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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第7章 家政魔法の講習承ります

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19 未来への一歩

 翌日の朝はよく晴れ渡っていた。優しいベビーブルーの空を小鳥が優雅に飛び交い、柔らかな陽光が優しくハスロの森を照らしている。

 村人に慕われた男達を送り出すには相応しい、清々しい春の朝だった。

 バルト達は遅れた日程を取り戻すため、朝食後すぐ出発した。

「挿絵画家の件についてはいずれ連絡するよ」

 別れの間際、「本当は料理長(おやじさん)もシオリと話したかったみたいだけど、それは別の機会に改めて」と付け加え、温かい握手を交わして去っていった。

 慌ただしい別れとなったけれど、今後も会う機会があるのだという希望が寂しさを和らげてくれた。

「俺達も行くか。組合(ギルド)にも連絡はしたが、心配してるだろうからな」

 アレクの言葉で心配性の兄貴分の顔を思い出したシオリは、苦笑いしながら頷いた。

 仕事に対しては厳しいザックではあるが、基本的には優しく愛情深い。

 だから誰かが予定を過ぎても帰還しなかったときに、冷静に構えている彼が実は内心ひどく気を揉んでいることをシオリは知っていた。誰かが依頼をしくじれば組合(ギルド)――ひいては己の采配ミスや指導不足がなかったか厳しく内容を改め、誰かが命を落とせば、人知れず思い悩んでいることも。

 騎士隊のような指揮・命令系統によって秩序付けられた組織とは違い、自由と自己責任のもとで仕事をする冒険者の全てに目を配ることは難しい。けれども、ザックは可能な限りそうしようとしていた。ギルドマスター(トリス支部の家長)である彼にとって、支部に所属する冒険者全てが護るべき「家族」なのだろう。

 そんな彼を形作ったものが、幼少期の孤児院での過酷な生活にあることを知ったのは、つい最近のことだ。

「……せっかくだからあんたがたにも見送って欲しかったが、これ以上引き留めるのも悪いからなぁ」

 名残惜しそうな村の男に、「これだけの大人数で長い時間留守にする訳にもいかないからな」とアレクは苦笑いした。 

 葬儀に参列することはできないが、その代わりに始発の馬車で駆け付けた遺族に直接弔意の言葉を贈ったトリス支部の一行は、深々と頭を下げ手を振る村人や、支援と警備のために残るレオ達騎士隊に別れを告げて、トリスへの帰路に就いた。

 馬車に揺られている同僚の顔に浮かぶ表情は様々で、彼らの心中に去来する想いは推し量ることしかできない。ただ一つ言えることがあるとすれば、そこにあるのが故人への悼みばかりではなかったということだ。

「……早く練習したいんだよなぁ」

 どこか落ち着かない様子で呟くヨエルに、追随する声が上がる。一日を共に過ごして同僚との距離を取り戻しつつあるヴィヴィも、思うところがあるのか左手を擦りながら無言で外の景色を眺めていた。

 ――書類上は低級魔導士となっているシオリが披露した数々の高等魔法は、参加者に希望と可能性を与えた。魔法を極めるためには、魔力量など些末な問題だと知ったのだ。

 講習と実地研修を経て、研究心と探求心に火が付いた――トリス支部開設以来の魔法ブーム到来である。



 雪解けの水が川を満たし、湿原を湖に変える春のただ中。オロフら冬季限定の出稼ぎ組が次々と郷里に帰り始める頃、トリス支部はかつてない活気に満ちていた。

 談話室のそこかしこで魔法談義の輪ができている。既存魔法の活用と応用について意見交換をする者もあれば、魔法書の読み解きや解釈を論じ合う者、武器との併用について語り合う者と様々だ。

 トリス近郊の森や平地では、基礎練習や独自魔法の開発に没頭する者達の姿もあった。一人細々と鍛錬を続けるよりは、互いの問題点を見出し改善案を出し合う方が効率が良いと講習を経て学び、連れ立って出掛ける者も目立っている。

