22 幕間二 剣と夫婦の肖像、そして鍋(アレク、シオリ)
魔法剣の手入れのために馴染みの鍛冶屋を訪れていたアレクは、剣匠ソルヴェイ・ハセリウスの手の内に大人しく収まっている愛剣を眺めていた。
魔法灯の柔らかな光を受けたその剣は、艶やかで透明感のある銀青色の光を放っている。深い紫紺色から淡いサファイヤブルーへと変化するグラデーションを描く、まるで宝石のようなその輝きは、月魔鉱特有のものだ。
小竜種の骨を断ち斬っても刃毀れすることがないほど強靭で、その攻撃を吸収分散するほどしなやか。ごく短時間なら魔法を吸着する性質もある。どんな属性魔法を纏わせても輝きと強度を失わなず、重過ぎず軽過ぎない、しっくりと手に馴染む程よい重量感。
似た性質を持つ同系統の鉱石には一般に広く流通している星魔鉱もあるが、強度や輝きは遥かに劣る。
魔法剣士なら誰もが一度は手にしたいと思う、それが月魔鉱製の魔法剣だ。アレクがこれを手に入れたのは、二十代半ばに差し掛かろうという頃だった。
月魔鉱の流通量はそれなりで金に糸目さえ付けなければ買えるものではあるが、魔法剣として使用に足る水準の純度の高いものは、決して安くはない。そのうえ武具の原料としては癖が強く、扱える剣匠が限られている。そのためにどうしても高額になりがちだ。
それでもいつかはと夢見ながら資金を積み立てていた。平均的な冒険者の数年分の稼ぎに相当する金を手にこの鍛冶屋の戸を叩いたときの緊張、そしてようやくこれを手にしたときの感動は今でも覚えている。
己が稼いだ金で己のために誂えた愛剣とは、あれから十数年の付き合いだ。アレクの魔力が完全に馴染んだそれは、アレクが使ってこそ最大限の威力を発揮する。ほかの人間が手にしたとしても、単なる剣としてしか機能しないだろう。
一度誰かの魔力が馴染んだ月魔鉱は、その魔力を解放するまでに数年から十数年の時間を要する。それがこの鉱物の最も難しい性質であり、扱える剣匠が限られているのはこのためだった。魔力量が一定以下でなければ、製作過程で剣匠自身の魔力が定着してしまいかねないからだ。
十数年掛けて育てた、アレクのためだけに在る剣。
ほう、こいつは、と呟いたきり、鞘から引き抜いたその剣を真剣な眼差しで眺めていたソルヴェイは、やがて感慨深げに溜息を吐く。
「――いい色を出すようになったじゃないか。前の重っ苦しいギラギラしたのも嫌いじゃあなかったけどね、こいつぁ腹を括った奴にしか出せねぇ色さね」
熟練の剣匠の勘か。ソルヴェイは剣から滲み出ている持ち主の心の有り様を感じ取っているようだった。
彼女の独特な言い回しは初対面では随分困惑させられたものだが、付き合いが長くなった今ではそういうものかと思う程度には慣れてしまった。
「色は正直よく分からないが」
アレクは正直に答えた。
「腹を括ったというのは確かにあんたの言う通りだ。しかし、なんだそのギラギラしたってのは。そんなに殺伐としていたか、俺は」
「なんだい、自覚がなかったのかい」
眉を聳やかしたソルヴェイは「呆れた坊やだねぇ」と苦笑した。還暦を過ぎた彼女にとっては、じき三十五になるアレクも坊やの範疇に入るらしい。
「まるで抜き身の剣みたいだったじゃないか。懐に入れた奴以外には警戒心丸出しでさ」
「丸出し……」
他者――特に懐に入り込んでこようとする者への強い警戒心は、自分でも自覚があった。ザックにも何度か指摘されてそれなりに改めたつもりだったが、結局誤魔化し切れてはいなかったのだろう。
そういえば、いつだったかリヌスやルドガーにも言われた気がする。「前の旦那はちょっと取っ付きにくかった」とか、確かそんな表現だったはずだ。
「去年だって随分久しぶりに顔を見せたと思ったら、すっかり荒んだ目になっちまってて、そりゃあ驚いたもんさ。剣だってなんだか不貞腐れてたしね」
「ぐ……」
素性が割れる可能性のある愛剣を帝国に持ち込む訳にはいかなかった。十数年の付き合いとは言ったが、直近の数年は離れざるを得なかったのだ。留守中の手入れは信頼の置ける者に頼んではいたが、この苛烈で気風のいい剣匠にはすっかりお見通しだったという訳だ。
