03 ゼロ距離
――この世界の人間ではない。
その言葉の意味を理解するために時間を要したのか、アレクもザックも黙ったまま硬直していた。呼吸すらも忘れてしまったかのように音一つ聞こえない室内。ただ扉の向こう側から談話室の喧騒が聞こえるのみだ。
数十秒か、はたまた数分か。長い沈黙を破るように、窓の外を通り過ぎる雪馬車の音が響く。
沈黙に耐え切れずに俯けていた視線をおずおずと上げて、シオリは二人の男の顔を見た。そこに浮かんでいるのは困惑と――警戒、だろうか。
――ああ、終わってしまった。
彼らの視線に耐え切れずに再び顔を伏せる。
嘘つきだと思われたかもしれない。頭のおかしい女だと思われたかもしれない。今まで築いてきた信用も信頼も、居場所も何もかも失ってしまったかもしれない。大好きな恋人と兄の温かい心すらも失くしてしまったかもしれない。
そんな思いがシオリの胸を後悔と絶望で塗りつぶしていく。
でも言わずにはいられなかった。
心のどこかで期待していた。もしかしたら元の世界の、過去の時代に来ただけなのかもしれないと期待していた。魔法や魔獣の存在、そして地図が異なることに目を瞑って、もしかしたら時代が違うだけで結局は同じ世界なのではないかとほんの僅かながらも期待していたというのに、そんな小さな希望すらも打ち砕かれてしまった。
故郷と中途半端に似ていながら全くの別物であることを思い知らされて、その失望感を口にせずにはいられなかった。そしてもうこれ以上、生まれ育ったあの世界をなかったことになどしたくなかった。隠し続けることが苦しかったのだ。
しかしその結果、この温かい人達との日々を手放さなければならないかもしれないということに今更ながらに思い至ったシオリは、身動ぎ一つしなくなったアレクの腕の中でぼんやりと考える。
(次は……どこに行こうかな)
ここでは多くの友人に恵まれた。だけど、恋人と兄から向けられる得体の知れないものを見るような視線に耐えながらここで暮らしていく気にはなれない。
(……ルリィは付いてきてくれるかな)
何ものにも縛られないこの自由な友人は、きっと一緒に来てくれる気がした。現に今だってずっと足元をさすってくれている。
瑠璃色の友人を連れて、どこへ行こうか。
今度は南へ行ってみようか。それとも思い切って国外へ出てみようか。近隣諸国は共用語が通じるらしいから言葉には困らないはずだ。それに四年前とは違って今は手に技術もある。知識だってある。
いっそ、やはり気が変わったとミズホの国に連れていってもらうのもいいかもしれない。言葉は覚え直さなければならないだろうが、ヤエか誰かが教えてくれるだろう。姿形が似ている東方の国ならきっと、あまり目立たずにいられるはずだ。
(あ、でも……二人とも、多分偉い人、なんだっけ)
片や王族。その幼い頃を知るというもう一人もただの民間人ではないだろう。もしかしたら主従の関係なのかもしれない。だとすれば身分を隠して市井で活動している二人が、その正体を察している怪しげな女をこのまま黙って見過ごしはしないかもしれないし、それどころか消されるかもしれない――そこまで思い至ったシオリはあまりの絶望感に眩暈すら覚えて強く目を瞑った。
すっかり思考停止して身体を強張らせていると、涙で冷えた頬に温かく大きな手が添えられた。上向かされた視線の先には、じっと見下ろしている紫紺の瞳があった。決して冷たいものではない。いつも通りの柔らかく温かな色の瞳だ。
「……お前、今にも死にそうな顔だぞ。どうせろくでもないことを考えていたんだろう」
「ろくでもない、って……」
ろくでもないことかどうかは分からないけれど、今まさに愛しい人に斬られるところまで想像しかけていたシオリはなんとも言えない気持ちでぼそぼそと呟く。
「……人生終わったかなっては思ってた」
たった数年暮らした自分でも分かる。新聞や雑誌、同僚や街の人々の噂話から、古い時代ほどではないにせよ暗殺や謀殺が少なからず行われているということを聞き知っていた。移民や難民に混じって入り込んだ間諜が人知れず始末されることもだ。