 集中的な鍛錬と研究によって既に何らかの成果を上げている者もおり、それが相乗効果を生んでいるようだ。

「精度が上がったら魔力の無駄遣いが減ったんだよ。一発の威力が上がったし、撃てる回数も結構増えたんだよね。同時発動とか合成魔法は俺にはちょっと難しそうだけど、一点集中ならかなりいいところまで行けそうな気がしてきたんだ」

 そんなふうに照れ臭そうに語るヨエルには、シオリも嬉しくなったものだ。

 ヴィヴィはあの後熱心に鍛錬に励み、どうにか左手の魔力出力量を取り戻しつつあるようだ。遠慮がちではあるが、最近ではシオリやナディアに質問するようにもなった。勿論態度は目上の者に対するそれに改められている。それもまた喜ばしい変化だった。

 切磋琢磨し、魔力と魔法技術向上を目指す彼らに触発されてか、アレクやリヌスのように独自の勉強会を開く者も増えていた。今も食堂で子爵家出身の姉弟によるマナー講座が開催中で、上流階級の顧客獲得を狙う若手には好評のようだ。

 ――訊いて教わる、訊かれて教える。これらの心理的ハードルが下がりつつある今、同僚間の交流もかつてなく盛んになっていた。

 また、支部に新設された図書室もなかなかの盛況ぶりだ。知識と教養の底上げのためにとシオリが発案した図書室には、有志によって集められた国内外の書物が小規模ながらも充実している。魔法構築に必要な知識を蓄え、想像力を養うために最も手軽な手段が読書と聞いては利用しない手はないと、開設当初から人の入りは上々だった。

 読み書きがあまり得意ではない者のために挿絵や図解が豊富な図鑑類なども充実していて、それぞれ興味が趣くままに次々と本を手に取っていく。

 中には単純に読書や美しい多色刷りを楽しむだけの者もあったが、それも日々の生活に潤いを与え、心に余裕をもたらすものだとして大いに歓迎された。

 実際、図書室の蔵書には一般の小説本や画集、子供向けの絵本まであって、読書目的で訪れる冒険者も少なくはない。

 思わぬ盛況ぶりに、引退した冒険者を管理人として雇い入れたほどだ。

「皆が皆、芽が出る訳じゃぁねえだろうが、いい傾向だと思うぜ」

 蔵書を寄付するために図書室を訪れたザックは、剣術指南書や兵法書を寄贈箱に収めながら愉快そうに笑った。



 そうして連日の賑わいを見せる組合(ギルド)で、本日幾度目かも分からない質問に答えたシオリは、談話室の椅子にぐったりと身を沈めた。

「ちょ……ちょっと休憩……」

 断続的な質問攻めは、どちらかといえば内向的な性質のシオリをすっかり疲弊させていた。その足元を、ルリィが「大丈夫?」というようにちょいちょいとつついている。

 この三週間、組合(ギルド)を訪れるたびに同僚に取り囲まれて、さすがのシオリも閉口気味だ。今週に入ってようやく数が減りはしたものの、何しろ相手は低級魔導士の自分などよりもよほど使い手なのだ。ナディアやダニエルのような熟練の魔導士に助言を求めた方が良いのではないかとも思ってしまう。

 けれどもカイに言わせると、「意外な視点からアドバイスをくれるから、つい頼りたくなっちゃうんだと思うよ」ということらしい。

「ほら、これでも飲んでおけ。少しは違うぞ」

 あまり体力がある方ではない恋人――と言っても冒険者基準だが――を常日頃から気に掛けているアレクは、初級魔力回復薬どころかとうとうシオリ専用の飲料まで携帯するようになっていた。

