06 家政魔法と攻撃魔法への転用2「洗濯魔法 実技1」
実技はそれぞれの能力や目的に応じて道具を持ち込んで良いことにしていた。野外活動を想定していない使用人や、ニルスのような初心者などは、盥やバケツに水を張るところから始めている。それでも適量を入れることができず、溢れさせたりとなかなか苦労しているようだ。
魔導士の中にも水流の制御に難儀している者が何人かいるようで、失敗して周囲に飛散させ、大騒ぎしている。対して苦もなく一足先に脱水の工程まで再現している者もいて、この時点で能力差が浮き彫りになった。
「……私、これちょっと難しいかも……」
「う……腕が震えてきた」
制御に難儀して呻いているのは、意外にも活動年数をそれなりに重ねた者や、魔力の高い者ばかりだ。冒険者としては新人ながら、自警団の魔導士としての実績があるはずのヴィヴィですら思うように制御できず、水流を歪にうねらせて慌てている。
「魔力量によっては、水流が小さくて制御が難しい方もいらっしゃると思います。難しい方は、とりあえず洗濯のことは忘れて、自分がやりやすい大きさで試してみてください。それができたら、少しずつ水流のサイズを小さくしてみてくださいね」
魔導士としては至極当たり前の助言ではあるが、簡単な指針を示すとそれで上手くできた者もいるようだ。固定観念を取り払うのも修行や鍛錬には大事なことだ。新しい何かを覚えようとするときには、なおさらのことだろう。
しかしそれでも上手く制御できず、歯噛みしている者もいる。
「……生まれ持った魔力頼りの戦い方をしてきた弊害がこういうところに出るんだな」
彼らに配慮して幾分低めた声でアレクは言った。
――攻撃に特化した魔導士は、実は維持を苦手とする者が多い。発動と同時に対象に向けて放つ攻撃魔法は、基本的に維持を必要としないからだ。しかし、それほど鍛錬しなくても高威力の攻撃ができてしまう魔導士の中には、この弱点を弱点と気付かないまま過ごしてしまう者が少なからずいるのだ。
魔力とごく単純なイメージのみで魔法を発動している彼らは、火なら発火や火球、水なら水塊か川といった単純な魔法しか使うことができず、その攻撃力は純粋な魔力頼り。だから応用が利かず、魔導士としての限界が早くに訪れてしまうという訳だ。
決して少なくはない魔力を持っていながら、思うように活躍できない主な理由がそれだ。
「水流の制御ができないってことは、イメージと集中がほとんどできてないってことだね。あの子達はまずそこら辺の修行から始めた方が良さそうだねぇ」
巨大な渦を巻く水流を生み出してみせたナディアも苦笑している。
「……うーん、でも、どうだろう。集中力の強化はできても、イメージって結構生育環境とか教育に左右されるところもあるから。沢山本を読んだり、色んなものを見てもらったりっていうのも大事かも。知らないとイメージすることすらできないもの」
魔法とは思い描いた現象を具現化する技術だ。彼らは「水が渦を巻く」という現象そのものを想像できないのかもしれない。
成人するまで郷里を出たことがなく、あまり多くのものを目にする機会がなければなかなか難しいところもあるだろう。雪が降らない南国や砂漠地帯では氷魔法や水魔法を使いこなせる魔導士が少ないという話もあるが、これもやはり実体験がないからだとされている。
「俺なんぞは子供の頃は街から出て随分やんちゃもしたしな。父に引き取られてからは十分過ぎる教育を受けさせてもらったし、そう考えると冒険者になるまでにそれなりの下地ができ上がっていたとも考えられる。思った以上に恵まれていたんだな、俺は」
「あたしも十三で国を出てから、なんだかんだで色々経験したしねぇ……」
アレクやナディアはしみじみと呟いている。
シオリ自身もそれほど多くの経験をしたつもりはなかったけれど、沢山の情報に溢れたあの世界で、自然と想像力が養われていたのだろう。
――この目で直接見たことがない「天上から見た世界」ですら、幻で再現できるほどの想像力を。
「……組合に図鑑とか寄付しようかな」
あるいは幻影魔法で様々な自然現象を見せてもいいかもしれない。
勿論生来的な得手不得手はあるものだ。経験や知識を積んだからといってそれを活かせる者ばかりではない。でも、選択肢を用意しておいて悪いことはないだろう。
(必要なときに好きなだけ調べて読むことができるって、本当に贅沢なことだったんだな……)
苦戦している受講生に助言しているナディア達を見ながら、そんなことをしみじみと考える。
「なんか、もっと気軽に勉強したり本を読めたりできる場所、あってもいいよね……」
王都や各領都には公営の図書館があり、領民であれば誰でも利用できることになってはいる。しかし有料な上に利用者は知識階級ばかりで気軽という雰囲気ではない。私設の図書館は会員制がほとんどで同好の士のサロンといった雰囲気の場所が多く、一般人向けとは言い難い。
だから本が読みたければ貸本屋に行くか、懐に余裕があれば書店で買うかのどちらかだが、何冊も買い揃えて勉強するという考えは、読み書き計算を習う程度の階層にはそこまで根付いていないようだった。日用品に比べれば割高だからという理由もある。
一応冒険者組合にも図書室のようなものはあるが、冒険者が手放した古本ばかりで蔵書が十分ではないのだ。
「どうした、難しい顔をして」
なにやら考え込んでしまったシオリを不思議に思ったのか、アレクが訊いた。
「……あ、うん。実践も大事だけど、知識を身に付けるのも大事だなって思って。組合にも気軽に本を借りたり勉強したりする場所があったらいいなって思ったんだけど」