愛剣の生みの親は言わば師匠のようなものでもある。厳しい母としての顔も併せ持つ彼女にすっかり頭が上がらなくなっているアレクに、それまで黙って作業台の上で鍋を磨いていた男が助け舟を出してくれた。
「――おいおい、そのくらいにしてやんな。坊主が困ってるじゃねぇか」
苦笑いしているのはソルヴェイの夫、ボトヴィットだ。腕のいい鍋職人で、この鍛冶屋の店主でもある。店に剣鍛冶の看板は掲げてはおらず、表向きソルヴェイは包丁鍛冶職人ということになっている。剣の名工ソルヴェイは知る人ぞ知るという存在だ。
若い男を揶揄う妻を宥めたボトヴィットは、「よっこらせ」と腰を上げた。ゆっくりと歩み寄り、上背のあるアレクを見上げて「うむ」と唸った。
「しかしまぁ、いい面構えするようになったじゃねぇか。いい出会いがあったらしいな。ん?」
ボトヴィットが思わせぶりに視線を流した先には、興味深そうに鍋や包丁を眺めているシオリとルリィの姿がある。
「気難しいお前さんがまさか女連れでご来店なさるたぁ思いもしなかったが――護るものがあると、やっぱり違うか?」
揶揄い交じりの言葉。だが、彼の眼差しは優しく温かい。
「――そうだな。あいつとの出会いが俺の全てを変えた。俺が護るばかりじゃない、あいつも俺の心を救い、護ってくれたんだ」
彼女はただ護られてばかりの女ではない。肩を並べて歩む、恋人で、戦友で、同志なのだ。
「そうかい、そうかい」
「そりゃあいい女と巡り合ったねぇ」
「お前さんがそこまで言うんなら、まさに運命的な出会いだったんだろうさ。大事にするんだぜ」
ボトヴィットは白い無精ひげを撫でながら満足げに、ソルヴェイは赤銅色の巻き毛を揺らして呵々と笑った。そして二人はごく自然に寄り添い、ボトヴィットがソルヴェイの巻き毛に口付ける。
若い頃はきっと情熱的に囁き合っていただろう愛が、今は穏やかな愛に変化している。その長年連れ添った夫婦の姿、そして工房の壁に飾られている幸せそうな一家の写真は、アレクの目に焼き付いた。両親が手を取り合い共に在る姿を終ぞ見ることのなかったアレクが夢見た、理想とする夫婦と家族の形そのものだった。
――両親は真実愛し合っていたのだろうが、夫婦として在ってはならない関係だった。
当時の法律では貴族階級に限り一夫多妻制が認められてはいたものの、母は側室となる手続きはしていない。妾を持つことが決して珍しくはなく、むしろある程度許容されていた時代だったとはいえ、父の行いは明らかに正式な妻子への礼儀を欠いていた。勿論妾とその子に対してもだ。
そういった意味では、覚悟があったにせよ妻子ある男と関係を持ち、子すら欲した母にも多大な非がある。
理想的な王だったロヴェルトを敬愛し、家族としての彼を慕い感謝してすらもいたが、アレクが父に対して複雑な想いを捨て切れないのはその辺りに理由があった。そして、愛情を注いで育ててくれた両親に恩義と親愛の情を抱きはしても、夫婦や親としての有り様にはどうしても違和感が拭い切れないでいた。
自らの存在意義と社会通念に板挟みになり、当の本人達以上に苦しむことになるのは、その子供なのだ。
両親を愛し、感謝してはいるが、理想とは言い難い。こればかりはどうしても譲れない、息子としての反抗心だった。
だからアレクは言った。
「ああ。あんた達のような夫婦になれればいいと思ってるよ」
一瞬目を丸くした二人だったが、やがてボトヴィットは「よせやい、照れるじゃねぇか」と鼻先を掻きながら嬉しそうに笑い、ソルヴェイは「嬉しいこと言ってくれるねぇ」と僅かに赤らんだ目元をそっと拭った。
剣を通してかかわってきたハセリウス夫妻は、密かにこの身を案じてくれていたのだと気付かされる。
――弟、兄貴分、親友、仲間達、そして恋人。そんな多くの人々に見守られている己は幸せだとアレクは思った。
そして彼らにもまた、それぞれに案じてくれる人がいる。
人と人との繋がりは、決して良いものばかりではない。けれども温かで優しい繋がりは、誰しも必ず持ちうるものだ。そのことを忘れさえしなければ、きっと人は生きていけるのだろう。
