01 エナンデル商会との商談
携帯食を商品化しましょうの回。
「――ああ、良かった。ヤエさん、協力してくれるって」
仄かに梅の香りがする封筒を開き、その文面に目を走らせていたシオリはほっと息を吐く。背後から手紙を覗き込んでいたアレクは「良かったじゃないか」と微笑んだ。
「これで東方由来ということにできそうだな」
「うん」
フリーズドライ技術を使ったお手製携帯食を商品化するにあたり、技術の出所や着想を得た切っ掛けなどの詳細を訊かれることは避けられないだろう。エナンデル商会との交渉で最重要とも言えるその点を濁すことはできない。
それは得策ではないと判断したシオリは、辺境伯との会談以来保存食に関する資料を集めては読み漁っていた。工程こそ異なるものの、日本には凍り豆腐という凍結乾燥させた保存食品があった。ヤエから詫びの品と言って手渡されていた食材の中にも同じような乾燥豆腐が入っていた。それならもしかしたら他の国――王国にもあるかもしれないと思ったのだ。
結果、見つけたのが王国南部の漁村に伝わる急速冷凍食品だった。とあるせっかちな魔導士の横着から生まれたその食品。本来は冬に外気に晒して時間を掛けて作っていた冷凍魚を、手伝いに駆り出されていたその村出身の魔道士は、面倒だからと魔法で一気に凍らせてしまったそうだ。食材を乱暴に扱うなと怒る漁民達だったが、いざ解凍してみたら旧来の作り方と違い、鮮度が保たれていたという逸話があった。
――魔素の存在、そして生態系に違いはあれど、人の営みにそれほど大きな違いはなかったあの世界と同じように、この世界にもまたフリーズドライ食品の前段階とも言える保存食品があったのだ。
フリーズドライ技術はこれらの保存食品から着想を得た、東方由来の加工技術――そういうことにすれば、まるで未知の技術という訳でもないように思えるのではないか。
そんな思いからシオリはヤエに協力を願い出た。勿論全てを明かした訳ではないが、各種の事情から東方出身ということにしたいこと、手持ちの技術を東方由来にしたいことなどを認めて速達を出した。
ヤエはいくつかの、それもさほど難しくはない条件を提示した上で了承してくれた。その条件の一部はシオリの一存では決められないが、それは交渉次第だろうとアレクは言った。
「不安材料は解消されたか?」
「うん。多分……大丈夫」
「よし、じゃあ後はエナンデル商会だな。クレメンスに相談してみよう」
エナンデル商会はクレメンスの生家であるホレヴァ商会が母体。異世界人であるということこそ知らないものの、複雑な立場にあるシオリの事情を理解していたクレメンスは、エナンデル商会長である実弟に連絡を取ると言ってくれた。
シオリには商売や取引などの知識はほとんどなく、駆け引きもできない。恐らくこれはどれだけ場数を踏んだとしても身に付けられないだろう。誰しも得手不得手というものがある。だからその不足分をアレクと、そして今回はクレメンスが引き受けてくれた。
実際にはトリスヴァル辺境伯クリストフェル・オスブリングの口添えもあって、シオリの人となりを見定めフリーズドライ技術の具体的な話を聞いた後は、ほとんど自動的に契約書の取り交わしまで話は進むだろうと言われていた。
けれども相手は王国有数の老舗、生まれついての商売人だ。万が一にもシオリの不利にならないよう、細かな交渉などは二人が取り仕切ってくれるという。
シオリがやることと言えば、後はフリーズドライ加工用魔道具の資料や企画書類を纏めることくらいだ。
「……お世話になりっぱなしでなんだか凄く申し訳ないな……」
そう言って唇を噛むシオリの肩を抱き寄せ、額に軽く口付けながらアレクは言った。
「気にするな。他の場面では俺達が世話になってるんだ。お互い様さ」
「……ううぅぅぅん……」
どうにもその「世話になる」の比重が違い過ぎるような気がして眉尻を下げるシオリだったが、アレクはその瞳を正面から覗き込んで力強く言った。
