24 幕間四 辺境伯夫妻の憂鬱(クリストフェル、モニカ)
夜半、日付が変わって間もない時刻。
旧帝国領の指導者ウラノフ選帝侯の使者との極秘会談を終えたクリストフェル・オスブリングは、廊下を歩きながら乱暴な仕草でタイを緩めた。
些か行儀は悪いが、己の屋敷なのだからこれくらいは勘弁してほしい。そう思うくらいには疲れていた。
「鍛えているとはいえ、四十を過ぎたらさすがに堪えるようになったな……」
昔は二晩くらいの徹夜はどうということもなかったが、今では少しの無理で疲れを翌日に持ち越してしまう。連日の激務は確実にクリストフェルを疲弊させていた。
――文明的な生活を手に入れた人類は長寿となったが、本来の寿命は四十歳前後とする説もある。実際にこうしてその寿命とされる年齢に差し掛かってみると、確かにその説は正しいのかもしれないと思わされる。僅かな不摂生が身体に障るからだ。
「規則正しい生活をしたいところだが……当面は難しそうだな」
自室の扉の隙間から光が漏れていることに気付いたクリストフェルは、諦念交じりの苦笑いを浮かべた。恐らくは妻だろう。
扉を開けると、果たしてそこには妻モニカの姿があった。武装こそ解いてはいるが、未だ隊服のままでいるのは帰宅して間もないからだ。
「お帰りなさい。お疲れのようね」
「君もな」
このところは互いに激務続きで、最低限の報告で顔を合わせる以外は、就寝の挨拶すら交わしていない。こうして改めて向き合い、夫婦らしい会話をするのは数日ぶりのことだった。
静かに距離を詰めて頬に触れるだけの口付けを交わした夫妻は、疲れが滲む互いの顔に苦笑を漏らす。
「……互いに若くないな」
「もう四十過ぎだもの。娘時代が随分遠い昔のことのようだわ」
歳を取ったと言うにはまだ若いかもしれないが、出逢った頃の瑞々しく張りのあった肌も今では微かな皺を刻み、艶やかだった髪は渋くくすんだ色合いに変化している。
だが、歳を重ねてもなお妻は美しかった。若さは確かに失われたが、若い娘にはない悠揚たる物腰と溢れる気品は妻の美しさを際立たせていた。
無意識に伸ばした手をモニカの頬に触れる。モニカはその上に自らの手を重ねた。
「――わたくしの方は一段落ついたわ。回収した魔獣は無事研究所が引き取っていった。あとは通常対応。辺境伯家としては一旦引き上げて、騎士隊にお任せすることになるわね」
各辺境伯家は組織上それぞれの地方騎士隊を率いる立場にあるが、実際に指揮を執るのは基本有事のときだ。そしてエクレフ村とハスロの森の獣害事件――旧帝国の生物兵器による大規模な雪崩と人畜への被害は、まさにその有事だった。
クリストフェルとしては直接立ち合いたかったが、生憎旧帝国領の使者との会談と重なり、事件発生時に現場に居合わせたモニカがそのまま代理となっていた。
「報告書は執務机の鍵の掛かる引き出しに入れてあるわ」
「分かった。明日一番に目を通しておく」
「家政魔法の集中訓練は今週中に開始予定よ。魔獣狩りまでに間に合うかは少し微妙だけれど、少しでもものにしておくつもり」
「ああ、分かった。……ご苦労だったな」
一通りの報告を済ませて気が抜けたのか、不意に表情を緩めたモニカは額をクリストフェルの肩口に押し付ける。
「おい、大丈夫か」
抱き寄せた細い肩が小さく揺れた。笑ったようだった。
「……鍛えているとはいえ、本当に堪えるようになったわ……」
つい先ほどの己と全く同じぼやきに、クリストフェルは堪らず噴き出した。
「全て片が付いたら、気晴らしに旅行でもするか。セーデルヴァルなんてどうだ。久しぶりに新鮮な海の幸でも食べに行かないか」
まだしばらくは先になるだろうが、旧帝国の諸問題が片付いたら、息子夫婦に留守を任せてのんびり過ごすのもいい。
「……いいわねぇ。温泉にも浸かりたいわ。ヴェステルヴァル経由で行ってみない?」
「悪くないな。じゃあ決まりだ」
何事にも楽しみがないと張り合いがない。
しかし選んだルートは辺境地帯ばかりで、まるで各辺境伯領への視察のようだ。
仕事から離れられない、だが密かな楽しい計画に微笑んだ二人は、くすくすと笑いながら軽い口付けを交わした。
「――さ、明日も早い。今日はもう休もう。湯浴みはどうする?」
「ざっと浴びたいところだけれど、今日はやめておくわ。明日ゆっくり入らせてもらうことにするわよ」
「なんだ、久しぶりに一緒にどうかと思ったが、それなら仕方あるまいな」
「……まぁ。気持ちだけはいつまでもお若くいらっしゃいますこと」
あと五年も若ければそういう楽しみ方もあっただろうが、それは多分アレクセイの領分だろうなと思いながら、クリストフェルは愛しい妻の手を取って微笑んだ。
ルリィ「第二の兄貴分にもそういう認識されてる」
王\(^o^)/兄