 薬師ニルス処方だという果実水入り薬草茶を何とも言えない気分で受け取り、それを一口飲み下したシオリは「あれ」と呟く。

「これ……もしかして水葡萄が入ってる?」

 水葡萄は魔力操作の訓練用として提案した果実である。葡萄に似た香りと僅かに感じる瓜のような青臭さは、水葡萄特有のものだった。

「ああ。疲れを取る効果や身体を丈夫にする成分も含まれているんだそうだ。薬と呼べるほどのものではないようだが……子供のおやつ代わりだったというのも、単純に安かったからという理由だけではなかったんだろうな」

 先進的な王に代替わりしてさらに食生活が豊かになり、都市部ではこの十数年で食卓に上ることも少なくなったという。けれども、何故か(・・・)最近これを買い求める客が増えて、市内の業者が入荷量を増やしているようだ。

 子育て時代を懐かしんだ年配のご婦人方の間でも話題となり、子供のためにとかつてはどこの家庭でも作られていた水葡萄シロップが、今再び流行の兆しを見せているという。

「シロップはニルスが作ったものを分けてもらったんだ。薬草入りの自信作だと言っていた」

「へぇ……もしかして薬膳料理の第一号かな」

「かもしれんな。薬草臭いのは御免被りたいが、こういうのなら大歓迎だ」

「……アレクってば」

 甘い物好きの彼の言葉に思わず笑ってしまう。

 水葡萄の甘さと芳しい香りが、薬草の渋味を抑えていて飲みやすい。これなら子供でも難なく飲めそうだ。

「アレクも小さい頃に飲んでたの? 水葡萄シロップ」

「ああ。安いうえに母の好物で、シロップも水葡萄もよく食卓に上ったよ。『砂糖を使っていないのにこんなに甘いなんて、本当に面白いわね』って、やけに感動しながら言うんだ。あのときはあまり深く考えもしなかったが、今思えば……お嬢様育ちの母には物珍しさもあったのかもしれないな」

 彼の視線は、買ったばかりの水葡萄を黙々と口に運び続ける集団に向けられている。ニルスやカイのようにそのほとんどは、子供の時分に食べ飽きたと言いながらも懐かしさに手を伸ばしている者ばかりだ。けれども中には、クレメンスのような富裕層出身者も紛れていた。やはり物珍しいらしい。

「元々は農村の救荒作物だったらしいっすからね。甘いけどなんかちょっと瓜臭ぇし、色もぼんやりしてて地味なんで上流階級では見向きもされなかったって話ですよ」

 図書室で得た知識を早速披露しながら、イクセルが食べ終わった残骸の皮――球状を保ったままの、殻とでも言うべきか――を籠に入れると、頃合いを見てやってきたヨエルがどこかへと運んでいった。軽く水洗いした後、魔力操作の練習に使うつもりなのだ。

「……妙な流れ作業ができ上がってるな」

「無駄がなくていいんじゃないかな」

「なるほど」

 苦笑いしながらもアレクはどこか楽しげだ。

 シオリはシオリで、講習の序盤で不貞腐れていたあのヨエルが、最近は上機嫌な様子さえ見せていることに少し嬉しくなっていた。

「あいつなりに何か掴んだようで良かったじゃないか」

「うん。大変だったけど、やってみた甲斐があったなぁって思うよ。アレク達はどう? この間勉強会したんでしょ?」

「悪くはなかったぞ。途中から剣術指南のようになってしまったが、教えることで学ぶことも確かにあるな。ああそうだ、あの孤児院にいたトビー。あいつも来ていたがなかなか筋がいいぞ。多少は魔法も使えるようだし、仕込めばいい剣士になりそうだ。もう何年かしたら、一緒に仕事ができるかもしれんな」

「わぁ……そっか。トビーも頑張ってるんだね」

 そうして雑談に興じているうちにいくらか気力が回復してきたところで、「悪ぃな。ちょっといいか」とザックから声が掛かる。こちらはこちらで頃合いを見計らっていたようだ。