「――去年、初めてお前を紹介されたときにザックに言われたんだ。最近のトリス支部における高難度の依頼達成率及び成功率が他の支部より飛び抜けて良いのは、シオリのお陰なんだとな。その評価は記録を見る限り今でも変わっていない」
「……アレク」
「確かに先頭に立って戦うのは俺達だ。だが、後衛職のお前達がバックアップしてくれるからこそ俺達は安心して戦える。そして、それをさらに全力で戦ってなお無事帰還できるよう能力を最大限に引き出してくれるのが、家政魔導士であるお前の存在なんだ」
それまでの遠征では快適さは二の次だった。ともかく強い戦力と日数分の水と食料さえあれば良いというのが常識だった。それを覆したのが家政魔導士の存在だったのだ。衣食住を整えるだけであれほど結果が違うとは思わなかった。パーティ全体の能力を大きく底上げしてくれた――そのシオリの存在こそがトリス支部の好成績に繋がったのだとアレクは熱心に語った。
「その結果を見て家政魔導士を目指したいという後衛職が増えた。怪我で前線で戦えなくはなったが、家政魔導士の技術があれば後衛職として現場に復帰できると期待してる者だっている。そんな彼らのために、お前は血の滲むような思いで身に付けた技術を教えようというんだ。きっとこれまで以上に支部の成績は上がるだろうさ。お前の果たした、そしてこれから担う役割は大きい」
だから世話になりっぱなしなどと気に病む必要はないとアレクは笑った。
「――ありがとう、アレク。うん、じゃあ、素直にお世話になるね」
幾分瞳を濡らしたシオリの瞼に、彼は優しい微笑みと共に口付けをくれた。
――第二街区に立地するエナンデル商会トリス支店は、地下一階、地上五階建ての大型店だ。一階には馬車通路や車庫、厩舎が配置され、私有の馬車で乗り付けできるほどの立派な建物。地階は倉庫、一階から三階は店舗、四階は応接間と事務室がある。最上階は支店長含む一部店員の居住階になっているらしい。
冒険者用品の専門店だけに、武装した冒険者が気後れせずそのまま出入りできるような店構えになってはいるけれど、一般客はまず立ち入ることはない四階へと向かうシオリの顔は、緊張で半ば強張っていた。
三階より下とは異なる重厚かつ品の良い内装は貴族の城館といっても差し支えないもので、下層階の店舗を通らず四階に直通している階段があることからも明らかに上得意向けの場所だと分かる。
そんな場所でも気後れする様子もないアレクはきっと出入りし慣れているのだろう。商会長の実兄だというクレメンスや、いつだってマイペースなルリィは言わずもがなだ。
未だこういった「特別な」場所に慣れないシオリは自身が心底庶民なのだと思い知るが、それもいずれは慣れるのだろう。本来王家の一員でこういった場所には慣れているアレクも、王族としてより平民として暮らした期間の方が遥かに長く、ものの考え方や感じ方は庶民とほとんど変わらないそうだ。「場数を踏めば誰だって慣れるさ」と言ってアレクは笑った。
(……B級以上は上流階級相手の仕事も増えるし、そう考えたらそんなに特別なことでもない、かな)
そう結論付けたシオリは平常心でいるよう努め、先導するクレメンスに促されてアレクと共に重厚な造りの扉を潜った。大丈夫。
扉の先はギャラリーを兼ねた控えの間らしく、壁に有名画家の絵画が飾られ、重厚なソファと観葉植物が等間隔に配置されている。上流階級相手のもてなしを意識したインテリアだ。
その中ほどに佇んでいた銀髪の男が相好を崩しながら歩み寄った。肌や瞳の色は違えど、髪色や面差しはよく似通っていた。どうやら彼が噂に聞くクレメンスの弟であるらしい。クレメンスの肌の色が兄弟と異なるのは多少は日焼けもあるようだったが、遥か南国の大商人の娘だった曾祖母の血を色濃く受け継いだからのようだ。曾祖母もまた滴るような美貌の持ち主だったという。
「お久しぶりです、クレム兄さん」
「ああ、久しぶりだな、パウル。元気そうで何よりだ」
「お陰様で、元気でやらせてもらってますよ。アレクさんもお久しぶりです。もう四、五年ぶりになりますか」
