12 救助活動
エクレフ村はトリス近郊の低山地帯の麓に点在する村の一つで、雪崩が起きた山には最も近く、山裾のなだらかな傾斜地に百戸余りの集落を作っていた。夏場は青々とした牧草が生い茂る、緑豊かで長閑な酪農の村だ。
そんなエクレフ村は今、村人の悲鳴と怒号で溢れていた。男達はありったけの農具を持ち出して倒壊した家屋を掘り起こし、女達は非常事態が理解できずにはしゃぐ幼子を強引に家に押し込みながら、不安げに彼らの作業を見守っていた。時折聞こえる嘆きの声は、被災した家屋の住人だろうか。
冒険者組合とロヴネル家の馬車が村に滑り込むと、一足早く到着していた騎士隊のレオ・ノルドマンがそれを目敏く見つけて手を振った。けれども彼が駆け寄るよりも先に、村人に取り囲まれてしまった。
「お願いです、うちの人が帰ってこないんです!」
「うちの子もなんだ、出掛けたっきり帰ってこない!」
「まだ子供が小さいの! あの人がいなかったら私、どうしたらいいの……!」
取り縋って懇願する彼らは必死だ。雪崩に巻き込まれた誰かの家族なのだろうが、口々に言い募るその内容はいまいち要領を得ず、困惑したシオリは同僚達と顔を見合わせた。
「――どうか落ち着いてくれ。順を追って説明する」
人垣を割って現れたレオがどうにか彼らを宥め、そして簡潔に状況を教えてくれた。
「四名が救出済み。だが、まだ三名が倒壊した家屋の下敷きになっている。それから朝方狩りに出た六名がまだ戻らないらしい」
「巻き込まれたのか」
訊ねるアレクにレオは渋面を作ってみせた。
「それは分からん。だが魔獣を追って山に入ったまま帰らないそうだ」
「なんだと?」
「まじかよ、おい……」
「何故そんなことを。どう見たって危険だろうに」
驚きの声が上がるのも無理はない。朝に見たあの山肌の亀裂は、素人目にも危険だと分かるほどのものだった。麓の村に住む者なら誰でもそのことは知っていたはずだ。
「……夜中に村外れの牛舎がスノールムに襲われたのです」
幼子を抱えたまま泣き崩れる若い母親の肩を抱いて慰めていた老婦人が、気まずそうに事情を説明してくれた。
スノールムは雪国の山間部に棲む体長一メテルほどの、鱗の代わりに淡い青色の体毛に覆われた蛇のような魔獣だ。肉食で凶暴だが動きは鈍く、一般の猟師でも十分に太刀打ちできる程度で、頑丈な小屋を破壊するほどの力はない。ましてや結界を越えることなど滅多にないのだ。
それゆえに数日前から村付近の雪の上に這い回った跡があることに気付いてはいたものの、それほど重要視はしていなかったという。
ところが今日の朝、村の一番外れにある牛舎の扉が破られているのが見付かった。中の乳牛は何頭かが食い荒らされて惨憺たる有様で、生き残りの牛たちはひどく怯え、乳を出さなくなってしまったようだ。
「変異種かもしれない、このままだと村人も襲われかねないからと言って……」
スノールムは一度手を付けた獲物は自らのものとする習性がある。「食い掛けの餌」がある牛舎には必ず戻ってくるはずだ。そのうえ結界を越えて頑丈な小屋まで壊したとなれば、通常種よりも危険な変異種の可能性もある。
だから腕自慢の猟師たちが、討伐隊を結成して山に入っていったということだった。夜行性のスノールムが寝ているうちに、巣を急襲しようという訳だ。
「この山では雪崩は珍しくありませんから、踏み込んではいけない場所や万一のときに避難できる場所は皆よく知っているのです。だからあの子達も斜面は避けて行ったはずなのだけれど……」
雪崩の予兆があっても近付かなければ大丈夫だと、これまでにも何度か山に入ったことがあるという。そしてそのいずれも何事もなく無事帰還していた。
だが、今回の雪崩はこれまでにない規模で起きてしまった。その避難場所であるはずの尾根や森の外縁部を巻き込み、村外れの集落に到達してしまったのだ。この分では巻き込まれている可能性は高い。
――慣れからくる油断だ。
「……よし分かった。手分けして探そう」
しばし考え込んでいたアレクは頷き、周囲を見回して言った。
「まずD級以下と一年未満の新人は、さっきも言った通り救助活動の補助。これは辺境伯家か騎士隊のレオ殿の、それ以外はニルスの指示に従ってくれ。C級以上は二つに分けて遭難した討伐隊の捜索に当たる。一班のリーダーは俺、二班はナディア、引き受けてくれるか」
「勿論さ。任せとくれ」
ナディアは大きく頷いた。
「俺達は救護所の手伝いをするよ。必要なら炊き出しもする」