だとするなら、自分のような存在は消されるかもしれない。社会的にどころか物理的にこの世から消される――見知らぬ世界で無駄死にしたくないと必死に生きようと頑張ってきた結果が、気の触れた不審人物として始末されるかもしれないと思えば、死んだような気にもなる。
シオリはもう一度アレクを見上げた。ザックは未だに困惑顔のまま黙って立ち尽くしていたけれど、少なくともアレクの方はその表情に嫌悪や侮蔑は感じられなかった。ただ少し困ったように眉尻を下げていた。
「お前が何を心配しているのかおよその見当はつくぞ」
指先でシオリの後れ毛を弄びながら彼は言った。
「大方、俺達に追い出されるか消されるかと思ったんだろう」
「……うん。だって」
ただの身元不明者ではない、口にすれば気が触れていると思われてもおかしくはない事情を抱えた人間なのだ。アレクの正体が予想通りなら、自分はそもそもが彼に近付いて良い立場ではなかった。初めからそのつもりがなかったのだとしても、消されても文句は言えない状況にあったのだ。
「……シオリ」
黙って聞いていたアレクは長い溜息を吐き、シオリの背を優しく撫でた。
「前にも言ったと思うが、俺はお前が何者であろうと受け入れる。その気持ちは今でも変わらない。それに」
彼の指先がシオリの目尻に残る雫を拭っていく。
「――お前がどうやらただ者ではなさそうだということには気付いていたんだ。なぁ、ザック」
唐突に会話の矛先を向けられたザックは瞠目し、それから一拍置いてがしがしと赤毛を掻きながら大きな溜息を落とした。
「……シオリ。お前は一部では天女って呼ばれてんだ」
天女。いつだったかアレクも口にしていた。
「四年前のあのとき……お前は突然現れた。気持ち悪くなるくれぇの強烈な空気の揺らぎと共にな。それも、誰も出入りした痕跡が何一つねぇ場所に、だ」
異常現象と同時に突如現れた東方人の女。空から降ってきたのでもなければ説明が付かない状況下で発見されたシオリは、東方の伝承になぞらえて「天女」と呼ばれるようになったという。
天界から舞い降りた、神の御使い。
「天女……」
その綽名が明らかに何らかの含みを持って付けられたものだということを察して、シオリの胸がちくりと痛んだ。
「……兄さんはずっと私を疑ってたんだね」
初めの頃は確かに警戒されていたことは覚えている。何度か身の上を探られたこともある。けれども疑似的とはいえ兄妹という間柄になった今ではそういうこともすっかりなくなり、本当の家族のように温かく接してくれていた彼が、心の奥底ではどこかで疑っていたことが悲しかった。そんなことを思うのは図々しい立場だということを理解していてもだ。
「……まぁ、な」
ザックは否定しなかった。
「何者なんだろうなってのはずっと考えてたよ。しかもこのご時世だ。いよいよ隣国がきな臭くなってきたときに、要人と言って差し支えねぇ人間の前にぽろっと謎の異邦人が落ちてくるんだ。そりゃ疑いもするってもんだぜ」
「要人……そっか」
シオリはそっと目を伏せて笑った。ひどく歪で複雑な笑みになっているだろうなと思いながら、床の板の目を視線でなぞる。
塵一つ落ちていない床。粗野なようでいて几帳面で綺麗好きな「兄」の執務室は、いつだって綺麗で片付いている。書類も分野別にファイリングして棚にきっちり収められていた。全て彼がいつも自分で掃除して整えているのだ。
私生児だからと家を出た少年時代からずっと冒険者として過ごしてきたはずの彼が、掃除はともかく一体どこで専門的な事務仕事を覚えたのだろうとはなんとなく思っていた。
この国は豊かだけれど、それでも読み書き計算ができれば十分な教育水準だ。富裕層や貴族家の子女でも跡取りかその補佐、あるいは文官にでもなるのでなければそれに多少色が付いた程度の教育しか受けず、ほとんどは礼儀作法など社交界での人付き合いに関する教育に偏っているようだ。
平民ともなると商家に弟子入りしていたとかいうことでもない限りは報告書類をようやく作れるかどうかという水準の王国。そこでこれだけ書類仕事に慣れ、しかも上級貴族とも対等に付き合えるほどの作法を身に付けているザックは、きっと良家の出身だろうとは思っていた。