「なあに? 兄さん」

「……よその支部と騎士隊からまた問い合わせだ」

 用件のおよその内容を察して苦笑いするシオリに、伝書鳥通信の束を手にしたザックも苦笑気味だ。

「メルヴュー支部とシェーヴェリ支部から次回講座の開催時期問い合わせ、騎士隊からは講師の派遣依頼、あとは……この間の参加者からだな」

 受講者からの追加質問のほか、新規の受講希望者からの要望などを取り纏めた書類の束に目を通したシオリは、若干遠い目になった。一人で捌くには数が多過ぎる。

 先日の家政魔法講座ではそれなりの手応えを感じてはいたけれど、まさかここまで反響があるとは思ってもみなかった。それだけ行き詰まりを感じていた魔導士が多かったとも言えるが、今の仕事に付加価値を付けたいとする冒険者にも思わぬ影響を与えていたようだ。

「……この分だと、まだもうしばらくはこの調子だよね。いっそ定期的にやった方がいいのかも」

 外部からの問い合わせは日に一、二回程度のものだが、それでも連日となればそれなりの数にはなる。同僚にもそれとなく次の予定はないのかと訊かれることもあるし、その都度個別対応するよりは、定期開催にしてしまった方が数は捌けるかもしれない。

「そうだな。そうしてくれるんなら俺としてもありがてぇが……無理だけはすんなよ」

「うん。やっぱり教本も欲しいから纏める時間も欲しいし、普段の仕事もあるから多くても一ヶ月に一回くらいが限界だけど、どうかな。人数は前より少ない方がやりやすいと思う」

「ああ、それで構わねぇよ。補助人員の都合もあるし、枠ができればとりあえずはそっちに誘導できるからな。補助の確保と日程調整はこっちでやっとく」

「うん、ありがとう兄さん」

 片手を上げて笑顔を見せたザックを見送り、ふと視線を感じて横を見ると、どことなく気遣わしげなアレクと目が合った。けれどもその目には、色々あって手の抜き方すら忘れてしまっていた頃のシオリに対するものとは違う、信頼の色も垣間見えた。

「大分頼り方を覚えたみたいだな」

 彼の指先が項に伸びて、後れ毛を緩く巻き取っていく。

「ん……そうだね。皆のお陰。無理をしないのも冒険者の基本だもんね」

「はは……そうだな。まぁ、俺も最初の一、二年は結構無茶もしたから、あまり人のことは言えないが」

「そうなんだ?」

実家(・・)では自分の未熟さを散々思い知ったからな。だからとにかく早く一人前になりたくて、がむしゃらに突っ走ってよくザックに叱られたよ」

 自らの限界も弁えずに全力で頑張り過ぎて、何度も寝込んでいたそうだ。

「そういえば、去年熱を出したときに兄さんも言ってたよ。若い頃はしょっちゅう熱出して寝込んでたって」

「う……あいつめ。余計なことを……」

 眉根を顰めたアレクは、「でも、人には無理するなって言うのに自分は無理するんだなって、私も思ったよ」と突っ込まれて「うっ」と首を竦めた。

「……それで腹に据えかねたのか、あるときとうとう『療養生活(クリスんとこ)に戻るか、それとも身の程を弁えるか、今すぐどっちか選びやがれ』と、抜き身の大剣をぶら下げたままそれはそれは素晴らしい笑顔で迫られて、改めることにしたんだ」

「うっわ」

 今はすっかり落ち着いている兄貴分の、若かりし頃の少々過激な指導に思わず声を上げたシオリの横で、水葡萄を取り込んでいたルリィとブロゥが「どっ」と笑うような仕草をした。

