04 デモンストレーション
領都トリスから馬車で小一時間ほど東に向かった場所にあるハスロの森は、低山地帯の裾野に広がる広葉樹林の森だ。冬でも青々とした葉を茂らせているこの森は、小川や池、開けた草地に岩場などがごく狭い範囲に点在し、人里からはほどよく距離もあることから新人冒険者の訓練場として利用されることが多い。
今回はこの森の中ほどにある広場で講習を行うことになっていた。
先に馬車から降りた警護役の魔導士達が、広場の一角の雪を溶かしていく。
「広さはこのくらいもあればいいかな」
「そうさねぇ……見学の連中からはもう少し離したいね。あんまり近いと馬が驚いちまうよ」
「うーん、じゃああと十メテルくらい下げとくか」
幾度も指導役を務めてきた彼らは慣れたもので、相談しながらあっという間に臨時の訓練場を作ってしまった。
「さ、じゃあ次の作業はシオリ、頼むよ」
「うん」
事故を防ぐために毎回近隣の村には訓練の日程を伝えてあるが、万が一にも流れ弾が当たりでもしたら問題になる。これも決まり事で、周辺に人がいないか最低でも一度は確かめることになっていた。
普段はリヌスのような身軽で感覚が鋭い元猟師勢や使い魔が行う作業だったが、この日はシオリが務めることになっていた。講師による魔法のデモンストレーションという訳だ。
「範囲は半径二百メテルくらいでいいかな」
「ああ、そうだな。とりあえずは近場だけで」
「それ以上はシグルド達が見回ってきてくれるからさ、君は周辺だけお願い」
使い魔の吹雪猫、シグルドを従えた元魔導士にして武闘家のカイが言い添えてくれた。
「分かりました。では始めます」
受講生は何が始まるのかと注目している。
シオリは目を閉じて深呼吸すると、探索魔法を展開した。自分を中心に細い網の目を広げていく。
この魔法を本格的に使い始めた半年前は、すぐに疲れてしまっていたものだった。けれどもすっかり使い慣れて極限近くまで効率化した今では、よほど広範囲で長時間使用しない限りは滅多には魔力切れを起こさなくなった。もう、呼吸するように使えるのだ。
周囲から微かなどよめきが上がった。
「あ、なるほど……!」
「うわ、細っ」
「ひぇ~……」
これまで魔法に馴染みがなかった使用人勢や引率役のバルト・ロヴネルなどはいまいち理解していないようではあるが、冒険者や騎士の面々は何をしているのか概ね分かったようだ。これまでお手並み拝見といった余裕を見せていた彼らはがらりと表情を変え、真剣な面持ちでシオリの手元や魔力の流れを見つめている。
「……半径二百メテル以内に人はいないよ。小動物や小型の魔獣が何匹かいるくらい」
およそ三十秒ほどで魔法を解除したシオリの報告に、周囲から感嘆の息が漏れた。掴みは上々のようだ。
「そうか。じゃああとはルリィ達の出番だな。頼むぞ」
任せて! というように使い魔達が森の中に散っていく。臨時の演習場周辺を散歩がてら見回りしてくれるのだ。
「――今のは探索魔法の応用ですか? 道具探し用の」
ルリィはともかく、虫好きのブロゥが変なものを捕まえてこなければ良いけれどと思っていると、数人の受講生から声が掛かった。この探索魔法に特に強い興味を示しているのが騎士や私兵ばかりだというのが興味深い。
「ええ、そうです。もうほとんど索敵メインで使っていますね」
「小動物と小型の魔獣の区別までできるのか? 随分細かいんだな」
「そうですね。魔力の質や大きさなどから大体の判断をしています。魔獣と普通の動物ではやっぱり少し違いますから」
「そういうものなんです?」
「はい。魔力は身体の一部のようなものですから、結構個性がありますし。慣れてくるとなんとなく属性も分かるようになりますよ」
「その辺は普通の気配察知と似たようなものか。それの範囲拡大版という訳だね」
「でも、相手には探ってること気付かれちゃうんじゃない?」
「魔力の出力が大き過ぎると気付かれますね。でも、糸のように細く薄くすると案外気付かれませんよ。気付かれたとしてもせいぜい小さな羽虫が通り過ぎた程度にしか感じないみたいで」
「なるほど、気付かれても問題にされない程度まで出力を落とせばいいという訳か」
「確かに、さっきのも意識して見ていたから『見えた』けど、言われなければ気付かなかったかも。森の中に絹糸一本落ちてたって、普通は気付かないもの」
「でもこんだけ出力抑えて範囲を広げるって大変だぜ。習ってすぐ使えるってもんでもなさそうだな」
講座開始前でこの熱量だ。彼らの熱意に押され気味にはなったが、それはなるべく表情には出さないように努力した。
「後で訓練方法もお教えしますから、是非参考にしてくださいね。じゃあ、そろそろ始めます」
くるりと振り返ったシオリに向けられるのは、期待と好奇心に満ちた目だ。今のデモンストレーションで大分心証が変わったのか、冷やかし半分だった一部の受講生の表情が明らかに変化していた。勿論まだ疑わしい目で見る者は少なからずいるが、当初危惧していた講義妨害のような事態はなんとか避けられそうだ。
