01 手紙
あと十数分ほどで正午を迎える頃。上品な物腰の店員に見送られてエナンデル商会を出たアレクは、襟巻を引き上げながら大粒の雪が舞い落ちる大通りを歩き出した。
富裕層の屋敷や高級料理店が立ち並ぶ通りには良い香りが立ち込め、昼餉のときが近いことを報せている。
「何か屋台で買って帰るか。お前も好きなものを選んでいいぞ。用事に付き合ってもらったからな」
そう言うと隣をぽよぽよと歩くルリィが嬉しそうにぷるんと震える。
オリヴィエルへの贈り物の製作依頼でエナンデル商会を訪ねたアレクだったが、ルリィにはその採寸のために同行してもらったのだ。
なにしろオリヴィエルの希望が「使い魔のスライムを入れて歩ける背嚢」だったのだから、肝心のスライムがいないことには採寸もできない。幸い彼の使い魔――ペルゥというらしい――とルリィは大きさがほとんど同じらしい。オリヴィエルのことだから恐らくはその辺りも織り込み済みの「おねだり」だったのだろう。
ともかくそういう訳でシオリからルリィを借り受けて来たアレクは、無事注文を済ませてほっと息を吐く。
「それにしても、あのときの店員の顔は見物だったな」
特注品の注文に訪れた上客が、まさかスライムを入れる背嚢を作りたいなどと言い出すとは思いもしなかったろう。「大変失礼ですが」と前置きして三度聞き直した末に絶句して固まってしまったのだ。それでもあからさまに侮蔑や驚愕の表情を浮かべなかったのは大したものだが、たっぷり五秒ほど沈黙した後に「では具体的なデザインと使用素材のご相談に入らせていただきます」と切り出した店員の顔は奇妙に強張った無表情であった。どうやら笑いを堪えようとしてああなったらしい。
「……だが仮縫いの試着に行ったら今度こそ噴き出すかもしれんな」
同意するようにぷるるんとルリィが震え、つられてアレクも笑った。長身の偉丈夫が大真面目にスライム入りの背嚢を担ぐ姿など見た日には自分でも噴き出す自信がある。
「まぁ、しかしでき上がりを見るのは楽しみだ。オリヴィエも喜んでくれるといいが」
試着なら本来は使用者本人がした方がいいのだろうが、使用感はアレクが確かめることになっていた。長距離の移動用ではなく街での散策用のため、使用感はそこまで拘らないらしい。大きさなどはオリヴィエルの体格に近い商会の者に合わせ、代わりに意匠や素材に拘ることにした。
楽しみだね! というようにルリィが震えた。
そうだな、と一つ頷いたアレクは道すがらに目に付いた屋台料理を買い、その足で組合に向かった。休日は基本行く必要はないのだが、帰宅前に配達物が届いていないかどうか確かめたかった。
――オリヴィエルからの返事が届いているかもしれないからだ。
異母弟とのやり取りは間に何人もの人間が挟まるためにどうしても時間は掛かる。しかしそろそろ届く頃合いではあるのだ。
果たして、組合の扉を開いたアレクに気付いたザックは「手紙届いてるぜ」と懐から封筒を取り出した。色と大きさが異なる封筒が二通。片方は期待通りにオリヴィエルからのものだ。
「シオリ宛にも来てたんでな。一緒に持ってってくれ」
「シオリに?」
この国に来て五年にも満たない彼女宛ての手紙はそう多くはない。自分が知る限りでは主な文通の相手はロヴネル家の主従か王都の歌姫くらいのものだ。ちらりと確かめた送り主はやはりアンネリエ・ロヴネルだった。
「分かった。渡しておく」
「おう。頼んだぜ」
手紙を懐に仕舞い込んだアレクは、ザックと軽い挨拶を交わして再び外に出た。
片手に抱えた屋台料理は紙袋越しに熱を伝えてくる。急いで戻れば温かいまま食べることができるだろう。シオリのことだからきっと何か用意しているだろうが、残ったら夕食か晩酌に回せばいい。
そんなふうに思いながら、恋人の柔らかな微笑みを思い浮かべて目を細める。
「半年前は思いもしなかったが……人生どこでどうなるか分からんものだな」
家で待つ者がいる。それのなんと尊いことか。