「そうだな。最後に会ったのは五年ほど前か。月日が経つのは早いものだな」
「そうですねぇ。最近は誕生日を迎えるのが怖いですよ。ああそうそう、ご依頼の品の仮縫いができていますよ。よろしければ後でご確認なさいますか」
「お、早かったな。じゃあ頼むか」
言いながらも固い握手を交わし合う彼らは皆笑顔だ。兄弟の二人は年に一、二回は会っているらしく、兄弟仲は良好。
アレクもまたエナンデル商会設立の頃からの付き合いらしい。気心の知れた仲なのだ。
彼らに王族であることを明かしたこともなく、城で直接顔を合わせたこともないというが、少なくともクレメンスは気付いていながら黙っていてくれているようだと彼は言っていた。
『あいつとザックは子供の時分から付き合いがあったというから、ザックが王家と深い付き合いがあったことは当然知ってるさ。出奔してからあいつに引き合わされるまでに大分間はあったが、ザックが連れてきた訳有りの男が栗毛で紫紺の瞳とくればすぐにも気付いただろうさ』
そんなふうに苦笑気味にさらりと流したアレク。重大な秘密を気付かれていながら何も言わず、ただ普通に友人付き合いを続けていられるのは、よほど信頼しているからなのだろうとシオリは思った。
――全てを打ち明けずとも成り立つ絆。それもまた一つの在り方だろう。
「……さて。この方が例の?」
二人との挨拶を終えた銀髪の男はシオリを見下ろしてにこりと笑った。甘さと渋みが絶妙に入り混じった色香漂うクレメンスの微笑みとは違い、陽気で人好きのする笑顔だ。顔立ちはよく似ているのに随分と印象が違う。並べば血縁者だと分かるが、別々に会えば二人が兄弟だとは認識できないだろうほどには、その印象は異なっていた。
「シオリ・イズミと申します。今日はお忙しい中お時間を割いていただきありがとうございます」
「エナンデル商会長、パウル・ホレヴァです。こちらこそ、面白いお話が伺えると聞いて王都から飛んできましたよ」
そう言いながらパウルは右手を差し出した。シオリが反射的に出した手を彼はごく自然に握り、そして「よろしくお願いいたします」と言った。婦人に対する儀礼的な挨拶ではないその握手は、対等の立場で接するという意思表示のように思えてシオリはふと微笑んだ。
続けて彼は後ろに控えていた亜麻色の髪の男を指し示した。
「こちらは開発部長のクヌートです」
男は眼鏡を掛けた神経質そうな青白い顔に微かな笑みを浮かべて目礼した。白髪交じりの髪が揺れる。
「ご紹介に預かりましたクヌート・アルクヴィストです。以後お見知りおきを」
些か居心地悪そうな様子のクヌートは目を瞬かせていたが、シオリを見下ろして握手を求めた彼は苦笑気味だ。
「あまり緊張せんでください。私も同じですから。幾度となく商談に引き出されましたが、商会での仕事は大物ばかりで正直未だに苦手です。失礼ながら貴女は私と同じのようですから安心しますよ」
元々は王都で魔道具を製作販売する個人店で技術者として働いていたらしいが、エナンデル商会設立時に引き抜かれたそうだ。生まれも育ちも庶民。大物相手の商談に慣れはしたが、本音を言えば今でも苦手なのだそうだ。できれば引き籠って気心知れた同僚と研究開発に没頭したいと、彼はそう言って苦笑いした。
そんなクヌートの会話で緊張が解れたシオリは、彼らに導かれていくつかある応接間の一つに案内された。煉瓦色の地に優雅な植物柄が配置された壁紙のその部屋は、調度類やファブリックが温かみのある色調で統一されていて居間のように居心地が良い。「以前はさる富豪の奥方のサロンの一つだったそうですよ」と世間話代わりに語るパウルはそう言って笑った。上層階は本来使用人が使うものらしいが、その奥方は小さいながらも眺望の良いこの部屋がお気に入りだったそうだ。
座り心地のよいソファに腰を下ろすと、音もなく現れた給仕が紅茶と茶菓子をセッティングし、静かに部屋から出ていった。来客に紅茶を勧めたパウルはそれぞれが一口飲み下すのを見届けてから、単刀直入に切り出した。
