13 春の兆し
三月を間近に控えたある日の夜。
執務を終えて家族との夕食と団欒を楽しみ、妻と共に寝室に引き上げようとしたオリヴィエルのもとに、急ぎの私信が届けられた。封蝋にオスブリング家の紋章。トリスヴァル辺境伯家からの封書だ。
内密の手紙かと席を外そうとしたセシリアを「構わないよ」と言って引き留め、彼女がお気に入りのソファに腰を下ろして読書を始めたことを確かめてから、静かに封書を開く。中にはそれぞれ異なる封筒の手紙が二通入っていた。一つはトリスヴァル辺境伯クリストフェル・オスブリング、もう一つは異母兄アレクからだ。
アレクからは先日も手紙が届き、その返信をしたばかりだ。それを急ぎの私信とは、何かあったのだろうか。
就寝前の習慣となっている伸縮運動を始めたペルゥの横で、まずはクリストフェルからの手紙を開けた。簡潔だが親しみの籠った挨拶から始まるその内容に目を走らせたオリヴィエルはしばしの間考え込み、もう一度その文面に視線を落とす。
――天女は異世界人であった、と。
世迷言、戯言と一笑に付すような内容ではあったが、クリストフェルは根は実直な軍人だ。ユーモアを解する男ではあるが、わざわざ内密の手段を用いてまで王に冗談の手紙を送るような男では決してない。
そんな男が直接天女と面談し、彼女が異なる世界からの迷い人であるということはほぼ事実であろうと判断した。天女という綽名は綽名などでは決してなく、教育や技術水準が遥かに進んだ世界――ある種の天上界とも呼べる場所から来た女で相違ないと彼は言うのだ。シオリ・イズミはその綽名の通り、正真正銘この世のものではなかったということだ。
証明ができない以上本人の言が全て真実であるとは言い切れないが、二度の尋問から得られた結論は限りなく白に近い灰色だと彼は記している。彼女と近しいブレイザックはともかく、ほぼ初対面に近いクリストフェルまでもがそう結論付けたのであれば間違いはないのだろう。
「――非常に聡明で分別があり、決して想像力過剰に物事を語るような類の女性ではない。幻影で映し出した天上界からの雄大にして荘厳な景色は圧巻――か」
去る十二月に彼女が生誕祭で披露した「神々の視点」は物議を醸したとは聞いていた。王都ではむしろ、エルヴェスタム・ホールでの横領及び歌姫殺人未遂事件や生誕祭における団員への傷害事件の方が世間を騒がせ、「聖女再来」についてはそれほど話題にはならなかったようだが、トリスでは一時期随分と噂になったようだ。
しかしそれも、クリストフェルと大司教オスカル・ルンドグレンが裏から手を回し、噂の火消しに成功したということだった。
オスカルは教団の革新派の中心的存在として名高く、篤い信仰心を持ちながらも極めて現実的な考えの持ち主であると噂の男だ。そんな彼や辺境伯が問題視するほどだった彼女の存在。
その彼女はクリストフェルの「アレクと一緒になれなかった場合はどうするつもりか」という問いに対して「殺してください」と答えたという。
この世界に降り立ってからの四年余りのうちにもう二度もやり直した自分には、この上アレクを失ってもう一度やり直せと言われてそうできるだけの気力は残されていないのだと。だからこれ以上苦しむことがないように殺してくれ、と。
何もかもを失いながらも血を吐くような想いでようやく築き上げた、死に掛けてなお必死の想いで取り戻した居場所を、国のために全て他の女に差し出し身を引けというクリストフェルの言葉。それは彼女にとってこの上なく残酷なものであったはずだ。
それに対して真摯に偽ることのない本心を告げた――そのときの彼女の心中はいかばかりか。
しかしその問い掛けは、いつか誰かがしなければならなかったものだ。王兄と生涯を共にすることの覚悟、それを訊かずして先に進むことは許されない。
「……彼はきっと僕の代わりに訊いてくれたんだな。天女はおろか、アレクからも恨まれかねないその問いを」
アレクへの想いを抱いたまま魂だけは故郷に帰るのだと、そう言って涙したシオリ。たとえ添い遂げられなくともその心を他の男に預ける気はなく、アレクへの愛に殉ずるつもりなのだ。
そんな彼女と恋仲になり、生涯を共にすると決めたアレク――。
「……これはなんとしても都合を付けて早くに行くべきだろうな……」
呟きながら次はアレクからの手紙を取り上げた。力強い筆致と兄弟の情に溢れた挨拶で始まる文面からは彼の人柄が滲み出ている。彼もまたシオリの正体に言及していた。それでもなお彼女を受け入れるとも。
