17 幕間四 心中の花(バルト、料理長)
ベーヴェルシュタム様式の尖塔アーチが美しいロヴネル家の広間は今、各テーブルを行き交う人々で賑わいを見せていた。猫足の優美な曲線と繊細な細工が美しいテーブルには、ロヴネル家が誇る名物料理長アロルド・クロンヘルムが手掛けた料理の数々が並んでいる。領内産の旬の野菜に家畜肉や狩猟肉、新鮮な川魚などをふんだんに使った料理は、全てが今日発表されたばかりの新作だ。
この新作料理試食会の招待客は老若男女様々であったが、その全てに共通しているのが正装ではなく使用人の御仕着せであったことだ。彼らはこの城館に勤める使用人。中には当主執務室詰めの役人の姿もある。
この試食会は使用人の慰労会を兼ねているのだ。アロルド自ら手掛けた料理は普段使用人が口にすることはなく、彼らは滅多にない機会とばかりに贅を尽くした料理を楽しんでいた。各テーブルに付いた給仕人が手際よく料理を切り分け、「招待客」に手渡していく。そして一皿食べ終わるごとに彼らは、「招待状」の裏の記入欄に料理の感想を書いていく。
「忌憚のねぇ意見を頼むぜ。味、舌触り、香り……ちょっとでも気になるところがあるなら正直に書いてくれ」
テーブルの合間を行き来しながら、アロルドは熱心に声を掛けていた。単なる誉め言葉だけでは試食会の意味はない。欠点を改善してこそ意味があるのだ。特に今回は楊梅商会から取り寄せた珍しい東方の調味料――味噌や柚子胡椒などを取り入れている。副料理長達が太鼓判を押した料理ではあるが、癖が強い調味料だけに口に合わぬ者も多いだろう。正式な晩餐会に出すためにはより多くの意見が必要と判断したアロルドは、その旨を当主アンネリエに相談した。
その結果が「じゃあ屋敷の皆に食べてもらいましょ。年齢性別、生育環境から味の好みまで違う人ばかりよ。意見を集めるならお誂え向きではないかしら」というアンネリエの発案によるこの試食会だ。
年若く勤務年数の浅い者や下級職などは遠慮があるのか当たり障りのない感想を書いている者もいるようだが、多くはこの会の趣旨を理解して正直な意見を書き込んでいる。中にはアロルドを呼び止めて直接意見する者もいた。
(さすがワインバトラー。味には煩そうだ)
真剣に話し込んでいる二人を見てくすりと笑ったバルトは、その会話が終わったところを見計らってアロルドに近寄った。
「精が出ますね、おやじさん」
ワインバトラーを見送った彼は振り返り、小皿片手に立っているバルトを認めて「おう」と手を振った。
「バルト坊。お前さんもちゃんと食ってるか――って訊くまでもねぇか」
手にした小皿にはチーズケーキ――隠し味に味噌を使った――が載せられている。デザートまで到達しているということは、一通り口にしたということだ。
「どれも大変美味しく頂きました。これからもう一周してこようかと」
「……おめぇはよ……」
基本どんな料理も美味しく食べるという特技を持つバルトだ。ロヴネル家が誇る名物料理長の料理に文句があろうはずもない。二十六年の人生でこれは無理だと思った料理は後にも先にも叔母――デニスの母だ――の謎の煮込み料理だけだ。
不意に思い出した、怪しげな緑青色の液体の中から恨めし気にこちらを睨む何かの目玉を即座に脳裏から追い出したバルトは、チーズケーキを一口食べてからふむ、と唸る。
「強いて言えばチーズケーキの塩気がもう少し強かったら良かったかなぁと。酒のつまみに良さそうだと思いました。ワインに合うのでは?」
「さっきも同じこと言われたぜ。他にも似たような意見が出てる。だからそれは今度また試すとして、せっかくなんで甘い蜜山羊チーズか粉雪チーズあたりを味噌漬けにしてみちゃあどうかと思ってるところだ」
デニスがシオリに教わったというレシピに含まれていたチーズの味噌漬け。濃厚で深みのある味わいになるという。これをクラッカーや硬パンに載せて食べると絶品で、危うく厨房で秘蔵の酒を取り出すところだったとアロルドは笑った。
「試作したら俺も是非御相伴に預からせてくださいよ。厨房の連中でこっそり酒盛りなんてせんでくださいね」
「それはまぁ……」
はは、とアロルドが気まずそうに苦笑したあたり、どうやら既に開催済みのようだ。誤魔化すように頭を掻いていた彼は、それにしてもと話題を変えた。
「……そのシオリって嬢ちゃん、一体何者なんだい。各国の料理が作れるってんだろ。レシピを書き写させてもらったが、あんだけの料理を短期間で提案できるなんざ只者じゃねぇぞ」