そこに置くのは実用書だけではない。図鑑や事典、旅行記、随筆、小説など、様々なジャンルの本を置くのだ。それらからも得られる知識は多い。すぐに活用はできなくても、いつかどこかで役に立つ知識というものだってある。シオリの家政魔導士としての技術や経験も、それらの組み合わせで成り立っているのだから。
ふむ、とアレクは唸った。
「知識の蓄積……か。確かに興味を満たせる様々な本がある図書室はあってもいいな。だが、俺としてはそこに家政魔法書や野営料理の本があってもいいんじゃないかと思うぞ。書き物は得意のようだし、手の内を明かすことに抵抗がないのならいっそ書いてみたらどうだ」
「……あ」
そういえば以前も彼に言われていた。せっかくだから教本に纏めてみたらどうかと、そう提案されていたのだ。
「組合経由で出版手続きができるし、挿絵が必要ならアンネリエ殿に訊けば専門の画家を紹介してくれるかもしれないぞ。バルト殿が来てることだし、ちょうどいいんじゃないか」
自習室を兼ねた図書室というのは漠然と考えてはいたが、そこに自分が書いた本を並べるという発想はなかったシオリは目を瞬いた。
「……そっか。そういうやり方もあるんだ」
書物という形なら誰でも気軽に家政魔法に触れられる。今まで同僚に提供してきたレシピも、一冊の本に纏めればより活用しやすくなるだろう。
「教本って言われると尻込みしちゃうけど、ちょっとした実用書みたいなものだと思えばいいんだものね」
日本で生きた証を何一つ持ってくることができなかったこの世界に唯一持ち込むことができたのは、この身に蓄えた知識だった。それらを活かしてこの世界でも使えるようにと試行錯誤を繰り返してきたその結果が、この家政魔法と野営料理だ。
新たに築いた知識と技術は、これだけ多くの人の興味を惹いた。形にして残したそれらのものを、どこかで誰かが活用してくれるのなら嬉しいとシオリは思った。
「……しかし、読み書き計算だけでは足りない知識を補う施設……か。王国は大分庶民の教育が進んでいると思っていたが、こうしてみるとまだまだ全然足りんな」
新たな計画を漠然と練り始めたシオリの横で、ぽつりとアレクが呟く。
「単純に知識不足なだけで、それを少し補ってやればまだ十分な伸びしろがある者が沢山いる。学ぶ機会が得られなかったばかりに、才能に気付かないままの人生を送るというのは勿体ない気がするな」
「学ぶ機会があっても、自分にどういう才能があるか分からないままっていうのは教育先進国でも同じだよ。選択肢が多過ぎて、どういう道が自分に合ってるか分からなくて、それでかえって悩む人だって多かったもの」
「それはまた……贅沢な悩みだな」
「うん。でも、もっと気軽に調べたり学べたりする場所があるっていうのは凄くいいと思う。特に冒険者って、ほかの職業とは違って身分や年齢とかが入り乱れてるから、新人の時点で既に基礎教育や知識に大分差があるでしょ? それで受けられるはずの依頼を受けられなかったり、上手に依頼を選べなくて、本当は能力があるかもしれないのに経験が積めなくて昇進できないっていうの、結構あると思う」
シオリは冒険者登録したのが二十八歳とかなり遅い。けれども、ごく短期間で同年代の同僚と遜色のないランクに昇進することができたのは、言葉が多少不自由という欠点を補えるだけの知識があったからというのが大きいという気がした。
「身分とか出身地とか、生育環境によってはどう学んでいいかすら分からないっていう人も多いと思うから、冒険者にもそういう手引きをする場所がちゃんとあるといいなって」
冒険者組合にも新人にB級以上の冒険者が教官として付く師弟制度のようなものや、読み書き計算を教える講習があるが、長くても二ヶ月ほどと期間は短く十分ではない。実力主義の冒険者には、現場に出てこそという考えがあるためだ。
「でも、半年とか一年くらい勉強できる充実した環境があれば、能力の底上げができるんじゃないかな。甘い考えかもしれないけど、もしかしたら……その知識に救われて死ぬことだって減るかもしれない」
「――枠組みを作れば、そこに冒険者としての知識や技術を集約できるという利点もある。引退した冒険者を講師にすれば再就職支援にもなる、か。なるほど、悪くないな」
それでも伸び悩む者もいれば、知識を得ただけで満足してしまう者も中にはいるだろう。でも、見習いや養成学校を経て一定の水準を保っている騎士隊を見れば、「養成所」という仕組みは決して無意味ではない気がした。それに、新たな道へのヒントにもなるかもしれないのだ。
シオリはアレクの横顔をちらりと見る。実技に取り組む受講生を眺めている彼は、真剣な面持ちで考え込んでいた。
――自分も彼もこの国では「弱者」で、それがゆえに苦労の連続だった。彼はそんな自分達のような者のための受け皿があってもいいのではないかと語ったことがある。
今ここに人々が、こうして身分や業種を超えて一つの場所に集まっているのは、新たな道を模索するため、あるいは今ある技術をさらに磨きたいと願うからだ。何かを学ぼうとしているこの光景を見ると、枠組みはやはり必要なのだと強く思う。それも臨時ではない、常設の枠組みだ。
――どっと受講生が沸いた。最後まで苦戦していた一人が、この場に集った「仲間達」の助言を得てようやく小さな水流の維持に成功したからだ。
「……考えてみるか」
アレクの言葉に主語はなかった。けれども、その意図するところを察したシオリは頷いた。
雪男「洗い終わった洗濯物はこの物干しに」
ブロゥ「それ物干しじゃなくて雪原ナナフシ」
脳啜り「干しっぱなしにすると持っていかれるからな」
ルリィ(持っていかれたんだ……)