いつものように微笑を浮かべて読み進めていたオリヴィエルは、最後の一文を見た瞬間はっと息を呑んだ。それに気付いたセシリアが顔を上げた気配があったが、それにも構わずに何度も手紙を読み返す。その内容がゆっくりと浸透していくにつれて胸がひどく痛み、呼吸が乱れるのが分かった。
それは決して絶望からくるものではない。溢れんばかりの喜びがこの胸を満たした所為だ。あまりの嬉しさに心の臓が痛むほどだった。
「……オリヴィエ。どこか痛むのではなくて?」
ともすれば叫び出しそうになる激情を押し留めようと口元を押さえた夫の様子に、ただ事ではないとセシリアが駆け寄った。身体を支えるようにその手をそっと背と腕に添える。
ペルゥもまた「大丈夫?」とでもいうように、しゅるりと伸ばした触手で足元を撫でている。
「ごめん。驚かせたみたいだ。でも大丈夫」
体調が悪い訳ではないからと言い添える。
「アレクが」
安心させるために次ごうとした言葉がしかし、そこで途切れた。嗚咽が漏れそうだったからだ。
「……義兄上が?」
ゆっくりと落ち着かせるように、彼女の指先が背を撫でる。
二度、三度と深呼吸したオリヴィエルは、再び口を開いた。ゆっくりと、噛んで含めるように。
「アレクが……公の場に、戻るつもりだと」
「……まぁ」
震える唇でどうにか絞り出した続きの言葉に、セシリアは目を見開いた。
――帝国から戻ってほとんどすぐに郷里のトリスへ戻ってしまったアレク。あのときの彼からは、あまり長くこの場に留まりたくはないという感情がありありと見て取れた。自身の曖昧な立場に思うところはあるようだったが、それでも王兄として公の場に戻る気はあの時点ではさらさらなかったはずだ。
彼と二人の細やかな酒宴で、酔いに任せて呟いていた「今の俺に王の兄を名乗る資格はない」という言葉は真実、彼の本音からくるものだっただろう。
しかし、あれから僅か半年にして公に戻ると決意した彼。大きく心変わりする切っ掛けは間違いなく天女との出会いだ。
「――あいつにそこまでの決意をさせた彼女を、決して無下にすることなどできないな」
大切な異母兄の癒えることのなかった心を癒し、共に歩み、在るべき場所に戻ると決意させるまでに至った彼女はまさにアレク――アレクセイとそして、オリヴィエルにとっての恩人なのだ。
恩を仇で返す訳にはいかない。間違っても国のためにその命を捧げさせてはならない。絶対にだ。
「受け入れるのね。その方を」
「うん。王としての最終判断は直接会ってからになるけれど……でも僕個人としては、もう」
――シオリ・イズミは、受け入れそして護るべきこの国の民なのだ。
寄り添うセシリアの肩を抱き、足元から伸ばされたペルゥの触手をそっと握ったオリヴィエルは、窓の外に視線を向けた。
磨き上げたガラス窓の向こう、眼下に広がる王都の夜景は、穏やかな夜と湖に抱かれて美しく輝いている。その夜景の先――いくつもの森と湖沼を越えた遥か彼方に在るトリスの街を脳裏に描く。
空気は冷たく、冬の長いストリィディアではこれから先もまだ雪の降る日はしばらく続く。だが、アレクセイを長らく閉じ込めていた薄氷が溶け、ようやく春の兆しが見え始めたことを確かに感じながら、オリヴィエルは小さく微笑む。
――その紫紺の瞳が滲み、膨れ上がった水滴が頬を伝って落ちたことに気付く者は、妻と友人のただ二人きりだ。
ペルゥ「アレクとシオリは?」
ルリィ「一緒にお風呂入ってまだ出てこない」
イール「まだ」
脳啜り「まだか……」
雪男「キタワァ*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n´∀`)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・* !!」
雪狼「一人だけ浮かれてるなー」
活動報告でもお知らせしましたが、新刊発売の告知です。
皆様の応援のお陰で4巻を出して頂けることになりました。感謝感激でございます。本当にありがとうございます!
今回はシルヴェリア編後半に加えて、番外編約100頁を書き下ろしました。ザック兄さんと遠征に出掛けます。かっこよく残念な兄さん、残念な恋人に相変わらずのルリィさんなど盛り沢山です。シルヴェリア編でお馴染み雪男氏とバルト氏も挿絵で登場します。主人公組+残念美男+ナイスバディ美女の着飾った姿も見られます。
9月2日発売予定です。よろしくお願いいたします( *´艸`)