「さて……では早速商談と行きましょうか。当商会としては是非フリーズドライ食品を取り扱わせて頂きたいと思っております。事前に送って頂いたサンプルは大変興味深いものでした。保存食とは思えない作り立ての味のようで驚かされましたよ。あれを取り扱わせて頂けるのであれば、冒険者の皆さんの食事の幅も広がることでしょう」
サンプルとして送ったフリーズドライの携帯食は幸いなことに、少なくとも本店の企画会議では高評価だったようだ。安全な保存食品として市場に出すにはクリアしなければならない課題も多いが、是非前向きに考えたいという。
「しかし技術提供の条件として、一定期間が過ぎたら技術を公開する……ということでしたが、これは今でも考えは変わりませんか?」
「はい」
「画期的な技術ですから、独占すれば相当の利益になります。貴女が首を縦に振ってくれさえすれば商会としてはこれ以上はない取引と考えますが。勿論考案者である貴女にとってもです。失礼ながらシオリさんは移民ですから色々と苦労が多いことでしょう。ここで安定した収入を得る手段を手にしたいとは思いませんか」
パウルが言いたいのは発案専売登録を最長年数で申請したいということだ。
発案専売登録は特許のようなものだ。通常は商人組合を通して関連機関へ申請するが、魔導士や魔道具技師が多く登録している冒険者組合にも受付窓口がある。これに登録することによって、魔道具を含むあらゆる発明に対して一定の権利が与えられる。権利が続く期間は内容によってまちまちだが、既定の金額――勿論高額だ――を支払いさえすれば最長で発案者の死後五十年までは発明を独占的に使用することができる。
エナンデル商会としては最長年数での登録をしたいようだが、シオリの希望は最短の「発明品の発売後一年」だ。
問うパウルの表情は真剣なものだった。移民とは口にしたものの、それは決して侮るものではない。決して純粋にシオリを案じただけの発言ではないだろうけれど、その真摯な態度は好ましいものに思えた。
アレクとクレメンスがちらりと視線を寄越した。けれども大丈夫だ。これは答えられる。シオリは正直に自らの考えを口にした。
「……確かに安定した収入は魅力です。でも、まず第一にフリーズドライの技術は私が考案したものではありません。故郷にあった加工技術を再現しただけのものですから、それを私自身のものとすることは絶対にできません」
それはシオリの矜持だ。思考錯誤を重ねて魔法で再現したのだって、決して富を作るためのものではなかった。勿論生活費の足しにしたいというのもあったけれど、旅先で美味しいものを食べたい、食べてもらいたいという想いもあった。そして、その技術があったからこそ冒険中の食事事情が大幅に改善できたとも言える。名も知らない、しかし偉大な本来の開発者達への敬意と感謝を忘れてはならない。絶対にだ。
「それに私は技術方面に関しては素人です。その携帯食の製造工程にしても記憶にあるごく僅かな情報だけで再現したものですから、完全なものではありません。本当はもっと複雑な工程があるはずなんです。大量生産するにあたってきっと問題も多く出るだろうと思います。だからもしアドバイスを求められても、お答えできるかどうかも分かりません」
そうなるといくら便宜上とは言え考案者として名乗るのも烏滸がましい。本格的な製造に入るまでにシオリができることはかなり限られる。
「なるほど。つまり全てを知る訳ではなく、貴女が持つ知識と技術は言わば手掛かり――ヒントだと考えればよい訳ですね」
頷くシオリに、パウルは唸った。
「しかし実際にその魔道具で作った完成品がある以上、その手掛かりを逃すのは得策ではない……ですか」
「……企業に対して一個人がお願いするには過ぎた身勝手なものだということは理解しています。でも、携帯食が欲しいという仲間の希望に答えたいというのと、私を受け入れてくれた仲間やトリスの……王国の人達に恩返しがしたいんです」