しかし今まさに彼は自分を要人と言い切った。ただの民間人ではない、何らかの要職にある人物ということになる。王族だろうアレクと親しいとすれば、王宮に出入りできるような身分かもしれない。
乾きかけていた涙が再び目の縁に溢れ、ぽたぽたと頬を流れ落ちていく。
――つまるところ自分は要人に近付いた不審者で、監視対象にあったということなのだろう。自分と彼らとの関係は兄妹でも恋人でもなんでもなく、ただの――。
「シオリ。もういい。もう泣くな。大丈夫だから」
優しくシオリを抱え直したアレクは苦笑い気味にザックを睨んだ。
「あまり俺の恋人を虐めないでやってくれないか、ブレイザック殿」
ルリィもべしりと強く彼の足元を叩いている。そういえばこのスライムはいつもの瑠璃色のままだ。警戒色に変化していないということは、自分の身に危険はないのだろうか。一縷の望みをかけて見上げた兄は、苦笑いしながら困ったように頭を掻いている。
「虐めたつもりはねぇが……いや、結果としてそうなっちまってるか、王兄殿下」
言いながら彼はシオリの頭にその手をぽんと置いた。いつものように優しく撫でてくれる、温かく武骨な手。
幼子を宥めるように何度も撫でる手の心地良さに安堵しながらも、シオリは彼らの台詞にあった聞き慣れない互いの呼び名に目を瞬かせる。敬称の付いた、畏まった呼び名。
「……ブレイザック? 王兄殿下……って、やっぱり」
「ああ、そうだ」
シオリを撫でるザックの手をさり気なく除けたアレクは、「お前はよぉ……」と呆れている彼に素知らぬ顔をしながらシオリに向き直った。
「俺は王族だ。現国王の腹違いの兄なんだ。と言ってもほんの数週間俺が早く生まれただけで歳は同じなんだが」
「王様の、お兄さん……」
「ああ。アレクセイ・フレンヴァリ・ストリィディア。それが俺の本当の名だ」
王国名を冠した名前。それは彼が真にこの国の王族に名を連ねる者だということを示している。書店で見た本にも載っていたあの名だった。
「お前、気付いてただろう。少なくとも生誕祭の後には、もう」
「……うん」
はじめに疑念を抱いたのはシルヴェリアの旅でのことだった。アレクから断片的に聞かされた過去。そしてアンネリエ達が話題にした十数年前の第三王子失踪事件。符合点が多いその二つの話から導き出された答えは、そのときはあまりにも現実的ではないような気がしてそのまま忘れようとした。
けれどもあの生誕祭の夜に聞かされた彼のミドルネームとその由来は、彼がやはり王族であることを示唆していた。
「調べた本に、王家の名付けの習慣と十八年前の事件のことが載ってたの。年齢も計算したらぴったりアレクと同じで……だから」
「なるほどな」
「……おいおい」
アレクは苦笑したが、ザックは呆れともとれる微苦笑を浮かべた。
「アレク、お前思ったよりも随分と色々シオリにばらしちまってるじゃねぇか」
「シオリになら構わないと思ったんだ。いずれは全て話す気でいたしな。まぁ、予想以上に聡くて呆気なく看破された訳だが」
「そんだけこいつの情報処理能力が高ぇってことだろうよ」
賢い人間は多くいるが、集めた情報を取捨選択し情報媒体などと照らし合わせて結論を導き出すという手法は、一定以上の教育を受けていなければできないことなのだと兄貴分は言った。
子供ですらも情報機器を手にする向こうの世界では普通のことだ。それでも本を庶民が手に取ることができるようになったのがここ数十年だというこの世界では、それはまだ普通のことではない。
「お前のことは信用してるが……ある意味じゃあちっとばかり認識を改めなきゃならねぇなぁ」
ザックは苦笑いと共に溜息を吐いた。
「一時期監視していたことは確かだ。だがな、一年かそこらでお前の疑いはほとんど晴れた。本当にただの迷子らしいってこたぁ分かったからな。お前がなんの害もねぇ真面目な努力家だってことも全部知ってる。だからここでどうこうするつもりはねぇよ」
