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17 急病人の看病承ります(2)

 ――少し前に、嫌な事があった。C級の彼女達はやはり問題になったらしく、森での一件を目撃された事が決定打となって処分されたと聞いた。一人はその後直ぐに辞めてしまったらしいが、あとの二人は謹慎が解けたらまた復帰するらしい。

「他でも敵作ってたようだから、戻って来たところで孤立するんじゃないかしら……支援系の人達はあんなのと一緒に仕事したくないって口揃えて言ってるわ。当たり前だけど」

 エレンが苦笑しながら言っていた。仲間を大事にしない者は、自分も大事にはされない。当然の事だ。

 今回の事で、一部の同僚からは「でかした」と密かに称えられたが、一部の同僚――主に後輩からは、話がどのように伝わったのか、妙に恐れられるようになってしまった気がする。

 でも、【暁】の時の事をよく覚えている者達からは随分と心配された。特にザックが顕著で、帰って来るなり本当に怪我は無いのかとしつこく聞かれて閉口したものだった。

(また心配かけちゃったな)

 気遣ってくれる人が居るのは嬉しい。けれどもそれ以上に、心配を掛けてしまったことが心苦しかった。

 あれからしばらく鬱々とした気分で過ごした。仕事に差し支えるから勿論顔に出すような事はしなかったけれども、どうにも冴えない気分の日が続いた。

 でも、今日になって雑貨屋の女将から注文の品が届いたという知らせを貰い、買い物でもして気晴らしして、滅入る気分にけりを付けることにした。





 雑貨屋を出てご機嫌で通りを歩く。お気に入りの肩掛け鞄は戦利品で一杯だ。良い買い物が出来た。数日ぶりに気分が上向いた。

 野営用のリネン類をより上質な物に買い替えた。愛用のリトアーニャ製リネンは流石に沢山揃えるのは難しいが、それでも入浴用のタオルは国産の有名ブランド製で、平織りの物から手触りも吸水性も抜群のワッフル織に変えた。布巾は布端に色糸のラインが入った少しだけ洒落た物だ。可愛い雑貨は気分が上がる。

 それから携帯食用の密閉容器も、軽い金属製の物を見つけて幾つか試し買いした。ガラス製よりは持ち運びもし易くなる。使い勝手が良ければ買い足ししよう。

 そんな風に楽しい考え事をしながら自宅へ向かう。アパルトメントまであと少しというところで、通り沿いの建物に凭れ掛かる人影に気付いて立ち止まった。俯いたまま動かない、見覚えのある剣士姿の男に声を掛ける。

「――アレクさん?」

 男がゆるゆると顔を上げた。汗で額に張り付いた栗毛、いつもは強い光を宿している紫紺の瞳はぼんやりと焦点が定まらず、唇は半開きで苦し気な吐息が漏れている。その顔は血の気が引き、真っ青だ。明らかに普通では無い様子に驚いて駆け寄った。

「ちょ、アレクさん、大丈夫ですか!? 顔色が、」

 身体を支えようとして伸ばした手が、そのまま引き寄せられる。抱き締められたというよりは、縋り付かれていると言った方が近い。肩口に額が押し付けられる。首筋に熱い吐息が掛かった。服越しでも分かる、高い体温。

「アレクさ、う、わわわっ」

 縋り付く身体が急激に重みを増した。壁に寄り掛かったままずるずると崩れ落ちる身体を支え切れず、そのまま一緒にその場に膝を付いた。端から見れば恋人同士が抱き合っているようにも見えるらしい。道行く御婦人方が「あらあら」とでも言いたげに含み笑いをしながら通り過ぎる。しかしながらこちらはそれどころではなく、彼の腕の中から抜け出すのに精一杯だ。

 びっしりと汗を浮かべるその顔に手を触れてみる。熱い。呼吸も酷く荒く、苦しそうだ。早く何処かで休ませてやりたい。けれども、動かそうにも長身の偉丈夫の身体は恐ろしく重く、到底支えて歩けるようなものでもなかった。途方に暮れたところで、いつの間にやら姿を消していたルリィがアパルトメントの管理人を連れて戻って来る。