「それで技術公開して王国に還元したいと?」
「……はい」
勿論それは理由の一部だ。商売の匂いを嗅ぎ付けた者達に狙われないよう、技術の出所をうやむやにしたいという裏事情もある。それをそのまま部外者に伝える訳にはいかなかったが、その辺りは幸いなことに、東方料理を品目に加えること、そして共同開発者に楊梅商会を含めることを条件にヤエが協力を申し出てくれた。
つまりは共同開発者リストに、シオリの代わりに楊梅商会の名を出せば良い目くらましになるだろうと、そういうことだ。
利益の一部を寄越せとは言わぬ、ただ楊梅商会の名を広めてくれればよいと、ヤエはそう手紙に記していた。王国内での販路拡大を目指す楊梅商会にとって、王国有数の老舗との繋がりを大々的にアピールすることができるこの機会は、またとない好機なのだという。
――同一のものではないが、似たような加工技術がミズホにはある。しかしミズホ開国時にその技術を知る一族は離散して知識も分散してしまった――というのがヤエとシオリが用意したシナリオだ。
シオリをじっと見つめていたパウルはやがて、長い溜息を吐き苦笑した。
「――致し方ありませんね。トリスヴァル辺境伯閣下のご意向もあります。これ以上迫るのは野暮と言うものでしょう」
携帯食を戦闘糧食や災害備蓄に加えたいというクリストフェルは、なるべくシオリの意向に沿うようにという口添えをしてくれていた。思うよりもあっさりと引き下がってくれたのは、やはり彼の存在が大きく働いたはずだ。シオリを受け入れてくれたばかりかここまで協力してくれた彼には感謝してもし切れない。
「楊梅商会に関しても、その評判は王都で聞き及んでおります。質の良い珍しい品々を多く取り扱うと、贔屓にされる貴族家も増えているようです。先日はかのロヴネル家と契約したとかで商人組合でも随分と噂になりましたよ。ロヴネル家の信頼を勝ち得たかの商会とは私どもも是非取引したいと思っておりましたから、願ってもない機会です」
そこまで黙って聞き役に徹していたクヌートもまた言い添えた。
「ミズホ――といいましたか、かの国は。王国にはない発想のもとに作られた数多くの魔道具があるようです。私もからくり人形を大枚はたいて手に入れましたが、あれは面白い。彼らとの繋がりは技術開発課としても是非欲しいところでありますな」
「シオリさんのご事情も理解はしました。その点につきましてはご心配なく。企画発案者が個人の場合、お名前を出したがらない方も多いですからね。クレム兄さんみたいに」
「え?」
突然クレメンスの名を出され、シオリは彼を振り仰いだ。しかしクレメンスは気まずそうに笑って肩を竦めただけだった。
それを見たパウルは苦笑いした。
「……兄さんは家業を放って自分だけ自由気ままに暮らしてるって、ずっと気に病んでるんですよ。だからせめてもの償いにと僕ら……ああ失礼、私どもの調査だけでは絶対に気付かないような細かいニーズを拾い上げては送ってくれるんです。需要があるからとエナンデル商会設立の切っ掛けを作ってくれたのも兄さんでした。本当は兄さんが商会長になるべきだと思ったのですが」
「修行中の身でありながら女絡みの醜聞を作った男には務まらんよ」
「……とまぁこの調子でしてね」
その醜聞というのもクレメンス自身に非はなく、強いて言えば全幅の信頼を置いていた相手への油断が招いた事件だったという。同情は多かったというが、王国有数の老舗を蹴落とせる好機と商売敵に良からぬ噂を流され、その始末を付けるために家を出たということだった。
「冒険者向けアパレルブランドの立ち上げはクレム兄さんの発案です。しかしそれを知っているのは商会のごく一部のみなのですよ。表向きは私ということになっています」
ありふれた母方の姓を名乗るトリス支部所属の冒険者クレメンス・セーデンが、ホレヴァ商会長の実子であることを知る者はほとんどいない。しかしエナンデル商会オリジナルブランドの企画発案者にクレメンスの名があれば、たとえ姓は違えど同一人物と疑う者は少なからずいるだろう。