(……その繋がりの一切を絶たれて、あいつは孤立無援の状態でこの世界に降り立ったんだな……)
頼るものが何一つない、そんな状況に突然捨て置かれたシオリの絶望はいかばかりか。そしてそこから広く太い人脈を築くに至ったシオリの、血反吐を吐くようなという表現すら生温い、気が遠くなるほどの努力を想って、アレクは深く瞑目した。
「……あの」
不意に当の本人の声が背後から聞こえ、アレクは意識を浮上させた。
振り返ると、美しい銀青色の鍋を抱えた愛しい恋人がおずおずと訊いた。
「この鍋、おいくらくらいでしょう?」
「おっ、それに目を止めるたぁお目が高い!」
いそいそと身を乗り出したボトヴィットが完全商売モードの声を上げて、それまでのしんみりとした雰囲気を一気にぶち壊しにした。
「金貨十枚ってところだが、今なら五枚にまけといてやるぜ。俺達からの祝いだと思ってくんな」
祝いだと言う割にはしっかり金は取るんだなと苦笑すると、そりゃあ商売だからなとボトヴィットが笑う。
「え、お祝い……? というか、高そうだなっては思ってましたけど、結構するんですね」
大き過ぎず小さ過ぎず、深過ぎず浅過ぎずという絶妙なサイズ感。そして驚くほど軽量でありながら、心許なさを全く感じさせない丈夫な作りは、遠征に丁度良いと思ったようだ。けれども予想以上の金額を提示されたシオリは、目を丸くした。
「そんなにいい鍋なら、旅先で使うにはちょっと勿体ないですね」
「いやぁ、そいつぁむしろ冒険向きだ。鉄より遥かに薄くて軽いだろ。しかもドラゴン……とまではいかねぇが、小竜種程度の攻撃なら耐えられる代物だぜ。フライ返し程度じゃあまず傷なんぞ付かねぇし、熱しやすく冷めにくい、そのうえこびり付きもほとんどねぇときた。水かぬるま湯でするっと汚れが落ちて、後始末にも手間が掛からねぇ。だから料理をするにゃあ何かと不都合が多い遠征には持ってこいって訳だ」
「えっ、凄いですねそれ! お値段が張るだけのことはありますね。それにデザインも可愛いし、使うたびにテンション上がりそう」
「そうだろうそうだろう! 蓄熱性、耐久性、使用感共に抜群、見てくれもご婦人好みのデザインだ――っとまぁ、ここまではいいんだが、やっぱり値段がネックでな。普段使いなら鉄の鍋で十分だろって奥様方には敬遠されちまってんだよ」
「それはそうだろう……割り引いたって駆け出し冒険者の装備一式全部揃えて釣りがくる値だぞ。なんだってそんな値段になってるんだ」
しげしげと鍋を覗き込んだアレクは、ふと眉根を寄せた。この輝き、そして微かに漂う魔素の気配。
「――おい、これはまさか……」
「……そうさ。そのまさかだよ」
若干呆れたように口を挟んだソルヴェイにじっとりとした視線を向けられ、ボトヴィットは気まずそうに目を逸らす。
「あんた、月魔鉱で鍋を作ったのか」
「そうなんだよ。ナイフでも作ろうかと取っておいたってのにこの人ったら、そこいらの奥様方にゃあ手ぇ出せねえようなお高い鍋を作っちまいやがったのさ」
純度が低い月魔鉱は魔法剣には不向きだが、それでもやはり安くはない。だがナイフに加工すれば、羽振りの良い冒険者や蒐集家の紳士などが喜んで買っていくのだという。
それをこの男は、買い手が付かない超高級鍋に加工してしまったのだ。
「いやぁ……だってよぉ、前にそいつで小せぇフライパン作ってみたらなかなかの出来栄えでよ。だから一度でいいから鍋を作ってみたかったんだよ……」
完全に趣味の鍋という訳だ。だが使い勝手は抜群。
そんな訳で近隣の料理人にもそれとなく営業を掛けてみたが、使い慣れた鍋でなくては調子が狂うといって断られてしまったようだ。
「なるほど、それで俺達に買わせようって腹か」
とはいえ、さすがに金貨十枚、半額でも五枚という金額を鍋に払うというのはどうだろうか。月魔鉱製品としては破格だが、鍋としては高額過ぎる。
そんなふうに思ったアレクだったが、意外にもシオリは乗り気のようだ。「どうしよう……ここは思い切って……うーん、でも……」と何やらぶつぶつ呟いている。