 それを見て苦笑したアレクだったが、やがて柔らかな笑みを浮かべて言った。

「まぁ、つまるところは俺もお前も似た者同士だったってことだ。お前に惹かれた理由は色々あるが……かつての己を見るようで、つい手を差し伸べたくなったというのもある」

 誰かに受けた恩を、ほかの誰かに繋いでいく。その流れの途中にアレクがいて、自分がいた。今は自分がその恩を誰かに繋ごうとしている。

「――あのね。実際に一度教えてみて思ったんだけど……冒険者が学べる場所があったらいいなって思うの」

 それまで漠然と考えていたことを、シオリは思い切って口にした。

「冒険者って一応新人研修みたいなのはあるけど、商人や職人組合(ギルド)みたいに、厳格な徒弟制度のもとでしっかり学ぶ機会ってあんまりないでしょ?」

 登録後は新人研修として上位ランクの冒険者と一時的な師弟関係が結ばれるが、長くても三ヶ月程度と期間は短い。冒険者としての心構えや仕事の進め方、戦い方の基礎を教わる程度だ。研修期間が過ぎれば、一人前の冒険者としてすぐにも現場で働くことになる。

 そのうえ師匠役の冒険者に依頼が入れば、指導はそこで中断してしまう。

「だから、教えてほしいことがあっても訊きづらいし、調べ物をするにも環境が整ってる訳じゃないから、そこで躓いちゃう人も多いみたいだし」

 その中断期間に依頼を受けることも勿論できるが、新人が受けられる仕事はそれほど多くはなく、空いた時間に自主学習しようにも限度があるという訳だ。

「そうだな。労働階級ともなると、書店があるような大きい街に住んでるならともかく、それ以外では本の一冊もない家も決して珍しくはないからな。そういった環境で育った人間に勉強しろと言ったところで、何をどうしたらいいか、何を揃えればいいかさえ分からん奴だって多いだろうな」

「だから、必要なときに必要なことを勉強できるような環境があると、少しは違うんじゃないかなって。でも本格的にやろうとすると、今の環境ではちょっと狭いなって思ったの」

 今はトリス支部の談話室や図書室が一応の役割を果たしているが、元は古い旅館だったに過ぎないこの建物では、正直言うとかなり手狭だ。

 図書室は本棚と十数人ほどの読書スペースを確保するだけで手いっぱい。筆記具を持ち込んでの学習は現状難しく、かといって不定期で何日も留守にする冒険者相手に本の貸し出しはリスクが高い。

 時折開催される小規模な勉強会も、談話室や食堂を間借りして行っている状況だ。

「もう少し広い場所と、あとは先生。これはやっぱり外せないなぁって、ルペルトさんを見てて思った」

「確かにな。あいつが来たら若いのが随分ありがたがっていた」

 図書管理人を務めることになったルペルト・ワーゲルホルムは、脚の怪我が元で引退した魔法弓士だ。体力が落ちてもう弓を引くことはできなくなったというが、趣味の読書と三十余年に及ぶ冒険者生活で培った知識で、若手冒険者達の疑問にもそつなく答えてくれるという。

 蔵書管理をある程度任せられる者という人選が、吉となった訳だ。

「――私も、ここに来たばかりの頃は大変だったもの。幸い私は兄さん達がよくしてくれたから、組合(ギルド)で下働きしてるうちはなんとかなったけど……でも冒険者になってからは、覚えなきゃいけないことが段違いに多くなっちゃって。自由業で実力主義とはいっても、知識があるとないとじゃ全然違うって思い知ったの」

 それでもシオリの場合は、先進国の教育機関で学んだ経験が間違いなく助けになっていた。努力だけではない、そういう恵まれた環境で得た知識にも助けられていたのだ。

「なるほどな……。俺自身、生い立ちはともかく教育面に関してはかなり恵まれていたからな。今の地位も、そういった下地に支えられてる面は確かにある」

 アレクの母親は貴族の生まれで、そのうえ王宮勤めの侍女だった。だから読み書き計算は自ら我が子に教えることができたし、王宮仕込みの美しい所作を見て育った息子も、それなりの立ち居振る舞いを自然と身に付けていた。