「――という訳ですのでシオリさん、貴方のお名前を表に出すことは一切ありません。勿論発案者として利益の一部はお渡ししますのでご安心ください」
「……ありがとうございます」
ほっと息を吐いたシオリは、クレメンスによく似た男に微笑んだ。
「色々と面倒な要求を呑んでくださったその代わり……になるかどうかは分かりませんが、フリーズドライ食品に向き不向きの食材や、商品に加えるメニューの提案などは是非ご協力させてください」
販売開始後一定期間が過ぎたらフリーズドライ食品製造技術の公表はする。だがそれは技術的な部分だけだ。他者との差別化ができるよう、それ以外の知りうる限りの知識はエナンデル商会だけに渡す。それをどう生かすかは彼ら次第だろうが、ホレヴァ商会の後ろ盾があったとはいえ、たった十年ほどでここまで大きく商会を育てた彼らのことだ。きっと有効活用してくれるだろう。
にこりと笑って頷いたパウルは、次はシオリが手渡した資料に視線を落とす。
「それで、今お使いの製造用魔道具の発案専売登録はなさっていないということですが、製作を依頼した魔道具店から技術情報が洩れるようなことはありませんか?」
「大丈夫だと思います。信頼の置ける評判のいいお店ですし、既存の魔道具に少し手を加えただけのものですから」
本当は二つの機能を組み合わせた一つの道具にしたかったのだけれど、素人にはそこまでの設計はできなかった。だから既製品のシンプルな冷凍庫と薬品調合用の真空乾燥機の性能を上限いっぱいまで引き上げたものを作ってもらった。
――材料に使った魔法石と外箱が特注品なだけの、既製品も同然の代物なのだ。
「なるほど。そういうことでしたら問題ないでしょう。しかし念のためアイデアの登録はしておいた方がいいでしょうね。発案者の身を護るという意味でも一定の効果はありますから」
発案専売登録者に対する技術提供の強要には、一般的な脅迫行為以上に厳しい罰則が設けられている。罰金や懲役刑、各組合への一定期間の契約禁止の他、組合加入者の場合は資格が一定期間全停止されるばかりか、各支部に住所氏名が掲示されるのだ。
産業革命の初期、発明者――特に魔道具関連の――の誘拐や脅迫が相次いだことで技術を秘匿する者が増え、結果として技術発展が著しく阻害されたという背景があったために法が再整備されたそうだ。
「差し支えなければ王都に戻り次第こちらで申請しますよ。トリスで申請するよりは手続きは早く終わります」
「そういうことでしたら……よろしくお願いいたします」
シオリに頷いてみせるパウルの横で、クヌートが低く唸った。
「それにしても……既製品とは驚きましたな」
「ええ、性能を上げた既製品を組み合わせて使ってるだけなんです。でもやっぱりこれだと対応できるメニューも一食の量も少ないし、季節によっては冷凍や乾燥に時間が掛かって、売り物にならないくらい仕上がりが悪いものもあって」
「お話を伺う限り、どうやら既製品を大型化すれば済むという単純な話でもないようですね」
「はい。それにフリーズドライ食品はとても湿気を吸いやすいんです。保存の仕方を間違えると結構簡単に傷んでしまうので、包装と宣伝内容にも気を使わなければなりません。だから衛生面や安全面でも絶対信頼できるところにお願いしたくて」
「絶対信頼できる……ですか」
ふむ、と頷いたパウルはやがて、満足そうに微笑んだ。単純に知名度だけで当商会を選んだ訳でもなかったのですねと呟いて。
「信用と信頼はお金では買えません。そのように評価して頂けたこと、光栄に思いますよ」
パウルは手を差し出した。固く握り返された手。その握手は初めて交わした挨拶のときよりも一層心の籠ったものだった。アレクとクレメンス、そしてクヌートが微笑み、足元のルリィがぷるんと震えた。
「――では、ご契約に関する具体的なお話を。技術的なお話はその後詳しくお聞きしましょう」