「シオリさん! どうなさったんです」

 ルリィの姿を見慣れている彼は、入居者の使い魔がひとりで現れたのを見て、よもや主人に何かあったのではないかと慌てて出て来たということだった。

 管理人のラーシュは二人の様子に目を丸くした。異変を知り、駆け寄って来る。

「この方は先日の……」

組合(ギルド)の仲間です」

 通りを行き交う人々の数人が足を止め、物見高く、或いは心配そうにこちらを眺めているのに気付く。このまま見世物のようになるのは忍びない。同じ事をラーシュも思ったようだった。そっと自分の身体の位置を変えて、アレクを視線から遮るようにする。

 でも、アレクがどこに住んでいるのかは知らなかった。知っているのはこの近くらしいということ位だ。組合(ギルド)までは大した距離では無いが、この状態のアレクを連れて行くには些か酷な距離だった。

 シオリは心を決めた。

 アレクは同じ冒険者仲間だ。面倒は仲間じぶんが見るべきではないだろうか。

 ――それに、ここのところ随分世話になっている。

「……私の部屋に連れて行きます。手伝ってくださいますか」

「ええ、勿論です。両脇から抱えましょう」

「お願いします。アレクさん、もう少しだけ頑張ってくださいね」

 アレクは薄く目を開け、小さく頷いた。二人で彼を支えて立ち上がらせる。余程辛いのか、途中で二度ほど崩れ落ちそうになったアレクを励ましながら、どうにかアパルトメントの自室まで連れて来た。

 寝台に座らせ、埃と何かの体液らしき物に塗れた外套を脱がせて、その下の胸当てに手を掛けたところで手が止まる。

(――どうやって脱がすんだろう)

 シオリの困惑を察したのか、ラーシュが助け舟を出した。

「……私がやりましょう。支えてあげていてください」

 場所を代わり、倒れ込みそうになるアレクの身体を支える。ラーシュは手慣れた様子でまず腰当を外して剣を寝台の傍らに立て掛け、それから胸当ての留め具を解き始めた。緩んだ胸当てを外すとアレクの口から溜息が漏れる。少し楽になったのかもしれない。同じようにして手甲やブーツが外されていく。

「私も以前は冒険者だったんですよ。剣士でした」

「そうだったんですか。ちょっと意外です」

「でしょう。よく言われます。早くに結婚して転職してしまいましたからね。在籍期間が短かったので、そのせいもあるのでしょう」

 洗練された身形のラーシュは、まるで何処かの貴族の執事と言っても通るような趣だった。野外で魔獣や野盗を相手に剣を振り回していたような面影は何処にも無い。

「さて、装備類は外しましたから後はお願いします。私はお医者様を呼んで来ましょう」

「すみません、お願いします」

 慌ただしく出て行くラーシュを見送り、それからアレクに視線を戻す。寝かしつける前に汚れた衣服も脱がしてしまいたかった。

「……人には無理するなって言ったのに、自分は無理するんだね」

 この身体で依頼を受けたのだろうか、外套の下の衣服も真新しい血痕のようなものが染み付いている。少しばかり躊躇ってから、トラウザーズのベルトを緩め、シャツのボタンを外して袖から両腕を引き抜いた。体臭――男の臭い――が鼻を掠め、それから古傷だらけの引き締まった裸体が目に入って思わず赤面するが、瞬時に意識の外に追い出した。

「アレクさん、少しだけすみません」

 声を掛けてから首の下に手を差し入れ、ほんの少し彼の身体を持ち上げて、一気にシャツを引き抜く。アレクは目を閉じたまま為すがままだ。既に意識は無いようだった。

「……顔と身体も拭かないと……」

 埃っぽいままの彼の髪を一房抓まんで呟くと、ルリィが寝台の上に移動し、それからアレクの手をつるんと半透明の体内に取り込んだ。ややあってから押し出された彼の手は、汚れが落ちて綺麗になっていた。表面の汚れだけを摂取したらしい。

「凄い! 器用だね! そんなことも出来るんだ。それなら全身も簡単……いやいや、うーん、ちょっと待って」

 全身をスライムに舐め回されているアレクを想像してしまい、その妙に卑猥なイメージに頭を抱える。

(なんか、そういうプレイの本(・・・・・・・・・)とかあったよね!)

