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18 急病人の看病承ります(3)

アレクとザックの過去の断片と、シオリの複雑な気持ち。

 まず、水分補給用の果汁水を作る。魔法で生成した綺麗な水を更に煮沸し、それから一気に常温まで戻す。こういう時は本当に魔法が便利だ。棚からベリーシロップと林檎の蜂蜜漬、生姜シロップの保存瓶、そして食塩を取り出して、それぞれを先程の水に適量混ぜ込んだ。

 ベリーシロップはストリィディアでは昔からよく作られているらしい。国内に自生する品種が多く、新鮮な野菜や果物が手に入りにくい冬期間の重要な保存食だったそうだ。先代国王の治世で発達した輸送技術や保存技術のおかげで、冬でもそれなりに手に入るようになったけれど、今でも伝統的な保存食として愛されている。

 個人的には檸檬でもあれば良かったとも思うが、あれはストリィディアでは輸入品で高価な物だ。偶にしか手に入らない。

「……こんなもんかな」

 出来上がった果汁水を水差しに移しておく。

 次にスープだ。出汁取りと蛋白源にはミネラルたっぷりの白身魚でも使いたいところだけれど手持ちに無いので、脂肪分が少なく消化に良い鶏肉にしておく。玉葱とトマトを賽の目状に切って、夏葱を細かく刻み、それから鶏肉を小さく切り分ける。果実油を引いた鍋に鶏肉と野菜、それから摩り下ろした生姜を投入してさっと炒め、水を加えてひと煮立ち。それから自家製フリーズドライの人参と大根、セロリと一緒に鍋に入れて更に煮込む。あとは塩と胡椒で味を調えて完成だ。

 洗い物を済ませて手を清め、果汁水を寝台脇の小卓に運んでアレクの様子を見る。額のタオルは既に温んでいた。水桶で洗い、彼の顔と身体を軽く拭ってから、もう一度洗って絞り、魔法で微凍結させる。額にタオルを乗せる前にまた触れてみた。酷く熱い。簡単には下がりそうにない。拭いたばかりの顔に再びじんわりと汗が滲み、それを拭い直してから冷やしたタオルをそっと乗せる。

 関節でも痛むのか、時折身動ぎしては微かな苦鳴を上げている。まだ目を覚ます気配は無い。

(……さすがにこれは、一晩泊める覚悟はした方がいいのかも)

 冒険者は独り暮らしの者も多い。体調不良や怪我でもして寝込むことになれば、身の回りの世話をする者も無くとても辛い思いをするのが常だ。そう言った場合に希望があれば、組合(ギルド)経由の依頼でシオリが派遣される事もあるのだが、さすがに自宅に泊めての看護は初めてだった。それも、独り身の男を。

ザック(にい)さんは何か言うかもしれないなぁ)

 心配性で過保護な兄貴分は、きっと気にするはずだ。書き付けを届けさせたから、仕事が終われば必ずここに立ち寄るだろう。

(いくらなんでも病人を外に放り出すような事はしないと思うけど)

 苦笑しつつ、洗濯をするために浴室に向かった。

 血液汚れは魔獣と人のものは大差無いのか、石鹸を擦り付けて揉み洗いするだけでどうにか落とす事が出来た。後はいつも通りに魔法を駆使して洗濯を済ませ、浴室の物干しに掛けて風魔法で湿気を飛ばす。窓を開けて風を通しておけば、じきに乾くだろう。

 先ほど戻って来たルリィは、湯船に張った水に浮かんで水遊びの真っ最中だ。もうしばらくはこうしているつもりらしい。適当なところで上がるように声を掛けてから手を清める。

 エプロンを外して畳みながら、窓の外に目をやった。

 夕暮れの迫る空が、既に紫紺色に変化した東の空から、茜色に染まった西の山際に向かって絶妙なグラデーションを描いていた。遥か頭上には星が瞬き始めている。日暮れの時間が早くなった。冬も間近だ。

 こんこん。

 扉が叩かれる音がした。そっと近寄ると「俺だ」という聞き慣れた声がした。鍵を開けて扉を開く。先程まで眺めていた夕焼け空のような髪色の男が顔を覗かせた。

「よう。様子見に来たぜ」

ザック(にい)さん。早かったね」

「早めに切り上げて来た。心配だったんでな」

 手にしていた紙袋をシオリに押し付けると、ザックは奥の寝台に歩み寄った。眠ったままのアレクを覗き込み、それからそっとその頬に手のひらを押し当てて思案する様子だったが、やがて深い溜息を吐いた。

「……連れて帰るつもりだったがこいつは無理だな。動かすのは酷だ」

 やはり、ここから連れ出すつもりだったか。シオリは苦笑した。

「可哀想だよ。ここまで連れて来るのだって大変だったんだから。このまま寝かせてあげて」

「……ああ」

 ザックはやや不満げだったが、諦めたようだ。寝台脇の丸椅子に腰を下ろすのを横目に、アレクの額のタオルを水桶に浸して絞る。酷い寝汗を拭いながら、一度どこかで起こして水を飲ませた方がいいだろうかと少し心配になった。

「ガキの頃はしょっちゅう熱出したもんだが……こんなふうに寝込むのは久しぶりに見るな」

 ぽつりとザックが言った。初めて紹介された時に古馴染みだとは聞いていたけれど、そんなに昔からの知り合いだったとは驚いた。

「幼馴染?」

「ってほどでもねぇけどな。初めて会ったのはこいつが十になるかどうかだったが、俺の方は直ぐに成人して家を出ちまったからな。本格的な付き合いはアレクが成人して冒険者入りしてからだ」