そう言っていつもの太陽のような笑みを見せたザックは、次にはほんの少し硬い表情を作った。
「……ただな、どうやらお前がただ者じゃねぇらしいってことを知っちまった以上、今まで通りにいかねぇ部分も出てくる」
「……うん。というか……その、私の話、信じてくれるの?」
突拍子もない打ち明け話をしたという自覚はある。自分だったらまともに取り合うかどうかも正直疑問だ。そんな話を彼らは信じてくれるというのだろうか。
「正直言えば、信じる……というよりはよく分からないと言った方が正しいだろうな」
シオリを抱き締めたままのアレクが優しく背を撫でながら静かに言った。
「だが人知の及ばない領域から来たと言われた方がしっくりくるのもまた事実だ。お前の知識、教育水準、技術力――そのどれをとっても今の俺達では説明が付けられない部分が多い。なにより」
一旦言葉を切った彼は、ザックをちらりと見た。しばらく考える素振りを見せたザックは、ふと視線を逸らして窓辺に歩み寄る。そのままカーテンを引いてから次に扉の鍵を掛けた彼は、振り返って言った。
「……シオリ。お前、生誕祭で『神々の視点』の幻影を出したって言ってたろ。それ……俺にも見せちゃくれねぇか」
「え……あ、うん」
なるほど、だから外からの視界を遮り鍵を掛けたのか。人目を遮った密室で何かされるかもしれないと内心焦っていたシオリは、ほっと息を吐く。
「……即興でやったからあのときと完全に同じにはならないと思うけど、それでもいい?」
「ああ。構わねぇよ」
目尻を拭ったシオリはアレクに支えられたまま幻影魔法による「活弁動画」を展開した。
ふわりと空気が揺れて、その場に白み始めた夜明けの空が映し出される。優しいラベンダー色から淡い薔薇色へと変化する絶妙なグラデーションを描いた曙の空を、優雅に羽ばたく白い鳥。悠々と飛ぶその鳥は、白と灰の冬色から、雪解けを迎えて若葉と色とりどりの花の色に色付いていく大地を見下ろして飛んでいく。
「……こいつぁ……」
ザックの唇から低い感嘆の声が漏れた。
遥か高い空を飛ぶ春告鳥の視点から見た春の景色。それは空から見下ろしたことがある者にしか分からない光景だ。
あの世界の人間にとってはありふれた光景だった。たとえ空から見下ろした経験がなかったとしても、それを知る手段が沢山あった。あまりにも当たり前過ぎて、あの生誕祭の日に何の気なしに大衆の前で披露してしまった。後に様々な憶測を呼んだ「神々の視点」の幻影。
――朝日は登り切り、夜明けの空はやがて抜けるように美しい青空になる。雲間を渡り、喜びの春を迎えた王国を見下ろして飛翔する鳥は大きく羽ばたいた。角度を変え、澄み渡る果てしない大空へと向かって飛んでいく。
遥か下界に遠ざかる王国の雄大な景色はやがて、大海に浮かぶ大地の――シオリが見知ったあの世界を見下ろす光景へと変化していく。懐かしいあの世界。大陸の端に浮かぶ故郷の島国――。
空気に溶けるようにして幻影が消え、部屋には静寂が取り戻された。
「……やはり、凄いな」
しばらくの沈黙の後、嘆息交じりにアレクが言う。
「――この光景。この世の人間では絶対に見ることはできないものだ。それを知るお前もまた、きっとただの女ではないのだろうと思っていた」
目を丸くして幻影を見つめていたザックもまた、長い長い溜息を吐く。
「……見事なもんだ。クリスや教団の連中が問題視すんのも頷けるってもんだぜ」
「クリス?」
聞き慣れない名前。訊き返すとザックはあっさりと「辺境伯だ」と言った。
組合の上得意で顔馴染みだとは聞いていたけれど、まさか愛称で呼ぶような仲だとは思わなかった。
「あいつは俺が王宮勤めだった頃からの友人でな。一緒につるんで悪さした仲なんだ」
「王宮勤め……」
とすれば、ザックもまたやんごとない身分にある人間なのだ。彼はそれを肯定した。
「ブレイザック・フォーシェル。それが俺の本当の名だ。何百年か前に王家から分離した家の出でな。まぁそんな血筋なんで一応王子の――アレクの腹違いの兄貴の側近をやらせてもらってたんだ」
「……」