 どちらもあって困ることはないものだ。

 母亡き後王家に迎え入れられ、文武共に王国最高水準の教育を受けた彼は、ある意味ではかなり有利に冒険者生活を始められたとも言える。

「それでね。図書室と学習室付きで、もっと欲を言えば研修会なんかもできるシェアハウスみたいなのができたらいいなって。日中はトリス支部の冒険者限定で図書室と学習室に自由に出入りできて、入居者は夜間も利用できるようにするの。講師も常駐させるとなると、お給料のこともあるからもっと色々考えなきゃいけないけど……」

 ぽつぽつと言葉を選びながら語るシオリを見ていたアレクの目が、不意に緩んだ。夜空のような紫紺色の瞳が、柔らかな弧を描く。

「え……っと、何? どうしたの、急に」

「……眩しいなと思ってな」

 彼は笑った。

「これまでのお前も十分に魅力的だったが、未来を語れるようになったお前は内から輝きが溢れるようで綺麗だなと」

「ちょっ……と、アレク……嬉しいんだけど、その……」

 唐突に歯が浮くような誉め言葉を投下されたシオリの身体が、じわじわと滲むように熱を帯びていく。端から見れば、きっと顔が赤くなっていることだろう。

 誰が聞いているかも分からないこんな人目もある場所で、そんな惚気ともとれる台詞を聞かれでもしたら何を言われるか分かったものではない。

 案の定そばで聞いていたリヌスが口笛を吹き、ダニエルが「いやぁ、若いっていいなぁ」とにやりと笑う。

 そこはかとなく浮付いた空気になってしまった談話室の一角で、それでも表情を改めたアレクは「だが、シェアハウスはいい考えだと思う」と言った。

「つまり、自主学習環境と研修設備がある冒険者用の寮ということだろう。シェアハウスなら若手も集まりやすいし、共用の厨房があればお前の野営料理だって教えられる。本当にやるのなら共同でやってみないか。俺も資金ならそれなりに出せるしな。うまいことシェアハウスが育ったら、思い切って教育施設を併設してみてもいいかもしれんぞ」

 冒険者という仕事の性質上、綿密に日程が組まれた学校通いは難しいだろう。けれども、期間と内容を限定して学べる施設なら悪くはないかもしれない。

「本当は組合(ギルド)にそういった仕組みを作ってしまえれば一番いいんだろうが、まぁそれもなかなか難しいからな。まずは俺達でやれることをやってみないか」

 アレクは微笑んでいた。けれどもその目は真剣そのもの。本気で考えてくれているのだということが分かる。

 本当に、この先の人生を一緒に歩んでくれるのだ。

「……うん。じゃあ、早速計画練ってみる?」

「ああ。まぁ、普段の仕事や講習会の件もあるから、無理しない範囲でな」

「お互いにね」

 顔を見合わせて小さく笑い合った二人の足元で、ルリィとブロゥがぽよぽよと弾む。

 曖昧な立場にある二人の朧げだった未来が、今ここで確かな像を結んだ。


 ――それは、百余年の後に魔法工学分野世界最高峰となるトリス魔法工科大学の、第一歩を刻んだ歴史的瞬間でもあった。

【速報】ユルムンガンド氏、王立生物工学研究所に到着【ドナドナ】


マンティコア「ところで第1章でほとんどナレ死状態のまま作者にすら忘れ去られた我のこと覚えてる人いる?」

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― 新着の感想 ―
[一言] ・箱入り魔獣の出汁柄スープ 特に意味はありませんがなんとなく
[良い点] マギテクノロジーねぇ……ん百年後にアホな事考えそうな輩が出そうだな [一言] マンティコア………あぁ~そういや居たねぇ~ 最初期に唯一まともに討伐されたヤツ(^^)
[良い点] シオリが、未来を夢見れる様になって良かった! ティーンエイジャーのようなチートなヒーローと結ばれて、ハッピーエンド、めでたしめでたしじゃない所が楽しみ。 [一言] シオリとアレクがお母さん…
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