バルトは災害救助の直接の経験はないというが、炊き出しの指揮は幾度かしたことがあるようだ。遠巻きにしている村人の一人に声を掛け、彼らロヴネル家の一行は先に救護所へと向かった。
「俺達も行こう。まずは襲撃のあった牛舎で魔獣の侵入経路を確認する。それから捜索に出発しよう」
「了解」
「アレク。私は先に家の下敷きになってる人を探してくる。場所の特定だけでもできればって」
探索魔法を使えば生存者の位置特定ができるはずだ。
彼は頷き、そうしてくれと言ってくれた。
「分かった、それならお前は行ってくれ。後で俺の班に合流してくれればいい」
「うん。じゃあまた後で」
アレクはシオリの肩を一つ叩いて小さく微笑んだが、それも束の間、早速班分けを始めた。
こうして取り纏める役割は彼が引き受けることが多い。それは周りも認めているようで、誰も異論を唱えることなく自然と従っている。アレクより年嵩で活動年数が多い者もこの場には何人もいるが、彼に任せれば間違いないという確かな信頼があるようだった。
年齢や年数よりは得手不得手で役割分担する、それが冒険者として生き延びる知恵だ。
「――我々も行こう。こっちだ」
レオの誘導で被災現場に向かったシオリは、その悲惨な状況に眉根を寄せた。押し寄せた雪が家屋を圧し潰し、ひしゃげた屋根や崩れた壁の合間からはへし折れた木材が飛び出している。この瓦礫の中に人がいるのだと思うと身体が震えた。
「エレン、君は現場で応急処置を頼む」
「ええ、分かったわ」
「薬師と治療術師は救護所で怪我人の治療に当たる。新人の子は僕らの手伝いを、それ以外はレオさんの指示に従って救助に回ってくれ」
「清潔な水や熱湯が沢山必要になるわ。講義の後で大変だとは思うけれど、魔導士さん達お願いね」
現場を見るなり状況を判断したニルスは素早く指示を出した。彼に従い、それぞれが与えられた現場に散っていく。
「シオリ殿」
「ええ」
レオに促されて、シオリは頷いた。
現場には村の狩猟犬も投入されていたが、訓練された災害救助犬のようにはいかないのか、捜索は難航しているようだった。
「探索します」
「頼む」
探索魔法の邪魔にならないよう、一時的に救助作業を中断することに村人の一部は難色を示した。一刻も早く下敷きになった隣人を助け出したいという彼らの気持ちはよく分かる。ほんの一瞬でも作業の手を止めたくはないのだ。
けれども辺境伯夫人に「人力で探すよりはずっと早いわ」と促され、渋々ではあったが退いてくれた。
――倒壊した家屋は三軒。うち一軒は全員助け出されたというから、探索するのは二軒だ。
(どうか、無事でいて)
深呼吸したシオリは魔力を解放し、探索の網目を伸ばす。雪と瓦礫で小山のようになってはいたが探索範囲はごく小さく、幸い被災者はすぐに見つかった。柔らかく優しい気配と、それに包まれた頼りない小さな気配だ。
「――いた! その飛び出した太い柱の右下、約二メテル下! 二人一緒です!」
人々が大きくざわめく中、私兵や騎士がいち早く動いた。
人の手や魔法を駆使して瓦礫を除けていくと、戸棚と壁材の合間の僅かな隙間にくすんだ金髪が動くのが見えた。上を振り仰いだ女は埃と血に汚れて蒼褪めてはいるが、助かる希望が見えて安堵したのだろう、口元に微かな笑みを浮かべた。その腕の中には小さな子供を抱えている。
瓦礫の隙間が運良く障壁の代わりとなって、下敷きになることを避けられたようだ。
「いたぞ! 生きてる!」
「毛布持ってこい!」
瓦礫が取り除かれ、人々に引っ張り出されて母子が地上に顔を出すと、周囲から歓声が上がった。駆け寄った男は彼女の夫だろうか。
「大きな挫滅創や打撲痕はなし。大丈夫よ、このまま救護所に運んでちょうだい」
母子をざっと診察したエレンに肩を叩かれた男は、「ありがとう」と涙ぐんだ。
「――凄い精度だな。これは是非とも覚えなければなるまい」
短くはあったが、レオの言葉には確かな称賛が滲んでいた。
「お役に立てて幸いです」
毛布に包まれて救護所に運ばれていく二人を見て小さく微笑んだシオリは、しかしすぐに口元を引き締める。あと一人だ。
もう一軒は既に講座参加者の一人が見様見真似で探索を始めていた。魔力垂れ流しで精度など度外視のものだったが、今この場においては生存者の気配さえ感知できればそれでいいのだ。
けれども小さな気配すら見付けることができず、その顔には徐々に焦りの色が浮かんでいく。代わりにシオリが探ってみたが、結果は同じだった。