 故郷の書店で見かけた、一部の愛好家向けの卑猥な本をうっかり思い出してなんだか居た堪れなくなり、彼の名誉を護る為にもやはり自分で拭いてやる事で落ち着いた。ルリィには頭髪だけお願いすると、満足気にぷるんと震えた。お願い事をされると嬉しいらしい。

 ルリィが頭髪の汚れ落としを始める横で、水桶に魔法で温水を満たしてタオルを沈め、緩めに絞る。それからアレクの顔を優しく拭うと、心なしか苦しげな表情が少し緩んだ気がした。タオルを再び洗い、今度は首から腰までを拭ってから、肌掛けを肩口まで引き上げた。そっと額に手を触れる。やはり熱い。清潔なタオルを水に浸して絞り、氷魔法で僅かに凍らせてから額に乗せる。

 汚れた衣類を纏め、少し逡巡してから、意を決して肌掛けの下に手を入れた。

(見ないようにすればいいよね)

 肌掛けの中を探り、トラウザーズに手を掛けて少しばかり強く引き抜いて、ほっと息を吐く。恐らく魔獣のものだろう体液に塗れたそれを身に着けたままでは、気分も悪いだろう。具合の悪い時はほんの些細な臭いも鼻に付く。そう思ってのことだった。

 脱がした外套やシャツと共に、トラウザーズも籠の中に纏めておく。どれもマンティコア討伐の時に洗濯した覚えがあったから、同じように洗っても問題はないだろう。

 そうこうしているうちに、ラーシュが医者を連れて戻って来た。医者は熱や脈を確かめてから口内や瞳を調べ、身体や爪の先まで丹念に様子を見た後、顔を上げて柔らかく微笑んだ。

「……多分疲労から来るものだろうね。ゆっくり休ませてあげなさい。こまめに水を飲ませて、もし食欲があるようなら消化の良い滋養のあるものを食べさせてやるといい」

 何か悪い病気では無い事が分かり、ラーシュと二人でほっと安堵の息を吐いた。「長引くようなら飲ませなさい」と手渡された熱冷ましを受け取り、一言二言助言を受けてから、医者に往診料を支払う。階下まで見送りがてら自分もこのまま戻るというラーシュに丁重に謝意を伝えた。

「何かあったら声を掛けてくださいね」

 彼はそう言い置いて医者と共に出て行った。部屋に静寂が戻る。

 寝台に引き返し、もう一度アレクの様子を見た。まだ苦しげに眉を潜めていたけれど、部屋に連れて来た時と比べれば、幾分呼吸は落ち着いたようだった。このまま寝かせておこう。寝台の側のカーテンを引いて陽光を遮り、薄暗くする。ノートを破り、素早く伝言を書き付けてから、足元のルリィに魔法で水を満たした水桶を与えた。

「ごめんね、もうひとつお使いお願いしていいかな。これを飲んだら、この書き付けをザック(にい)さんに渡してきて欲しいの」

 ルリィはぷるんと一回震えると、水を飲み干してから書き付けを大事そうに体内に包む。扉を開けてやると、するりと部屋から出て行った。

「さて」

 急な仕事が出来てしまった。急病人の看病という緊急依頼だ。まずは手製の果汁水を作ろう。と言っても、作り置いたベリーシロップを水で割って少量の塩を入れただけのものだけれども。あとは滋養のスープだ。目を覚まして空腹だったら直ぐに食べられるように、栄養たっぷりの物を。それが終わったら洗濯だ。

 袖を捲り上げてエプロンを付けると、早速作業に取り掛かった。

・ラーシュ・レクセル:45歳。シオリのアパルトメントの管理人。好物は卵料理。

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