「嬢ちゃんなんて言ったら失礼ですよ。見た目は俺らとそれほど変わりませんが、成人する子供がいてもおかしくはない年齢でした。しかし訳有りらしくて、ニホンとかいう国から来たってこと以外分からないんですよ」
バルトはあの黒髪の新しい友人の姿を思い浮かべる。
常に仲間の後ろに控えているような、穏やかで物静かな女だった。しかしその存在感と知識量は相当なものだ。受け答えにもそつがなく、独創性、考察力にも優れた女。
アンネリエとデニスは先日のトリスへの訪問で、彼女は単なる移民ではないという思いを深めたようだ。
S級冒険者として著名なザック・シエル――恐らく出自は貴族階級であろう――に手厚く庇護されていること、会食したトリスヴァル辺境伯がシオリを知っているらしい素振りを見せたこと。そして次回の商談に先行して送った祭壇画のラフ画――シオリをモデルにした聖女の肖像だ――を見た大司教オスカル・ルンドグレンからもまた「知人の東方人女性によく似ている」と返事があったこと。
いくら有能とはいえ、王国に居を定めてから五年足らずの異邦人が持つには些か太過ぎる人脈だ。
それにトリスでの会談で楊梅商会のヤエとひと悶着あったというが、シオリ本人や恋人のアレクはおろか、ザックまでもが彼女の出自を隠したがったという。
それらの事柄から判断するに、シオリ・イズミはその正体を隠さねばならない高貴な身分なのではないかとアンネリエは言った。
事実、シオリを内密に調べさせた結果、その推察を裏付ける証拠が見付かっている。
珍しい東方人の行き倒れに対して騎士隊が簡易な取り調べしかしていないこと。彼女が被害者となった重大事件の容疑者が証拠不十分で不起訴処分になった後の僅かな期間に、主犯格が謎の失踪を遂げ、共犯者のほとんどが死亡扱いになったこと。さらには聖女生誕祭において「神の御座」から臨む下界の風景が披露され、この風景を映し出した幻影使いが黒髪の移民女性らしいという噂が一時期話題になったものの、ごく短期間で立ち消えたこと。
その調査時にも幾度となくさりげない妨害があったという。これはどう考えても普通ではない。極秘に彼女を護り、その特異性を秘匿しようとする何者かがいる。騎士隊に介入し、それだけの工作を為し得る者はあの街ではただ一人だけだ。
(トリスヴァル辺境伯の庇護下にある移民女性……か。こいつはもしかしたらとんでもない大物と知り合っちゃったのかもしれないなぁ)
彼女との縁が吉と出るか凶と出るかは分からない。しかし、バルトの勘は告げていた。
――彼女との出会いは吉兆であったと。
シオリと出会うことによってデニスの拗れた縁が解け、アンネリエの一途な恋が成就した。トリス大聖堂との太い繋がりもできた。そのうえさらに、東方で一、二を争うという大商会との縁もできた。その縁によってロヴネルの地に新たな名物料理が生まれようとしている。
偶然か必然かは分からないが、彼女と出会ったことによってロヴネル家の運が上向いてきたことは確かなのだ。
「……俺にも何かいいこと起きるかなぁ」
「あ? 何だって?」
怪訝そうに訊ねるアロルドを適当に誤魔化しつつ、小皿に残ったチーズケーキを口にした。しっとりと滑らかな生地をゆっくりと舌と歯で押し潰す。チーズの香りと共に優しい甘さと仄かな塩気が口内に広がった。食べ慣れた味の中に、微かに異国の香りを感じたような気がした。
「東方、かぁ……。生菓子、美味かったな」
商会お抱えの菓子職人に作らせたという季節の花を象った美しい生菓子は、温和で優美、そしてどこか神秘的な東方の女達のようだとバルトは思った。
シオリ。そしてヤエ。
楚々として柔らかに、しかし凛と咲く花。
甘い菓子と美しい花に例えた二人の女の、雪に映える艶やかな黒髪が脳裏に浮かんだ。
――そのうちの片方、花弁が重なり合う様を表すという名の女が後に己が手にする花であるということを、このときのバルトはまだ知る由もなかった。
イール「珍しく食い気より色気を出した男の話なのである」
ペルゥ「花も 美 味 し く 食べそう」
ルリィ「……なんか最近生々しくなってない?」
コミック2巻の発売日、9月25日まであと数日です。
ラブ度アップでスライムもりもり巻、どうぞよろしくお願いいたします。
また、書籍化記念SSの方に番外編「空中庭園の水怪」も掲載しております。こちらは先日完結しましたので、お暇なときにでもどうぞ( *´艸`)