不吉な予感が脳裏を過ったそのとき、辺境伯夫人が口を挟んだ。
「中にはいないのかもしれないわ。外に押し出されたか、元々家の外にいた可能性もあるのではなくて?」
彼女は騎士隊所属だった頃に災害救助に携わったこともあるという。被災したと思われていた行方不明者が、実は外出していて無事だったことも幾度かあったそうだ。
念のため村人にも訊いてみたが、今のところこの家の住人の安否は不明で、村の外に出た様子もないということだった。だが、やもめ暮らしで行動を把握している家族もおらず、彼が当時どこにいたのかはっきりと証言できる者はいないようだ。
「周りを探してみます」
「頼む」
倒壊した家屋の周囲には大きな雪の塊が複雑に積み重なっていた。
雪崩発生から一時間強。圧死は免れたとしても、雪の下敷きになっていたら無事ではないかもしれない。だが、それでも。
雪の中を慎重に探る。途中で散乱した魔法灯や給湯器のものらしい魔法石に触れた。だが生きたものの気配は掛からない。
けれども、元は裏庭だったという場所に探索の網を伸ばしたそのとき、微かな気配に触れた。ごく小さなものではあったが、魔法石でもなければ小動物や魔獣のものでもない、確かに人が纏う魔力の気配だ。
「あっ……!」
「いたか!?」
「その木と瓦礫の間にいます!」
人々はシオリが指し示した場所に一斉に駆け寄った。
一足先にしゅるりと移動したルリィが、伸ばした触手である一点を指し示す。ひしゃげてはいるがなんとか原型をとどめている物置小屋だ。壊れた小屋と庭木に身体を挟まれた状態で、初老の男が倒れている。意識はないのか目を閉じてぐったりとしていたが、村人が呼び掛けると微かな反応があった。
「おい、頭が出てるぞ!」
「こんなところにいたのか!」
「掘り起こせ!」
男の様子をちらりと見たエレンは、彼の容体が気に掛かるのか「手伝ってちょうだい」と言った。
「隙間からでいいから身体を温めてあげてくれる? 人肌くらいの温度で。あまり熱いと身体に負担が掛かるから、それだけは気を付けて」
「ええ、分かりました」
救助作業の邪魔にならない位置に膝を付いた二人は、男に応急処置を施した。
シオリが隙間から温風を吹き込む横で、エレンは各種の治癒魔法と並行して明らかに市販品ではない飲み薬を少量ずつ男に含ませている。医師資格を持つものだけが使うことを許されている特殊な薬らしい。陽光の下でも分かるほどの不思議な光を放っているのは、原料となる薬草に発光成分が含まれているからだそうだ。
「長い時間圧迫されると、そこに毒が溜まることがあるの。少し兆候があるから飲ませたけれど……もしかしたら後遺症が出るかもしれないわね。後で点滴してもらわないと」
「挫滅症候群……ですか」
僅かに目を瞠ったエレンだったが、治療の手は休めず説明を続けてくれた。
「東方ではそう言うのね。こっちでは圧迫中毒症っていうのよ。飲み薬や点滴で治療するの。ここ数年で確立された治療法なのよ」
「はぁ……凄いですね……」
総合的には向こうの世界より遅れている医療技術も、場合によってはこちらの世界の方が遥かに優れていることもある。治癒魔法や薬効の高い薬草、有効成分を多く含む魔獣の存在がそれを可能にしているようだ。
挫滅症候群や破傷風などは既に治療法が確立されているらしく、医師資格を持つ冒険者は応急処置用の薬品類を常に携帯しているという。「シオリは知ってるかもしれないけれど、破傷風はミズホのお医者様が第一人者なのよ」とエレンは教えてくれた。
処置を続けるうちに男が目を覚ます。ほとんど同時に最後の瓦礫が除けられた。彼は速やかに担架に乗せられ、救護所に運ばれていった。
これで村内の被災者は全て救助された。命に別状はないが、重傷者の一部はいくらかの後遺症が残るかもしれないということだった。
レオはそれに思うところがあるようで、瓦礫の撤去を指示しながらもどこか物憂げな表情だった。利き腕の負傷で剣を持てなくなった自らの境遇と重ねているのかもしれない。
「……よし、もう一仕事。ルリィもお願いね」
アレク達はこの先の牛舎で魔獣の痕跡を調べ、行方不明の討伐隊が向かった先の目星を付けているはずだ。それに合流しなければならない。
――その牛舎を襲ったものが実は雪崩を誘発した「真犯人」であるということを知る由もなく、一息吐いたシオリはルリィと共に駆け出した。