ある程度の覚悟はしていたけれど、兄貴分の思った以上の身分の高さにくらりと眩暈がした。いくら私生児とは言っても、片や王族、片や王家の傍流。そんな人達と異世界出身の平民の女が一緒にいていいものだろうか。
ほんの少し上向いていた気持ちが再び落ち込み、俯いてしまったシオリをアレクは強く抱き締める。温かく力強い腕で、自分という存在を肯定してくれるかのように強く抱き締めてくれた。
「さっきも言っただろう。俺の気持ちは変わらない。お前が何者だとしても、この先もずっと愛すると誓ったその想いは今でも変わらないんだ。俺の天女。お前は俺の……全てなんだ」
「……俺もだ、シオリ。思うところはねぇ訳じゃねぇが、お前は俺の可愛い妹だってことに変わりはねぇよ」
ザックも言い添える。
「だがまぁ……このことはクリスと陛下にも報告させてもらう。悪いようにはしねぇが、もしかしたら今後多少は不便に目を瞑ってもらうことになるかもしれねぇ。とりあえずはクリスに会ってもらうことになるとは思うが、それで構わねぇな?」
それまでは基本的には今まで通りに過ごして構わないということだった。
シオリは頷いた。
こんな怪しい女の証明しようもない話を信じてくれたのだ。それどころか今まで通り、恋人として、兄として在ってくれるとそう言った。これ以上望むものは何もない。
ぷるるんとルリィも嬉しそうに震える。
「四年前、来てすぐの頃に打ち明けられてたらさすがに信じたりはしなかったろうぜ。でもな、お前の人となりを知っちまった今となっちゃあ、突き放すなんてことはできねぇよ」
「お前の身を助けたのは俺達じゃない。お前自身の努力がお前を救ったんだ。だから顔を上げろ。胸を張れ。それでも不安だというのなら俺が認めてやる。お前は得体の知れない女なんかじゃない。俺達の仲間――トリス支部自慢の家政魔導士だ」
「――!」
二人の言葉はシオリの胸を衝いた。ずっと静かに足元に佇んでいたルリィも、彼らの言葉を肯定するようにぷるんぷるんと身体を揺らしている。
ありがとう、そう言おうと開いた唇が震えた。顔を上げろと言われたばかりだというのに、溢れる涙を隠すために俯けなければならなくなった。
アレクはそんなシオリの顔を胸元に引き寄せ隠してくれた。
「……よく耐えたな。ずっと抱え込んでいたんだろう」
誰にも打ち明けられずにいた、訊かれても話すことができなかった秘密。それを受け入れてくれる人がいる。自分という存在のルーツを認めてくれる人がいる。
過去があるからこそ今がある――曖昧だった自分の存在が、今ここでようやくシオリ・イズミとして像を結んだ。
「……ふ、ひぅ……」
喉の奥から嗚咽が漏れる。
「さっきはもう泣くなと言ったが……いいぞ。泣いていい。我慢強いお前のことだ、きっと俺達が思う以上に多くを耐え忍んできたんだろう。だから泣け。今ここで思い切り吐き出してしまえ」
心地よい低い声で紡がれる優しく温かな言葉。
受け入れられたという嬉しさと同時に、あの世界にはもう戻れないのだという悲しさと寂しさが胸を焼く。
泣けと促すように逞しい腕がシオリの身体を力強く抱き締める。
ルリィが足元に寄り添い、気を使ったザックはシオリの背に一度だけそっと触れてから静かに部屋を出ていった。勿論鍵を掛けることも忘れてはいない。
「……う、あ」
今日の自分は泣いてばかりだと思いながら、愛しい人の胸に縋り付いて顔を埋めた。もう我慢しなくても良い、完全にそう理解した瞬間、最後まで残されていた心の奥底の壁が決壊した。
「う――ああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
喉の奥から迸る慟哭。
それを許してくれる人と、その人に抱かれている自分の存在を確かに感じながら、シオリはただひたすらに泣いた。
――日を遮られて薄暗くなった室内。恋人と瑠璃色の友人は、シオリが泣き止むまでいつまでも寄り添っていた。
脳啜り「これ自室だったら雪崩れ込むやつだよな!?」
ペルゥ「いいからすっこんでろ」
書きたかったシーンをまた一つ、書くことができました(´∀`*)