――背後を護るように立っているアレク、受講生の一人として参加しているニルスやエレン、その周囲で暴発に備えて待機しているナディアを始めとした同僚の視線はどれも温かい。見学者として馬車のそばで控えているバルトが、「頑張れー」というように手をひらひらと振っている。
そんな彼らに勇気付けられたシオリは、とりあえずはトリスヴァル辺境伯家の私設兵団にちゃっかり紛れている辺境伯夫人は気にしないことにして、精一杯に声を張り上げた。
「本日はご多忙の中お集りいただきましてありがとうございます。事前にお知らせした通り、今回の講座は野営地での炊事洗濯や入浴などといった家事に関する魔法について学ぶ家政魔法講座と銘打ってはおりますが、これらの魔法は野営地の環境を快適にするためだけのものではありません。使い方次第では攻撃や補助魔法に転用できるものです。低い魔力であっても、魔獣の種類によっては十分倒しうる威力を持つものもあります」
これを聞いた受講生の一部が表情を引き締めた。家政魔導士として後方支援に回るよりは、できればこのまま攻撃専門の魔導士として活動したいという者達だ。彼らのほとんどは空調魔法――合成魔法や複数魔法の同時発動目当てに集まった者ばかりだったが、それ以外の魔法にも可能性があると聞かされて期待したようだ。
「――今回お教えする家政魔法のほとんどは、元々は攻撃魔法として一般的に知られたものを、低魔力でも使える家事用の魔法に改良及び転用したものばかりです。私より高い魔力をお持ちの人であれば、殺傷力の強い攻撃魔法として使うこともできるでしょう。勿論そのまま日常使いにもできる便利な魔法ばかりですので、スキルアップの足掛かりとして是非覚えてくださいね。それでは、これより家政魔法の講義に移らせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げると同時に、拍手の音や挨拶を返す声が響く。しかし中にはヴィヴィのように目を丸くしている者もいて、シオリは「おや」と首を傾げた。
「……多分今の挨拶に驚いてるんじゃないかと思うぞ。明らかに手慣れてる風に見えるからな」
背後のアレクがこっそりと教えてくれた。
「そっか、そういうところからも変に思われちゃうんだ……色々勘繰る人がいる訳だなぁ」
「東方というと今まで交流がほとんどなかったせいか、未開拓地という印象が強いからな。そのせいもあるんだろうが……」
東方人と言えば未開の辺境部族という認識が根強く、教養などは推して知るべしという扱いだ。そういった偏見から、東方人というだけで評価を低く見積もられてしまうという訳だ。アレクの言わんとすることは分かる。
「分かってはいても、やっぱりちょっと複雑……」
一応は東方人という括りでこの場にいるシオリとしては複雑だ。少なくともヤエ本人や楊梅商会が持ち込んだ品々を見る限りでは、王国より劣っているとは思えない。
「東方から出てきた人は訳ありで貧しい人が多かったみたいだから、そう思われても仕方ないところもあるけど……実際には王国と極端な差はないんじゃないかなぁ。ある一点では劣っていても、違う点を見れば同じ水準とかそれ以上のところは沢山あると思うよ」
「お前は俯瞰的な立場だからそう思えるんだろうが、国から出たことがなければなかなかそういう考えには至らないだろうな」
アレクはそう言って苦笑いしながら、講義を始めるよう促してくれた。
――現状、シオリは行方知れずになっていた瑞穂国のさる旧家の息女らしいという扱いになっている。アレクやザックからは、いずれは「らしい」が取れるだろうと言われていた。日本での立ち位置はどうあれ、王国人にしてみればただの平民とも思えない言動が多いシオリは、それなりの身分がある設定にしておいた方が都合が良いだろうという判断だ。
和泉詩織としての自分が最も近しい人達に受け入れられた今、シオリ・イズミとして生きていくことにもう抵抗はない。今後は瑞穂国出身の移民として生きていくことになるだろう。
(だから……っていう訳でもないけど、何かもっと東方との橋渡しができるといいな)
そう思いながらも気持ちを切り替えたシオリは、改めて受講生に向き直った。
「――今回お教えする魔法は五種類。水魔法を使った洗濯魔法、風と氷魔法を使ったフードプロセッサー、土、水、火の魔法を使ったお風呂、火と風を複合した乾燥魔法、そして先ほどお見せした探索魔法の五つです。家政魔法講座と銘打っておりますので家事向けの魔法がメインとなりますが、後ほど応用方法についても説明させていただきますので、攻撃魔法への応用が目的の方は、この点をご理解の上ご参加いただければ幸いです」
お願いの体裁を取ってはいるが、これは合成魔法目当ての参加者への予防線だ。先を焦って急かされては困る。けれども、少なくとも今は大人しく聞いてくれるつもりがあるようだ。彼らは素直に頷いてくれた。
良かったと内心安堵したシオリは、講座の開催を告げた。
「では、始めましょう」
ルリィ「……ブロゥが何か隠し持ってる……」
※察し