「今使ってる軽量鍋セット、使い勝手は凄くいいんだけど、思ったよりコーティングが剥がれやすいの。多分料理回数が多いからだと思うんだけど、一年で二回も買い替えたから私には合わないのかもしれなくて。かと言って鉄のは重いから、最低でも二つは持ち歩きたいなって思うと、さすがにね。だから」
(なるほど、こいつにとっては鍋もまた大事な装備だったな)
そして腕利き鍋職人ボトヴィットのお墨付きなら品質は確かだ。とすれば答えは一つしかない。
「買うといい。お前にとっては武器でもあるんだろう。それなら悩む必要なんてないさ。なんならいくらか投資するぞ」
少し驚いたような顔をしたシオリは、やがて「うん」と頷いた。
自分の武器だからと言って投資は丁重に断られてしまったが、代わりに不足分の立て替えを頼まれたアレクは、気持ちよく金貨を出してやった。
「思いがけずいい買い物ができたな」
「うん。ありがとう、アレク」
明日までに手入れしといてやるよというソルヴェイと、死蔵品になりかけていた月魔鉱鍋を無事送り出せてほくほく顔のボトヴィットに見送られて店を出た二人は、足取り軽く歩き出す。ぴかぴかの金属片をもらったルリィもご機嫌だ。
「今夜早速使うのか?」
「うん。冒険に行く前に色々試してみたい。何か食べたいものある?」
「豚の生姜焼き。それから野菜のスープだな。豚の脂を少し浮かべたやつだ」
即答すると、シオリは可笑しそうに噴き出した。そして柔らかな笑みを浮かべてアレクを見上げる。
「――それ、初めての遠征で出したメニューだね」
「……覚えていたのか」
帝国での任務を終え、冒険者として復帰して初の仕事。そこで己はこの女と出逢った。
そのときの彼女の仕草や言葉の一つ一つを覚えている。そして初日の晩に浴槽付きの風呂を勧められて肝を潰したこと、振る舞われた料理の美味さに目を瞠ったこと。彼女の憂いと心の傷を垣間見たこと。その全てをまるで昨日のことのように思い出せる。
それだけ鮮烈な出逢いだった。
丁寧な仕事ぶりと斬新な魔法の数々に圧倒され、そして彼女の優しく穏やかな人柄に惹き付けられて、数日の旅を終える頃にはすっかり惚れ込んでいた。
アレクの好物となった、その記念すべき旅の初日に口にした料理を、シオリもまた覚えていると言うのだ。
「アレクと初めて一緒に仕事したときのことなんだもの。全部……覚えてる」
気難しそうだと思っていた男が意外にも素直な感情表現をすることに驚き、自分の仕事に強い興味を持ってくれたこと、そしてごく自然に温かな手を差し伸べてくれたことがひどく嬉しかったのだと彼女は言った。
「だから多分、もしかしたら、そのときからアレクのこと意識してたんだろうなぁって……」
運命の出逢いを果たした記念すべきあの遠征の、初日に振舞った料理はシオリにとっても想い出の一品になっているということだ。
「嬉しいことを言ってくれる」
片手で鍋を抱え、空いた方の手で愛しい女の肩を抱き寄せたアレクは、そっとその黒髪に口付ける。ふふ、と小さく笑いながら上向いたシオリの唇を塞ぎ、軽く吸い上げると仄かに甘い味がした。
「……じゃあ、今夜のメニューは決まりだな。サラダとパンは俺が用意しよう。棚に入ってる雑穀パンでいいな?」
「うん。あれなら生姜焼きにもよく合うものね」
「あれをスライスして生姜焼きを挟んで食べるのが美味いんだ。生姜醤油のソースが染みたパンもまた美味い。ああ、だが米も捨てがたいな。さて、どうするか……」
「本当に好きなんだねぇ……」
楽しくなったのか、足元のルリィがぴかぴかの金属片を掲げてぴょこんと跳ねる。
寄り添って歩く道、他愛もない日常の会話、二人と一匹を包む穏やかな空気。その一つ一つが貴く愛おしい。
――アレクがハセリウス夫妻に理想の夫婦像を見たように、今はまだ恋人という間柄の二人が作り出す温かな光景に憧れを抱く者もまた多いということを、二人は知る由もなかった。
ただただ、優しく温かな景色の一部を形作るのみだ。
ギリィ「いいですよねぇ番って……」
ユルムンガンド「来世から本気出す」
ルリィ「それは超長期的かつ不確定要素多過ぎでは……」
妾や庶子などの作中の一部内容に関しては、あくまで作中人物の考えということで解釈していただければ幸いでございます。ございます。(強調)




