の先を促した。
「大事な妹分が男に取られちまうよ」
「――いいんだよ」
彼は苦笑交じりの、だがどこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「大事な弟分が、大事な妹分を貰ってくれるってんならな。これ以上幸せな事はねぇよ」
二日酔いで酒臭くなったクレメンスさんは、翌日ザックの風呂を借りてザックの匂いがしちゃうんだと思います。
幕間話は短い物を幾つか連日投下予定です。
明日0時にも一本投稿します。