幸せだね、というようにルリィが嬉しそうにぷるんと震えた。
愛しい恋人と気の良い友との生活もこの一月ですっかり慣れた。もう共にいるのが当たり前なのだ。この当たり前の生活を護るためにもなすべきことをしなければならない。
――ニルスにはあまり気負い過ぎるなと言われてはいるのだが、懐に収めた手紙の束を外套の上から触れたアレクは、気合を入れるように深呼吸した。
早く帰ろうというように数歩前でぷるるんと震えるルリィに促され、シオリが待つアパルトメントへと向かう。
「お帰り。お昼ご飯、もう少し待ってね。スープはできてるの」
「ああ、それならこれを。外出ついでに買ってきたんだ」
「わぁ……ありがとう。いい匂い。美味しそう」
出迎えたシオリに口付けを落としてから、手にした紙袋を彼女に手渡す。
防寒具を脱ぎ楽な格好に着替えて戻ると既に食卓は整えられていた。トリスサーモンの切り身を浮かべた野菜たっぷりのクリームスープに、バターとシオリ特製ジャムを添えた香り豊かな雑穀パン、そして屋台の炙り腸詰肉に一角兎の串焼き。
手紙の内容が気になるところではあるが、せっかくの温かい食事なのだ。温かいうちに堪能してからだと、指定席となった椅子に腰を下ろしたアレクはシオリと向き合った。
「いただきます」
「いただきます」
一緒に過ごすうちにシオリに倣うようになった東方式の食前の挨拶をしてから、早速スープに手を付ける。冬野菜と脂がのったトリスサーモンの旨味が溶け込んだスープは滋養たっぷりで味わい深く、外歩きで冷えた身体を芯から温めてくれた。
「帰りに組合に寄ってきたんだ。手紙を預かってる」
「手紙?」
「アンネリエ殿からだ。俺も弟からの返事が来てる」
「そっか。じゃあご飯食べたら早速読まないと」
「ああ。そういえば生活魔法講座の企画は順調なのか?」
「う……実はちょっと悩んでるとこ。大筋はできてるんだけど、もう少し煮詰めた方がいいかなって。開催時期とか講習範囲とかも考えなきゃいけないし」
「なるほど……そうだな。俺も協力するし、ナディアやなんなら他の連中にも訊いてみたらどうだ。必要なら頼んでやるぞ」
「うん、ありがと」
シオリ特製のスープに甘さ控えめのベリージャムを塗った雑穀パン、ぷつりと皮が弾けて肉汁が溢れる腸詰肉を楽しみながら、時折会話を挟む食卓は温かで幸せに満ちていた。
同じ食卓に着いたルリィもまた一角兎の串焼きを取り込みながら、ぷるぷると嬉しそうに震えている。
そうして楽しい昼食を終えた二人と一匹は、後片付けを済ませて早速手紙を開封した。ふわりと香水の微かな香りを放つ便箋に認められた優雅な筆致に視線を走らせるシオリの横で、アレクは一度深呼吸した。それに気付いたシオリが気遣うように薄く微笑み、触れるだけの口付けをくれた。
「……ありがとな」
「……うん」
緊張ゆえかいつの間にか強張っていた腕の力を緩め、そっと便箋を開く。万が一誰かに見られたとしても王と王兄のやりとりだとは気付かれないように配慮した文面は、離れて暮らす兄弟への気遣いと近況報告から始まり本題へと入っていく。
『――お前があのときのことで思い悩んでいるのは気付いていた。でも僕も同じだ。確かに本心ではお前に行って欲しくはなかった。けれどもずっとお前に申し訳ないと思っていた。だから言うべきではないと思っていたんだ。僕が不甲斐無いばかりにお前から自由な生活を取り上げ窮屈な場所に縛り付けて……酷く傷付けて、お前が築いた居場所をまた取り上げてしまった。
……ずっと、お前に謝りたいと思っていた。
やっぱり僕達は兄弟だな。ずっと同じように悩んでいたんだ。きっとこれはいい機会なんだろう。今度きちんと話そう。あのとき言えなかった想いを伝え合おう。
今すぐにも飛んでいきたいところだけど、都合が付くのは春先――早くとも雪解けの頃になりそうだ。無理にお前が来なくていい。僕が会いに行きたいんだ。だから待っていてくれるかい?