「へぇ……」

「駆け出しの頃は加減が分からねぇで無茶してよく寝込んでやがったが、それも一年くれぇか。身体が出来上がる頃にはそういう事もほとんど無くなったよ」

 ザックは昔を懐かしむような顔でアレクを眺めている。

 アレクもザックも、もう立派な冒険者としての姿しか知らないから、二人にそんな時代があったというのは何か不思議な気がした。どんな少年時代だったのだろう。

「……興味あるか? 俺とこいつの若ぇ頃の話」

 冗談めかしてザックが言う。それには苦笑いして返すしかない。

「興味はあるけど……御法度なんでしょう? 冒険者同士の過去の探り合いは」

 冒険者には純粋に憧れてなる者も居るが、訳ありの者も多い。勿論犯罪者は論外だけれど、筆記試験と面接さえ通れば誰でも就ける職業だからだ。だからかどうか、家を継げない貴族の子息だとか、嫁ぎ先の見つからなかった御令嬢だとか、そういう身分の高い者が素性を隠して冒険者の道を選ぶことも意外に多いらしかった。中には不始末を起こして家に居辛くなったような貴族も居るらしい。そういった理由で、互いの過去を探るのはあまり好まれない。仲間の素性に触れるべきではないというのが冒険者同士の不文律だった。

 自分だって聞かれても困る。正直言って、答えられない。説明出来ないからだ。

「そんな大袈裟なもんでもねぇけどな。別に本人が勝手に話す分には何の問題もねぇよ」

 ザックは赤い髪を揺らして笑った。

「つっても、大した過去じゃねぇがな。俺は婚外子なんだ。親父に引き取られて育てられたが、周りが煩く騒ぐんで居心地が悪くなって家を出た。家族仲はそれほど悪くも無かったが、まぁ……仕方ねぇな、こればっかりは。アレク(こいつ)もまぁ、似たようなもんだ」

「……それ十分に『大した過去』だと思うけど」

 婚外子。周りが騒ぐ。

 何を言われたかは容易に想像がつく。この国の成人は十六歳とは言え、まだ子供と言っても通る年頃だ。そんな多感な時期に経験するには中々に重い。それに――。

(多分、いいところの子だったんだろうな)

 その言葉遣いの所為か、一見すると粗野に見えるザック。けれども実際にはその立ち振る舞いはどことなく洗練されていて上品だ。食事の仕方ひとつとってもその所作は綺麗だった。冒険者時代には貴族相手の仕事も多かったようだ。

 そのザックと子供の頃から付き合いがあったというアレクもまた、もしかしたらと思う。

『――民は貴族の為の消耗品ではない!』

 以前、伯爵家の人間に向かって言い放った言葉。普通の育ちの人間から出る言葉ではないように感じた。

「う……」

 アレクが呻き、はっと我に返る。様子を見るが、目を覚ましたわけではないようだった。やはり起きる気配は無い。ザックと二人で溜息を吐く。

「……悪ぃが、俺も泊まらせてくれ。こいつの面倒を見る」

「うん。じゃあ交代で見よう。寝てるうちに、食事する?」

「ああ。悪いな、色々と。さっきの紙袋にパンと林檎が入ってるから出してくれ」

 アレクの事なのにザックが謝罪するという事実が、二人の関係がただの仲間とは違うということを示しているような気がした。親友――いや、似たような境遇にあった、兄弟のような――。

(なんだか羨ましいな)

 もう四年、けれどもまだ、たった四年だ。友人も家族も、それまでの生い立ちも、自分のルーツを何一つ示す事の出来ないこの世界では、自分の存在はひどく曖昧なものだったから、そういうものを持つ彼らがひどく羨ましかった。

 もっと長く過ごせば、この世界に生きてもいい理由、よすが、居場所が――出来るだろうか。作ってもいいのだろうか。曖昧な立場の、自分が。

『もしお前が望むなら、俺が居場所になってやる』

 以前アレクはそう言ってくれた。彼はとても良い人だ。何くれと気遣ってくれる、優しい人だ。けれどもあの言葉が本意なのか、そしてその手を無条件にとっても良いものなのかどうか、自分にはよく分からなかった。

 同じように親切な人は沢山居た。思わせぶりな言葉を囁いて近付く男も居なかったわけではない。だけど、それ以上相手が距離を詰めて来ないのであれば、この国の男性の社交辞令のようなものなのではないかとも思ってしまうのだ。自分の異質で曖昧な立場を分かっているだけに、余計に。

『お前が欲しいんだ』

『お前が必要なんだ』

 何度もそう言って纏わりついておきながら、結局最後まで肝心の愛を囁く言葉をくれることなく、死ねとばかりに迷宮に置き去りにして行った男の存在は到底忘れられるものではない。結局自分にはその程度の価値しかなかったのだということを思い知らされた。

 だからこそ。

 ――差し伸べられる手を取ることに、ひどく臆病になってしまった。

 また、あんなふうに要らないと言われてしまったら、もう立ち直れない気がした。

 あのようなふざけた男など滅多に居ない、むしろ善い人ばかりだという事を知っていても、なお。

 でも。

『――帰るぞ』

 差し出された手。握り締められた手。

 アレクの手は、優しく、温かかった。

「……」

 今は酷く熱い、汗ばんだその手をそっと触る。

 アレクの真意はまだよく分からないけれども、でも、この手に引かれて歩いた、あの穏やかで優しい時間は心地良かった。曖昧な存在の自分を此処に繋ぎ止めてくれるような、優しく温かい手を持っている人。

「――早く、良くなってね」

 熱い手を撫でてから、食事の支度をするために寝台を離れる。

 ――その背を、ザックが物問いたげに眺めていた事には気付かなかった。


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