その後の契約内容の確認や細かな交渉は、予定通りにアレクやクレメンスが引き受けてくれた。難しい内容は彼らが噛み砕いて説明してくれ、シオリは訊かれたことに対して答えたり頷くだけで良かった。
現在販売中のお手製携帯食については、急に止めるのもかえって怪しまれるからと、トリス支部所属の冒険者のみの販売に限れば継続して良いということになった。万一携帯食に目を付けた他の業者から接触があった場合は、トリス支部のギルドマスターや楊梅商会を通して対応してもらうことで話が付いた。勿論これはザックとヤエも了承済みだ。
シオリとしても一応は品質維持の問題で大量生産はできない、発案専売登録済みで外に出すことも考えてはいないという理由は用意した。けれども食い下がられる可能性も高く、彼らの協力はありがたかった。
契約を取り交わした後は技術的な話に移った。そこから先はアレクとホレヴァ兄弟はほとんど聞き役に徹していた。まずはシオリがフリーズドライ製法の概要を語り、技術者のクヌートが細かな質問を挟んで必要な情報を補填していく。
「……なるほど……。脂肪分が多い食品はフリーズドライには向きませんか」
「そうですね。凍りにくいからとかそういう理由があったと思います。私の魔道具でもやっぱり、あんまり脂っこいものは上手くできませんでした。なんとなくそれっぽくできても、品質とか保存が怪しくて……」
「それも研究の余地がありますね。メニューの幅を広げるためにはそこは外せません。幸いストリィディアは雪国。凍結威力の高い魔法石は手に入れやすいですから」
「それから、熱湯に浸して戻すことが前提になるので、揚げ物みたいなカリッとした食感のものは再現できません。揚げ物自体は衣や油を減らせばフリーズドライにはできるんですけど」
「ははぁ、なるほど……それでメニューにスープやリゾットなどが多いんですね」
「ええ。敢えて戻さずそのままザクザクっと齧る人もいるにはいるんですけど、正直それはどうかなと。口の中もぱさぱさになりますし、水分を抜いた分味が濃過ぎて、ちょっと胃の負担になるんじゃないかと心配になります。料理じゃなくて素材だったらありかもしれませんけど」
「確かにね。特に旅先では胃腸の健康を損なうと大変でしょう」
「ええ」
「しかし急速冷凍に昇華乾燥ですか……それぞれは冷凍食品や医薬品の開発で個別に使われている技術ですが、組み合わせて食品加工に転用するとは、いやはや東方の技術には驚かされますな」
傍らのホレヴァ兄弟は興味深そうに聞いていた。しかしアレクは徐々に増える技術系専門用語に付いていけなくなったのか、途中から目が虚ろになっていた。同じく飽きたのか一人遊びを始めたルリィの相手を率先して引き受けてくれた。
一通り話し終えた頃には正午近くなっていた。この後クレメンスはパウルと兄弟水入らずの時間を過ごすつもりのようだ。アレクは外で昼食を取った後、注文していた異母弟への贈り物の仮縫いを確かめる予定らしい。ルリィも同伴させたいと言った彼は、せっかくだからシオリも一緒にどうかと誘ってくれた。断る理由もなく、シオリは素直に頷いた。
「――今日は本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
正直言って十の内の九はお膳立てされた商談だった。シオリの仕事は頷き、訊かれたことに答えればいいだけだ。なんとも居心地の悪いものではあったが男達の顔はどれも満足そうだ。だからそれに対して不満を見せる訳にはいかなかった。それが自分自身に向けるものだとしてもだ。今はただ感謝し、別の機会に恩を返せばいい。
「こちらこそ実に有意義な時間を過ごすことができましたよ。既存技術の再活用の重要さを改めて考えさせられました。今度是非王都の本店にもおいでください。歓迎しますよ」
パウルとクヌートの二人と固い握手を交わして別れの挨拶を済ませ、エントランスまで丁重に見送られたシオリ達はエナンデル商会を後にした。
ルリィ「自分とアレクは添え物」
雪男「添え物仲間ですn
雪狼「うしろうしろー!」