レヴェッカ殿もお前に会いたいと返事をくれた。ずっと言えずにいた謝罪を直接伝えたいそうだ。決して言うべきではない言葉で傷付けたこと、王族の責務の重さを見誤っていたこと……謝罪とあのときの想い、今幸せでいることを伝えることができるのなら、是非にと言ってきた。
ただ彼女は今身重でね。無理はしない方がいいだろうし、日程は体調と相談して慎重に決めたいと夫君も言っていた。こちらはお前から訪ねてもらうことになるだろうが、今のところ日取りは未定だ。気長に待って欲しい。
いずれにせよ――この機会が得られたこと、僕は嬉しく思うよ。お互い体調には気を付けて、元気で会おう。会う日を楽しみにしている。シオリ嬢とルリィ君にもよろしく』
優雅だが力強さも感じさせる筆致の手紙を何度も読み返して内容を脳内に浸透させたアレクは、長い溜息を吐いた。オリヴィエルの署名を指先で撫で、静かに手紙を畳んで再び息を吐いてから、ふと視線に気付いて振り返る。
不安そうな、気遣うような濃い色の瞳が己を見上げていた。
「……大丈夫だ。良い返事だったよ。二人とも会ってくれるそうだ」
オリヴィエルがあのときのことをそれほどに気に病んでいるとは思わなかった。彼は彼でずっと自身を責めていた。異母兄から二度も居場所を奪ってしまったと、そう思っていたのだ。
――レヴェッカもまた、この十数年間抱えてきた想いがあるのだろう。余所に嫁いだ理由にしても決して良いものではなかったはずだろうに、それでも今は幸せでいると、そう言うのだ。それどころか、胎に宿した新たな命を育んでいる、と。
「まだ日程は決まっていないが、弟は春先には会えるかもしれない。彼女の方も是非会いたいと言ってくれているそうだ。こちらは日程調整に時間が掛かりそうだが、実現するだろう」
彼女の滑らかな乳白色の頬に触れてそう告げると、彼女は表情を緩めて微笑んだ。
「……そっか。良かった」
実際に会って話した結果はどうなるかは分からないが、会う機会を作ってくれた彼らに感謝しながら、シオリと静かな口付けを交わす。何度か啄み合い舌先を触れ合わせてから唇を離したアレクは、小さく苦笑いした。
(それにしてもあいつめ……やっぱり全部知ってたんだな)
文の結びには「シオリ嬢とルリィ君にもよろしく」とあった。シオリの名は前回の手紙で出したのだから知っているのは分かる。だがルリィのことには一切触れなかったというのに、彼はこの使い魔の名を知っていた。つまりはそういうことなのだ。
いずれは己の素性を明かさなければならない。ある種の監視が付くような身分であることを近い将来に話さなければならない。それをシオリがどう受け取るかは分からないが、ロヴネル家の主従のように乗り越えていければいいとアレクは思った。
腕の中に抱えた恋人の唇を再び塞いでからそっと身体を離す。そしてシオリが手にしたままの手紙にふと目を留めた。
「アンネリエ殿は元気そうか?」
「ああ……うん。相変わらずだよ。手紙から声が聞こえそうなくらい元気そうだった」
そう答えてからシオリは僅かに眉尻を下げた。
「……もっとも気合入れて働き過ぎて、年明けに少し寝込んだみたいだけど」
「……それはそれで……目に浮かぶようだな」
「……そうだね……」
伸びゆく若木の新芽のような生命力に満ちた彼女が精力的に働く様が脳裏に浮かんだ。同時に、反動で熱を出して寝込む傍らで、呆れ顔で看病するデニスの姿も。
今はすっかり元気のようだが、きっとあの赤毛の青年に無理をしないようきっちり行動管理されているだろう。アンネリエの身体はもとより彼女だけのものではない。領主である彼女は領民の母とも言えよう。そしていずれは名実ともに「母」になるだろう彼女はより一層その身を大事にしなければならないのだ。
――だがそれも、夫となる青年がそばにいればきっと心強いはずだ。
「それでね、今度また商談でトリスに来るから、会わないかって」
「お。前に来てからまだ一月と少しだろう。案外ペースが早いな」
ロヴネル領までは馬車で二日の距離だ。彼女の身分を思えばそう何度も行き来するような距離ではないが、よほど大きな商談なのだろう。今後も何度か通うことになりそうだということだった。
気鋭の女性画家としても名が売れているアンネリエの大きな商談と言えば肖像画か。市内の富裕層の家で何か祝い事でもあるか、あるいは新たに就任したばかりの大司教だろうか。
そんなふうに依頼主に当たりを付けていると、手紙を読み返しながらシオリは小さく唸り声を上げた。その顔がどことなく不安げにも見える。
「……何かね、今回は外国の商談相手を案内したいっていうのもあるみたい。私にも会ってみたいって」
「お前に? それはまた何故……」
アレクを見上げた瞳が困惑に小さく揺れた。
「……お醤油を取り扱ってる業者さんで、『上得意』の私に会ってみたいんだって。その人――東方人みたい」
アレクは目を見開いた。
――東方人。シオリの故郷ではないかと目されている遥か東方の国の民だ。
ルリィ「醤油臭くなった男がやってくる予感」
緊急事態宣言の対象地域ということで、しばらくは家事育児にかかりきりになります。ということで投稿は物凄く不定期になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
同士達よ……共に乗り切ろうぞ_:(´ཀ`」 ∠):
あと宣伝も。
3月末発売した月刊コミックゼロサム5月号に家政魔導士第7話が掲載されています。「看病イベント」の回です。甲斐甲斐しいシオリや弱ったアレク、あわやスライム姦やちらっと出てくる少年ザックなど見所盛沢山です( *´艸`)
またゼロサムオンライン様で「番外編 使い魔ルリィの日記」も公開中です。ぷるぷるです。
巣ごもり中のおともにどうぞ。




